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自称キャラクター心理研究家 〘Icon from https://picrew.me/image_maker/168503〙
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サービス開始日: 2019-01-14 (2640日目)

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「チート」がキーワードになっている割には普通に修行したりして、ジャンプ的王道に沿った筋になっている。
正直話としてはあまり面白くないが、問題は主人公達の個性の薄さだろう。
まず太一はアナスタシアを失った一件から結局は殺しも厭わず力を使う覚悟を固める訳だが、その結論はあまりに凡庸(「大いなる力には大いなる責任が伴う」というのは聞き飽きた言葉だろう)で「人を越えた力」には及ばない。王弟の言葉にしても単純な受け売りで碌に咀嚼せずに繰り返し、「犠牲」などと宣う。犠牲というのは結局力無き者の言葉であり、それを超越して全てを救おう(つまりホッブズのリヴァイアサンが如く全ての争いを阻止して和平を促せば良いのだ)ともせずに「人間卒業」と言ってもつまり倫理観を喪失したとしか聞こえない。何を考え、どうしてそう選択したのか? それを描かず人並みな結論だけ述べても何の魅力もないのは当然だろう。
凛については第9話「私は私の意志で飛び込んだ」というのが一番大事なところだろうが、演出が弱く第1話のシーンにおいて全く凛に感情の籠った芝居をさせていないため実感の薄い台詞になってしまっている。癖のない良い子なのは個人的には別に良いと思うが、いずれにしろ内面描写が貧弱で魅力が出ていないのは確かだ。
一番魅力的に描かれていたのはアナスタシアではないかと思う。彼女ははっきりとアサシンとギルド側での二面性を区別して描かれており、収監中の描写も加わることでその転向の決断を強く示唆している。ギャップを利用した内面の演出が上手く働いていると言える。

全体的に言っても「あの方」の情報は碌に開示されず、主人公はただ戦争に巻き込まれ「人殺しも止む無し」という後退した倫理を得て終わる。それを本当に「強さ」と言っていいのか、戦争を止めるという選択はないのか、結局は地位と名誉を得ただけではないか。ある意味で批評性は高い作品。
ただしかしタイトルを考えてみれば、「チート」の不条理さ、千年に一度の才すらも無に帰す圧倒的な力、そうした表象を全く物語に落とし込めていないのが最大の問題かもしれない。



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単純な近接格闘で異常な火力を発揮する虎杖、宿儺の固有術式が発現したらどうなるのか楽しみ。
「敵が実は人間だった!」みたいなのは物語の谷を作る時によく出てくるが、ここだときっぱり割り切っている釘崎がいるので虎杖個人の課題になっていて、安いバトル物ではなく成長物語的に収まっていて良い。



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伏黒の伏線がやっと回収されたがまさか領域展開に至るとは。
パクってきた呪胎九相図を早速実践投入しているが人材不足なのか?



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伏黒もフィジカル強者だったのを思い出す。高専の人がコミュニケーション面でサポートしているのがちゃんとした役割分担を思わせてよい。



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東堂にも情けがある三輪がやはり善良でよい。



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東堂は高田ちゃんとの脳内会議などクレバーかつイカれていて良い。



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今回は特によく動く。
東堂は花御を威圧しながら普通に話すし知識量的にも実は普通の生徒ではないのか?
しかしマイクロ秒とは完全に人間の能力を超越している。いや呪力の制御の問題だから物理的制限は問題ではないのか。



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ひなが喚く場面などややノリがあからさまに感じる部分もあったが、ピアノ好きとしてはなかなか美しくていい話だった。
伊座並さんが誠に綺麗でよい。



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BLEACHで言う瞬鬨の様な肉体操作術はロマンがある。(他にも色々あったと思うが思い出せない、ギア2も同じ系列と言えばそうか)



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女子編だがそんなに解像度は高くなかったかなという印象。ただ真希のかっこよさは良い。



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東堂の話は魂の座の様な感じで面白い。(中世は心臓に意識が宿ると考えられた的な話)
呪骸の身体は純物理的なものではないのか?



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東堂と趣味が合ってしまう虎杖。逕庭拳については純粋なパワーを求めるなら不要ということか?
三輪はじゅじゅさんぽより本編の方が可愛く見える。



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虎杖が遂に復帰。
伏黒は最後だけでなく借りた武器の件も、かなり人を良く見ている。
メカ丸ってなんだ



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よくある合宿回をやりつつも、侑の決心、歩夢に生まれる不安を丁寧に描いていて良い。
あの液体をまともな味にできる彼方はかなりの達人ではないか?



