いつもより筆が乗ったのでnoteにお気持ち長文を書きました。よかったらみんなよんでね。
ヘイトを原動力に創作するのは邪道、という話。結局ショボンを凶行に駆り立てた原因である「オタクの負の側面」を、この世界のオタク代表であるオタクヒーローがガン無視してしまったのが、ショボンに何を言われようと立ち向かうオタクヒーローはちょっとかっこよく見えただけに残念。
そして物語はある意味王道の「俺たちの戦いはこれからだ」エンド。結局魔法少女ってなんだったんだよ!誰か説明してくれよぉ!
言わずと知れた『フルメタル・パニック!』の作者である賀東招二と、『コードギアスシリーズ』『スクライド』などの名作の生みの親であり、最近も『ONE PIECE FILM RED』で高評価を得た谷口悟朗が手を組んだ作品ということで視聴前の期待値は非常に高かったが、オブラートに包まず言えば「期待外れ」に終わった一作。
「石の上にも三年」ということわざが生まれるくらい「忍耐」が美徳とされる我が国において、あえて掲げられた「つらさからは逃げてしまおう」「逃げることは悪ではない」というテーマには令和らしいアップデートされた価値観を感じるが、そのテーマ性が感じられたのは終盤くらいで、序盤~中盤における「1クールにひとつはあるラノベっぽいアニメ」の域を出ない浅い作風からは、そのテーマ性が全然見えてこない。
繰り返しになるが序盤~中盤の無味無臭さは「本当に賀東招二がシリーズ構成をしているのか?」と疑ってしまうレベルで、マルテースの掘り下げがなされるかと思いきや結局マルテースの変態性を再確認しただけで虚無感しかなかった4話や、「常識人のツッコミキャラ(フェレス)が周りの非常識キャラクターに囲んで笑われて不憫な目に遭う」という、悪い意味で90年~ゼロ年代ラノベアニメのような展開の5話、「メインヒロインたちは、様々な依頼者の『逃げ』を助けてきたプロの『逃がし屋』」という設定を自分から破壊したいとしか思えない6話などは、無味無臭を通り越して不愉快ですらあった。
くだらないコメディが一段落して、シリアス展開が増え始める後半は「SFクライムアクション」としてそこそこ楽しめるのだが、そこに至るまでの前半の低評価をひっくり返せるほど楽しめたかと問われると疑問符が浮かんでしまう。
クライマックスの「この世界の管理者であるザ・マネージャーも使命の遂行に疲れており、『逃げ』たかった」という展開はいい着眼点で素直に感心したのだが、これに関してもそこに至るまでの積み重ねが弱いため、心が動いたかと言われると否である。
退屈さに拍車をかけるのが、令和アニメとしては貧相なビジュアル。
モデレータの送り込むドローンとの戦いは棒立ち or カバーリングしながらの銃撃戦ばかりで、あまりに単調。逃がし屋の中で一番見た目が映えそうなフェレスもこの例に漏れず、必殺技も棒立ちで強そうなエフェクトをまとったすごい弾丸を撃つだけ、とあまりにもビジュアル面の見どころがない。
本作の放送の昨年には『シキザクラ』のヒロイックで派手なアクションや、『蒼穹のファフナーBEYOND』『閃光のハサウェイ』の作り込まれたロボットアクションなど、3Dの強みをフルに生かしたアクションシーンがたくさん見られただけに、この貧相なビジュアルは否が応にも気になってしまう。
「人類の多様性を実験するために、様々なテーマを持った街『クラスタ』に居住区を分割した」「『クラスタ』は街の管理者『モデレータ』に支配されている」というSF的に面白そうな設定・世界観も活かしきれておらず、いまいち「エスタブライフの世界は具体的にどういう状況に置かれているのか」が伝わってこない。
終盤で一気に、ザ・マネージャーの口から「エスタブライフの世界はザ・マネージャーがモデレータを通して管理している」「だが各地のモデレータは年月を経て私の指示に従わなくなっていった」と語られるものの、そもそもモデレータが12話中2度しか出てこないので視聴者には「モデレータとは何か」を判断するサンプルが少なく、説明されてもいまいち腑に落ちないし、そもそも機械的な存在であるモデレータが「指示に従わなくなった」というのもよくわからない。
総評すると、賀東招二・谷口悟朗のビッグネーム2名が手掛けたとは思えない凡作。
後半からはこの作品ならではの味が出てくるものの、そこまでに立ちはだかる退屈な前半~中盤があまりにもnot for me すぎて苦しかった。
正直お薦めはできない。
「神も疲れていた」という着眼点は新しくて素直に関心…だが、今までふんわりとしか世界観が説明されていないのに「逃がし屋の存在はマネージャーの治安維持の限界」「各地のモデレータと各クラスタの住人はマネージャーの方針に従わなくなっていった」とか言われてもな。もう少し丁寧に伏線を敷いてほしかった。
お、お前は魔法少女が趣味のヤクザのおっさん!!
