どこか光るポイントがあるのではと必死で探したけど、主人公のテンプレすぎる造形など諸々かなりきついものがあった… ふと浮かんだ「ワルキューレロマンチェ」、もノリ的にきついものがあったけど、光るポイントがいくつかあった点(脚本、劇伴、馬上槍試合「ジョスト」の迫力ある作画…etc)はやはりみどころのある作品だったな、と… 後半から盛り返すところもあるらしいのでもう少し視聴を継続してみようとは思う…
密度が濃い…アクションシーンの切れ味はさすが安藤監督ということになるのか。本作における監督と大島ミチル氏の相性の良さが「赤髪の白雪姫」にも継承されたと… 「関節がはずれた世界」で「復讐と魔法を巡る、時間と空間を越えた闘いが始まった」というセリフも良い感じ。
謎の子供達と彼等を追う刑事、そして孤児ヘルガ――目的も場所も異なる三つの視点が交互に描かれ、一つに収束し多くの謎が明かされていく過程の面白さが大きな見所。その中で切実に描き出されるヘルガの感情の機微と壮大な人生、それを完璧に伴奏する上野氏によるメインテーマが鮮烈な印象を残す作品。
3つの視点を交互に描く(海外ドラマでは度々見かける)手法が魅力的な作品。序盤はとにかく謎、謎、謎の連続。例えば、小松左京の「果しなき流れの果に」、のように場所がオランダから東南アジアに飛んだり、時間が一気に100年後に飛んだり、とにかく出だしのスケール感の大きさと謎の畳みかけに圧倒される。登場人物達が皆、何か重大な事実を目の当たりにして表情を引きつらせながらワナワナと震える光景が執拗に描かれるのが実に印象的だが、見ているこちらには一体それが何なのか、誰が敵で誰が味方なのかもまったくわからない。しかし、そのわからなさが本作では退屈につながることはなく、むしろ壮大な謎が明かされる瞬間への期待が先の展開への大きな興味となって視聴を駆り立たせてくれる。この辺は、語り口の手法も含めて本作のストーリーが持つポテンシャル(質)が高い、ということなのではないかと筆者は考える。
制作が日本アニメーションであることがやはり大きいのだとは思うが、本作の世界は、同社が手掛けた「世界名作劇場」のような優しい空気感を持っている(映像の質感も優しく、それでいてすっと心に切り込んでくる強さも備えており、この年代のアニメのこういった側面は確実に強みであり、アニメの底知れない魅力の一因としても大きなものであったな、と)。だからこそ、その中で描かれるSF的ガジェット(や展開)の異質さがより際立つことになり、ここを筆者は大きく評価している。一例として、レイアウトの巧さも大きいが、飛翔物体を描いたシーンなどは見ていてワクワクするものに仕上がっいる(11話など)。
とにかくヒロイン・ヘルガの際立った存在感、キャラ造形の巧さに尽きる作品なのではないかと思う。
森康二氏による繊細な表情や感情の機微を描き出す渾身の作画がアニメのキャラに魂を与えた、などともいわれる名作「太陽の王子ホルスの大冒険」のヒロイン・ヒルダは、葛藤する切実なヒロイン像の雛形のような存在として度々語られるのを目にするが、「世界名作劇場」の各シリーズで繰り返し描かれたヒロイン達も含め、ヘルガはこうしたヒロインの系譜に名を連ねるキャラクターになるのではないか、などと思ったりもするのである。どこか影のある少女が徐々に心を開いていく過程が感動的だが、そこで彼女が見せる仕草や表情が心に強く迫る印象深いものになっているのは、脚本と作画の良さがあってこそのものではないだろうか(この点では6、8話を注目話数として挙げたい)。
2017年現在放映中の「魔法使いの嫁」で監督をされている長沼範裕氏は本作にスタッフとして参加していたが、この作品では、ヒロインのキャラ造形(と不気味な容姿のキャラとの関係性)、劇伴、自分の居場所を見つけるというテーマ、といったあたりで本作からの影響を感じさせるところがある(不気味な容姿のキャラとの関係性、では、本作における少女とソランの出会いの下りが非常に秀逸であるし、自分の居場所を見つける、といったあたりでは8話と11話が素晴らしいので是非注目していただければと)。「魔法使いの嫁」の世界観にピンと来た方は、もしかしたら本作にも大きくはまれるのではないだろうか。
※14話の総集編は飛ばさずに観た方がよいです。
映画かこれは、という脅威のクオリティで2012年当時、何故これを割と普通に観ていたのだろうかと… 大島ミチル氏の規格外のゴージャスなオケ曲を背景に展開する物凄い情報量の多さでぶっとんだ話にあっけにとられながら、最後のオチの締め方が綺麗で見事。
正直、劇伴はもうちょっと抑えた方が効果上がるかな、と思わなくはなかったけど、(良いのか悪いのか)曲が良いのでそこに浸れてしまうところはある… レイアウトとかコンテの良さも感じるし、これは2クールさほど苦にならずに観れてしまうかも…