最後のレースをどう飾るか、ライバルはどう送り出すか、観客はどう見届けるか
訪れた一つの終幕へそれぞれが全力で臨む事は変わらない。でも臨む意気込みが変わってくる
志したお祭りそのものにはならなくても最高のレースにする。そのようなキタサンの願いの影響を誰からも感じた最終回となりましたよ
キタサンを彩る特別衣装は格好いい上に彼女が背負うGⅠ6勝という輝かしい栄光を表しているかのよう
それを着込む彼女の覚悟は充分に固まっている。ならライバルや観客の覚悟はどうかと言えばそれも問題ないようで。キタサンが去るからと容赦したりせずライバルは走り、観客は声高くエールを送った。それらが合わさった時にスターが輝くステージへと変貌するね
誰もが声援を送り、キタサンがそれに応える。ラストランであろうと変わらない関係
そうして作られたお祭りはこれまでで最も輝きを放ったのではないかと思える程。キタサンがピークを過ぎてからも気力を絞って走ったから作られたもの
スターの終幕を有終の美として飾る。それが実現したステージはとても尊い想いが沢山詰まったものと感じられましたよ
以前に発表された実写映画は見た事がなく原作も知らず。事前情報がほぼ無い状態で今更鑑賞
原作小説が発表されたのが1984年である点が関係しているのか、根底にあるフォーマットの古さをほんの少し感じてしまうものの、恋愛物語としてはとても良い作品に仕上がっているとも感じられたよ
運命的な事故から出会ったクミ子と恒夫はジョゼと管理人という役柄に拠って結びついていくね。ジョゼは車椅子に乗りながら外の世界に憧れる女性として、管理人は外の世界からやってきた男性として
クミ子は絵を描いたり想像する事でしか外の世界を味わえなかった。そんな彼女を恒夫がジョゼから見た世界がどのような色をしているか知りたいからと連れ出してくれる構図
これだけを見れば、クミ子にとって恒夫はとても都合のいい男だね。祖母から匿われ高飛車な臆病者になっていた彼女を導いてくれる
様々な場所に行って、様々な体験をして、友達も出来て…
恒夫が居なければクミ子がそれ程の体験を一人でするのは難しかったかもしれない
でも見方を変えると、やはり恒夫はクミ子にとって外界の人間に過ぎないわけで
恒夫はクミ子のように何処へでも行けるし、海にも潜れるし、沢山の友達が居る
ジョゼと管理人の立ち場のままでは2人は世話される者とする者という関係性を乗り越えられない。外界に居る恒夫は更に外の世界にも行けてしまう。対して世話されるクミ子は恒夫の交友関係には混ざれないし絵の仕事だって満足に出来る気がしなかった
それでもクミ子がジョゼとして恒夫の傍に居る事で沢山の勇気も経験も貰えたのは事実だったのだけど…
クミ子を守っていたもう一人である祖母が亡くなった事でクミ子の日常は一気に崩れ去るね。彼女が外の世界を拒めたのも、外から安全そうな恒夫を呼び込めたのも全ては祖母が居てくれたから
彼女を守る人が居なくなってしまえば、クミ子は強制的に自立を求められて、自立できないならヘルパーが必要という話になって。それは自分の夢をどうこう言える立ち場ではないと告げられたようなもの
既に自立して自分の夢を掴もうとしている恒夫とは雲泥の差となってしまうわけだ。それを間接的に健常者とそうでない者と表現するなんて、クミ子がその内心に何を抱えていたかが見えるかのようだったよ……
そのタイミングで恒夫が障害者と成りかねない大怪我を負ってしまうのは運命の悪戯としてもあまりに酷いと言いたくなるもの
でも、この境遇を味わう事に拠って恒夫はクミ子から見た世界がどうなっているのか、彼女が抱える夢への難易度を知る事が出来る。一方でクミ子は恒夫がもし歩けなくなったとしても夢を諦めて欲しくないとの想いを自覚できた
あの一件は2人の想いを大きく揺さぶるものとなったね
そうしてジョゼが作り上げた絵本は素晴らしいものに