過去に助けてきた人が今度はこちらを助けてくれる展開はベタだけどいいし、エクアの存在がいかにして彼(?)を救っていたかを描いていたのもグッド。
さて、Mはなぜ、何から「逃げ」たいのか。
これ知ってる!平成ライダーで主人公の基地が終盤になって派手に壊されるいつものやつ!
クライマックスへの助走回。能力って科学的な手段で与えられるものなのか。
逃がし屋の仕事は、世界の管理者「ザ・マネージャー」から与えられたものだった。感想は真相が明かされる次回以降次第。
囚人が回す謎の棒!囚人が回す謎の棒じゃないか!
今回はコメディ要素は少なめで、SFクライムアクションっぽくてまっとうに楽しめた。逃がし屋たちがキチンと役割分担をし、それぞれの能力を生かして任務を遂行していくアクションシーンもグッド。ただ、「マスターキーをゲートに差し込んだら全セキュリティシステムが止まる」というのはご都合主義が過ぎる気が。逃がし屋たちがその力をもって所長を打倒するのが見たかっただけに残念。
モデレータは方針は違うにしろ「クラスタを維持する」という意思統一がなされているものかと思っていたが、モデレータも千差万別なのか。
次回からはいよいよクライマックス。
終盤ということで、シリアスかつ世界観の核心に迫る作風のエピソード。
「『エスタブライフ』というアニメを見ていてよかった」と初めて思えた回。「君主として振る舞ってきたキャラクターが、最後の最後に対等の友人と出会う」という筋書きはポピュラーだが面白く、逃がし屋たち5人も生き生きとしていて、初めて好感が持てた。クラスタが消滅することで、マルテースの作った折り紙のネックレス(サンドリヨンとの思い出)もまた消滅する演出には鳥肌。
箸休め回。もしかしてこのアニメ、逃がし屋してないほうが楽しい?
ベタだけど、金庫に残っていたビデオとこれまでの伏線を見るにエクアは作られた存在(ゆえに孤独だった)なのかな。
このアホどものどこが「プロ」なのか。
3話の感想で「決してつまらなくはないんだけど、この作品ならではの『味』がしてこない」と書いたが、4話からこの作品の味をようやく感じ始めた。この『エスタブライフ』という料理は不味い。
『令和オーフェン』でも書いた気がするが、ぼかぁね、この世で一番「常識人系ツッコミキャラが周りの人格破綻者に囲んで笑われて不憫な目に遭う」って展開が嫌いなの!!!!!
not for me であることはもはや明白だが、「賀東招二」の名前を信じて最後まで見る覚悟。
もともと、変態に片足突っ込んだ百合ヒロインが苦手というのもあるが、ひたすら虚無い24分だった。つーか普段からあんな動けんなら戦って仲間を助けろや。あと銃と衣服がコピーされてるのはおかしいだろ。
…考えたくないけど、もしかして賀東招二って『フルメタ』と『甘城ブリリアントパーク』が面白かっただけなのか…?
