「私の地平線はクイーン学院からこのグリーンゲーブルズに帰ってきた夜から見れば極端に狭まってしまったのかもしれません。しかし、たとえ私の足元に敷かれた道がどんなに狭くても、その道にはきっと静かな幸せの花が咲いているに違いないと思います。真剣な仕事と立派な抱負と好ましい友情を手に入れる喜びが私を待っています。本当に道にはいつでも曲がり角があるものですね。新たな角を曲がった時、その先に何を見出すか。私はそこに希望と夢を託してこの決断をしたつもりでした。でも、狭いように見えるこの道を曲がりくねりながらゆっくりと歩み始めた時、広い地平線に向かってひたすら走り続けていた頃に比べ、周りの美しいものや人の情けに触れる事が多くなったような気がするのです。無論、広い地平線の彼方に聳え立つ高い山を忘れてしまったわけではありませんし、何者も持って生まれた空想の力や夢の理想世界を私から奪い取ることは出来ません。でも、私は今何の後悔もなく安らぎに満ちてこの世の素晴らしさを褒め称えることが出来ます。ブラウニングのあの一節のように。
神は天にいまし。すべて世は事もなし」
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「人の死というもの全く知らなかったアンにとって、ここ数日の出来事は意外だった。マシューがいなくてもその気になれば昔と同じようにやっていけるということが心悲しく思えた。自然や花、愛や友情がこれまでと少しも変わらずアンの空想を刺激し、アンの胸をときめかす力を失っていないこと、そして、人生が依然として様々な声音で強くアンに呼びかけているのだということに気づいた時、アンは恥ずかしさと後悔に似たものを感じたのである。」
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「アンは一人になれたら泣けるに違いないと思った。あんなにも愛し、あれほど自分に尽くしてくれたマシューのためにも、一滴の涙も流すことができないとは、全く途方も無いことだった。前の日の夕方、アンと一緒に歩いたマシューは今や頑として侵し難い安らぎの色を額に浮かべながら、下の仄暗い部屋に横たわっているのだ。しかし涙は出でこなかった。涙の代わりにあの前と同じなんともいいようのない鈍い痛みのような切なさがこみ上げてきてアンを苛み続けた。」
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「わしゃなあ、アン。1ダースの男の子よりお前にいてもらう方がいいよ。いいかい、1ダースの男の子よりもだよ。エイブリー奨学金を取ったのは男の子じゃなかったろう?女の子さ。わしの女の子だよ。わしの自慢の女の子じゃないか。アンはわしの娘じゃ。」
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中年二人の会話が沁みる…
「お前、さっき前みたいには書けないって言ったよな?本当は書けないんじゃなくて書かないんだろ。昔とおんなじような気持ちでなきゃ書いちゃいけねえと思ってんだ。そうじゃねえと過去の自分に失望されちまう… おまえを邪魔してんのはおまえだよ。」
「私は最善を尽くしたんだし、闘う喜びっていうことの意味がわかりかけてきたような気がするわ。一生懸命やって勝つことの次に良いことは、一生懸命やって落ちることなのよ。」
「マリラ、私はちっとも変わってないわ。ただ少しハサミを入れたり枝を伸ばしただけなんだわ。本当の私はその後ろにいて、今までと全く同じなのよ。本当よ、マリラ。どこへ行こうと、どれほど外見が変わろうと、心の中ではこれから先もずっとマリラの小さなアンなのよ。マリラとマシューとこのグリーンゲイブルズの小さなアンだわ。」
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小さい頃読んだ漫画版では感動して、劇場版ドラえもんの中で一番好きだった作品。本来の映画版を見るのは、おそらくこれが最初だと思うが、結論から言うとがっかりだった。魔界大冒険が思いの外良かったのでハードルをあげてしまったのかもしれないが、ともかくも作りが大雑把で安っぽいという印象だった。ストーリー進行では特に後半、早送り劇のようにばんばんシーンが飛ぶし、ロボットの動作音などはあまりに安っぽくて萎える… ザンダクロスはかっこいいけれど。
それでもやっぱりストーリーの最後は感動的なSFになっていて好きだ。もう一度漫画版も読んでみたい。
追記: 魔界大冒険では散々な扱い (ほぼスカートめくられ役) だったしずかちゃんが今作では主役級の活躍をしてて喜ばしい。
「それに私はっきりわかったの。恋人とか殺人とか駆け落ちといった、たわいもない事を書いて面白がっていた時代はとっくに終わってたんだって。」
時を経る事の寂しさ。誰しもが成長し子供の無邪気さを忘れていき、誰しもが老い無理がきかなくなっていく。決して戻る事のない時。
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辿り着いた宇宙よりも遠い場所で見つけた母のパソコンには、報瀬があの時以来出し続けていたメールが一通も届いていなかった。そのことは、母が確かにあの時までここにいて、そしてあの時からもういないんだという事実を何よりも明らかに物語っていたんだろうな…
最終回では、貴子が最後に「きれい」といったもの見せてくれる事を期待したい…