アトリは自分に心があるとは思っていなかったから、自分が良心で実力行使に出たという自覚を持てなくてアトリの中では謎の衝動にかられて人間を傷つけロボット三原則を破ってしまったということになっていたのね。さらにそのことで詩菜の気持ちがアトリから決定的に離れてしまったことをずっと悔やんでいたと。
ずっとエンディングの曲を好きになれないと感じてたけどこの回でこの曲は本当に受け入れ難い…。
綾瀬が水槽に鍵を沈めた9話以降オープニングの最後の水槽に鍵が描き足してあるのは教えてもらったけれど、他に綾瀬の髪型もショートになってたのね。
綾瀬母が面談前に浅村をからかうみたいになってたのは素なのか、自分が緊張していたからか、それとも浅村が緊張しているように見えたから気遣ってか、とにかく綾瀬母のゆかいな振る舞いの結果として浅村も母と言えたところがなくもない気がして、そういう人たらしなところに浅村父も惚れたんだろうかと思うと良いシーンでした。
ここまで丁寧に日々の生活を描いて来たのがここに来ての綾瀬と工藤の会話は物語を動かすための装置という印象が強過ぎて素直に受け止められないな…。
とりあえず最終話がうまく閉じればすごく良い作品であったとは思えそうだからもう少し観直したりして過ごします。
前回をいまいち受け止め切れないままかなりぼんやり観たので感想が出て来なかったのだけど、他の人の感想を見て改めて観返すと前話のCパートで綾瀬が今の家族や生活に前向きになったことが心象風景で描かれ、この回では浅村父やクラスメイトとこれまでより積極的に関わろうとする様子が描かれる一方で綾瀬と距離を置くことを決めた浅村の学校と家での寄る辺なさが対比されていた、と。
朝食の時に浅村父から綾瀬母の言葉を聞いた浅村がいつまでも実母へのトラウマから綾瀬母と距離を取っていてはいけないと思った風であり、そこからの自転車で坂を登るシーンなので坂は浅村のトラウマの暗喩なのだろうけれど、このシーンは坂を登り切ったのか曖昧なまま終わる。浅村の「お母さん」という言葉も自転車で坂を登っているのに息が切れていないことから浅村の心の中だけの言葉で口に出せたわけではなさそう。
浅村父は多忙のためかこれまでに浅村の気持ちを思いやるシーンがほとんどなく、綾瀬母とはまだ打ち解けておらず、綾瀬とは距離を置こうとしていて、学校では丸としか親しくしていない、その中でバイト先での読売と藤波との会話は意味が大きそう。
読売が清原がFA宣言した時の長嶋監督みたいなこと言ってたの良かった。浅村は今からでも読売に入団するべき。
反応や行動は人間も学習していくものだろうけど、それと感情や心の境目とか、心があるとしてありのままの心というのがどういうものなのかとかは結局みんなよく分からないんだよな。夏生自身もこれまで経験したことがないようなことに対して自分の気持ちが分からなくなっているわけだし…。
きみの色を観たので改めて感想を書くけど、きみの色が出会いと始まりの話で今作が別れと喪失の話でそれぞれがA面 / B面だという見方も可能ではあるかなと。それぞれの内容を考えると音楽がミスチルとラブリーサマーちゃんだったのも内容によく合っていたように思います。
今作がもっとシリアスな作画で過ぎ去る日々を詳しく描いていたりしたらちょっとつらく感じたのではないかという気がしたりなど、きみの色も今作も描かないと決めたことを描かないことへの思いを強く感じる内容でした。
オープニングで描かれていた幼少のふたりが出会えていたらのシーンが9話であらためてあり、いまのふたりがバスに乗り綾瀬の髪が短くなりとオープニングをやり直しているような内容が描かれていたのはいまのふたりが幼少に出会えていたら結べたような関係にこれから至る暗示だと解釈したのだけど、10話は綾瀬母の浅村への思いの吐露、綾瀬と浅村父ふたりの夕食とこれまであまりなかった家族のシーンがあり、今後の出来事の予感はありながら穏やかな回だった。
