サービス開始日: 2019-11-27 (1822日目)
李くんとカード集め。ケロちゃん欠席。
アワアワしつつも誰かのためならがんばれるさくらちゃん!ともよちゃんも楽しげ。
李くんツンデレ最高。
お兄ちゃんの女装棒読み演技からのイケメン指数カンストしてる回。雪兎さんも出番あり。ミストゲット!お兄ちゃんの好きな人はね・・・(^q^)グフフ
前話から繋がるストーリー。序盤の山場!最高!と、テンション高く鼻息荒く視聴する。
イゼルローンは何となく故郷感が私の中に勝手にあるのでこの話は本当に好き。
この後もイゼルローンはキーになるわけだが、その攻防戦は毎度毎度楽しませてくれるのでヤバいよね!(語彙力)
1話でヤンの作戦が上官に退けられるシーンがあり、7話ではオーベルシュタインの進言が上官に退けられるシーンがある。何となくこのふたつのシーンを比較してみると二人ってマジ相容れないんだろうなぁって感じる。
原作では短く触れられていた箇所をアニメ化。キルヒアイスとベルゲングリューンのやり取りが本当に良い!酒ぽーい!
甘いと言われることを承知しながらもそのやり方でしか戦えないのがキルヒアイスの強さであり弱さでもある。
「キルヒアイス、お前はやさしいな」
泣く。
トリューニヒト馬鹿野郎登場。ヤンのズル休みはアニオリ。ジェシカの演説が悲しく突き刺さる。為政者は分厚い面の皮で鈍臭い反応しか返さないが、その痛みをよく知るヤンにとっては辛いだろうな。そしてもちろんユリアンの存在はヤンにとって本当にデカい。このふたりが笑いあってるシーンだけで尊い。アニオリにゃんこも良きかな。
絶対的有利な陣形に奢った同盟の危機を救う不敗のヤン・ウェンリー。アニオリ展開・設定やモブのセリフでそれとなく世界観を明かしながら物語が展開されていくため、時間を忘れて見てしまう。音楽からも没入感を得ることが出来る。頭を搔く飄々としたヤンがやはり好きでたまらない。
再戦の日まで壮健なれ。
ジェシカ・・・。
TVアニメ版のPart1を見た上での視聴。少し間が空いたけど大丈夫!でもPart1を見たあとでの視聴がオススメ。五右衛門のキャラクターがようやく定まって来る感じ。褌一枚の姿が見れるサービスシーンあり。次元が目をバリバリ出しているのも貴重かも。とっつぁんは相変わらず。いつ見ても不動のおもしろさ。古さは感じるけどやっぱり良いものは良い。モブにめっちゃ厳しいけどねwww
某リアクターの動画とともに何度目かの視聴。やっぱり最高。初見(原作のことも知らない外国の方)の反応を見つつ楽しんでいきたい。たしかにほぼ説明なしにラインハルトが司令官になっていきなり登場したら混乱するとは思うけれど、このアニメはその辺もしっかりと掘り下げて描いていくのでどんな風に楽しんで見てくれるのか楽しみつつ、私自身も楽しみたい。そして多分見終わったらまた原作小説を読んでしまいそうだ。そしてやはり私はヤン・ウェンリーが大好き。
前半すごい面白いが後半で力尽きた作品。力尽きたことにより未完となり、だからこそ平成を長く生きて令和で完結した稀有な作品となった。そんな印象。良くも悪くも日本人にとってのインパクトになっていたのだろう。
見ていて眠くなった。もう作画とかそういう問題でもないし。アニメじゃなくなって登場キャラクターにポエム風に作り手のプロットを言わせているだけだからね。
そして予告編_(┐「﹃゚。)__
万策尽きてる。
予告編…もう何も言えねぇ。終わる世界ならぬ終わる作画。静止画だらけのアニメの中で、唯一クソデカインパクト(ある意味セカンドもサードもまるっと超えてくるような)を与えて、そして消えることを、いや消してくれることを選んだカヲル君。海外版で、彼がシンジに言った「好き」をILoveYouと訳していることで物議を醸していた記憶があるけれどあの訳は私個人としては正しいと思う。ただ、性愛の対象としてのLoveでなく、人類愛とも呼ぶべきLoveであり、そんな一括りの人類の中でも特別な個人に対する人間愛としてのLoveである気がする。何にせよ、作画も尺も説明も何もかもが足りなさすぎる。ラフ画を見せられて完成された絵を想像させられるようなもんだ。
そして、ありのままのシンジの存在を言葉にして肯定してくれるのはいつでもシンジが本当に望んでいた人間ではない。そして肯定した人物は尽く去ってしまう。