エクアに関する伏線を張っただけの回。1話と同じ「高い建物からジップラインで脱出」という手法を使い回さなかったのは良かったが、結局やったことといえば正面突破で、意外性はない。というか逃がし屋の存在が認知されているんなら、高い建物を制限する法律とかができそうなもんだが。
3話はアニメ視聴継続の分水嶺と言うが、その3話がこんな無味無臭でいいんだろうか。1話からそうだけど、決してつまらなくはないんだけど、この作品ならではの「味」がしてこない。
ていうか『ユニティメモリーズ』ってまだサービス開始してなかったの!?
マジデスの世界はオリジンとショボンによって作られたもので、魔法少女もオリジンから与えられた力だったことが判明。最終回になってみないとなんとも言えないが、このまま「作られた存在である魔法少女とオタクヒーローたちにも魂が生まれており、その力がショボンを打ち破る」ってオチに進んだら、まんま『SSSS.GRIDMAN』なんですが。
今までオタクを持ち上げてきた本作が、「叩いていいと判断したもの(この場合はクソゲー)は徹底的に叩きがち」という形でオタクの負の面に触れたのは意外だった。最終回でオタクヒーローはこれにどう向き合うのかが見もの。
終盤らしくド派手なバトル連発…なのだが、作画がガバガバ過ぎて燃えるものも燃えない。
マジデスという作品そのものに通底する難点なのだが、あまりにもオタクを持ち上げすぎていて(これも原作者の憧れを投影しているのだろうが)面映い。たしかにそういう熱を持ったオタクも現実にはいるが、大概のオタクは一般人がアイドルやスポーツが好きなようにただ好きなものがオタク文化だっただけで、そんな立派でかっこよくて素晴らしいものじゃない。
そしてショボンの持っていたノートの中身が「マジデスという物語を記した絵コンテ」と判明。寒いメタオチだけは勘弁してほしい。というかオタクヒーローもオタクの端くれなら「絵コンテ」って言いなさい。
ひまわり兄妹とのバトルはパロディに殆ど頼らず、いい感じにナンセンスで楽しんで見れた。ただ、今回も強敵はスレイヤーに倒されて難を逃れる、というパターンを踏襲してしまったのが残念。
調合師の薬はパワーアップ効果を発揮したが、ということは調合師はショボンの関係者ではないのか?それともショボンともオタクヒーローとも思惑の違う第三軍ということ?
そもそも「わんく」って何?
オタクたちの再興という重責を背負うオタクヒーローの心理に切り込む回。気丈に振る舞うオタクヒーローもその心は揺れ動いているという描写は良かったし、先の見えない状況だからこそパーティを開いてガス抜きをするという発想そのものはまっとうだが、オタクヒーローが自虐する通りそんなイベントをやったらショボン軍との激突は必至なわけで、みんなそれを考えてないのはちょっとレジスタンスとしての自覚がなさすぎる。
常日頃から妄想と隣り合わせのオタクだからこそアダムのチート空間でも戦えた、って発想は良かった。
アナーキーちゃんの正体に関する伏線が張られたが、アナーキーちゃんも本質はスレイヤーと同じってことなのか。そもそも魔法少女とは何なのか…。
6話にしてようやくオタクヒーローと魔法少女たちのルーツが語られ、オタクヒーローの人となりと革命に身を投じる理由がわかったことで面白さは出てきたものの、魔法少女がオタクヒーローについていくことを決めた理由は「刷り込み」以上には見えず、いまいち薄味で残念。
オタクヒーローの秋葉原に対する思いって、海外住まいが長く本場のオタク文化に憧れてきた原作者のJUN INAGAWAの本音も入ってるのかな。
敵地に飛び込むなら変装の一つでもして、どうぞ。
うっすいパロディの乱打は、悪い意味で平成の「ニコニコ動画」のノリ。今回も唐突な登山漫画(多分『神々の山嶺』か)パロディや庵野秀明的な演出が差し込まれたものの、ただ「持ってきてるだけ」で、パロディを作風とする先駆者の『ポプテピピック』などと比べて愛が感じられない。前記したような薄味のパロディの積み重ねばかりで、この作品にしかないパワーが何も見えてこない。