ダンジョンに意思があるかもしれないと。
モンスターがダンジョン内の輪廻の果てに地上への憧憬を持ち、理性と言語を持つに至った者達、それがゼノスだと。
イケロスファミリアは、ゼノスを認めるか以前に密輸に手を染める悪党なわけで、残虐な輩なんだろうな……しかもレベル4。
ベルくん達は、ロキファミリアを味方に付けたいところだけど、ゼノスのことを話して認めてもらう必要があるし、厳しそう。
次回はサブタイトルからして、惨劇が起きそうだけど、ゼノス達の切り札は深層に武者修行に出てるナンバー1かな。
やっぱキノの旅っぽいな。
今回は皮肉の利いた顛末が描かれていて投げっぱなし感はなかった。
王女ミラロゼは恋人と子を殺された恨みを晴らすのに、父王をただ殺すだけでは足りないと思ったわけだ。殺された国民の方はたまったもんじゃないけど、王女に報いがあるとするならば、狂気に歪んだ幸せに浸りながら独り城で暮らし続けることになったことぐらいか。誰も何も救われない虚無的な話ではあるけど、逆説的に読み解くならば、権力者の徳無き暴虐は憎しみの連鎖の果てに全てを虚無に帰すといったところか。
ペギタン、モテモテ回。まあ、テーマは勇気だったわけだけど、背景になかなか重いサブテーマが敷かれている気がする。
母親が残業で帰りが遅いために、小学生の娘が夕食を作らねばならないという、シビアな母子家庭が描かれていて、こういう家庭が現実に日本にどれぐらいあるのか気になった。
りりは学校で友達が出来たし、ペギタンとちゆが遊びに来てくれるようになったのも良いけど、家庭の在り方の方にソリューションがないのがやはりシビアだ。
こういう子供を地域社会でケアして行こうということなのかもだけど、取り組みとしては子供食堂などがある。ただ、生活の事情で子供が親に会えないケースがそれなりにあるのなら、その状況自体を何とかしないと、という社会の課題が存在することになると思う。
朝から刺身か。
海ほたる、行ってみたいなー。GO TOトラベルとかで。
ヒロイン達が傷ついた兵士達を看取る役割があるという作品は初めて見た。
笑顔で明るく兵士の手を握って看取るみやこは確かに強い……。クラウも死神と呼ばれてきた過去と決別するためか、一緒に看取った。ワルキューレとして死と向き合い、世界を背負って戦う……その責務はとても重いけど前向きで良い。
人員全てを仲間として大切にするという結束があるのが、この館山基地なんだなと。
ドジっ娘編入生、エクストリームなコケ方だったw
魔法圧の低下……前回不安定だったのは借りたユニットがポンコツなんじゃなくてそのせいだったのか。
今シリーズも、芳佳が万全ではない状態から話が進んでいくと。
精霊使いの始祖?を2人で共闘して再び封印?
