随分前に観たからすっかり忘れていたので、映画を観る前にもう一度おさらい。
【後編】
デンジと銃の悪魔との関係が明かされるのかと思いきや、突如現れるサムライソードに仲間たちは次々とやられ、デンジも真っ二つに。
一方、新幹線で銃撃され死んだかに見えたマキマは無傷で復活。敵は全滅しており、その謎はますます深まっていく。内閣直属のデビルハンターとしての圧倒的な力に惹き込まれる。
ヒメノの死に泣き崩れるアキとは対照的に、自分は人の死に心を動かされないと気づくデンジ。そんな彼とパワーは最強のデビルハンター岸辺と面談し、「合格」をもらう。だが鍛錬は過酷で、その日だけで20回以上も殺されるのだった。
鍛錬を経て強さを得たデンジは、サムライソードと再戦。
彼もまた剣の悪魔の心臓を持ちながら、ゾンビを殺せば良心が痛むという。
痛まないデンジ――チェンソーの心臓はやはり特別なのだろうか。
そして今回集まった銃の悪魔の肉片を合わせると、ついに本体の居場所を示す動きを見せる。
いよいよ銃の悪魔との対峙か――というところで前編は終幕。
続きは、これから映画館で観てくるとしよう。
随分前に観たからすっかり忘れていたので、映画を観る前にもう一度おさらい。
【前編】
生きることが辛くても、諦めそうになっても――人はどうしても達成したい目標があると立ち上がれる。
でも実は「目標を達成するまで」の過程こそが楽しくて、苦しくて。
そしていざ達成してしまうと、達成感はあっても「こんなものか」と失意し、心にぽっかり穴が開いてしまう。
失意のデンジに、新たな大きな目標を与えるマキマ。
そしてデンジと銃の悪魔との関係が気になる形で、前編は幕を閉じた。
主人公の純粋なところと浅ましさが両立した不思議なキャラだったので
最後まで見た。
ツンが短過ぎて、案外どころじゃないくらいチョロかった感。
グリモワールがちゃんと強かったのが良かった。
気ままに魔術を極めるスタイルは貫いていくんだけど、最後の方は崩れたキャラを擦り切れるまで使ってたのが気になった。
「別れの一族」という言葉だけで大まかなストーリーは想像できてしまう。
それでも最後まで目が離せなかったのは、その一つひとつが丁寧に描かれていたからだ。
初めてママと呼んだ日、お母さんと呼んだ日、お母さんを紡いだ日、母と呼ばなくなった日、母を否定した日、母を守ると誓った日、父親になると誓った日、自分の家族を守ると誓った日、そしてまた母さんと呼んだ日――。
その全てが繊細に表現されていて、呼び方の変化が「二人の関係の節目」を象徴していた。観ている自分も自然とマキアとエリアル、母と子の視点を行き来してしまい、涙が止まらなくなる。
「母親になるとはどういうことか」
「子どもが大人になるとはどういうことか」
奇抜な設定で誇張するのではなく、ひたすら人間らしい営みとして描いていた。だからこそファンタジーでありながら、驚くほどリアルに胸に刺さる。
レイリアがあの瞬間に抱きしめなかったのは、愛していないからではなく、むしろその逆。抱きしめてしまえば娘を自分の世界に縛ってしまう。だからこそ、最後まで「母親としての衝動」を押し殺し、距離を取ったのだと思う。残酷だけれど、それは「娘を自由に生かすための愛情表現」だったのかもしれない。
――抱きしめなかったからこそ、あの別れは痛烈に「母の愛」として観る者に刻まれる。
そして、最後にさよならの朝が来る。
別れの一族と聞いた時から想像していたシーンだが、片時も目が離せなかった。
その後、長老が無事だったとわかる。
まだ戻る国がある。そう思えるだけで少し救われた。