恒夫をどう見ていたかが判るようになっている点も良いのだけど、個人的には貝殻の役割に感銘を受けたり。
貝殻には別の願い事をしてはならなかったけど、翼有る男性への願いは良い事として人魚を肯定される
これをクミ子と恒夫の関係に落とし込むと、貝殻は絵に相当するのかな?クミ子にとって絵は趣味で出来れば仕事にしたいもので自分の為のものだった。けど、傷ついた恒夫の為に使った時にクミ子の絵は意味を持ち、恒夫を再び歩かせる原動力となった
でも絵本にて二人の道が分かたれたように、既にクミ子は恒夫との別離を覚悟していたわけで。絵本がクミ子の想いそのものなら人魚のようにクミ子は海の底へ戻っていかなければならない
でも、やはりそれは絵本の話なんだよね。クミ子の絵に勇気を貰った恒夫の想いまでは含まれない。何故ならそれをクミ子は知らないから
最初に出会った時のように運命的な再会をした2人が交わすは思いの丈。雪景色をバックにした告白シーンはとても美しいものでしたよ…
そう思えただけに、巡った桜色の季節にて夢と恋を叶えた2人が仲睦まじく過ごす光景には余計に感動してしまったり
成り代わりと遭遇し、手元では卒業生相当が潤った。遂に準備は整ったと始まる神殺し作戦はかなり大規模になるようで
相手が常識を超えた存在なら、こちらも常識を超えた作戦を。立案者の夜宵が規格外なのは既に証明され尽くしている。そんな彼女に付いていくなら、螢多朗も詠子も規格外になる事が求められるわけだ
螢多朗はその身で出来る精一杯の遣り方という感じだったけど、詠子は監視カメラに加えて無限修復人形を考案する事で規格外に。ていうか、彼氏の家にノリノリで監視カメラを取り付ける彼女って嫌だなぁ(笑)
でも、そこまでする事で2人も規格外になれる。夜宵の神殺しに同行可能な常識外れの存在になる
夜宵達が神に対抗できる陣容になった他方で描かれるのは愛依の境遇か
神に魅入られた為に無限の恐怖に引きずり込まれそうな愛依。常識の中に居た筈の彼女に襲いかかる常識外の災厄。これに夜宵がどこまで応えられるのか…
いよいよこれから常識外れの戦いが始まると予感させるタイミングでアニメは終了。原作付きの宿命と言ったらそれまでだけど、出来ればこの続きもアニメで見たくなると思える終幕でしたよ
それっぽい感想を述べる事は出来るかもしれないけど、流石にこの内容への感想は実際に現地に居た人や前々からミリマスを推してきた人の熱量や感動には負けてしまうだろうなぁ
それくらいこれまでミリマスという作品を応援してきた人達への感謝と愛情を感じる内容だったよ
それでも何かを述べようとするなら、この最終回もバトンを繋ぐという点を意識した描写が幾つも見られたのは良かったな
そもそも次々にアイドルが登場して曲を歌い繋ぐという点がそれだし、あのような素晴らしいステージに到るのもこれまでのデビュー活動でアイドル達の頑張りが後に続く者達への指標になったという点も上げられるだろうし
極めつけはやはりトラブルの瞬間だろうね
これまで繋がっていた全てが理不尽に途切れてしまった。バトンは繋がらず終わる雰囲気
だというのに、曲が途切れても歌って繋ぐ杏奈達、音が途切れた時間を拍手で繋ぐ観客、暗闇に支配されそうな空間を灯す幾千の灯
これこそがシアター組が形作った新たなバトンの形であり、彼女達の輝きの象徴であるように思えたよ
というか、それぞれの楽曲が持つパワーやそれを歌い上げるアイドル達の様子はどれも素晴らしいものだったね
贅沢に最終回の殆どをライブ描写でやってのけた本作。彼女達のこれからの活躍も見たいと思わせる魅力が詰まったものとなったよ
猫猫が処刑の関係に名を連ねるなら、責任者として情を挟まず処断するのも、情に拠って見逃すのもどちらも正しく出来るのが壬氏
それ以前に、人として彼女の想いに寄り添うなら後宮に留めるべきか?
