メタすぎるボケもすごいし、純粋にボケまくるハイテンションさがすごい
監督が邪神ちゃんもやってたというとこでなんか納得感もある
唐音ちゃんのコテコテなツンデレ、最高です
ハチャメチャ先生のハチャメチャ授業、楽しいな
そして、チセに眠る戦闘の本能みたいなもの
絶望よりも幸せに涙が零れてきちゃうゆゆゆ3期でした
5,7,8,9話と中盤に結構泣かされたけど話数の多さほどの深さってわけでもなかった、最終回は紛うことなき本物
元通りだけど、今までとは違う新しい世界が戻ってきた。壁がなくなって、神様がいなくなった世界が全てをやり遂げた勇者たちの前に広がっていた。
今まで巫女として神樹様に奉仕してきた国土亜耶は、特に神樹様がいなくなったことがまるで自分が生きるための指針を失ってしまったかのように受け止めていた。だけど、その隣から楠芽吹は「私がいつだって傍にいる」と声をかける。不安な時は友だちことを信じてみてというその言葉には、どこまでも人間らしい温かさを感じるようだった。
そして、新たな時代を前に、これからの勇者部の在り方を考える勇者たち。そこで、園子は乃木若葉が未来に託した初代勇者の一人・白鳥歌野のクワを持ち出して、「戦うことが勇者の本懐なんかじゃなくて、戦いが終わった後に元の暮らしに戻れるよう頑張ることが勇者の本懐だったんだ」と教えてくれた。
だから、「これからの勇者部は人のためになること、困ってる人のために勇者部をもっと続けよう!」という樹の言葉があった。讃州中学勇者部らしいミニマムな勇者、身近な世界に寄り添いながら地道にコツコツ頑張ることが、みんなの生きる世界を救うことにもなるのだと思う。
さらに、それはこの物語の終着点を象徴してるようにも見えていた。人の生きる世界、もっといえば自分の見ている世界を形作っている周りの友だちの存在こそがこの世界の本質である。
だから、世界を守るならば、まずはいつも隣にいてくれる友だちから。そしてまた、そんな友だちがいてくれるという小さな友情を育むことで、大きな意味での世界を守ることだってできる。そうやって人の繋がりを伝って、幸せが広がることで、世界もきっと救われるのだと思う。
そんな小さな幸せの日々を300年前も、今も、4年後もひたむきに守り、未来へ繋げようとする勇者の姿に、とめどなく涙が溢れてきてしまっていた。そして、そんな感動は間違いなく、勇者たちがその勇気を繋げようとする先に、この物語を見守ってきた自分もいる証拠のように思えた。
大赦の神官たちの「如何ようになろうとも、無力な人間の運命として受け入れる」という諦観的な言葉は、勇者たちの「人間として生きる…!」という決意と全くの対として印象的だった。
そして、友だちのためだからこそと運命を受け入れる友奈だったけれど、東郷さんの「友だちって言うなら、生きたいって言ってよ友奈!」という言葉が、「お役目だから…」と頑なな友奈の心を解いた。そうして、友奈は「みんなと別れるのは嫌だよ…!!」とようやく言うことができた。
それはまさに、人の力とは友情のような「人と繋がる力」なんだと納得がいくようだった。東郷三森の友情に訴えかけた想いが、「世界を救わなきゃ」という思いさえ振り切ってまでも友奈に「私も一緒にいたい!」と言わせた。仲間よりも世界を取ることも難しいことだけど、でもそれと同じくらい世界よりも仲間を取るという決断も難しいと思うし、きっとそれは「人と繋がる力」がなければできないことのように思う。
そして、世界よりも友だちを取った勇者たちであったが、それでもいつも通りのした変わらない世界は戻ってきた。それは別にご都合主義とかそういう理由ではないように思う。いつもの世界というのも、結局はそこにいるみんながいて成り立つもの。
だから、人が人として生きるという選択をして、人類が人の力すなわち「人と繋がる力」を信じることにしたからこそ、この世界も元通りに帰ってきたのだと思う。神様の力よりも友情の力と言うとにわかに信じがたいけれど、信じるなら神様よりも友だちと言えば、なんだかそんな気もしてくる。
そんなたかが友情、されど偉大な友情だと勇者に教えてもらったような結末には、ふと自分の日常を振り返ってみると確かにそうかもしれないと頷けるものであった。
FUNA原作らしいメタ視点から巧妙に作り上げた設定が相変わらず上手い!!
