単に観念的(ついでに身体的)なAIではなく古典的なAI観(感情がない、プログラムで動いているだけ、等)に沿った話で、ヒューマノイドが溶け込んでいる分人間社会からの疎外が明確になっている。
プロット的によく出来ているという印象はないが、そういうSF的な構図がかなり興味深い。
男の子がぬいぐるみから卒業できるわけがないだろぉぉ!
ポッポくぎゅぅぅぅううう。
中古の品だったのか…いきなり前の記憶を出してくるの怖いな…。
ただのぬいぐるみでさえ手放し辛いのに動いたりしゃべったりする子は難しすぎるよ。
ポッポがあまりにも健気で泣ける。
心とはなんなのか、また考えさせられる。
ヒューマノイドとロボットの関係はニーアオートマタっぽくもあるなあ。
昔からある命題だが、いろいろ考えさせられる。
「ロボットに心はあるのか」
AIが話題になるときによく扱われる問題だよなー
冒頭のシーンは夢だったんだろうけど、あの最後のあとにもしかしたら本当に・・・とも思えるの面白い構成だった
デトロイトビカムヒューマンを思い出すな
結局の所、人間側の判断に委ねられる
しっかりとしたSFだ…………
ロボットに心はあるのか?
アンドロイドが産業AIロボットレンタルサービスを利用するとはなかなかシュールというか、業を感じる
泣く…。
ポッポの方が良い話だったのに対して、ジョーの方は現実を見せる終わり…。考えさせられる余韻がたまらんね。
心はあるともいえるしないとも言える
どう見えるかだ
人権認められたAIが産業AIサービスに依存してるのスゴイ、業を感じた
冒頭のあれは、少なくとも今ぶっ壊せば私のことを考えてくれている彼のまま終わらせられるっていう心理が見せた夢?
SFにおいて避けては通れない「ロボットに心はあるのか」問題。
歴史を紐解けば分かる通り人間は物語が好きな生き物なので、人間以外の生物やロボットの心なんて、身も蓋もないが「見る人の主観」でしかないんだろうな…とは思う。しかしポッポに心があると思うことで少年とその家族が救われるのならそれでいいとも思う。いい話でした。
ロボットが発達したら現実もこうなるのかな
価値観とか倫理観なんて人それぞれだし自立式ロボットだって人間や動物と同じ生物と定義しても何も不思議じゃない
本当に色々考えさせられる作品だ
ヒューマノイドの他に人型ロボットもいるのね。
いやぁ毎回考えさせられるな。
ロボットの心や感情ってテーマはありがちだし、毎回同じ様に感じるんだけども。
人間の脳も電気信号で動いてるんだし、そう考えると機械もだしなぁ。
今までの経験をデータとして蓄積していくのも同じなんだし、学習していくのであればロボットも人の考える感情や心は持ちそうに感じるな。個人的には。
区別するのであればまずは人の心を定義しないといけなくなると考える。
ただこの世界ではヒューマノイドとロボットの線引はどうしてんだろうな?という疑問も。
須藤が明言した通り産業AIに心は無い。でも、ケンジやシズカはAIに心があるかのように苦悩する
AIに心が有ると定義するのが可怪しな行為というわけではなく、そもそも人は対面する相手の心を読もうとするもの。それが本当の人間ではなくAIだったというだけの話なのだろうね
シズカは好きと言える相手が居ながらジョーとの関係の清算に悩む
ジョーは都合が良すぎる程に尽くしてくれるロボット。その奉仕を無機質に受け取れば良かったのに、人には心があるから相手に返さねばと考えてしまう。その返す内容は心
自分が相手に心を投影するから、AIに心が有ると感じてしまう
ケンジも根本は同じ。寂しさを紛らわせる、心を預けられるポッポを唯一無二の相手と信じた
だから自分が知らない「ユキちゃん」を求め始めるのを「壊れた」と感じてしまう
そこで奇妙な運びとなるのは「ユキちゃん」がデータの残り滓ながら過去の記憶かのようだった点かな
過去データを口にし、ケンジの傍で壊れたポッポの姿を人の心は「心がある」と捉えてしまう。遂にはケンジの母もポッポの奉仕に涙してしまう
結論としては、やはりAIに心は無いのだろうね。でもロボットやAIが人に寄り添う存在であり続ける限り、人は彼らに心を見出し続けてしまうのかもしれないと思えたEPだったよ
心とは何か、というより心とはどこにあるのか?ということを考えさせる、刺さる回だった。
ここでBLEACH268話での海燕の言葉を思い出した。心とは触れ合う2人の「間」に生まれるものだ、と。
AIが現実味を帯びてきて人間以外の知性が人間自身の鏡として機能することで「ヒトとは何か」を掘り下げる良いきっかけとなっている。そういう場を作って見せてくれるこの作品はものすごく面白い。
もはや(ほぼ対等の)対話ができるようになったロボットという存在とどう向き合うのか。そこに感情が、意志がないからといってそれは嘘になるのか…?
家族としての在り方、恋人としての在り方。彼女の中の僕には心があったのかもしれない、という台詞めちゃくちゃいい脚本だな…。凄く含蓄のある回だった。
こちらの行動、言動に合わせて振る舞ってることは分かってるけど、心の有無で振る舞いが変わるわけでもないからなあ。
知らなければ気づかないだろうし。現にポッポの反応に心を動かされたわけだし。
人が社会的生物だから需要があるんだろうけど、社会的生物だからこそそれに心を許しきってはいけないとブレーキがかかるんだろうか。
下手に人間と同じような結末にならないシナリオが好印象だった。
そもそも同じ人間でないものと付き合い切れなくなったらそれで限界だ。私は動物を愛玩するが、もしそういった動物が食用になっている文化のあるところにいけば、おそらく迎合することだろう。
だが、彼は知見を得て、自分なりの解釈を確立出来たようだ。前の持ち主に会わせるシーンがあって良かった。
それと、今回の話も前回同様に一話で完結するつくりになっているんだろうか。
もしそうなら、依存の扱いに失敗した彼女はあの後すぐにアバンの結末を辿るだろう。そして、それはあの一家の母親も状況次第では、例に漏れずそうしていただろう。
心はそれぞれの人の心の中にあるのかな
ヒューマノイドとロボットは別に存在するんだ。釘宮さんロボほしい~。ほんとに昔の記憶データなのか、やぶ医者め。ロボットに心などないとここまで書くのか