ついに始まった。平氏優勢。しかし天候は変わり...
宗盛たちは時子の所へ。時子の決断。徳子は...
そして終わった。びわが見たものは...
徳子は法皇と話す。徳子の心情...
祇園精舎の鐘の声...
時子は、いったいどんな思いでこの光景を見ていたのか
このアニメの存在こそが、平家が物語の中で生き続けているという何よりの証という、何かメタ的な証明になっている
後白河法皇はこの後も含めてこの乱世をよく生き抜いたものだ・・・
祇園精舎の鐘の声。
徳子は母と子の入水を見届けるとか辛いだけではすまされない立場よなぁ。
安徳天皇は幼く、政争に巻き込まれおそらく何も知らずに亡くなったことを思うとやるせない。
びわも語り部として傍観しかできなかった。
徳子が後白河法皇に話をするところで平家物語も終わっているのね。
最終話はなんか虚しさが強くて、あまり語るべきことが出てこないな…。
諸行無常なれど、こうして現世にまで語り継がれたといことが趣き深い。
平家ではないびわ目線に描いたのと、悟りきった徳子のためかえらく爽やかな後味。
平家の敗北が決まった際家紋の誇りを汚さぬように多くが入水自殺したのだと思うが、現代との価値観の違いがよく分かりよかった。
平家であることに自分の命以上の価値を見出していたのだろうな。
また、早見沙織の声が上品で、改めてハマり役だと思った。
次々に入水する場面の絶望感よ…。
詳しくないから分からんのだけど船はCGなのかな?合戦シーンとしてよく動くし迫力もあって良い。
( 合戦シーンが紙芝居のアニメを同時期に見ていたので… )
諸行無常の…の声が重なる場面で ( 生身の ) 資盛がいたから、“ あっ生きていたんだね良かったね… ” と思ったけど “ 史実的にはやはり入水したけど生存説もある ” 人物なのね。
祇園精舎の鐘の声。
視聴後、少し時間を置いて出てきた感想です。結末が決まっていたのはびわも同じだったのだと思いました。
(神仏の論理、「因果」から言えば、びわの目が変化したのは、子を海の底に残して生きなければならない徳子のために未来と死者の世界を開示した対価と思います。私としては「みるべきものはみた」ためと思いたいところでもあり、現実に即して言えば偶然ということになると思います。ともあれ)"最終回のストーリーは初めから決まっていたとしても 今だけはここにあるよ"(オープニング主題歌「光るとき」より)、これはびわのことでもあったのだと思いました。初めから決まっていたとしても、知っていたら違う道を選んだか同じ道を選んだか、ではないんだと。そこに問いはないといえばよいでしょうか、それがなんか良いなって思います。
何より、素敵な作品でした。とてもよかったです。
最後の表現もまた良かった。
いやー、諸行無常。平家は物語として琵琶法師に語り継がれる
平家の終わりが最初から決まっていたなら、風・潮・運命、様々な流れが至る場所も最初から決まっていたことになる
未来が見えるびわにとっても誰もが海に飛び込む光景は最初から決まっていた事になる。ならそこに至る物語に何の意味も無かったなんて事は絶対に無いと言いたくなる最終回だった
序盤は優勢に進めた壇ノ浦の戦い、それが変わったのはイルカの存在だけど、それで本当に戦の趨勢が変わるわけがない。そもそも平家の凋落は極まっていたわけだし
だから流れが変わったわけではなく、もっと前から流れは源氏の味方であったと言うだけ。
終わりが決まっているなら、終わりに抗うことも問題にならない。終わる時に何をするかが問題になる
時子が惨めさを受け容れず入水を選んだように、徳子が守る意味に迷い子の死を見過ごしたように、知盛が全てを見終わってからの舟の錨を背負ったように、高倉帝が死を前に何も言わなかったように…