明日から敵同士。って、和平を誓い合うわけじゃないのか。まあ今後その方向に展開していきそうな気はするけど。
イスカとアリスの繋がりを知ってしまった隊長が今後どう振る舞うか気になる。
シリーズ屈指の神回。
エルメスのファンネルを的確に撃ち抜くアムロ、化け物か。
ララァとアムロの精神感応、スピリチュアルな会話……2人が共に感知した人類の宿命とは。
そこにシャアとセイラが乱入、圧巻の四つ巴バトル。
人はいつか時間さえ支配できるという感覚を共有するララァとアムロ。
この辺りは、20世紀後半に勃興して米英を中心に流行したニューエイジ思想のスピリチュアル的要素からの影響が感じられる。ニューエイジでは人間個人が自己実現を徹底的に遂げることが至上とされる傾向があるので、共同意識が薄い。ララァとアムロは個々人が精神世界を介して時間を支配できる(至上の自己実現が可能)というようなイメージを持ったのではないかと思えた。そして、運命論的要素もニューエイジの特徴で、その影響があるとすれば、個々人はニュータイプに覚醒することで自己実現と相互理解が可能だが、群体(種)としての人類は戦争を繰り返すという運命を2人が悟ってしまったという解釈ができるかと。
因みに、富野由悠季氏は今年のインタビュー記事でも人類は滅ぶと言ってるので、ニューエイジ的気質から脱却していないと思う。毛色は違うけど、スティーブ・ジョブズもニューエイジ的傾向があった(標準的な癌治療を拒否するなど)。70〜80年代に青年だった層にその気質がある人が多い気がする。
ララァを失って感情を露わにするシャア。
そしてギレンの切り札、ソーラレイシステムの発射。
連邦軍との和睦に単独で踏み切ろうとするデギン公王諸共……。
ギレンは優生思想をデギン公王に公言し、ヒットラーの尻尾と言われそれを肯定した。デギン・ザビはジオン・ダイクンを暗殺しておきながら、ジオンの理想を尊重する気持ちがあると。それはそれで罪深い……自らの権力欲が無ければジオンを暗殺する必要もなかったはず。
ガンダムにマグネットコーティングが。
アムロは少し大人の軍人になった。博士に生きて帰って来いと言われて、平然と「データを持ち帰るためにですね」と皮肉を込めて返答する。
連邦軍側ではニュータイプという用語が使われておらず、マチルダはエスパーと言い、ジャブロー本営の幹部は特別という言い方をしていた。セイラとシャアの会話を無線で聴いていたブライトだけがニュータイプという言葉を知っていて、その実在性に対して懐疑的だったが、マグネットコーティングを施したガンダムを操縦するアムロを見て、初めてホワイトベース艦橋でミライとフラウボゥにニュータイプという言葉を口にした。
シャアのキャラソンがあったとはw
ニュータイプに覚醒したアムロが駆る改良したガンダムに、シャアのゲルググが全く歯が立たない。
エルメスは全方位への射撃能力に優れるが、機体の機動力はガンダムに及ばないだろう。懐に入られると脆いので前衛MSを必要としていたのだが……肝心の前衛はガンダムにあっさりやられてしまう。
ポップ、いきなりメラゾーマ使えるのか。けど、敵のマホトーンには掛かると。
ジャンプ漫画に付き物の修行。
1日で岩を斬れるようになったダイ。年単位で掛かった炭治郎は一体……。
アバンストラッシュを1週間で会得しようという修行。
テンポが早くて良き。
ダイ大は人間の権力争いや人間の心の醜悪さに起因する戦いの要素が多くて、そこが「ドラクエじゃない感」に繋がると思ってるんだけど、そこを受け入れて見るとまあ面白いかなと。
バトルはよく動くなぁ。3DCGはカメラワーク共々、2D作画のハイブリッド感も良い。
話のテンポ感もアニメとして良い。
ドラクエの原作ゲームはそもそもハイファンタジー志向だったと思うんだけど、ダイ大は少年漫画のフレームに落とし込まれ、人間同士の争いの要素が多い。当時すごく人気が出て売れたけど、子供心にドラクエとしては絵柄も含めて納得が行かなかった。
今見るとどう感じるかなという気持ちで視聴してるけど、今のところ悪くない。リメイクということで、キャラデザも原作のテイストを残しつつ今風の洗練が見える。
キノの旅っぽい。
2つのエピソード、両方とも話の投げっぱなし感が持ち味というつもりなのかな。好き嫌いが分かれそうだけど、こういう作劇は結末を描ききらなくていい分、ラクをしているように思えてしまう。視聴者に大事な要素を考えさせようということかもしれないけど、別に考えさせられたくないとも思うわけで。それではまるで押し付けがましい村長の息子と同じじゃないかと。話に良い意味で皮肉を利かせるには、主人公が対象にどこまで関与するかを描くバランスが難しい。その点ではキノの旅は上手かったように思う。