壬氏は猫猫にどう接したいか、彼女をどう扱いたいか?命令する者とされる者という身分の境があった2人の関係を問う話となったね
様々を考慮して盛大に悩む壬氏に対して、猫猫の悩みは何処かコメディ寄り。本人にとっては至極真面目なのだが…
壬氏は「どうしたい?」と身分を越えて猫猫の意志を尊重しようとしたが、猫猫はこれまで通り身分に頼る。ならそれを変えようとする壬氏が手放すのは当然の話で
どちらにも望ましい結果とならないのはディスコミュニケーションの典型か
そんな二人の再会は妓女と宦官という別の身分が存在する場
接客と賓客、命令を下すのではなく会話で饗す関係性。だからか後宮では交わされなかった言葉がスイスイ出る
壬氏は猫猫の想いを察せられなかったが、猫猫も言葉が足りなかった。肩の荷が下りたような壬氏の挑発はこれまで通りだけど、これまで以上を感じさせたよ
壬氏が猫猫を変わらず受け入れるなら、今度は猫猫が我をどう断ずるかの話になる
関わりたくない後宮、花街と対して変わらぬ鳥籠。全てを飲み下した猫猫が選ぼうとしたのは良い意味の現状維持かな
……だというのに、冬虫夏草に釣られ我を忘れる猫猫は本当にしょうもないなぁ(笑)
クラフトが長寿に依る弊害を描いたなら、今回のフォル爺は長寿の末期における侘しさを描くものになったような
永く生き過ぎて知り合いも少なく、話す相手も無い。大切にした者は自分の中ですら朧気。それでも何かを大切にした人生まで損ないたくないから大切にする行為を続ける
フリーレンがいずれ到る領域がそこに有る
死者との約束を守るフォル爺の話を聞いて短命のヒンメルは何を思うのか…
その時は判らなかったろうけど、ヒンメルの記憶を忘れない今のフリーレンならそれを察しているのだろうね
無駄なシーンだって含まれるだろう彼の記憶、でもフォル爺に比べればきちんと覚えているだけ幸福で
思い出せない記憶に縋り続けるのはどんな気持ちなのだろうね……
記憶は覚えていても整理しないとごちゃごちゃになる。その意味では魔王討伐を忘れてしまったフォル爺は哀しいけれど、それこそ彼にとって無駄な記憶だったのかもしれない
フリーレンという同じく悠久を生きる友との再会を経て、大切な人に夢を通して出逢えた。それこそ大切な記憶は決して失われないという証明となったように思えるよ
ザインの友ゴリラはインパクト大な分、多くの記憶に残る。それは歴史に名を残すだけでなく、後から追うザインにも道標となるね
ザインの中で友の記憶は失われない。フリーレン達と旅をしていても揺るがず有り続ける
現状維持か、過去の為に未来を選ぶか。ザインはこの選択とどう向き合うのかな?