敗北を前にした自死、その瞬間に誰もが念仏を唱えている事で死の意味が少し変わるように感じられるね
名を残す為に死を選び、幸福や赦しを願う祈り。だから哀れであっても悲惨とならない。
けれど、役割の中心を課せられた徳子にとっては……。未来と過去を知るびわによって死を赦されなかった瞬間の嘆きがあまりに痛ましい……
後白河法皇と徳子の会話は栄華から程遠い場所にて
生きながら六道を見た徳子はいわば平家の栄枯盛衰を象徴する存在。だからこそ死別した家族を祈り続けることが出来る。
その姿は六道を味わいながらも人の苦しみから離れているように見えるから、法皇という高い位に在る後白河であっても苦しみを越える方法を聞かずには居られなかったのかもしれない
史実をベースにした平家物語、多くの視聴者はその顛末を知った状態で見る事になる
そこに他の者と時間の身の置き方が異なる未来視を持つびわを配し、更には彼女に語り継ぐ役目を担わせた構図は秀逸
全てを見たびわが盲になり、全てを苦しんだ徳子が死を迎えるラスト。それを彩るのが皆が唱えるあの言葉であった。盛者必衰の理を見た気になってしまう素晴らしい作品だったよ…
序盤から仄めかされていた徳子の水没シーン。琵琶がその当事者としてこの先の生きる希望を与えた。帝も家族も、たくさん失った果てに…。
そんな平家の生き様を、びわは約束通りしっかりと語り継いだのだなということがすごく伝わる最終話だったね。
結末が分かっていても長い長い逃避行の末がこんなことになるのは辛い。我が子を失い、自分だけ生き延びてしまった徳子は気ぃ狂うんじゃないかと思ったけど、尼さんになって穏やかな顔をしていた。これが宗教の力。
後白河法皇は平家を許そうと考えてたとか言ってたけど本当?交渉を拒否して、とことん追い詰めたらどうなるか分かってたんじゃない?三種の神器まで道連れにするとは考えてなかったのかな。
法皇が徳子と会う新緑の風景が美しかった。
身分を隠してたくましく生き抜いた資盛が彼らしくて良かった。
櫻井孝宏の声で「驕れる者久しからず」と語られると、本当にそうだなぁとしみじみと感じてしまう。
形勢が変わり、覚悟を決める平家。
徳子の先を見て徳子の周りを見、平家の名を惜しまず。
頼朝を赦したが故に滅ぼされた平家
武士ではない舟の漕ぎ手を射た義経
驕れる平家ではあったものの滅亡する過程を見るのは辛いものだった
滅びゆくものを覚え、祈り、語り継ぐ
徳子とびわの船内は、揺れが画面に反映されて、臨場効果ばつぐん
びわは基本スルーだけど、既定路線に外れる徳子の死については介入するのね
甲冑姿なので、落ちたら死ぬよね。からの次々に入水するのは辛い
潮の流れは潮汐で、風向きとは関係ないかと
平家滅亡でびわの容姿は変わるというか加齢がすすむと予想していたけど、外れた
後白河法皇は殲滅戦は想定していなかったし、源氏もそれほど殲滅戦を望む描写はなかったような
OPがすべてを表しているような作品であった。最終回のストーリーが決まっている者たちの物悲しさと愛おしさ。
同じように古典が原作の結末が決まっている紅白戦アニメも同時期に放送しているのがいとおかし。
戦争を語るのは女性の方がいいのかもしれない。男性にインタビューすると地図とか配置図とか史料を持ち出すけど、女性だと生理が大変とか料理が冷たかったとかそういう話になるとか。俯瞰では見えてこないものもある、か。
やるせない とくこつよい
みんなみんな、生き延びることに意味を見つけたんだね
びわはその名の通り琵琶法師・語り部として後世に語り継ぐと。後世において平家物語の表現が巧みで、生々しくリアルである理由は、びわが平家とともに歩んだという証だったという展開は好きだなぁ。