レオくんが俺TUEEEだけじゃなくて、フツーに1000年後の世界秩序に付いてけなかったりショタ化したりして劣化してるのバランスいいですね
ここぞという時以外は、やりすぎも含めてポンコツなのかわいい
そして、リーセリアさんの「聖剣がなくたって…私がレオくんを守る…!」って、星刻の竜騎士OP「聖剣なんていらない」じゃん
ぜったぜったぜったぜったぜったぜったぜったぜった!!!!!!!!!(異世界転生アニメ全盛時代において、石鹸枠を彷彿とさせるせまつかが、石鹸枠の由来でもあるこの曲をイメージさせる台詞を出してくるの勝手に灌漑深くなる)
リーセリアさんがアンデッドになったのも、「聖剣なんていらない」の「ぜったぜったぜったぜった離さない、死んでも君だけの騎士《ナイト》でいる」って歌詞と符号するじゃん!!!
喜翆荘での時は少し遡って、夏のこと。緒花は豆じいの昔の業務日誌の中に、母・皐月のことを見つける。それは皐月もまた「私、輝きたいの!」と言っていたという、緒花の知らない母の姿だった。
当時の皐月は高校3年生という、まさにこれからどんな大人になっていくのかという、人生の中でも一番未来に満ち溢れている時期。そんな若さ故か、「こんな古臭い喜翆荘を飛び出して、東京の大学へ行きたい!私、輝きたいの!」と母、もとい女将に啖呵を切っていた。
そんな今の緒花以上に勢いと情熱にたぎっていた当時の皐月だけれど、冷静になってみれば、自分が具体的な夢もなくただ「輝きたい!」とのたまっているだけのバカバカしさも理解できていた。突っ走るにしても、どこへ向けて駆けていけばいいのか分からないような、そんな状態でもあった。
だけど、そんな皐月の姿でも「輝いている」と言ってくれた人もいた。喜翆荘に泊まっていたカメラマンの彼は「そうやってもがいている姿も輝いている」と言ってくれて、皐月もそんな彼がときめいて見えてしまったのか、突然としか言いようのない恋に落ちてしまう。
そんな皐月の恋は突然だけど、必然でもあったように思う。ただ輝きたいだけの自分に迷いを感じていた皐月にとって、彼の「もがいている姿も輝いている」という言葉は、「このままの道を進むことは決して間違ってはいない」というように聞こえていたのだと思う。だから、彼のことがそのまま皐月の夢の目指す場所にもなって、彼に恋をして、彼を追いかけて東京で編集者になりたいというカタチある夢の道を描くことができるようになっていった。
そんな母・皐月と在りし日の父のことが綴られた日誌を読んだ緒花。彼女が思うのは、「ママも最初から大人だったわけじゃない」ということ。それはすなわち「子どもの視点に映る大人」だけではない、等身大の母・皐月という人間だったように思う。
そして、緒花にとっては、今までずっと娘の自分のことを分かってくれないママだと思っていたけれど、その裏には大人なりの苦労や現実があるんだと知ることができた。そして、子どもの自分にはよくわからない仕事をしているママだけど、それだって今の自分と同じようにかつて夢見た末に掴んだ仕事なんだと見つめ直すことができた。
そんな母・皐月の本当の姿を知った緒花は、自分の夢の叶え方、自分が輝くための方法を母から教えられたようにも見えていた。今の緒花は孝ちゃんとの恋に迷い、自分の夢にも迷いを見せているけれど、それもこれも「大人になる」ために必要なステップ。そうやって、人生の酸いも甘いも知っていく中で、「自分の夢が何なのか」、「その夢の叶えるにはどうしたらいいのか」ということも分かってくる。
だから、今の緒花にできることは、ひたすらに「輝き」を求めて「ぼんぼること」。そして、それは菜子や民子にも同じこと。
菜子の子どもとして親に頼りたい自分と、親代わりに弟・妹の世話をする自分との間で、どうしたらいいかわからなくなってしまう姿なんかは、まさに子どもから大人へと変わりゆく境界の姿のように見えていた。
それに、民子が子ども向け・お年寄り向けの調理の工夫を見落として叱られてしまうけれど、それを教訓にして菜子の妹のためのお弁当を作っていた姿も、まさに経験あっての人生だと噛み締められるものだった。