自分の望みを口にして呪いから脱したフィロメラが次に行うのは呪いからの完全解放か
彼女にとって呪いとは祖母との繋がりから生まれた束縛。フィロメラがしたのは祖母の言葉を否定し、自分は何者にでも成れると証明する事
そんな最終回は彼女の明るい未来の予兆が感じられたよ
フィロメラは呪いまみれの窮屈な家で過ごしてきた。呪いから解放された彼女が放り出されたのは果てのない銀世界。何をしろと要求されるでもなく、何をしてもいい自由な場所
チセのようにツリーの飾り付けやクラッカーをしたって良い。彼女と居ればフィロメラとて何でも出来る
でも何でも出来るのは時に悩みにも繋がるようで
チセは今回の一件で大きな力を振るった。フィロメラという友を助ける為にそれ以外を犠牲にした。他者の死を誘発した点、そして今のチセが不安定になり始めている点は気になる処
自由に成り過ぎてしまったチセだからこそ、自由の使い方に関する悩みと不安は尽きない
でも悩みがあるのと自由が有るのはやはり似ている話で
ポプリに使う布を決められないフィロメラ。それはそれで本人にとって大変な悩み
でも沢山悩んで良いなら、彼女にとってそれは楽しい自由な悩み
カラフルな布が目の前に広がり、自分を心配してくれる友が居る。最後に浮かべた笑みが何よりも彼女が手にした明るい自由を象徴しているように思えたよ
キタサンの引退は多くのウマ娘に影響を与えたようで
GⅠ6勝という大成果を見せつけての引退、彼女に勝ちたいと思っていた者達にとってそれは奮起の機会となるようで
寂しさより燃えるレースを。それはキタサンを送り出す何よりも花束となったね
キタサンの引退まで残り2戦、それは彼女と競い合える残り時間でもあるね
だからドゥラメンテは間に合わないと悔やみ、商店街の者達は笑顔で送り出そうとする、クラウンも勝負を楽しもうと意気込む
他方でキタサンが去る事に異なる感傷を抱いたのがシュヴァルグランとなるわけか
シュヴァルはキタサンが居た為に栄光を掴めなかった。でも裏を返せば、彼女と常に競い合ってきた間柄とも言える
今回のレースにてシュバルはやっと勝利を掴むわけだけど、彼女の苦難の物語においてキタサンは欠けてはならないピースだった。キタサンが居たからこそシュバルの物語は願いを成就させた瞬間に最大限の輝きを放つ
シュヴァルがレース中に述べるはキタサンへの惜別であり餞。彼女と競ってきたライバルとしてシュヴァルは彼女へ感謝を伝える役目となる
けどその美しい光景は同時に熱狂に浸れる時間が残り少ないとキタサンに教えるものでもあり…
沢山の想いを向けられたキタサンはラストランというお祭りの場でどう返すのだろうね?
子供達を恐怖のどん底に突き落とす教師の悪霊。でも蓋を開けてみれば、彼はむしろ被害者だし、彼の怪異で本格的な害を受けた者も居なかった
この学校の怪談は彼の恐ろしさを伝えるより、他者の悪意に拠って狂わされてしまう者の悲哀を感じられたかな
その分、事態の元凶たるドロシーの悪辣さが目立つ目立つ
でも、そんなドロシーを倒すのではなく騙す事で今後の余地を生む夜宵は一枚も二枚も上手。自身の目的である空亡だけでなく、同級生への報復へ繋がる道を残す
悪霊は恐ろしくても、怖がらなければ遣り様は有るという事か
前々から思い続けてきた点だけど、恐怖を使いこなす夜宵は悪霊以上に恐ろしい存在だよ
別個に仕事したりデビューしたりな流れだったから、不安になるのが一体感か
ここで彼女らの始まりである手作りライブを引き合いに出しつつ、一緒に居られる場所としてシアターを挙げるのは良いね
チームという括りは有っても、彼女らは一つなのだと感じられたよ
アイマスアニメ伝統の合宿によって、改めて一体感を感じ直すのも良き
別々に活動してきた彼女らがシアターでの生活を通して自分達は繋がった存在なのだと思い出す。それはこれまでの自分達が繋がっていたという点だけでなく、これからも繋がっていられると認識させるもの
だからか、公演当日に不安感を抱く者は少ないようで。むしろこれからへの期待感に胸が膨らんでいたような
そういった感覚を背景としてか、始まった公演も不足のない素晴らしい始まりに。これは次回もライブ描写が続く感じかな?
それはそれとして、入場時にオーラを振り撒いていたのは誰……?
