なんてテロに打ってつけなシチュエーションなんだと思ったが地元住民ではなくエレンがエントリー。
しかし宣戦布告された訳ですからね。正当な奇襲。
OPのきららジャンプで一人だけ終わった顔をしているのが象徴的な作品。
このシンプルなキャラクターデザインが現代的に見えるのは長い前髪が誘発させる強い透け感だろうか。
正直原作はあまり印象的には感じなかったのだが、アニメ化に伴ってぼっちちゃんの感情が極めて巧みに表現される事で物語性が際立っている。(『けいおん!』がそうであった様に、本作もやや青春テイストへの補正が掛かっていると言えるかも知れない。ついでに言うと足元のみを映すフェティッシュな画面も、まぁ日常系自体がそうかもしれないが、けいおんの系譜を見出せるだろう。)
最も印象的だったのは「次もいていいんだ」のカットで、頬を染める、口元が緩む、頷く、目を細めるの挙措が非常に丁寧に描かれている。原作ではここは陰キャスマイルと共に「次って―…」の内語のみのコマであり、心情表現の違いが分かる。
奴隷部隊みたいなものだからと言ってただ突撃させるとは二〇三高地を思い出す乱暴さである。
歴史上、塹壕メタとなったのは空爆らしいが、「戦士」を失う訳にはいかず巨人は出し渋る。(悠々と飛行船が飛んでいるが、万が一にも戦士をやられる訳には行かないから射程外の高空で何もしていないのか?)
そのまま質量兵器であり自律稼働もする空挺巨人部隊はなかなか便利。「獣」は他人を巨人化できる様だが無条件という訳ではあるまい。(しかし脊髄液を入れるとすぐ巨人化するのだから別の要因があるのか。)
ちゃんとマーレの敵対勢力が要るのかと思いきや敗戦してしまっていて、果たして壁内はどう動くのか。
安全ピンで穴を開けるのかと思ったらそのまま刺していてロック。
ようやく世界の全貌が明らかになるし、何よりエルヴィンが恰好良い。
一方でライナーを回収されるところなど、やはり何やってんだというところもある。というか6年間何事もなかったのか。
壁外人類とは随分な文明格差がある訳だが、本当に戦いに行くのだろうか?
事ここに到りまた自由への闘争という主題がはっきりとしてきた。
〈第44話時点のメモ〉 「人類の為」と言ったりしつつ結局誰もが個人的な動機で戦っている。(いやピクシスは違ったか。)ヴェーバーの信念倫理(どういう信念で行動するか)と責任倫理(どういう結果を求めるか)という話があるが、この場合結果とは「人類」という抽象物に過ぎず、結局誰もそんなものに全身全霊を賭ける事など出来ないという人間観なのだ。では何故エレン側が勝つのか? それは単に非効率な官僚的組織の断罪だからだろうか。(河野真太郎『戦う姫、働く少女』ではこうした図式を「シャカイ系」と呼んでいる。)
とはいえヒストリアが「超悪い子」と言いロッド・レイスも「フリーダ…ぼくが…」などと宣うのはやや悪夢染みてもいる。エルヴィンが本気で団員全ての命を賭したのに対して何と軽いチップだろうか。
象徴的で、心理状態を追うのが好きな私の視聴態度とは水が合わなかった印象。
もう1度観れば理解が深まるのだろうが2クールは長い。
私が知りたいのは作者の気持ちではなくキャラクターの気持ちだ。「作者」なんて作品には登場しないのだから。
可愛らしくも思慮深きダリアン、数奇な書物達の物語、ヨーロッパ情緒に溢れた画面、クラシックで貫かれた劇伴。
間違いなく最高の仕事が集結している傑作の一つ。特に西洋趣味の人間にとっては。
詩の如き魔導書を朗詠し、その盛り上がりと共に劇伴のピアノも情熱的なパッセージを奏で、冥界の妖精が顕現する。第1話から圧倒的なカタルシスである。(まぁ今観返すと中世のパラケルススが随分と現代的だなとか思うが)
「叡智の書」など特に好きなオチ。『付喪堂骨董店』なども近い系統だが、不思議なアイテムに狂わされた人間の物語というのは優秀な枠組みである。
サントラにはDorianが…とかLocrianが…とか譜例と共に解説している並のアニメのサントラではお目に掛かれないブックレットが附属していてまた良い。
ピアノからシームレスに入った前回といいOPへの入りが洒落ている。
本来のバタフライエフェクトと因果律はまた別の話だが、蝶として可視化されている誤差(初期値への揺さ振り)が因果の因に干渉し、カオス的に果を転換するといったところか。
アメリアの少しずつ描かれていた女好き要素がここで開花。
生きる意味を求めるアメリアの悩みがなかなか現代的。
そしてそんなものはないから作ろうという答は非常に私の思想と近い。実証主義的に生きているとこういう考えに収束するものだろうか?
カブトムシのパジャマを着たクラリスが面白い。(虫好き要素)
これまでの回でもアメリアの台詞が印象的な事が多いが、声の演技が主因という気がしてきた。例えば「弱いままの私でいても」など。
アリアーヌは凛然とした令嬢に育っているかと思いきや凄まじい気迫で素手で剣を叩き折る。
ライブからの水着回想という手の込んだ締め方。
しかし落ち着いた釘宮ボイスが良い。
凹んでいるアメリアにまさかのレンジャー式訓練。だけではなくアリアーヌにもアプローチ?
TSのみならず女装もあるとは豊穣なクールである。驚くべき声の変化は自力なのか?
ここで「アトリビュート(属性)」は「本質」と対立している。色々な特徴を挙げても本質には到達しないという訳で全体論的な見地に基づくもの。(「有機的結合」とか当たり前に言うので我々は「全体は部分の総和と同義ではない」と自然に理解している。)
「アンチマテリアルコード」は冰剣の魔術とは別の技術なのか?
「あなたはとても優しい人だわ」入魂の演出という風ではないのだがどこか心打たれる台詞。
ずっと気になっている高台の長い?ティーソーサーは見た事がないが何かモデルがあるのか。
「シナプス」等はよく聞くが「エングラム」の語がこの手の作品で出るとは珍しい。個人的な興味だが、『新世界より』でも「脳の僅かな糖代謝で何故エネルギー保存則を超越する現象が起こせるのか」といった話題があった様に、ここを追求するならばそもそも意志がどうした神経基盤で成り立っているかまで迫って欲しいところだ。
「この世の真理」という言葉は唐突に聞こえるかもしれないが、カントが恐るべき洞察で見抜いた様に時間と空間こそが我々の認識の形式であり、全ての知識はこの形式の下に獲得される。そしてそれは視覚系の空間マッピングや海馬のθリズムなどが実現していると考える事ができる。脳こそが源なのだ。さぁ大いなる神経哲学を!
エリサやクラリスのかわいいところが多い回。
「休日を謳歌する」めちゃくちゃ無事じゃん。
クラリスが何というかシンプルで可愛い。
「侮蔑の眼差しを向けられ」などと書いてあると身構えるが然程陰湿ではない。
割と魔術理論が詳細。一見エンコードとリコードを分離する意義が不明瞭だが、もう少し原理を聴きたいところ。
男の友達については尺を取らないのは合理的だがあまりに一瞬で笑う。
三大貴族を全て顔見せするのかと思いきやクラリスは違うらしい。