鬼は日光に当たると消滅するんだな。
劇伴もKalafinaっぽいと思ったら梶浦由記さんだった。サウンド的にそんな好きなわけじゃないけど、クオリティは高い……
罠を避けながらの下山、よく動くしスリリング。さすがufotable。
予備知識ゼロで視聴開始。
作風が輪るピングドラムとかユリ熊嵐に似てるなぁと思ったら、幾原邦彦監督か……好きよねこういうの。メタファーと抽象表現が多くて、物理法則性をかなり捨象して内的必然性を前面に押し出してくる作風。
あと、あのブレードみたいなのでは最近の高級車のドアは開かない。今は車上狙いもハイテク化してきてる。
増援を呼ぶならまず携帯を使うのでは。まあ、結果的に酒飲みの猩猩達に遭遇して助かったわけだけど。
元々、鬼王権現は熊野なんだけど、熊野には現存してなくて熊野から勧進(分社化)した新宿の稲荷鬼王神社が日本で唯一現存する鬼王の名を持つ神社なのだとか。
無免ライダーの正義感は結局安っぽい。敵の性質や強さを見極めもしないで仲裁に入ったり、自己犠牲を美しいと思っている節もある。ただ、愚かでもひたむきな所は唯一の魅力かもしれない。この辺のことを原作者は絶妙に描いてくる。
S級のタンクトップマスターを倒して調子に乗ってるガロウがサイタマの軽いチョップ一発で撃沈w この時点でのガロウは強いと言ってもまだ人間の範疇。ヒーローを狩ると言いつつ誰も殺してはいない。真の怪人なら容赦なく死を与えるわけで。あと、この時点でのガロウを最強の武術家シルバーファングが警戒している時点で、サイタマが替え玉で出ようとしてる武術大会のレベルが大したことないのが分かってしまうという………w
いずれにせよ、ヒーロー達の強さのヒエラルキーや死闘が描かれつつもサイタマのレベルからすれば全てが茶番劇化するというのがこの作品のスタイルであり、面白さだと思う。
A級ヒーローのゴールデンボールよりも、マシンガンを装備した武装兵の方が強いのではと思ってしまった。一応、通常兵力では怪人に対応できないからヒーローの存在が成立してるという世界観のはずだけど、どうも対怪人でそれなりに強いはずのA級ヒーローがショボく見える。
あと、一般人にとってタンクトップを着こなすハードル高すぎw
分かりやすいヒールが現れたw
主人公は初めて人を殺してメンタルが陰に入りかけて入らないんだなと。あっけらかんとした作風。
やっぱ小6向け感がすごい。
俺TSUEEEEEと俺SUGEEEEのコンボ。
コメディパートとシリアスなバトルパートのバランスが1期のこのあたりは本当好き。
イリヤの小学生らしさが魔法少女の飛行能力に寄与するのとか。
キャスターを倒したと思ったら間髪入れずに今度はセイバーが出現。
ルナツーの司令は、木馬とガンダムを奪おうというシャアの狙いも理解していないし、民間人を逃がす手配も頭にないし、戦艦マゼランは機雷にやられるし、無能の極みだったけど、ホワイトベース艦長の言うことなら聞くのか……。そこに連邦軍の組織的硬直が垣間見えたわけだけど、この司令はマゼラン艦を破壊するしかない抜き差しならない危機に際して組織と軍規と上位下達のみの思考回路を脱してまともな状況判断に目覚めた様子。
それにしても、アムロは毎回シャアと戦うんだな……まだ操縦が拙いながらも、背後から来るザクを2本目のビームサーベルで刺すという成長を見せた。ガンダムに戦いのケーススタディを覚えていく教育型コンピュータが搭載されているとアムロが語るくだりがあったけど、1979年にして人工知能(AI)をロボアニメに組み込んだ富野由悠季氏の慧眼に驚いた。当時なりのコンピュータへの関心と知識がないとこういう設定は思いつかないはず。
そして艦長はここで息を引き取り、ホワイトベースはブライト達で運用することに。民間人を運ぶために地球へ向かうという流れ。
何気にリュウのコアファイターの操縦が巧みだった。
耳に指突っ込まれてぶんむくれる仙狐さんかわいい。
まじで睡眠3〜4時間で長期間仕事続けるとそのうち自律神経とかやられるし、命に関わるぞ。
ていうか、仙狐さんがうちに来たら堕落して働けなくなる自信あるw
「人のことを気にするより、まず自分のことを何とかしろ」って、委員長ナイスアドバイス!まさにその通り。歪曲王は最初に現れた時から、他人の自己課題(歪み)に介入していた。それ自体が余計なお節介で、心的な自己課題は例え時間がかかっても本人にしか解決(消化)できない。このことは、アドラー心理学でも「課題の分離」として挙げられるテーマだ。
「天国への階段」から「ニュルンベルクのマイスタージンガー」でムーンテンプルのロックが解除される演出は素晴らしかった。
友達と言われてブギーポップは最後に少し笑った。そして「危機は去った」と。どうなれば危機になり得たのか……それは歪曲王が人間に絶望してしまった場合だろうなと。でも、歪曲王(田中君)は自らの歪みを癒す長い道のりを選んだ。そうさせたのは新刻さん、委員長だ。そして委員長は自らの恋心にも折り合いを付けた。芯が強くて本当の知性を選び取って自己形成していける、こういう人が現実にいたら僕なら惚れる。