猫猫が語る真実は風明が隠したかった想いを詳らかにするもの。これまで彼女が隠してきたのは明かされると不都合があるから
通常、犯人が隠したがるのは犯罪者の正体なのだけど、風明が隠したかったのは阿多妃への忠信への曇りだね。過ちを曇りと結びつけたくないあまりに阿多妃に仕え、己の犯行を隠した
過ちを犯した風明に真実を突きつける猫猫は探偵然としている
でも彼女は本当の探偵ではないし、彼女が真実を明らかにするのは羅門の過ちの後始末も含むもの
だから猫猫は風明を問い詰めつつも彼女の想いを尊重する遣り方を提示できる
でも、それが正しい行いだったかなんて猫猫に判る筈もない
自分の行いを誇れないのは猫猫だけではないようで
自殺した下女、里樹妃を毒殺しようとした風明、皇帝の妃を続けた阿多妃、泣きぬれる壬氏
誰も彼も己の行いに疑問を持ちながらも、今の行いを続けるしか無い
その意味ではひとりごとの形とはいえ、それぞれの真実と過ちを推量できる猫猫は特別な存在かもしれない
最後に猫猫がひとりごとにもならない憶測として披露した推理は真実かもしれないし全くの過ちかもしれない
兎に角、猫猫は発見を口外せず場から去る事で己にも他者にも過ちとならないよう対応しているね
それだけに彼女が最後に見た光景、阿多妃と里樹妃の心温まる交流だけが過ちを含まない真実に思えたよ
少しずつパーティに馴染み始めたザイン。出会った当初は生臭坊主と思われた彼も前回にて年の功を見せ、今回は女神魔法を介した呪いへの耐性も見せた
彼はパーティに欠けてはならない者になりつつ有る。それでも戦闘時に万全の信頼を懐き合えるレベルではない
Aパートはその関係を一段階上げるものとなったね
呪いに因り戦えるのはザインだけ。起こせと言ったフリーレンも頼れるか判らない
信頼無き関係でザインが信じたのはむしろハイターの言葉かな。ハイターは信頼よりフリーレンの言葉を信じ、そうして魔王を倒した
彼に大人の姿を見るザインも彼と同じようにフリーレンの言葉を信じた
それにより彼はこのパーティでやっていく方針を掴めたように思えるよ
息子として過ごすなんて普通は家族としての信頼がなければ成立しない。シュタルクがしているのは形だけの真似事。父子のように振る舞っていても、会ったばかりなのだから信頼なんて生まれない
そんな2人が共通言語と出来たのは不器用さかな。どちらも父子への振る舞いに後悔がある
シュタルクは養父に、オルデン卿は実子に。思ってもない言葉を言ってしまったと悔いている
だから最後まで2人に信頼は生まれないのだけど、互いに後悔がある事実がシュタルクにアイゼンのもとへ帰る決意をさせ、オルデン卿には次男を育てる決意をさせる
信頼はなくても2人の願いは尊重される。心温まるEPとなったね
本心からの望みを声に出せた事でフィロメラの呪いは解かれた。また、アルキュオネも人狼も本来の己と役割を取り戻した
でもそれが一足飛びに彼女らの幸福を約束してくれるわけではない点が彼女らの境遇の難しさを教えてくれるね
でも呪いは幸福の為に利用できる。そう感じられるEPをだったかな
呪いが有ってもアルキュオネはフィロメラに付き従ってきた。呪いが解かれた後でも彼女の役割は変わらず
人造精霊にとって役割は呪いのようなもの。でも記録する役割も与えられた彼女にとってその呪いは温かいものだから、フィロメラに愛の記憶を返す事ができ、またアルキュオネの喪失はフィロメラの涙を誘うものになる