ゲームの師匠w
クライミングにはやっぱそれなりに筋力必要なんだなー。
世界選手権銀メダルの野口啓代さんは、外岩のクライミングにも積極的で、数々の記録があるそう。難関の外岩には変な名前のものが多くて、穴社長(長野県の小川山)とかポコチン大魔王(伊豆の城山)とかがあるけど、さすがにこの作品には出てこないかw
ミライとセイラもニュータイプ因子を持っていると考えられる。
そしてアムロとララァは強い精神感応を起こす。
木星帰りのシャリア・ブルは、若年層の発現が多いニュータイプの中では異例の高齢で、軍人としての経験も豊富。劇場版では登場しないが、富野監督はTV版では3話分使って登場させる予定だったとか。結局、全話数が52話から43話に変更されたため、この1話分のみとなった。
シャリア・ブルはギレンの意図を察していたが、「閣下の深いお考えを測ることはできない」と世辞を言った。ギレンとキシリアの板挟みという辛い立場に立たされていることも理解していたようで。
本当にセイラはかわいそうなのだけど、強い。兄と刺し違える決意まで。キャスバルとアルテイシアの物語はいわゆる貴種流離譚。しかも、兄妹で敵味方に分かれてしまう。文楽や歌舞伎の演目にあるような悲劇かと。
ニュータイプ同士の戦いがハイレベル過ぎる。
シャリア・ブルはいきなり初戦からガンダムに接敵しなければもっと華々しい戦果を上げていたはず。
ジオンはニュータイプ部隊を囮りの木馬ではなく連邦軍の主力にぶつけるべきなんだけど、ギレンはニュータイプを自分の傍から退けたいのか。
そして、ガンダムの操縦系統はアムロのニュータイプとしての反射神経に完全に付いて行けなくなった。つまり、システムの改良が必要。
シャアはニュータイプを平和の象徴ではなく、戦争が生み出した哀しい副産物である可能性があるという見方を示した。確かに、アムロは激しい戦いの中でニュータイプとしての覚醒を遂げてきたし、セイラとミライも幾多の修羅場を経てその端緒が発現しつつある。
シャアが初めてニュータイプという言葉を口にした。作品としても初出かと。
シャアの攻撃をかわすアムロ、神業か。そしてアムロのニュータイプとしての知覚速度にガンダムの反応速度が追いつかなくなる。
通信士のフラウボゥを休ませたことで、シャアとセイラの会話をブライトだけが聴いてしまったという脚本の妙、すごいな。
シャアは自らの目的がザビ家への復讐には留まらず、また、ザビ家を倒すだけでは人類の真の平和を得られない、ニュータイプが発生するからだとセイラに語ったけれど、自身が戦う理由を明言はしていない。そしてセイラも既にニュータイプのことを知っていた。
ジンバラル(ランバラルの父、ジオン・ダイクンの側近)が言うように、ニュータイプが人類全体が変わるべき理想の存在だとして、そのニュータイプと戦うのは面白くないとしつつ、もう手段を選べぬと言ったシャアの真意は何だろう? ニュータイプであるララァを戦争に利用することか、なり振り構わずザビ家への復讐を果たすことか、はたまたその両方か。シャアはこれから発生してくるニュータイプという存在とどう向き合うつもりなのか。
ワッケイン司令の乗るマゼラン艦がシャアのザンジバルによって撃沈。劇場版ではソロモン攻略戦で壮絶な戦死を遂げているが、TV版ではこのタイミングか……。
ついにブライトはセイラ本人からシャアとの関係を告げられた。けど、どこまで知ったかはこの時点では分からない。兄妹だと知ったとして、2人がジオン・ダイクンの遺児であることまで知ったかどうか。
シャア(キャスバル)とセイラ(アルテイシア)の関係は第1話から描かれていた。行き当たりばったり感のある作品が多い当時のオリジナルアニメーション界で、異例とも言える綿密に練られたプロット。
いちいちゲームマスターの声が変わるのわろたw 天龍はずるいw
新メンバーは四谷以上に根暗だなぁ。自衛のために自分をイジメてる連中と仲良くしようとして、四谷を悪者として扱ったと。そして自分の最低さに気づいて愕然とするあたり、まだ救いようのある性格ではあるなと。
四谷が自分が非モテだと気づくシーンはおもろ。
新堂さんはいわゆる陽キャでイジメも許さない強さがあるけれど、育った家庭(親?)に問題がある感じか。その背景から悩みがあって、四谷に助けを求めた?
