いや言葉通じるんかーい!いかにもラノベな天晴の傍若無人さは時たま癪に障るけど、天晴の言動がシャーレンなど周囲の人物の「壁」を壊していく爽快感もあるので難しいところ。
17年の『正解するカド』がガッカリだっただけに不安はあったが、終わってみると『カド』に比べて面白かったと思う。
正崎たちを弄びまくる曲世や、どこまでも自殺を肯定する齋の言葉と振る舞いは、視聴するこちらの倫理や正義・悪への観念を揺さぶり、試すかのようで、これほど考えさせられたアニメは久しぶりだった。
演出面も優れており、特に7話の、九字院の自殺や曲世の殺人とある日常の風景がリンクする悪趣味にすぎる演出にはゾッとした。
しかし、そうした我々の心への強い揺さぶりは多くの人が言う通り7話がピークで、それ以降は『カド』ほどではないものの失速してしまう。
正崎の渡米以降は齋と彼が掲げる自殺法がフェードアウトし、「自殺は正しいのか?」という問いも有耶無耶にされてしまう。
正崎が執念で曲世に一矢報いるかと思いきや、結局正崎を含めて誰も彼もが彼女の掌の上で踊らされて終わる。
引っ張った割にあっさりとしたラストには、否が応にも「原作未完」という足枷の存在を意識させられる。
竜頭蛇尾…というのは言いすぎだが、後半の失速が本当に惜しまれる作品。
原作の完結を待ってから、しっかりとアニメ化してほしかった。
進次郎がウルトラマンスーツを纏い変身。アクションが高品質で良かったし、スーツの各種ギミックは元祖ウルトラマンをオマージュしつつも、現代的にアップデートされていて見ごたえがあった。物語そのものの評価は今後次第。
全体にチグハグなアニメ、という印象。
登場人物の掘り下げは丁寧だが、全て「過去の回想」という形で表現されており、彼女らが22/7として実績を重ねたり、チームワークを深めていく現在のパートとは独立している。このためにキャラクターの掘り下げこそ丁寧なものの、現在パートに割かれる時間が犠牲になっていて、22/7内のチームワークはまだしも、22/7が人気アイドルになっていくまでの過程の描写がかなりおざなりで、実感が伴わない。
このことが、終盤における演出のちぐはぐさにつながってしまっている。
「壁」はあからさまに、少女たちに理不尽を突きつける「大人」の象徴だ。「壁」は徹頭徹尾、8人の少女を振り回す。なんとなく「壁」に従っていた8人の少女が、終盤、その「壁」を破壊することで自立し、彼女たちは真にアイドルとしてのスタートラインに立つ。
しかし、後に、その8人の行動さえも「壁」の想定した筋書きであり、22/7は最後まで「壁」の手中にあったことが明かされる。このせいで、彼女たちの壁への反逆と成長にカタルシスが伴わない。
そして前述のように22/7が人気アイドルになっていくまでの過程の描写が弱いので、ファンの力で精神的に再起する、という演出にいまいち感動できない。
『WUG』の大田のように、ファンの視点を描くキャラクターがいればまだ変わったかもしれないのだが。
作画やライブシーンの出来はよく、各キャラクターの掘り下げもしっかりしていただけに、これらシナリオの「ねじれ」にモヤッとしてしまう。
そして22/7において欠かすことのできない声優の問題だが、主役の一人であるみう(西條和)に関してはあの声が妙にみうのキャラ性とマッチしていて、実は全然気にならなかった。
問題はニコル(河瀬詩)で、意識高い系の言動と稚拙な演技がミスマッチを起こしていて、特にラスト、「壁」に対して22/7の存続を嘆願するシーンは最大の見せ場であるにも関わらず棒読みが目立ってしまっており、ちょっとしんどかった。
トータルで見れば決して悪くないアニメだったのだが、前述のように盛り上がりが弱く、全話を見終えて「1クールに渡ってエピソードゼロを見せられていた」ような感覚に陥った。
「壁」を砕き、一歩を踏み出した少女たちの活躍は、今後あるであろう2期に期待ということか。
推し(山城)が12話中2分ぐらい動いて喋ったので100点中50億点!!!