そんなアルキュオネから生まれたアダムの呪いが愛ではなく憎悪で構成されているのが哀しいけど…
空中を飛び回り蔦を切り刻むモリガンでも異邦の神を滅ぼす役割はない。その役割を持つのは呪いによって魔術書との繋がりを持つフィロメラとなるわけだね
又、チセの自分を使う行為も以前は呪いのようなものだったが、今回は有効活用
それぞれが呪いを上手く使って状況を逆転させようとしている
呪いは彼女らを縛り付けてきた。でも、役割に沿って活用すれば呪いでありながら何かを解放し、何かを与えられる土台となる
これまで俯いていたフィロメラが祖母の呪いから完全に逃れる為に、また友達を助けるために顔を上げて戦おうとする姿は良いものだね
チセとフィロメラの共闘は、これまで様々な雁字搦めが有った物語を打ち砕くクライマックス感に溢れていると受け取れる内容だったよ
サザエさん時空みたいな作品で若手に属するキタサンがピークなんて概念を迎えると思わなかった…。でも思い返せばゴルシのピークが布石となったのか…
キタサンの突然のピーク、受け入れ難いけどその時が来てしまったという事なんだろうね
自分にはもう伸びしろは無い。その中で果たして何を成すか?という点が問われたわけだ
ダイヤから凱旋門賞に誘われ、ドゥラメンテの心意気に触発され、飛躍を志していたキタサン。けれど彼女は宝塚で大敗し。その後のトレーニングも思うような感覚を得られない
何かが足りない、何かが届かない。そんな彼女のモヤモヤにしっくり来る答えがピークだなんてね…
ゴルシはピークを認めて移籍を発表した。ならキタサンはどうするのか?無茶を承知で凱旋門を目指すのか、それとも諦めを選ぶのか?
そこで自分の夢よりも商店街の人達の願いを優先するのが彼女らしいね。お祭り娘としての矜持は応援してくれる人達を喜ばせる為の道を選ばせるわけだ
けれど肝心のレースはやはり思うようにいかず
クラウンとの激戦を制してG16勝目という栄光を手にした。けれど、そこに彼女が志した楽しいお祭り感は皆無で
息苦しい泥臭さばかりが目立つその絶望的な勝利こそ彼女のピークの象徴と感じられてしまったよ…
エンタメホラーの定番と言えば学校の怪談が思いつくタイプなだけに今回のEPは怖がりつつ楽しめるお話となりそう
まあ、本作の場合はグロの度合いが容赦ないわけですが。子供が遭遇して良い怪異のレベルを越えているよ…
でもその容赦の無さが逆に本作を面白いものにしているのだから堪らない
夜宵に近づく成り代わりのドロシー。何かしら事情のある人形を抱えている点含め少しだけ夜宵に似た立ち位置に思える
けれど人命を尊重する姿勢が全く異なるね。夜宵はクラスメイトを守るつもりで居る。でもドロシーにそんなつもりはなく。というか、子供の身体に成り代わっている時点で子供にも容赦が無いタイプと判る
そんな彼女が目覚めさせる怪異は子供に強い恨みを抱く教師の霊
醜悪な虐めの果てに自死を迎えた先生は子供に危害を加える悪霊になってしまった。脅威の度合いは高くなくても無力な子供がこれと相対するとなれば、彼は醜悪な存在にしか見えない
醜悪な虐めが彼を醜悪な存在に成り代えてしまった
変質してしまった教師と学校、そしてドロシーの監視。怪談どころではない醜悪な環境で夜宵はどのようにクラスメイト守るのだろうね?