ろうきん8みたいな頭の柔らかさを感じる
この1話だと、あらゆる言語を理解できる能力のオチが鳥の言葉まで理解できるようになっちゃった…とか、服の出し入れと髪と瞳の変色ポーションで変身ごっこ!あたり関心ものだった
そして、カオルちゃんもいい感じに親しみやすさに溢れてて安定の良さ
シャーロットcv早見沙織さんとアレンcv杉田智和さんがあまりにも合いすぎてる……
「イケナイこと」を教え込まれてしまうシャーロットちゃんがかわいすぎるし、そこにあるアレンの幸せにしてやるっ!って魂胆も好き
シリアスものかと思いきや、ファンタジーコメディだったか〜
そして、コメディノリが仰々しすぎる!!!はい、視聴確定。ファンタジーコメディはテンションの高さが全てだと思ってるので
背景のクオリティの高さも良いっすね、宮殿壁の模様の細かさとかすごいリッチ感。のんのんびよりっぽいキャラデザもかわいいです
オーイシによる如何にもすみぺなOPも楽しい
最初に宇宙から見た地球見たいな図が映されたせいで、なんか色々よくわかんなくなって設定が上手いこと入ってこないな……
ファンタジー世界人がファンタジー世界でやり直しって感じか
なんかやたらとアニメーションがリッチになった気がするわね
亜人奴隷を取り戻すためにコロシアム潜入とはなかなかおもしろそうな今回のテーマ、案外期待できそうかも?
順当な1話という感じ
勘解由小路無花果さんの名前が出るだけでバカ笑いできる
最後のお役目は、神婚成立まで天の神からの攻撃を防ぐこと。そこに対して、「私の命でみんなが助かるなら怖くない…」と言う友奈も、「防人の隊長として作戦の成功だけを考えなくては…」という芽吹も共に葛藤の余地はありながらも、与えられた使命に準ずる姿を見せていた。
でも、勇者たちだけは違った。友奈と一緒に帰るために神樹様から彼女を取り戻すという理由で、この戦いに臨んでいた。そして、そこに思うのは、勇者の勇ましさとは仲間を想う勇気なのかもしれないということだった。
しかし、勇者を援護する千景砲が失敗。それは神官の言うように300年も耐え忍んできた人類の限界のようにも思えるものであったが、しかしそれも神への信仰の力に依拠したもの。人類の人類としての戦いはまだ始まっていないようにも思えるものだった。
だから、「人として生きること、みんなと共に生きることを諦めちゃいけない」という楠芽吹の言葉が印象的だった。そして、人のため神に抗うことを心に決めた今の芽吹もある意味で勇者であったと思う。それに、そんな芽吹の言葉に心を動かされ、神と一つになるのではなく、人らしく「生きたいっ…!!」と叫んだ国土亜耶の台詞。それは、まさにここからが神と人類の戦いの始まりを示す宣戦布告のように聞こえていた。
新たに大赦から課せられたお役目は、結城友奈の「神婚」だった。「祟り」だけに終わらない友奈に背負わされた運命に、夏凛はどうしようもなくて心が折れそうになっていた。
そんなかつてのライバルを見かね、楠芽吹は「勇者なら堂々としていなさいよ!」と怒りを露わにする。しかし、夏凛は夏凛で「勇者たちだって落ち込んで苦しんで、いっぱいいっぱいになることだってあるのよ…!」と痛切に言い返す。
だけど、そんな芽吹の辛辣にも聞こえる激励と、運命に苛む勇者の友達を助けたいという思いの間で、夏凛に中に思い出されるものがあった。それは、「為せば大抵なんとか成る」という勇者五箇条の一つ。そんな「神樹様の勇者」として強いられた理由ではなく、みんなで作り上げた「勇者部の勇者」としての奮起する理由に、夏凛は立ち上がる力を貰えたように見えた。