…と言いたいところだが、正直なことを言えば「有象無象の戦闘美少女アニメ」の域は残念ながら出なかったと思う。
「アズールレーンとレッドアクシズの敵対関係」+「両陣営が敵対している第3軍・セイレーン」というややこしい構図に加え、最終的にはセイレーンを打倒する方向で結束したはいいものの、そのセイレーンも何をしたいかわからないので、いまいちストーリーに感情移入できず、盛り上がれない。
そもそも原作のストーリーに区切りがついていないのでアニメで勝手に決着をつけられない、というのは理解できるが、それならそれで『クロスウェーブ』のようなパラレルワールドにするなり、各種メディアミックスを原作とするなり、やりようはあったと思うのだが。
またキーパーソンの数も多く、「主人公3人組+ユニコーン」「エンタープライズ&ベルファスト」「一航戦姉妹」「瑞鶴」「プリンツ・オイゲンら鉄血艦隊」「セイレーン」など様々な人物を一気に描こうとしたことが、物語の散らかりに拍車をかけている。
明らかに主役として配置されているアズールレーン陣営の「主人公3人組+ユニコーン」「エンタープライズ&ベルファスト」はまだしも、それ以外は心理描写が浅く、加えて原作でも未だ謎の存在であるコードG絡みの描写を半端にやろうとしたこともあって、多くの登場人物が満足に掘り下げられていない。
このために、終盤の盛り上げようとしているシーンでも盛り上がりが足りない。
戦闘面も、大半の難局は「エンタープライズがなんとかしてくれた」で終わってしまうので見ごたえがない。
ストーリー以上に問題なのがグズグズな作画だ。
山城やレパルスなどの端役の作画がきれいかと思えば、ベルファストやクリーブランドなどメインキャラの作画が汚くなってたりとバランスが悪い。
そのせいで戦闘シーンも序盤以外は全く迫力がない。止め絵の連発でごまかしているシーンも多く、制作会社(バイブリー)の「もう限界だ」という悲鳴が画面から聞こえてくるようだった。
原作ファン視点では、主人公3人組+ユニコーンの可愛らしい日常や天城と一航戦の絡みなど「これが見たかった」というシーンもありそれなりには楽しめたが、トータルで見れば「凡作」の誹りは免れない作品だったと思う。
最初は「またブシロードが金に飽かしてなんかやってる、覗いたろ」ぐらいの気持ちであったし、1話の時点では「ペロッ……これは『ウテナ』と同じ匂い!一応3話まで見よう」という感想だった。
そこからあれよあれよと沼にハマり、5話のまひる回~6話のふたかお回で頭まで沼に浸かった。
ビジュアル面では、全編に渡ってまるで崩れない鉄壁の作画に加えて、作画・演出・挿入歌が一体となったレヴューが凄まじい出来。圧倒的な説得力を視覚と聴覚の両面から叩きつけてくる。
各キャラのアクションもさることながら、各キャラクターの心情を巧みに表現した楽曲と、その楽曲の盛り上がりと連動した破天荒な演出の上手さが素晴らしい。
特に6話の「約束のレヴュー(花咲か歌)」、8話「孤独のレヴュー(RE:CREATE)」は圧巻。何度でも見れる。
9人の舞台少女には個性、魅力、そしてどこか応援したくなる『隙』があって、全員を好きになれる。
個人的な「推し」はななだが、何なら「全員好きだ」と言ってもいいほど。
「バトロワ」系の側面を持ちながらも、少女たちが互いを過剰に敵視することなく、自分の心に抱えた悩み、歪みをレヴューを経て昇華し、作品全体のキャッチコピーである「アタシ、再生産」(=己を高める)を実践していくさまには、上述の少女たちの心情のビジュアル的な表現と相まってカタルシスと感動があり、単に「百合!関係性!尊い!」で片付けられない、エモーショナルなパワーを作品全体から感じた。
そうした彼女たちの強く、美しく、気高い姿は、作中の言葉を借りるならどこまでも「まぶしい」。
先人が『ガルパン』に感じていたものはこういう涼やかさだったのかもしれない。ガルパン知らんけど。
そんな少女たちの織りなす物語は、毎週僕を魅了してくれた。
熱心なファンの言う「毎週神回」という感想もとてもよくわかる。
単なる『ウテナ』のフォロワーにとどまらない快作。
これを読んでる君、こんな駄文を読んでる場合じゃないぞ!今すぐYoutubeの公式チャンネルで無料配信の1話を見るのだ!!!