思春期症候群に悩む幾人もの少女に関わってきた咲太。それは一種のヒーローでありいわば救う側の人間として描かれてきたと言える。実際は救うというより寄り添ってきたという言い方の方が正しいのかも知れないけど
そんな咲太は前作『青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない』から引き続き兄として花楓の難局に寄り添い続けている
それでも全てが順調に進んでいて、あの麻衣ですら母親の想いと少しずつ向き合い始めている
そんな状況で咲太の前に提示されたのは母親との再会。でも、それとて話題の主となるのは花楓。久方ぶりの再会に緊張する妹に寄り添う兄という役割
それは問題が思春期症候群に悩む少女側にあるならば問題ない姿勢。だからこそ、咲太は自分自身の問題を放置していた点に全く気付かなかった。今作は咲太が知らず知らずの内に見過ごしてきたものを強烈に描いているね
咲太の姿勢って苦境に陥っている妹の兄としては正しいものなのだけど、意識するしないに関わらず兄として振る舞い過ぎるが為に自分を蔑ろにしてしまっている印象も受ける
咲太と理央が母親について語るシーンが有るけれど、そこで理央は自身の母親について母親になる事を拒み自分を保った人と語る。その考え方を転用すれば、咲太は思春期症候群を発症しかえでになってしまった妹を守る為に自分よりも妹を優先して兄になった人と言えるのかもしれない
咲太が半ば否定してしまった『自分』の中にはきっと母親の息子という立ち場も含まれているのだろうなと、今作を見ると思えるよ
世界から忘れ去られてしまったのは咲太に原因が有る。かといって咲太に回避できる可能性が有ったのかと言うと難しい話
というタイミングで今作はとんでもない光景を見せてくれる…
咲太が中学時代の行動を少し変えるだけで全てが救われる世界。母親を否定した事で世界から否定されてしまった咲太にとって居心地の良いけど不都合な世界
そこを逃げ場としないのが梓川咲太という人間の良い処だね。誰にも気付いて貰えない絶望的な世界でも、そこを自分の居場所だと確信できる
彼の強さの本質は自分の幸せから逃げない事なのだと改めて思えたよ
ただ、結局のところ、迷える咲太は中学時代に妹を救えなかった咲太とも言えるわけだから、自分を救うなんて難しい
そのタイミングで麻衣が迷える咲太の元へ一直線にやってきてくれるのが本当に良いと云うか、最高の彼女ですね!と言いたくなる。他にも母親の件で悩める咲太への麻衣の言葉が良かったし
咲太は『自分』よりも妹を優先して兄になった、その結果が今の迷子状態。でも麻衣は「大人になった」と言い換えてくれるんだもんなぁ
なら、咲太は母親に忘れられたとごねる子供ではなく、大人に近づく一人の人間として母親に向かい合う事が出来たと言えるのだろうね
TVシリーズに加え『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』という良い映画を通して青春ブタ野郎シリーズを描くに留まらず、映画2作という大盤振る舞いを味わえて喜んでいただけに、更に続編を作るという話には驚き
まだまだ本シリーズを楽しめそうで一人のファンとしては嬉しい限りですよ
静香に訪れた思い掛けないチャンス。これがアイドルとしての成長だけでなく、父親に認めて貰えるという別要素が絡んできてしまうのが静香の環境の特殊性か
これまで父親にはどう認めて貰えるか検討もつかなかった。だからこそチャンスならそれに食らいついてしまうと…
でも、チャンスという考え方はとても自分本意なもの、志保達には静香のチャンスは関係ない。それどころか、歌唱の道にすら関係ないかもしれない
静香は見るべきものを間違えそうだった。それを思えば、幾つもの困難を越えてアイドルとして歌えるよう成長した千早が何の為に歌うべきかを歌い手として諭してくれる流れは良いね
何の為に歌うのか。静香がそれを固められたなら、歌うわけではない未来と翼が静香のもう一つの願いへのチャンスを手伝う様子は良いね