原作ストックあるなら、他のエピソードも見たい。統和機構は常に世界の敵とはならないのかもだけど、いずれはブギーポップと全面対決になるのでは。そういう展開もあって欲しいなと。
田中の虚ろな目が気になる。
そして、ブギーポップはやはり全てを最初から見通してはいないが、今起きていることを的確に捉えているように思える。優しさゆえに過ちを悔やみ罪の意識に苦しむ、それも人の性質の一面。
寺月恭一郎は統和機構のメンバーで、消される前に統和機構に対抗し得る人材を見出して自覚させるための仕掛けを作ったと。しかし、ダーウィンの進化論と呼ばれるものは自然選択説であって、生物の進化に最初からある方向付けが成されているという理論ではない。たまたま環境に適応できた種のDNAが保存され更新されるというものだ。進化に方向付けが成されているという考え方は運命論的、神学的だと思う。統和機構はシステムであって特定の権力者による意志によるものではないという風なことを寺月恭一郎は言ったけれど、それと生物の進化とはロジックが違うと思う。
歪曲王と寺月恭一郎は別の存在で、このムーンテンプルという装置によって歪曲王が引き寄せられたのではと推測してみる。違うかもだけど。
ブギーポップは最初から全てを見通していたわけではないようだけど、ブギーポップだけが起きていることを的確に把握していっているという感じか。
末間和子は多重人格に関してまともな考え方をするけど、ブギーポップが絡むことに関してはいつも間違っている感じがする。
僕も多重人格者を自称する者に会ったことはある。確かに証明しようがない。本人はそこを確信犯的に突いているのだと思う。本人以外が知り得ないことをベースにして作り話をされると暴くことはできない。そうして決してバレない嘘を作り上げた人は、それを自分の中で事実化することがある。自己事実化された嘘は本人の中では限りなく事実に近い。他人にバレないのだからその嘘は事実と同等という評価(自己欺瞞)が形成される。だが、だからと言って他人が事実として認識してくれるとは限らないし、むしろ不信感を抱くことの方が多い。だから、バレようがバレまいが嘘は極力つかない方がいいし、自分の中にごまかし(認識の歪曲)を見つけたら自分で矯正する方がいいと思う。
この歪曲王のエピソードでは、そういったことに関連があるのではと考えさせられた。関連ないかもだけど。
ムーンテンプルの中に入った人々を眠らせてその夢の中に歪曲王が現れていたと。羽原の見解では歪曲王はムーンテンプルを建てた寺月恭一郎だと。
とりあえず眠ってる人々を全員叩き起こせばいいのでは。その後ムーンテンプルから脱出する必要がありそうだけど。
歪曲王、かなり厄介そうだな……。
人の「心残り」に介入してえぐり出すなんてことは凡そすべきではない。それは個人の自己課題への干渉であって、心残りなどというものは、それぞれが自分のペースで消化していけばいい類いのことであるはずだ。歪曲王のやっていることは究極のお節介のように思える。まあ、この時点では目的がまだ見えないけれど。
来生真紀子は統和機構の存在やピジョンの存在をなぜ知り得たのか……薬による生体進化が知能にも及んでいたから?
ピジョンをもう少し掘り下げて欲しい気がした。仇を討とうと考えるほどにスケアクロウに親密な思いを抱いていたってことなんだろうけど、伏線の描写が薄かったかなと。
やはりブギーポップは最後にしか現れない。標的に絡むしがらみが全て露呈する段階にならなければ手を下さないってことかなと。
絶縁体スーツを着て来生真紀子を水辺に誘い込み電流で感電させた霧間凪はやはり只者じゃない。感電が原因で薬で急進化した身体に破綻を来たした来生真紀子は、ブギーポップが宣言通りに自分を殺しに来たことを察知していた様子。
そしてこのエピソードはやはり霧間凪とブギーポップの出会いの物語だった。霧間凪はスケアクロウが最後に願った正義の味方になる意志を受け継いだってことかな。ならば、再び会うことになるだろうとブギーポップは言った。世界の敵を排除するのがブギーポップの目的でそれが正義とは似て非なる性質のものだとしても、正義の味方を志す者との接点は幾度となく生じるということかなと。
確かに人は死した者の思いをどこかに受け継いで生きて行くのかもしれないと思った。
原作を知らないなりに、それなりに視聴を楽しめている。
霧間誠一は統和機構の殺人鬼に殺されたのか……その親の仇と行動を共にする霧間凪の大胆さ。
これはたぶん、ブギーポップと霧間凪に縁ができる時のエピソードなんだろうなと。
かつて霧間凪を担当していた精神科医が他者の恐怖心を貪る猟奇殺戮者になっていた。
患者の男は典型的な統合失調症患者の妄想を言っているようだけど、この作品のことだからあながち妄想ではないかもしれない。
ブギーポップは世界の敵だとする精神科医を目の前にして「殺す」と言いながら何もしなかった。今はまだその時ではないと?