その引きは気になるし何だかんだで面白いとは思うんだけど、新堂さんが四谷に興味を持ち始める描写があってから「助けて!」までのグラデーションが粗くて唐突な印象は否めない。そのあたりの良し悪しは次回の展開次第かなとも思う。
主人公は利他心に目覚めたかと思えば、ラストでは大嫌いなこの街を滅ぼせる可能性などと思いを馳せている。自分が冴えないのは環境や他人のせいだと考える根暗で甘ちゃんなところがまだ残ってる。
けど、あっちの世界でトロールを倒せたのは頑張ったなと。農民から料理人にジョブチェンジできたのはラッキーだった。内臓が見えるスキルがなければ、戦士になったところで低レベルなら勝てなかっただろうし。
Cパートはちょいスベってるかな……
OPで主人公が変な武器持ってるなと思ったら、農民だからかw
ゴブリンもまともに倒せないのにトロールはきついw
なかなかの無理ゲーだけど、世界の仕組みとかいろいろ謎がどうなってるか気になる。
とわとせつなは殺生丸の娘で、もろははかごめと犬夜叉の娘……。
せつなは胡蝶に夢を喰われたから、眠れなくて幼少時のとわのことも覚えていないと。
さすが高橋留美子というか、設定と物語作るのが上手い。
ダンまちは3期も展開が早くて良き。
言葉を喋る異端のモンスター達をゼノスと呼ぶわけか。
ウラノスは、ヘスティアファミリアを人間とモンスターの共存の架け橋となる希望の星だと言ったけど、ゼノスとそれ以外の凶暴なモンスターを区別するのだろうか。
ゼノスという名前はギリシャ神話にはたぶん出て来ない。モルモン教の聖典とされるモルモン書の中に預言者の名前として出て来るようだけど、この作品では関係無さそう。あるとしたら、モルモン教が他のキリスト教諸派から異端とされていることに掛けていると考えられるけど、ギリシャ神話をベースにした世界観のダンまちにキリスト教的概念が入り込むのは違和感があるのでやはりその線は無いかなと。
とにかく、ベルくん達は大変な任務を背負ってしまった模様。
お試し後のゼノス達のフレンドリーっぷりがすごい。
セイラの入浴シーンがお色気抑えめ……なのはさておき、セイラもドムを複数機撃破するなど、ホワイトベースのナンバー2パイロットに成長している。
フラウボゥとアムロの距離感の変化は気になるが、本当の意味で疎遠になっているわけではないと思う。そのうちアムロはそのニュータイプとしての感応力で仲間達との心の絆を確認し合えるようになるはずなのだから。
アムロはマクベの罠に掛かっても攻撃を感知してギリギリで回避、戦闘はテキサスコロニー内へ。マクベのビームサーベルの連撃を至近距離でかわし切るアムロの神業がすごい。
マクベ死す……シャアを危険視し、キシリアに近づけたくなかったマクベの認識は正しい。自らMSを駆るタイプではない文官肌の彼がガンダムを倒してシャアを出し抜こうとしたのは、キシリアへの忠誠心ゆえのことだろう。散り際に壺のことを口にするなど、マクベとキシリアの平時の関係性が気になる。
ララァはアムロの存在を感知し、アムロもまた……そしてついに二人は互いの名前をテレパシーで呼び合った。
この段階でニュータイプに覚醒していないシャアは決定的にアムロに差を付けられたことになる。
スレッガーの名言「悲しいけど、これ戦争なのよね」がここで出た。