「美男だけ」か「美少女だけ」がトレンドになりつつあるアニメ回に(ボクシングだけに)殴り込んできた泥臭いむせるアニメ。
「近未来、機械のプロテクター『ギア』を装着したボクサーの戦い『メガロボクス』が人気を博していた」という設定をハナから捨てるような、ジョーの「あえてギア無しでリングに上がり注目を集める」という設定がそもそも不満。
「ジョーの『ギアレス』設定から逆算して『メガロボクス』という舞台を作った」ようにしか見えないし、生身(=ジョー)に負けるメガロボクサーの格を間接的に落としている。
そもそも各選手のギアも「肉体の延長」でしかなく、ギアを付けたメガロボクスと我々の知るボクシングの違いが見いだせない。
もっと生身では出来ない、ギアだからこその超人的な動きや、「4本腕」など人体を逸脱したギアを見てみたかった。これなら一昨年の『アトム・ザ・ビギニング』の方がメガロボクス感がある。
「メガロボクスにあえて生身で出場して注目度を稼ぐ」という南部の意見は理にかなっているのだが、理にかなっていることと面白いことは別の話だ。
ストーリーは面白い部分もあり、南部の「立つんだ、ジョー!」のオマージュには燃えるものもあったが、
全体で見ると時間配分が歪で、サブキャラのアラガキや樹生のエピソードや、リング外のドラマに時間を取りすぎている印象。
ボクシングシーンはその割りを食ったのか淡白で見応えがなく、最終戦の勇利vsジョー戦も全然燃えない。
白都製の最新ギアを捨てて、勇利が生身でジョーとの決着を望む展開にも疑問符。
それ、メガロボクスじゃないじゃん。ただのボクシングじゃん。
先にも述べたとおり、ボクシングシーンは派手な動きもなく、ジョーが敵のパンチを耐えてカウンターで決めるパターンの一辺倒。
ボクシングアニメでボクシングがつまらないというのはダメでしょう。
「ギアの設定要る?」の一言に尽きるガッカリ作品。見どころもあっただけにもったいなかったな。
原作のキャラクターデザインを務めるredjuice氏のイラストが有象無象のラノベ作画になってしまっていることは不満ではあるが、情報量の多いredjuice氏のイラストをアニメに落とし込むことはまず不可能であることを考えるとこれは不満ではあるが許す気になる。
問題は、全体に作画の質にバラつきがあることと、作画を別にした絵面の地味さだ。
作画は全体的に質が低めで、アップのときはかなり良くなるのだが、それ以外は雑。放送延期を経て作られた「Final Stage」でもそれは変わらず、主要キャラであるはずのメトーデやスノウドロップが、中割りではなく止め絵でグズグズな作画になっているのを見た時には乾いた笑いが漏れた。
ディオメディアという会社のキャパシティの限界を超えていることが、画面を通してありありと感じられた。
作画とは別に絵面も地味で、特に戦闘がつまらない。
レイシアはアラトに状況説明しながらブラックモノリスから凄いビームを撃つばかり。
格闘戦メインの紅霞とメトーデはまだいいが、距離を取ればやることはデバイスを使った射撃ばかりで、エフェクトも地味かつダルダル。
設定を考えれば納得ではあるのだが、全体にレイシアが万能すぎてバトルに緊張感がないのもつらかった。
SFの要であるシナリオは、ところどころグッとくる場面があって、原作の素晴らしさの片鱗が感じられる。
だが、全体的にアニメとしては台詞が多く、さらにどのキャラクターも言い回しが難解なため、聞き逃したり、意味がわからなくなるたびに巻き戻さないといけないのは煩わしかった。
いきなり「わたしは、進化の委託先(アウトソース)としての道具」とか「お前には行動の白紙委任が必要なんだろ!」とか言われても、理解できずに台詞が耳を通り抜けてしまう。
止め絵で「長々とキャラクターが喋っているだけ」になっている場面も多く、絵的に退屈なシーンもいくつかあった。
キャラクターは、マリアージュを除くレイシア級はそれぞれいいキャラではあるのだが、台詞の難解さもあって「最終的にどうしたいのか」がわからないことが何回かあった。そもそも5人が掲げる存在意義(「人間との競争に勝つための道具」「人間の拡張としての道具」など)の意味がいまいちピンとこないため、求める結果と行動のつながりがますます見えにくい。
不満を通り越して「癇に障った」のはユカ。
ユカは劇中において「レイシア陣営のボトルネック」でしかないくせに、空気を読まずにピーピー甲高い声でわめいたりわがままを言ったりアラトを困らせるばかり。劇中において何らかの役割が用意されているわけでもない。そのくせ目立とうとする。
もうね、ぶっちゃけるとこんなに殺意が湧いたキャラクターは久しぶりでした。
けど、一番やばいのは2クールで総集編4回+特番1回という前代未聞の事態ではないだろうか。
4回の総集編とか『SEED DESTINY』でしか見たことなかった。BEATLESSはそれを2クールでやっちゃったから種死よりもヤバいやつだったのでは…?
画面を通してディオメディアの「もう限界だ!」という悲鳴が聞こえてくるようで、面白い、つまらないの前に「いたたまれなかった」作品。
原作の面白さの片鱗は伝わってきたので、原作はチェックしようと思います。
視聴前は「どうせ『びんちょうタン』みたいなアレじゃろ…」と思っていたが、見てみるとこれが面白かった。
登場人物のひとりひとりに生活感があって、ビジュアルのファンシーさに反したいい意味での「生々しさ」が最近のアニメの中では新鮮だった。
特にメインキャラクターの二人は記号的なキャラ付けにとどまらない「多様さ」があり、様々な側面を見せてくれるのが面白かった。
そんな彼女たちの、世界の危機とは無縁だがそれなりに起伏ある日常の描写は、うまく言い表せないのだが毎回楽しませてくれた。
「ここがすごい!」という一点突破の面白さはないものの、毎回安定感があって安心して見られた、日常アニメの名作。
心を揺さぶるような大作アニメに疲れたときの清涼剤になってくれた。