圧倒的なものを前にした時、呆然とする
宇宙船を前にした観客
過去の記憶にすごい引きづられている
オフィーリア「私が私になれるように」
ディーバの記憶が欠落してるのは、冴木博士の一件からってことで、それでも無意識のうちに行動に過去の出来事が反映される(エステラの仕草、エリザベスの罵倒文句)のは、vivyとして生きた時に何かしらの意味を見出しているのだろう。
いい回だった。
これからレーナがどう彼らに敬意を示していくのか、
あまりにも立場が違うもの同士が、互いを理解し、信頼することの難しさをうまく描いている。
ただわかっているのは、理解するために動かなければ、一生わかり合うことはないということである。
うーん、まぁ至極真っ当な回だったんだけど、、、
割と後藤さんのポジションって重要だと思っていて、もうちょい上手く立ち回れなかったのかなというのが正直なところ。節々に違和感を感じた。
原作はもっと拗れてるんですかね。
さゆが泣くところも、なかなか家出少女の疎外感とかを表現するのも難しそうでしたね。
死んでいるにもかかわらず登場キャラクターは変わらないが、前半の伏線が徐々に回収されている感じ。
斬新で、これまでに見たことないパターン。
主人公が死んでも割と物語として違和感なく観れるのか...
「共産主義の地平では…」
みたいなことか?
具体的なシニフィエはないが、ただあるのは思想とは名ばかりの「個別の11人」という、デリダの言を借りるなら「ゼロ記号」ということだろうか
大澤真幸出てきたし、相当社会学意識されてるだろうな
正直とんでもないものを観ている気がする。
3DCG、作画、音楽、脚本どこをとっても非の打ち所がない。
深夜帯のクオリティではない。
こういうアニメをもっとたくさん観たいし、もっと色々勉強して自分が何に感動しているかわかるようになりたい。
今の絵に慣れちゃうと、なかなかのハンコ絵だけど、これはこれで良い。
一話もそうだったが、話全体でとにかく緊張した雰囲気を漂わせるのが上手い。弛緩と緊張の分かれ目がはっきりしている。
とにかくれながやばいやつで怖すぎる。
この作品は初だけど、小学生の時に観てた地獄少女をなんとなく思い出した。
やはり一話の中でパラレルに86側とレーナ側両サイド見せるのは面白い。
回想としてというよりかはしっかりと二つ側をみせ、どこが結節点(今回は、「なぜ、そんなに気にするの」という問い)かや、どちら側が先に描かれるべきかもとても意識されていそう。注意してみたい。