興味深くて知らない世界で個性豊かな面白い人たちが絵と向き合い自分と向き合い続けててとてもわくわくする。
天才や自分の好きに正直な人間はとても刺激的だけどそこで自分を卑下せず冷静にやるべきことを見定められる八虎も十分凄い。
自分の好きとは何だろう
天才と見分けが付かなくなるまでやればいい、かっこいいな、そうありたい・・・
なんとなくそんな気はしてたけど、君男だったんか
美術系の専門学校ってお高い感じがするけど、家庭としてそこは普段八虎の他の部分で使ってたのをつぎ込んだのかな。
周りがうますぎて凹むってのはちょいちょい聞くよな。
神と自分を切り離さず、比べるからこそ凹む。
龍二ももう初期の頃のような感じではなく、八虎を仲間っぽく思ってるんかな。
自分の好きがわかるか。
ファイリングしてみるのも面白いかもしれない。
世田介はなんやかんや付き合ってくれたり、話してくれたりするんだ。
橋田は食えないやつ感あるけど、そんなヤなヤツでもなさそうだ。
龍二…って思ったのに立ち直り早いわw
世田介の絵を見た時の八虎のショックが身に染みる。神様なら尊敬しか湧かないけど切磋琢磨する仲間に並外れた才気を見るのは辛い。しかしそれは彼が成長した証でも。初心者は凄い人がどれだけ凄いか分からない。成長したからこそ自分との途方もないキョリを肌で感じられる訳で。
絵を描くとは、絵心の無い自分は感性のままに筆を滑らせることかなと漠然とイメージしていましたが、自分の好き・描きたい対象をどれだけ突き詰めて考え形として捉えられるか、観察眼と思考が問われるのだなと。それは絵だけでなくどんな表現方法でも変わらない事なのかもしれません。
橋田なかなか怪しげなキャラクターだなぁw
でも「ピカソの良さがわからない」という八虎に対して、「ピカソはあまり好きじゃない」といっていたり、絵を「食べれない食べ物」と比喩するあたり、作品に対する理解力はやっぱり秀でてそう。
世田介も凄まじい洞察力だ。そして躊躇なくどストレートに言う性格も個性的だ。
それにしてもなかなかテンポ良く物語が進行するな。
絵を描く楽しさを知り、絵が好きと気づいた八虎に突きつけられる究極の課題、何が描きたいのか。「ピカソの良さが分からない」という八虎と、「ピカソは好きじゃない」の橋田。この言い方の違いに、八虎の今の立ち位置がうまく表現されていると思った。
美術の物語らしく個性的なキャラが次々に投入されてるけど、龍二は体で生き方そのものを体現していたってね。個性を貫くファッション的な意味合いで女装してるのかとも思ってた。上が学ラン、下がスカートみたいな格好ならまだ察するけど、上下女の子の服装ならそりゃ騙されるて。
ただただ面白い。
龍二いいやつだな。
まだ戦えるねってシーンで車通って髪がぶわっとなるのかっこいいな
いろんな人にきっかけもらってるなぁ
ラストはさすが世田介だな。感じ取る力もそれを言ってしまう人間性もさすがだ
そういえば、原作の表現技法とかほぼほぼカットされてるな。(絵のアレコレ学べて良かったのだが...)
駆け足過ぎて感情移入が追いつかねー
予備校通いが始まり、いよいよ、実践編とでも言うべき展開のはじまり。
自分は何が好きかを知ることは表現の前段階であり、インプットの量が評価基準につながっていく。模倣も大いに結構。この過程を「絵作り」と言っていたのは面白い。
絵作りと同時に同級生たちと協力しつつも競い合い、結果を出さなければいけない。競うことは表現と相反する様にも思えるけど、両立しなければ結果は出ない、厳しい世界だわ。
世田介を天才と評した。天才とは「努力が無駄になることがない人」という持論。多くの場合「努力が必要ない人」という意味ではない。
八虎の模倣に、世田介は「本質が分かっていない」という厳しい評価をした。その根拠はより多くの「絵作り」をした経験、つまりは努力に由来しているのではないのか。
絵は食べれない食べ物、そんな見方・考え方をしてるのか。
嘘のないフィードバックをしてくれる人は貴重だよなあ、ネガティブなときのダメージはでかいけど…。
予備校の先生を見ておお振りのモモカンを思い出した。
世田介...ほんと恐ろしいキャラクターだ
八虎は努力の天才だけど、そういうとこも含めて基本的に真面目で整った常識人
龍二にせよ、世田介も橋田も、彼らは不真面目とは言わないが常識破りで歪んで外れてる
世田介や橋田はその良い面を見せていたけど、龍二はその裏に張り付いている常識に曝されるを見せていたのかなぁって
予備校に通い始めた八虎。そこは美大を目指す者ばかりだから競争心を掻き立てられる。でも、競争における判断基準が一つだけではないから様々な苦しみに直面する
実力、感性、好きの方向性。八虎の苦戦が描かれていたね
デッサンを通して世田介と自身の間に大きな実力差を見てしまった八虎。そこにあったのは才能の差だけど、努力で超えられないとまで思わない。だから悔しいと歯噛みする
そう捉えるのは世田介と自身がある程度似通ったものを持っていると感じているからなのかな?
見た物を素直に描いてきた八虎にとって、自分の絵という方向性で八虎の先を橋田の絵は迷いを抱かせるものになっているね。また、美術館に飾られる絵の良さもすぐには判らない
ただ、橋田とは絵の方向性が異なるから彼への悔しさはそこまでではない。むしろ彼の言葉によって新境地が開かれるまであったね
八虎にとって一番悔しい競争相手と言えるのは龍二なのかもしれない
好きを契機に絵描きへ進む八虎にとって、周りを気にしていないかのように自分の好きを主張し続ける龍二の姿は苦手と感じてしまうもの
でも彼への理解が浅いから、好きが叶わなくても抱きしめられたなら良かっただろうと捉えてしまう
でも、龍二にとってそんな形の優しさは自分の好きを認めてないのと同じ。集まってくる女子も同じ
好きを訴え続けても受け入れられない龍二はつまり、傷つきながらも無理難題に挑戦し続ける者。それは一部で八虎と結びつく部分がある。だから龍二と話して自身のレベルの低さに気付いてしまう
幾つもの競争を通して実力を高めつつ、自分の絵や好きを定めようとしている八虎
そんな中でひたすらに他人の絵を参考に描くのは正しいと言えるのかな?一種の迷宮に迷い込んでしまったようだけど、すぐに意見を求めたのは良いね
才能の差を感じた世田介が告げる本質。これを八虎はどう自分の絵に落とし込むのかな?
1、2話で土台を整えて一気に本題に話を突っ込んだ印象の3話。テンポが良くて見応えがある。
自分の好きを突き詰めて、本質を見抜かない限りは次の段階には進めないんだろうな。
Ep.03 予備校デビュー・オブ・ザ・デッド
https://blue-period.jp/story/
時間が立つのが早い。漫画の2巻の途中くらいらしい。
龍二くんの大事なシーンだったんだろうけど、思ったほど盛り上がらなかったのなんで?
画集、図録じゃなくて?安くても2000円くらいか?
八虎が美術館初心者だから、飲料や筆記用具で止められるネタをやるかと思ったのに
最近館内が明るいのはLED照明のおかげなのかは不明ですが、昔の美術館は暗かった
テンペラでボッティチェリなら『ヴィーナスの誕生』じゃね?