陽乃って、八幡視点で描かれてるから強キャラに見えるけど、客観的に考えると大学生になっても度々母校に顔を出して高校生の妹の人間関係にマジちょっかいかけてる結構アレな人だよね。
これ、確かにひとまず決着はついたけど、最終的な決着はついてなくね?
この場合の「決着」というのは作品タイトルにもあるラブコメとしての決着を指してるんだけど、それ決着つける必要って本当にあったのかなあ、という違和感がまずあった。
よくよく考えてみると、作品タイトルにはラブコメってあるけど、本作ってそもそもラブコメだっけ?という根本的な疑問が。
シリーズ当初は、奉仕部に持ち込まれる思春期にありがちなトラブルや悩みを八幡達が解決するというゲストキャラ主導のストーリーで、その解決方法のユニークさに魅力があった。
どんな活動をするのかよくわからない謎の部の活動を描くタイプの作品として始まってるよね。
しかし、シリーズが長く続くと、どうしたってメインキャラ三人自身のドラマを描かないわけにはいかない。そうするゲストキャラにはあまり尺を割けない。
なので、ゲストキャラの個人的な問題が奉仕部に持ち込まれることがなくなり「立ち上がったプロジェクトをいかにして完遂するか」ばかりになっていった。シリーズ当初の路線が好きだった者としては、残念に思う感情があったことは否定できない。
ついでに言うと、プロジェクトでの八幡達の仕事っぷりが、高校生離れし過ぎているというか完全に社会人のそれで、いくら八幡や雪乃が有能とはいっても高校生としてのリアリティに疑問を覚えるというか読んでて仕事のこと思い出してツラくなる。
というか今の高校生ってこういう仕事の仕方してるの?
作品を構成する要素に確かにラブコメはあったと思うけど、それが主軸というわけではなく、恋愛だけに限らない、人間関係において発生するいろんな問題を扱った作品である、というのが自分の認識。実際、好きとかきらいとかの単純な一言で片付くような段階ではない的なことは原作最終巻でも何度も書かれてるし。
にも関わらず、作品の着地点としては誰と誰がくっつかを避けるわけにはいかなかったんだなあ、というのが自分が抱いた違和感なんだと思う。
自分としてはそこを避けてくれても全然よかったんだけど、まあそんなわけにはいかないよね。