あと、アスカの扱いが(以下略)
予告編\(^o^)/
アスカのケアをしてやれとあれ程(以下略)。
ゲンドウのサイコパス感がやばすぎたおかげでアスカもリツコも、そしてレイの心と体(と呼んでいいのか?)も崩れていく。シンジのように自分で悩んで身体すら1度は失いかけてようやく選択して初号機に乗る決意を固めていったのに、それ以外は本当に消耗品。同士ですら人として扱わないゲンドウは人でなしだと思ったり。ユイが「かわいい人」と称したのは今の碇ゲンドウになる前のゲンドウのことであって、彼の心の弱さのようなところに母性をくすぐられたというか、そんな感じなのかな。
原因であり結果に繋がる因子に結ばれたシンジとレイ。
鳴らない電話を「待つ」のではなく鳴らない電話に心を掻き乱されることを止めた、と言うミサト。このセリフからも、やはり加持リョウジを殺したのは彼女だろうね。
次回、残り話数的に遅すぎる登場となる彼が出てくる。このインパクトの強さはヤバいね。
だからアスカのケアが足らなすぎるんだってば〜!っと、アスカ推しの私の個人的な叫びである笑。それにしても本当に消耗品のように扱われ過ぎていてどうなの?と思う。使徒が来ても来なくてもどうせこんなトップが居座っていたんじゃあ、いずれにしろ世界は滅ぶんじゃないの?なんて、身も蓋もないことを考えたり。この回は言葉での説明というよりアスカの一見支離滅裂なセリフを通してストーリーを理解させる感じ。説明的というか感覚的。それにしても尺が足りてない感じしかしないけれど。それなのにエレベーターのシーンで長い時間沈黙させ、気まずさと後の鬱展開へ転げ落ちるフラグをきちんと立てさせるのは大胆で面白くもある。
予告編で力尽きてるのは何かもうどうしようもないけどね。
過去回。確信に迫る描写が多く、作画もそこまで節約していない。むしろこの話のために今までの節約があったとも言えるのかも。これまで話題には上ったが登場をしてこなかったキャラクターや、怪しげな組織のルーツが垣間見える。レイの不気味さ、ゲンドウのサイコパス感、そして加持リョウジの死。手をかけた人物(おそらく加持リョウジのセリフと留守電を聞いたミサトの反応からして犯人は何となく察することが出来る)は悲嘆にくれ、少年はそれを直視できない。見たくないものに限って、それをいちばん見たくないタイミングで見てしまうものなのかも。
またしても作画節約回。本当にシンジを生命のスープから受肉させてくれたものは何だったのか?ミサトの呼び掛けがトリガーになっていたとしたら、人間は思ったよりアナログな存在なのかな、と考えさせられたりする。溶けたシンジの肉体と同様に、アニメ内容のテーマたる表現したいことが確固たる物体として出来上がる前の素材の状態になって視聴者にドロドロの未完成のものを提出しているような感じ。考察したい人は喜ぶのかもしれないけれど、アニメとしてはやはり未完成の物をそれらしく見せられても…な気分にさせられる。
最初からシンジに選択させることもやろうと思えば出来たはず。それをさせないというのはつまり、トップが信用ならないということ。碇ゲンドウはシンジの心理と行動は予想出来てもシンジを息子として愛してはいない。そこに父としての愛が介在しない歪な親子関係。彼の選択を促す役目がスパイである男であって保護者でないところ、友人ですらないところがシンジの孤独さを浮き彫りにする。それでも死なせたくない人のために「乗る」「戦う」「殺すかもしれない」ことを選択するシンジの強さ。そして初号機のおぞましさを喜ぶ碇ゲンドウのおぞましさ。もうこれはヒトコワだよ。
14歳を舐めすぎた末の惨劇。大人がだらしない、というよりその事に尽きると思う。パイロットとしての責任をおわせるのなら説明をする義務をおうのが乗らせる側の役割なのに、パイロットが未熟だからそれを怠るというのはどうしようもなく欠陥のある行為だと思う。でも音楽や演出がかっこよくて、醜くもがくミサトのどうしようもなさが等身大の人間の苦しみとして感じられるこの話はよく出来ていると思う。レイですら引き金を引くのに一瞬戸惑ったのに碇ゲンドウは無表情。この性癖歪みまくりおじさんのせいでどれだけの人間の精神が、未来が歪められてしまったのだろう。指導者として優秀であってもそれがイコール優れた人格者とは呼べないことの、これが嫌な証明なのかも。