それに、夏凛の「芽吹だから元気出た」という言葉も、「私は『芽吹たちとの選抜を勝ち抜いた勇者』であり、だから芽吹の言葉が力になるんだ」と言っているようだった。さらに、その後に続く「私も紹介したいの、私の友達を!」という芽吹に向けた言葉も、まさに夏凛が神樹様の勇者ではなく、みんなの勇者部の勇者であり、「人間の勇者」であるということを高らかに示しているようだった。
西暦2019年7月、現れたのは6体のバーテックス。そして、迎え討つ乃木若葉と高嶋友奈の二人の勇者は、始めから出し惜しみしない全力で挑む。
圧倒的な数的不利は状況は、まるで神の前にちっぽけな人間の「生きたい」という願いなど存在しないも同然ということを示したいのだろうか、勇者たちの「切り札」もなかなか通用しない。
だけど、「勇者なんてただ辛いだけ…。だけど、そんな諦めそうな自分にこそ負けられない!」「人間だから弱さや悪に堕ちやすいけど、でも人間だから戦うんだ!」という友奈のように、人間には人間だからこその単純なロジックではない強さがある。そんな人間の複雑さは、ともすれば郡千景のように破滅を加速させてしまうこともあるけれど、そんな人間だから時に神の摂理さえ超越した力さえも発揮できるのだと思う。
そうして、友奈はバーテックスを打ち倒せた。勝利して、人類を救うことができた。だけど…、それが高嶋友奈の最期だった。普通なら死んでいるはずのボロボロの身体でも彼女が戦うことができたのは、きっと摂理を超越した人間の底力があったから。友奈の前に守るべきもの、倒すべき敵がいたからなんだと思う。だから、それを果たした今、緊張が緩んだように友奈は事切れてしまったように感じた。
それでも、まだ残るバーテックス。残された乃木若葉一人で方を付けなければいけない。とはいえ、もう仲間は一人も生き残っていない絶望の最中。それでも若葉には「みんなの魂を生かすため、みんなのことを覚えているために」という自分だけは最後まで戦って生きなければならないという使命があり、だからこの戦いを初代勇者最後の戦いとして勝利することができたのだと思う。
そんな若葉の最後の勝利も結局、人間の論理のない強さだった。特に初代勇者というのは、それまでの世界では説明のつかないバーテックスの突然の侵攻に際して結成されたということもあって、市民にも彼女たち自身にとっても「神なる戦士」というイメージが強かったように見えていた。そして、それが実際は「ただの人間の少女」である勇者たちにとって非人間的なプレッシャーとなっていて、それをきっかけに散ってしまった郡千景のような勇者もいた。
だけど、そんな重圧という逆境の中でも、なんとか初代勇者の代として世界を守りきれた。とはいえ、それも結局は神の力だけではなく、むしろ「人間の思いの力」によるものという印象が深く残った。神の無力さと不条理さ、そして人間の強さなんだと思う。
使命のために正義を体現する乃木若葉のようにはなれないし、だから人々から持て囃される英雄にもなれない。それが郡千景。
彼女は勇者である前に、ただのフツーの女の子でしかない。だからこそ、勇者・乃木若葉のことが憧れであり、輝いて見えて仕方ない上、それと同時に憎くて堪らないのだと思う。
だけど、そんな千景は神樹さまから勇者の称号を剥奪されてしまい、最後には若葉を庇ってバーテックスに殺されてしまう…。そんな所詮はちっぽけな人間としてあっさり散ってしまった千景の姿は、彼女をあれだけ悩ませた「勇者」という称号は代償としての何のメリットもくれない、ただ辛いだけのものということを痛感させるもので、ひたすらにやるせなかった。
あれだけ人々が「勇者、勇者」と祭り上げたことで千景を苦しめたのなら、神様もそれ相応の力を彼女に与えてくれてもいいじゃないかと思わずにはいられない。結局は「勇者」というのもただの人間なんだ、市民をコントロールするための虚像なんだと思い至るようだった。
