まず何より、「失敗してもいい、またがんばってみよう」って暖かさと優しさとエールをいっぱいに感じた。
最後にエンドロールと共に流れるフィロソフィーのダンスの『サンフラワー』、あの歌詞の「ひまわりが咲いている 重ねて来た日々の上に」を聴くともうたまらなく涙が溢れてしまう。
そして、笑えるとこがいっぱい。 ダメダメで残念なフラダンサー1年生たちの天然もドジもやらかしも日常のコミカルさがあって、思わず声が出てしまいそうな場面がいくつもあった。
それでも彼女たちは一人前のフラダンサーになるため奮起していて、様々な困難にぶつかる。
「ここは誰もが乗り越えてきたんだ」「失敗こそが新しい一歩」
だけど、みんなも同じ苦難や失敗を知っているから、日羽のつらい気持ちも悔しい思いも本当は分かっている。だから、それに裏打ちされた言葉が失敗だらけで挫けそうな日羽に勇気をくれた。フラの音楽やダンスみたいに優しくて柔らかいものが日羽を包み込んでくれる。
そして、お別れの時が来ても、それはもう一人でも大丈夫だって後押しになる。離れていても心のどこかで繋がっている絆があって、苦難の中でもその絆がいつも傍で力をくれる。そうやって日羽に真理との絆を傍で感じさせてくれるのがひまわりの花で、だから時に下を向くことがあっても日羽はまた太陽の方を向くことができるのだと思う。
ひまわりみたいな笑顔を届けたい。 その笑顔あるいはそのためにがんばる姿は、見えるとこでも見えないとこでもきっと誰かの失敗を励ましていて、もう一度がんばるための勇気を届けてくれる。
最初は愛情どころか愛想すら知らずアイリスの子どもの心を解することができなかったエウレカはもう見ていられないくらいだった。
だけど、アイリスにとってエウレカは私たちが私たちだけが世界をも狂わせる力を持った存在で、ヒトではないと突き付けられた心を理解してあげられる唯一の存在という点で特別な絆を感じ、エウレカは子に対する愛を、アイリスは親に対する憧れを知っていく姿は慈愛に満ちていた。
だからこそ、ようやく知った大切な存在を失い守ることができなかったと失意に崩れるエウレカの姿は本当に悲痛だった。
グリーンアースの正体が明かされ、彼らの戦いのために、彼らの愛する人を守るために命を散らすのを前に、グリンアースの彼らを生んだ母/神であるエウレカが彼らを守るために自己を犠牲にする選択をしたのは必然であった。
そして、散っていくエウレカを前に嘆くわけでもなく、彼女のように幸せのために呪われた力を使いたいと憧れるのも必然であった。