自ら盾となって宇宙に散ったスレッガー、そしてドズル・ザビ中将もビグザムと共に玉砕、ジオンの小惑星要塞ソロモン陥落。
ミライとスレッガーにこんな一時のロマンスがあったことは知らなかった……母の形見の指輪を渡すとか、フラグ立て過ぎだ……。
部下を逃がして自らは特攻に赴いたドズルはザビ家きっての武人なだけのことはある。ソロモンを陥落させられた責任と多数の部下を失った責任を取るために、少しでも敵艦艇を撃破しようとしたと。実際、ビグザム1機に多数の連邦軍戦艦が沈められた。スレッガーとアムロがいなかったら、もっとやられていたはず。
アズズ、良い参謀。チンアナゴ作戦わろたw
いろんなネウロイがいる。
1話はどうかと思ったけど、キャラ立ちが良くてそこだけでも面白いし、空戦の演出も良き。
ただ、みやこはもっと作戦行動中に勝手に突出するキャラだったと思うんだけど、聞き分けが良くなって連携がよくなったのは、クラウが加入したせい?
子供の姿をしたオーディンが不気味。そもそも北欧神話ではオーディン諸共世界はラグナロクで一度滅ぶわけで。それを回避するためにいろいろ頑張る的な展開は、ヴァルラヴがそうだった。
激しいソロモン攻略戦。
ドズル中将はザビ家の中でも一番の武人肌で、最初のMSであるザクの開発をランバラルと共に進めた。謀略家のキシリアとは肌が合わない。娘のミネバ・ザビはZガンダム以降にも登場してスペースノイドの象徴的存在となり、ガンダムUCではヒロインを務める。
ハヤトが深傷を負うなど、ホワイトベースも激しい戦火で人員の損耗が多数。
アムロはティアム艦隊司令やフラウボゥにまで特別な存在だと認識されるが、ホワイトベースクルーでニュータイプ因子を持つのはアムロだけではないし(アムロは発現が早くて深かった)、劇場版のラストでは皆と精神感応で存在を確認し合って絆を深める。が、この段階でのアムロは孤独になっていく。より孤独なのはシャアで、最初は強力な手駒としか見ていなかったララァにいつしか依存し、果ては母性を求め……復讐に生きる男の哀切を深めていく。セイラがシャアの生き方を否定するのもさもありなむ……。
いよいよ一年戦争は佳境に。
ララァと出会い感応したのか、アムロがニュータイプに完全覚醒した。アムロは初めて対面した人物がシャアであると確信したのに対し、シャアが初めて会った気がしないと言った(アムロをガンダムのパイロットだと明確には気づいていない)のはシャアのニュータイプへの覚醒度がまだ浅いからだろう。
アムロは戦闘ではリックドム6機の動きを完全に読んで全機撃破、さらにコンスコン旗艦の弱点を感知してピンポイントで攻撃、ガンダム1機で戦艦を沈めた。
アムロの父親はもうひたすら痛々しい……。酸素欠乏症で脳を損傷した父親が作ったパーツは、アムロが一目見て技術的に極めて旧式で低レベルなものだと分かるようなものだった。このテム・レイ回路は漫画版では後にアムロによってハロの学習回路に組み込まれたので、この時代の初歩的な電子工作レベルの代物だと推察できる。
カムランはミライのために身の危険を冒して頑張ったなぁ。スレッガーの言うように、ミライへの下心ではなく彼なりの誠意だと思うし、坊ちゃんから漢になった感がある。ただ、スレッガーがミライを殴るシーンは現代ならアウトだろうなぁ。