そして、時系列は再び過去に戻って、皐月がお花の母になったばかりの頃。久しぶりに喜翆荘に帰って目にした母・スイの姿は、跳ねっ返りの高校生の頃とは違ったものとして見えていた。
そして、皐月は、喜翆荘という過去にしがみついてばかりだと思っていた子どもの頃の母親像は間違っていたと悟る。母もまた喜翆荘で女将という仕事を通して、未来や夢を追いかけているんだということを、皐月は自分も大人になって初めて気付くことができた。
そんな光景はまさに人生とは、ということを描き出していたように見えていた。高校生の皐月が夢と恋を追いかけて走る姿も、新米ママの皐月がお母さんに負けてられない!と小走りな姿も、現在の皐月のゴミ収集車を追いかけて走る日常の姿さえも、どれも同じ。その時々で理由は違うけれど、人生を走り続けていることに変わりはなくて、それこそが人生を輝くものにしていくのだという熱をもらえるようだった。
まさに笑いあり涙あり、萌えありお色気もあり、恋愛のすったもんだがあれば家族とのごたごたもあるし、夢も挫折も成長もある。ヒューマンドラマアニメの全てをやり切ったような作品でした。
ぼんぼり祭りに緒花は「四十万スイになりたい」と願う。それが意味するのは、「女将みたいに仕事に誇りを持って、一生懸命になって、いつまでも最初の夢を忘れない人になりたい」ということ。
そして、お祭りも終わり、若旦那・縁は喜翆荘を閉じることに同意すると決意した。しかし、「でもまたいつか再開したい、母さん…女将さんが喜ぶ旅館を作りたいんだ」という縁の言葉と、それに続いて自分もまた戻ってくるというみんなの宣言は、これは決して夢の終わりではなくて、これは夢の始まりなんだと思わせるものだった。
女将さんという夢を忘れずにずっとずっと走り続けてきた人の魂がこもった場所が「喜翆荘」であって、そしてそんな「喜翆荘」で働くことでみんなも自分の夢を抱く熱意と決意を得られる。それがまさに喜翆荘を「夢が生まれる場所」と言い表した緒花の胸中なんだと思う。
だからこそ、喜翆荘は一度なくなるけれど、みんなの喜翆荘をもとに生まれた夢はなくならない。むしろ、この「喜翆荘」を再び作り上げるために、みんな「ぼんぼろう!」とすることができる。そして、さらにそんな女将みたいな「ぼんぼってる人」が集まることで、それを追いかけて「自分も!」とぼんぼり始める人も出てくる。
つまるところ、それもひっくるめての「夢の生まれる場所・喜翆荘」。みんなが夢に向かって頑張って、人生を輝かせられるための旗印なんだと思う。それに、この「花咲くいろは」という物語だって、この軌跡を見つめてきた自分にとっての「ぼんぼろう!」と駆け出すための旗印の一つとして、記憶と心に刻まれていた。
ぼんぼり祭りが目前というのに、喜翆荘はそれどころではなく。みんなの大好きな居場所である喜翆荘を終わらせたくないと意地でお客さんをたくさん取り、みんな手一杯ギリギリで働いていた。それもこれも「ここしかない」という思い故の切迫感だったように見えていた。
だけど、緒花だけは少し様子が違っていた。「みんなは確かに頑張ってるけど、それはぼんぼってるのとは違う」という言葉がまさに的を得た言葉として聞こえていた。みんなは大好きな喜翆荘のことを守ろうとしていて、それによってみんなも喜翆荘も変わりつつあるけれど、緒花にとってそれは「大好きないつもの喜翆荘やみんな」とは別の姿のように感じていた。
そして、そんな緒花のことを構ってられないと旅館仕事にかかるみんなだったけれど、だんだんと回しきれない仕事を前に言い争ったり、喧嘩したりしてしまい。少しずつ今の喜翆荘は何か違うと気づき始めた。
それは、まさに緒花が示唆したような「自分の本当の夢の形」を見失っていたのだと思う。みんな誰も喜翆荘のことが大好きだけど、それは喜翆荘で楽しく一生懸命に働くことが好きなのであって、決して喜翆荘のために争い合うことが好きな訳なんかではない。
大事にしなきゃいけないのは、一人一人の自分の思い。どうして何のために「自分のこの夢」を叶えたいのかと真っ直ぐ見つめてみなければ、その夢もまた叶いはしない。今の喜翆荘のみんなは、「喜翆荘を残す」ことばかりにがむしゃらでどんな喜翆荘を残したいのかやどうして喜翆荘を残したいのかということを忘れていた。