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果林回…としてはちょっと弱かったかなという感じだが、ソロアイドルとしての在り方をはっきり示した回。ステージにはソロでという縛りによって、むしろグループアイドル的な関係性の力学を強化しているとも言えるかも知れない。



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しずく回。自己表現については第5話でも扱っていたが、ここで重要なのは「演じる」という観点だ。
アイドルの文脈では、メディアアイドルの時代の演じるアイドルから、ライブアイドルの時代のそう生きるものとしてのアイドルへという歴史がある。アイドルコンテンツのリアリティショー化に伴って、アイドルは理想像を演じるのではなく自分自身の表現へと主軸を移した。(この点で演じるタイプのかすみが登場するのは理に適っている。)とはいえ演じる要素が消えた訳ではなく、「表立って演じる」事によりむしろ本人のパーソナリティが際立つという事態が発生した。これはかすみに典型的だし、しずくが最終的に白黒合わさった衣装になるのもそうした止揚的な解決と言えるだろう。
この回ではこうした文脈を踏まえつつ、演劇部というプロフィール、今までのキャラ立ちしない描写が一気に「桜坂しずく」へと結実している。



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冒頭より彼方のお昼寝キャラが、努力家としてギャップを伴って深化される。遥が彼方の夜更かしを意識する場面も、ただ気にするのではなく背を向ける事で対立的な感情を示唆しており細かい。
遥のスクールアイドルを辞めるという選択は一見重すぎるが、つまりはそれだけ姉の存在が大きく、そしてその献身を重大に受け止めていたという事だ。そうするとただ家事を任せるというのでは解決としては弱く見えるが、ライバルとして、というのが重要なところだ。姉だから、妹だからと絶対化されていた片務的関係を無効にする力がその言葉にはある。ステージにおいて全てのアイドルは平等なのだ。(これは第3話の競争的アイドル批判にも繋がる。)



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とても良い

この子の事情が気になって虹ヶ咲を観始めたと言っても過言ではないのだが、期待以上の非常に良い回だった。
トラウマを抱えた女の子がそれを解決してハッピーエンドというのはエロゲとかの方面で成立してラノベやアニメにも普及していった形式だと思うが、最近ではむしろトラウマを克服(=否定)せずにおくというのが批判的展開(要するに環境メタ)として現れてきている様に思う(私の知る限りそう解釈できるのはマギレコの水樹塁だけだが)。この回でもやはりそうした時代性への鋭い感性が働いていて、丁寧な心境の追跡と相俟って隙の無い完成度になっている。



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とても良い

エマ回、そして果林加入。
「そんなキャラじゃない」キャラというのは要するに社会的なポジションな訳で、そこに嵌まる事で人は居場所を確保し、否定されない保証を得る。ではそれによって苦しめられている時どうすればいいかというと、その人自体の肯定しかない。「心をぽかぽかにしたい」という志と相俟ってエマの肯定はこの上なく強力だ。



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冒頭、せつ菜がまだこのポジションに慣れていない様子がかわいい。
愛回だが、前回個人主義的な立場を採用したことの帰結としてグループアイドルという枠組みの危機が訪れているのもまた面白い。OPでは全員で一つのステージに立っているが、ここからどう展開するのか。



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とても良い

この回、現代のアイドルについての物語としてあまりにも本質的だった。
「一つの色にまとまる」のではなく「やりたいこと」を貫いていい、というのは第2話の繰り返しだが、ここで新たに加わっているのは「ラブライブ」に象徴される競争的アイドル観だ。それに対して侑は「スクールアイドルがいて、ファンがいる。それでいいんじゃない?」とコミュニケーション的アイドル観を差し出す。『ゾンビランドサガ』では「昭和」「平成」によってメディアアイドル・ライブアイドルの対立を描いていたが、ここでは後者についてより詳しく、リアリティショー的な側面(モー娘。誕生時のエピソードやAKBの様々なイベントに典型的)とコミュニケーション的な側面(推し、推される関係)を対比させている。『ラブライブ』無印(サンシャインは未視聴なので分からないが)がリアリティショー的なアイドルを扱ってきた事を考えると、虹ヶ咲のこのテーマ性は正にその「次」として決定的なものだ。より広く言えば、新自由主義の箱庭としてのアイドル界の再現(アニメ化)を、個人主義的・社会民主主義的な何かへと向かう社会の動向に合わせて再編したと言えるだろう。
そしてこうしたテーマ性が上滑りする事なく、それぞれのキャラクターの心理を丁寧に描く中で紡がれている。驚くべき完成度である。



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侑は自分がスクールアイドルになりたい訳ではないのか。そういえば第1話でもなりたいとは言っていなかったか、しかし話の雰囲気からするとちょっと意外だ。
「かわいいかすみんが引き立つからです!」への乾いた笑いなど歩夢のリアクションが結構冷たくて面白い。侑との「かわいい」の違いがはっきり描かれている様に見えるが今後のポイントになるのだろうか?



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とても良い

穏やかな日常とそこに潜在する何者かへの憧れ、スクールアイドルの衝撃、そして喪失。侑のスクールアイドルに感じたときめきが非常に活き活きと描かれているからこそ、「なんてね」と笑うはあまりに切ない。藤津亮太が新海誠のテーマ性について「存在しないものの喪失感」と言っていたが、それと近い風情があると思う。歩夢もここで言葉を躊躇い、冒頭に出たかわいい服を見て「やっぱり言った方が…」といった顔、そしてマンションの前? でやっと「二人で始めようよ」と投げ掛ける。二人の内面の動きが非常に丁寧に描かれていて素晴らしい。(しかし歩夢が突然滑らかすぎる横ステップを踏むのはちょっと面白い)
作画はどこか顔に違和感を感じる場面もあるが、重要な芝居はきっちり決めていてそんなに気にはならないか。
ビッグサイトが校舎なのは何とも不思議だが、コロナ期間中で現実には立ち入りできないのが妙なリアリティ的何かを生んでいて面白い。



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