ネタバレという補助線のせいでマチュのナチュラルなウエメセが印象に残るなあ。
マチュはキラキラ(≒シュウジ)に魅入られ始めてるけど、思春期にクラバとキラキラという非日常にタッチしてしまったらそりゃそうなるわ。この危険な非日常に触れてしまった代償をいつ払うことになるのか。怖すぎる。
シャロンのバラを探すガンダム。シイコも納得したシュウジの思惑。鳴り響くララァの「あの音」。謎が謎を呼びまくり。リアタイしたかったなあ。
先バレ受動喫煙してるせいで「マチュもニャアンも謝ってない」とか「シュウジ、ニュータイプにしか見えてない説(ガンダムに残った意識体説、コンチ本体説)」とかディテールばっかり気になっちゃうな。たまにはネタバレ全部知った上での視聴も悪くないね。
脳に「ジークアクス世界、何者かに介入されてる説」がこびりついてしまったせいで、ガンダムのコクピットが解放されていたことに作為を感じてしまう。
当たり前だけどしばらくは『Beginning』と一緒。親の顔より見た「宇宙世紀」のはずが、目に入る何もかも新しい不思議な感覚、二度目でも興奮するなあ。
「閉塞感を抱えた若者が、生きている実感が欲しくて過激な遊びに没頭する」ってアレだな、『アリスとテレスのまぼろし工場』でもあったなあ。確かにコロニーって、空が狭くてそういう感覚(閉塞)に陥る人はいそう。幸か不幸か「キラキラ」に出会ってしまったマチュがどんな道を歩むのか楽しみでしょうがない。
『beginning』を見た時はそれ以外のことのショックが大きすぎて忘れてたけど、冒頭でマチュにメッセージを送ってたのは誰なんだろうね。Xでは「未来 or 本来の宇宙世紀からの介入」って説があったけど。何もかもが読めない!楽しい!!
カフェのマスター、あんたが全部の黒幕かよ〜っ!!
今回は今後に向けた伏線の回、と言った印象。そもそもイェンは何者なのか、イェンが「新魂電 vs 旧魂電」の構図を作り上げた理由、どっちの魂電が死んだのか、ヤンはどこまで知っているのか、それともイェンの手のひらで踊っただけなのか。迷いを捨てて得た勝利が全部イェンの計算だったとしたらイヤだなぁ。
次回はあのアイドルの女の子の話をやるっぽいけど、魂電関連のエピソードは一旦放置されるのか、それとも視点を変えて続くのか。
大熊師匠の「セイは大熊が生前に救えなかった娘で、彼女にカンを譲渡し転生を助けることで生前の罪滅ぼしをしていた」「セイはカンを失ったことで大熊との記憶をなくしている」という真実は泣けたんだけども、これまでの性急さが足を引っ張っている。視聴者は大熊師匠とセイのパーソナリティを全然わかっていないわけで、その状態で「悲しき過去…!」されても威力半減というか。せめて後1話、要との師弟関係を通じて大熊を掘り下げていればもっとエモーショナルなシーンになったかもしれないのにもったいない。
なんとなく物語を改変していたナツコが、はじめて自覚的に物語を変える。それはルークこそが自分の「初恋の人」だと気づいたからだった。このオチを知ると今までの「物語を改変しても特に気にしない」「原作の展開をあっさり否定しデステニー姫の変化をむしろ祝福する」「原作におけるメメルン関連を『謎』の一言で処理している」という今までの描写が全部腑に落ちる。「滅びゆく物語」が好き、というのは嘘ではないんだろうけど、実態としては「ルークが好き(≒それ以外の優先度は一段落ちる)」というのが近いんだろうね。
全体としては悪くないんだけど、今まで「ナツコの創作物はなぜ全てパロディなのか」「鶴山を自称する鳥は何者なのか」を軸に物語を考えてただけに、それらを全部放り投げられて肩透かし。
自称「鶴山亀太郎」が登場。彼は物語を原典通りに終わらせたいようだけど、まあ自分の作品が好き勝手に二次創作されたらいい気はしないわな。自称鶴山がラスボスなのかな。
前も言ったけどナツコの「滅びゆく物語」に対するスタンスがいまいちわかんねえんだよな。好きと言いつつも考察するでもなく、物語の改変に抵抗はない。「滅びゆく物語」は巨匠人生のきっかけに過ぎず、「好き」ではあるけど、いわゆるオタク的な愛はないのかな?
そしてルークへの恋を知るナツコ。でもルークには原作に従えば悲惨な末路が待っている。安直に考えられるのはナツコが悲惨な結末を「全修」して運命を変えることだけど、僕でも思いつくような安直なオチに着地してほしくはないなあ。
元祖魂電ってアレか、「昔は志を持っていたけど老いて理想をなくした大人」ポジションなのか?でもプロデューサーの独断にも見えるしなあ。元祖魂電の人間性がいまいち見えてこない。片腕を失ってなおトレーニングに励み肉体を維持し続けるのは過去への執着か、現役でい続けたいという意志の表れなのか。
それよりもトゥルーアイくんはなんで表を出歩けるんだ。探照灯というテロ組織に加担しておいてまさか執行猶予で済んだのか…?
信頼値って誰にでも可視化されてんのかよ!!人間関係が可視化されているも同然のこの世界、超生きづらそう。両親を失って、両親以外の誰からも信じられてないってことが可視化され続けた人生、惨すぎんか。ていうかシアもヤンを心からは信じてなかったってこと?
ヤンもまた「TO BE HERO X」を体現する人物だけど、今後も「ヒーローになろうとする者」を描いていくのかな。
暴露系youtuberめいた凶行に走ったのは擁護できないけど、ゴッドアイが言ったような「ヒーローは所詮イメージ戦略で作られた虚像」「あいつらは偽りの力で英雄になっただけで、偽りを剥がせばただの人間でしかないはず」という、現代でも悲しいことにままある疑問・怒りは理解できるなあ。このヒーロー社会だと潜在的にそういう羨望・嫉妬を抱く人はリアルよりも大勢いそう。
虚飾を剥がされたリンリンが「『ナイス』になりたかったんじゃない、ヒーローになりたかった」「目の前の人ひとり救えないなら、ヒーローでなくていい」という信念を胸に立ち向かい、その想いが再び信頼値を生み、さらに1話でリンリンが言っていた「誰もがヒーローになれる」という信念と番組タイトルを回収する流れ、美しすぎ〜!超越した力や意志を持たない人間がそれでも立ち向かう姿に弱いんだよ僕は!!!!
「八百長ボクサー」だから「都合の悪い事実を消す」能力って、考えたなあ。てことはヒーロー能力の全部が全部信頼値の影響を受けるわけじゃなくて、ヒーロー本人の在り方も能力の内容に影響するのかな。
そしてシャオは二度死ぬ!これからOPEDに出てきた白髪も含む新ヒーローが登場して「天下一武闘会」的なサムシングが始まるんだろうか。