そして、それをみんなに気づかせたのが、女将だった。女将が女将ではなく、一人の従業員・スイとして仲居仕事の助けに入ったのも、その「一人一人の思い」を見つめ直さなければいけないということをみんなに示していたように見えていた。そして、旅館仕事に一息ついたところで、「ぼんぼり祭りに行くよ」とみんなを連れ出したのは、まさに「みんなそれぞれが夢見る未来の喜翆荘」へ導くためだったのだと思う。
悪役令嬢フォーマットのアホノリコメディをやりつつ、宮廷フォーマットの知的さと優しさで国の立て直しもやるのなかなかハイレベルな展開わね
ミーア姫は基本というか根っからのアホなので、あくまでも知性ってのは実際は転生(死に戻り)による未来視なのでだけど、テンプレを駆使した置き換えも上手いと思う
「報われない片思いだからこそ、次の恋を探すもんなんだよ」という皐月の言葉は、娘の緒花はもちろん、民子のことも決意へと導く象徴として聞こえるものだった。
特に、民子は徹さんが緒花に取られてしまいそうなことが不安で憎くて、自分の本心とはちぐはぐな八つ当たりをしてしまっていた。だけど、徹さんの口から「緒花のことは好きなのかもしれない…、明るくてワクワクさせるような…。でも、民子のことも見ててハラハラする」と聞かされて、民子は確かにこの想いは叶わないのかもしれないけれど、それでもこの想いを徹さんは見ていてくれているという嬉しさも得られた。
それは、民子にとって、自分の想いがただの報われない片思いじゃなくて、叶わないかだれど報われはする片思いなんだということを意味しているのだと思う。だから、民子はもう自分の想いを投げやりにしたりしない。この恋心と本気で向き合って片思いし続けると決意を新たにすることができたし、それによって板場での迷いも必然的に消えていったのだと思う。まさしくラブパワーだった。
また、緒花も緒花で、民子がどうとか徹さんがどうとかといったことに迷わず、孝一への片思いをすると宣言した。そんな二人の片思いの決意には、縁と崇子の結婚式と同じものを感じた。叶った恋と叶わない恋という違いはあれど、どちらも今までの自分の延長線上にありながら、新たな自分自身の出発点になる。迷った弱い自分を捨て去って、まっすぐに強い自分になるきっかけにそんな恋の区切りがあるのだと思う。
1話から2回も泣いちゃった……
この広い宇宙の中でフツーじゃない私を見つけてくれた宇宙人さんと巡り会えたことに運命めいたものを感じて、胸が熱くなってしまう
恋が喜翆荘に秋の訪れを告げていた。
何よりまず縁と崇子が結婚するということで、緒花の一言でこの喜翆荘で結婚式をやろう!ということに。
そして、女将も亡き夫と二人で受け継いだ旅館がこの女将・スイを喜ばせるための「喜翆荘」なんだという話をして、崇子に「どうか縁のことをお願いします」と頭を下げる。「本当の一人には絶対にさせない」という約束である結婚は、女将にとっても本望のようだった。
その一方で、別の恋の話もあり。徹さんが結婚式の宴会料理に意気込む中で、民子はいつになく彼が自分を気にかけてくれたことが嬉しくて仕方なかった…、はずなのに。次に口を開けば、徹さんは緒花が…緒花が…と。
そんな中で、民子は何のために徹さんの前で板前修行に励んでいるのかすら空っぽになってしまったように見えていて、そんな姿を徹さんにも叱られてしまう。そして、その果てに民子は緒花に八つ当たったと思えば、「徹さんと付き合ってあげて……!!」と激昂したりと、ぐるぐるとぐるぐると迷ってしまっているようだった。
回想の悲壮感とそこから今に繋がる決意の描写の雰囲気感がなかなかすごい、ちょっとじーんと来ちゃったじゃん
レオくんはショタ扱いにご立腹な割には、あえて媚び媚びショタボイスで喋ってるじゃんね、無自覚のお姉さんキラーかこいつ
1話冒頭と2話冒頭を比べると世界観違いすぎてすごいな
劇中では数百だか数千年経過してるけど、視聴者目線で見るとむしろ5年くらい遡ってるんだよな(異世界→学園都市)