綾瀬が綾瀬母の言葉を回想する時の画がこれまでは浅村の回想で使われていた描き方になってたのはなぜなんだろう。綾瀬がプールのことを思い出すシーンもこれまでの回想の映像のテイストとは違ったけど、これは9話までの綾瀬の回想で使われていた映像の処理は綾瀬が日記を読み返していることを表現していて、綾瀬は本当に日記を書くのを止めたということかな。
藤波はもし踵が高い靴を履いているんだとしても身長が高い。
オープニングのタイトルロゴの色の変化はキッチンとダイニングの間に置いてある花の色の移り変わりに合わせてあるのかと思っていたけど、10話は話の中で花が変わっていたようなので確信が持てない。
作中で描かれたこと以外の背景についての説明をすっぱりと切り落としてあるように感じたから物語の起こりの部分はとっかかりがないように感じられて、これについてはもう何度か観返したら感想が変わるかも。劇中で描かれたこととそこから生まれた音楽のライブのシーンがすごく良かったので、作中ではっきり描かれなかったことを考えたりするより作中のその瞬間のことを素直に受け取るのがこの作品の見方として自分には合っていそう。
ライブのシーン、ルイが作曲した設定であろう曲のタイトルがルイと直接の関係はない「反省文」なのは曲作りに苦労していたルイにふたりが与えた影響の暗示として美しいし、あとの2曲では5本の指を使って鍵盤を弾いていたトツ子がルイの曲では人さし指だけで弾いているの、山田監督なのか牛尾氏なのかのルイがそういうニューウェーブを愛好するような音楽オタクであるということの解像度が高過ぎてちょっとにやにやしてしまった。ライブシーンの音楽が映画館の音響ですごく良い感じに鳴るようになっていたのは牛尾氏の職人芸かな。
ミスチル特に好きじゃなくて、エンディング主題歌も事前に単品で聴いたときは良さが理解できずちょっと不安を覚えたのだけど、本編を観た後ではこの作品のエンディングに綺麗に収まっているように感じられたので良かった。映像は綺麗だし、メインのキャラクター達の声を声優が本職じゃない人たちが演じてるの、素朴だったり内気だったりするキャラクターと良く合っているように感じられたのも良かったし、また観返したいな。
ラブリーサマーちゃんが音楽担当なのたのしみにしてたけど、しっかりフィーチャーされてたのうれしかった。
公開時期と内容的に「きみの色」のB面なのではないかという気がするので「きみの色」を観てからまた観返したい。
前回までの解釈が結構間違ってたな。観返してみると作中ではっきりと描かれていたことと、そこから要素をつなぎ合わせて自分が読みたいように読み取ったことがずれてた気がする。
アバンとCパート、どちらの空想の海のシーンも海は実写を加工してたのかなと思ったけどどうだろう。アバンの方の海のシーンの綾瀬のモノローグは海にいた時の感覚を話しているのかと思ったら前回の朝食のシーンの綾瀬の心情に繋がったので、綾瀬の言葉は前回のミルクを飲んでいる時のことでありそう。映像が綾瀬の回想部分とはっきり分けられていたこと、綾瀬のモノローグで綾瀬が覚えている綾瀬母から海に誘われたのが中学生の時に一度だけなこと、から空想だと判断したけれど、いずれにせよ綾瀬の過去の思い残しが解消されたということではあるのでしょう。
プールのシーンの前半は綾瀬の回想の時の映像で描かれてたけど、いつの綾瀬が振り返っているのか。今回はプールの歩道橋?の底に水面の揺らめきが映っているのが浅村と合わせて描かれていたから、綾瀬の部屋の天井に映っていた時のと合わせてもしかしたら恋愛感情の暗喩なのかな。
直接的な恋愛に纏わるシーンの演出はベタな感じで急に過剰に濃い雰囲気になったように思えたけれど、終わりまで観たらまた違う感想になるかも。綾瀬が鍵を海に投げ捨てたところから浅村が飛び起きるシーンに繋ぐような編集はこれまで避けられてたように思うから、今回のこういう刺激の強さを今はうまく受け止められない。
バスに乗っているシーンがあったり綾瀬の髪がショートになったりはオープニングの映像を踏まえいるように感じたし、今の生活で綾瀬の傷が癒えていっているということがはっきりと描かれたけれど、ここからお話が動いて残り3話?でどうなるんだろう。綾瀬の笑顔と比べると浅村はまだ心に抱えるものがありそうに思える。