スケアクロウが死に際に見たと思った不気味な泡、それがブギーポップの名の由来だったと。
エコーズは生きてたのか……。
霧間凪はかつて謎の病気に罹っていたのか……。
スケアクロウを介して統和機構と霧間凪に繋がりがあるってことか。
この時点で美遊がカード回収に使命感を持ってる理由って何だっけか。
突然ルビィに選ばれて巻き込まれたイリヤがゲーム感覚なのも無理はない。凛とルヴィアにしても時計塔の大師父の弟子にしてもらうためのミッションという以上の意味は今のところ無いわけで。
定期テストは出題範囲を抜き打ちで外してきたり、授業でやった内容を捻ってきたりするよなぁ。物理と数学で何度やられたか……
うるかのそのガーリィな服は似合ってない気が。もうちょいスポーティか大人っぽい感じの方が似合うと思った。けど、その乙女心はベタだけど可愛い。
お姫様抱っこ大会なんて聞いたことないw
40〜50kgの女の子を長時間持ち上げるのはかなり筋力ないと大変というか、腰やられそう。
そのクソ貴族も教会の信徒か。宗教は人々の自我の根幹を部分的に肩代わりする機能を持つことで人々の心に安定をもたらすけど、根本的な価値について均衡的な思考力を奪い、組しない者を排外するという側面がある。一つの価値体系に浸ることは気持ちいいからなぁ。
つまり、クソ教会とクソ貴族とクソビッチ(第一王女)ががっちり結託してる状況。
このメルロマルク国で起きている惨状と同じことが、現実世界の歴史上でも幾度となく繰り返されていると思う。宗教、階級、人種、民族、文明の衝突。
次回はラフタリアの辛い過去回想とクソ貴族への落とし前って感じか。
殭屍(きょうし)はキョンシーのことか。
神の悪戯は人の命を持て遊ぶってか。
アステカ神話といえば、代々木公園にケツァルコアトルの像があるけど、人々に人身御供をやめさせた平和の神なので琥珀が言う悪魔ではないと思われる。となると、人の生肉を食べるとされるコアトリクエあたりかな……。
宮古と安倍晴明、隔世遺伝的な感じで似てるんだなと。
猫又でかいな。
向かいの料亭の娘さん美人だ……幼馴染?
都の公務員で安定してて神楽坂とか超一等地に蔵付きの屋敷を構えてるし、う、羨ましくなんかないんだからねっ!
宮古は砂の耳みたいな特殊な力があるなら、先祖の安倍晴明みたいに呪術を扱えるポテンシャルがあってもおかしくないかと。
一番かっこよかったのJ鈴木だどう考えてもw
白銀の自己陶酔の黒歴史は悪くないぞ。むしろ高校時代はそれぐらい振り切った恥ずかしいことをやっとくべき。
かぐや様はずっと可愛いすぎ。
結論、痛いという言葉には二つの意味がある。
1話から安定してずっと面白かった。キャラ設計がしっかりしている、恋愛頭脳戦という駆け引きのコメディ、かぐや様の乙女要素の可愛さといじらしさ、という3つの要素が素晴らしくて隙がなかった。
OP鈴木雅之さんの歌唱は恋の駆け引きというテーマにぴったりだけど、水野良樹さんの作詞作曲センスもさすがだった。
めぐみん登場回。
このすばはキャラ設計が素晴らしい。
めぐみんは爆烈魔法以外使えないんじゃなくて、ポリシーとして他の魔法を習得しないんだったか……アホだw
今回のシャア語録。
「モビルスーツの性能差が戦力の決定的な差ではないことを教えてやる」
アムロと一緒に出撃したリュウは、アムロの洞察力を素直に認める度量があるんだなと。
TVシリーズは尺を贅沢に使えるだけあって、説明要素が丁寧なように感じる。
補給艦艦長の任務遂行への責任感だったり、ジオンサイドにも人間的な組織の秩序があることが描写されている。作戦を思い通りに進められないシャアの戸惑いから、これまではジオンの方が連邦軍よりも軍事技術に優位性があったことが伝わってくる。勧善懲悪ではない点で1979年当時のロボアニメとしては革新的なのではと思う。
ホワイトベースに経験豊富で動ける軍人がほぼおらず、アムロを含めて皆が実戦で成長していかなくてはならない緊迫感がある中で物語が進行していくのも素晴らしい。
テロ組織の少年兵養成補充みたいな。ある時期のアフリカやアフガンで起きてそうなことだと思った。
くるみは拷問担当か……。
魔法少女というカテゴリーを扱いながら、人類の紛争の薄汚い暗部や猟奇性を前面に押し出してくるのが作風ってことか。でもただ奇をてらった作風ってことなら、それなりに創作としての罪深さを感じる。こういう場合は娯楽性以外のメッセージ性と意義が出て来なければ、個人的には納得しない。要は何を見せたいのか。