さらに、そんな千景亡き後、彼女が生きていた足跡を辿った若葉たちの目に入ってきたのは、生前の彼女が抱えていた孤独とやっぱり勇者の場が彼女にとって唯一の居場所だったんだという事実。
そんなことを踏まえての「みんな苦しんでる、私たちはまだ中学生なのにどうにもできないことばかり」という上里ひなたの言葉や、「私たちも一人の人間であり、辛さの中で戦っているということを分かってほしい。郡千景も勇者だった」という乃木若葉の会見は、まさに勇者の人間宣言として聴こえていた。そして、少女たちは人間のための人間の勇者なんだとつくづく、今更にして気付かされた。
いきなりエースのあんこうチームが撃破されてしまった大洗。だけど、みほを失っても大洗が崩れなかったのは、追い詰められてからの起死回生を狙う「あんこう割れ鍋作戦」を離脱した会長から引き継ぎ、さらにスナイパーのKV1追跡戦のために隊を二つに分ける英断を決めた澤ちゃんがいたからだった。
彼女は知波単戦の時にも既にそのリーダーシップの片鱗を見せてはいた。だけど、そういう力をただ持っているだけでなくて、次なる隊長として大洗チーム全員にその姿を見せたことが、今回みほというチームの支柱を失っても、変わらず戦い続けることができた要因だったように見えていた。
とはいえ、継続高校の隊長・ミカはリーダーとしてはもちろん、特に単騎でも恐ろしい粘り強さを携えているあたりに何枚も上手だと思わされるばかりだった。大洗を不意打ちでゲレンデに誘い込んで自分の得意な高速機動戦に持ち込んだり、仲間があらかた撃破されても冷静に雪崩を誘発させることで数的不利を飄々と脱したりと、ミカの熟練した手腕は圧巻だった。
そんなチームを率いながらも、同時に単騎でも強さを見せられるカリスマ性のようなものを持っていることが、やはりみほやミカのようなリーダーの条件であり、まだ澤ちゃんにはないものとして感じさせられた。
だけど、ゲレンデ滑走戦でフラッグ車が撃破されそうな間際に自ら壁として撃破され、「あとはお願いします!」という言葉を残す澤ちゃんも、それはそれで一つのリーダー像を示しているように思えた。だから、澤ちゃんの「健気に頑張る!」というイメージは「隊長のために!」と仲間を奮闘させて強さを引き出すリーダー像であり、それは特にミカにはない強さの資質のように思えた。
乃木若葉と対比される郡千景という勇者は、ただただフツーの女の子なんだと思う。
完全無欠の勇者である若葉は、ただ人類の復讐のためという教科書通りの使命を胸に、時に仲間の犠牲さえ戦いには付き物として毅然に乗り越えることができる。
だけど、千景にはそんなことできない。市民の勇者の犠牲に対する心無い反応にいちいち怒りと憎しみを募らせてしまうし、何よりも世間から勇者である自分たちが英雄として認められないことに苛立ちを抱えていた。勇者になってまでなんて小さな人間だと思えるかもしれないけれど、でもそれは人ならばフツーに抱える感情なのだと思う。
それに、千景には故郷の村で疎外され、迫害された過去があった。これがますます千景の世間への怒りを加速させて、あろうことか市民を攻撃してしまう。すると、今度は彼女の認められない心が余計に深くなり、千景を罪悪感と自己嫌悪が蝕む。
そうやって、徐々に千景の居場所は消えていく。そして、フツーの少女である千景の「本当に大切な人、私を愛してくれる人とずっと一緒にいたい」という素朴な願いすら脅かされてしまっていた。
だから、ただでさえ人類の敵・バーテックスがどうとかに信念を持たない千景にとっての本当の敵は、乃木若葉なんだと思う。世間から英雄として認められ、千景にとっての大切な存在である高嶋友奈の傍にいるという若葉は、何よりも千景の居場所をこの世界から奪うもの。千景にとって、彼女以上の敵などこの世にはないのかもしれないようにさえ思えてしまっていた。