要点を抑えてコツコツ積み上げる秀才タイプだからなあ八虎。表現したいことがないと絵は描けないよな。
1つ壁を越えたと思ったらまた壁にぶつかる、つらいけど成長はしているはず・・・
八虎の中で先輩が神格化していくw
先輩の絵柄が変わっても伝えたいことが変わらない...ってことを受け、自分が伝えたいことをデカいキャンバスに描いたシーンは熱くなった!
母親の「やりたいことしているから、楽しいんじゃないの?」発言に主人公が呟くシーンは見てて辛くなった。
駆け足だけど面白さを失ってない
きっかけをくれたのはまた森先輩の絵だった。
とはいえ難しいなぁ。成功体験を元にしてしまったがために鮮度がないと言われる。
龍二はどしたんかね。
芸術はある程度の技術を持ち合わせていれば後は人の数だけ正解があるのかなと感じた。
だからこそ常に考えなければいけない。
上げて落とされで、お手本のように一喜一憂する八虎がかわいすぎた。ほんと素直すぎるくらいに純粋なんだよなあ。
相変わらず落ち込んでいる龍二をさらっと気遣うやり取りといい、名言しか言わない佐伯先生といい、森先輩とはすれ違い続きで直接会えていないけど絵を通して会話しているような、そんな多くは語らずも気持ちが通じ合っているような関係の描写が心地よい。
八虎が一つ乗り越えてはすぐさま折られて成長していく感じ、たまらんなぁ。それでも真っ直ぐに向き合って成長していく。その過程には先生や友人たちの助けもあって…。
好きなことをやるっていつでも楽しいってわけじゃないというセリフがめちゃくちゃ印象的だった。
美術の先生は、ホントにいい先生だな。
りゅうじの事情が垣間見える。
さすが森先輩、かっこいい。
先生素敵だなぁ、ほんとに出会えてよかった。
褒められとるなぁ。そしてコンクールか。なんか浮かれてる感じだからなぁ。
一度の成功体験にすがってしまう。
ラストに世田介からの深夜の電話
自分の好きなこと、書きたいことをどう表すか
自分の気持ちとどう向き合うかみたいな話になってきたわね、いやー難しい難しい
受験日程が明らかになり課題に向かい合う八虎。これは難しい時間だね
好きな事として絵を描きたい。その為には藝大に受かる必要があって、合格水準に達する絵を描けならなければならない。初期衝動が薄れていく
前回は死語と切り捨てられた『受験絵画』が纏わり付いているかのよう
目の前の物を切り取って描いてきた八虎にとって、見えない物を描くのは苦手で望んだ方向性ではない。でも、受験の為には必須技能
苦手で課題の攻略法が見えないから迷う。見えない答えは八虎の描き方すら駄目にしていくね
壁にぶつかったタイミングで森の絵やそれと出逢った感動を思い出させるイベントが有ったのは良かったね
大学では森に逢えなかった。けれど、方向性は変わっても主張が一貫した森の絵は八虎に初期衝動を取り戻させるものになっている
森の絵に込められた祈りが八虎の向かう道を教えてくれる
自分が何を得て、何と出逢ってきたのか。それを思い出した八虎の絵は良い物になったね
けれど『受験絵画』からは抜け出せていないから、結局良い描き方をそのまま答えとしてしまっている。
受験と好きの間で苦悩する八虎に世田介からの連絡は何を教えてくれるものになるのかな?
これって先生もすごいよなぁ
作者の心情とか込めた思いを察したり。
現実でもプロの人は程度に差はあれそういう能力持ってたりするのかな。
世田介からの電話。
見せ場の作画もう少し頑張って欲しい
好きなことをしていても楽しいとは限らない
表層的な形式やテクニックに走ってしまうのってあるあるというか成長過程で誰しもが一度は通る道なんだろうなと。創作の本質は心の内にあるモノの表現する事というのは深く頷くしかない。八虎がF100号の絵に向き合う姿はロックの文脈で言う初期衝動という言葉を思い出したり。
八虎が壁にぶち当たってから四苦八苦しながらも試行錯誤と考え抜くことで自らその気づきに辿り着いたのが大きいよね。本質的に彼は独力で成長していける能力を持ちつつある訳で、自らで道を切り拓かねばならない絵画という世界ではとりわけ重要な事なんじゃないかと思う。
しかし最終コンテストで八虎は思いもよらぬ結果に。周りから評価を得始めたことに満足してある種の油断や緩慢さが絵に向き合う姿勢に出たのかもしれない。自分の心がダイレクトに反映されて丸裸にされてしまうという意味で創作はシビアな分野だなと感じました。
またもや、森先輩の絵がきっかけ。先輩不在だったので、色恋沙汰は今後もないとみた
坂本千夏さんとは、大物キャスト
浮き沈み激しい主人公にこれが芸術ってやつなんだろうなとほっこりしつつ、1つクリアしても次々に現れる課題に四苦八苦する主人公の前に連絡してきる世田介くん。どんな用事なのか気になるところ。
一課題去ってまた一課題