静香は静香に出来る事を。未来と翼もそれぞれ出来る事を。オーディションを共に潜り抜けた三人だからこそ生まれる助け合いか
そうして紡がれたステージは凄まじいものに。いや、本当に凄かった…
田所あずささんの歌唱は素晴らしいし、そのシーンの表現方法も満点。トドメに翼まで生やされたら文句なんて言えやしない
どのような説得よりも力強い静香の歌唱が父を心変わりさせる。それは静香の歌が人の心に届く証明であると感じられたよ
前回ラストから雰囲気はごそっと変わってまるでスパイ話のよう
柘榴宮に毒殺未遂の犯人がいるかも知れない。その疑いは他者を怪しく見せてしまうもの
柘榴宮の主、阿多妃は疑いない美妃に見えるからこそ、それに仕える美が欠けた風明を疑わしく思わせる印象を受けたよ
只人であれば穏やかなお茶会も妃の立ち場では相手の情報を探る場へ
玉葉妃側は堅実な陣容故に情報を安易に渡さないのに比べ、里樹妃側はその真逆。情報は筒抜け
けれど得られた情報から猫猫が里樹妃を小さな危機から救うのは好印象
情報は使い方次第
猫猫を使い情報を得ようとする壬氏は曲者。疑わしくても従わざるを得ない相手
柘榴宮に入った猫猫は相手からは疑われず、けれどこちらは疑い。推理に必要な情報を集めていくね
だというのに、壬氏はその辺の情報を入手済みというのは人が悪い。彼の本質を面倒な方向に判らなくさせる
だというのに、猫猫に真実の一端を掴ませるのが壬氏の変態行為とは(笑)
それは連鎖的に更なる情報を与えてくれるね。里樹妃と風明の繋がり、そして羅門と後宮の繋がり
これまでも怪しむ要素は有ったが猫猫にとって羅門は怪しい人物ではない。それでも疑わなければならない時、猫猫はどのような推理を繰り広げるのか…
シュタルクがフェルンに怒られるはいつもの光景だけど、流石に年重ねの象徴たる誕生日は別
若者には有りがちな衝突を年嵩のザインが取りなす構図。年長者の加入が早速活きた形だね
誕生日が険悪に終わりかねない衝突を人生経験有るザインがフォローするのは良いね
でも大人に見える彼だって、大人のフリをしたハイターを理想と褒める
時と共に大人になろうとする意思がその人の言葉や態度を特別なものにする
だから大人ぶったフリーレンの褒め方は意味を持つ
想いは時間を意識すれば特別なものに変わる。鏡蓮華の意味を知らなかったとしても、フェルンと共に選んだ時間が贈り物になる
意味なんて後付け。でも後からでも意味になるならそれは無かった事にしたくない
その意味ではヒンメルから贈られた指輪だって当時は意味なんて有さなかった
でもずっと持ち続けた事実、探した事実、そして今になって知った花言葉が結実して大きな意味となる
諦めなくてよかったと、そう応えられたフリーレンはヒンメルの贈り物を時間を掛けて受け取ったのだと思えたよ
フィロメラを雁字搦めに縛りつけているのは呪いと捉えていた
けれど、今回の話を見る事で純粋な呪いだけでなく、愛情じみたものが混ざっている点が見えたような
かつて幼いアダムが求めたように、フィロメラもリズベスに家族愛を求めた。けれど、彼女が向けた異なる感情が結果的に呪いとなってしまったのかな
リズベスは育児を人任せにする等、母親らしかったわけではない。でも実子のアダムにそんな事情は関係ない。当然のように唯一の肉親へ愛を求めた
その姿はリズベスにとって想定外で在りつつ、何か感情を抱かせるには充分すぎるもの。きっと彼女にとってそれは歪んでいても愛情と呼べるもの
でも子にとって歪んだ愛情なんて害でしかない。アダムが出奔したのは当然の話
アダムの喪失で更に歪んだ感情は同じように愛を求めるフィロメラを傷つけるものに
元々愛情が希薄なリズベスが息子を奪った女が産んだ子を愛せる筈もない。反転した感情はフィロメラを呪いとして傷つけたわけだ
肉親から与えられた愛が無いからフィロメラは個として自立できなかった。それはフィロメラから根源的な言葉すら奪う呪い
チセ達がフィロメラの言葉を聞く為に彼女の前まで辿り着いた事実はフィロメラを揺り動かしてくれる
彼女らはサージェントの娘ではなく、フィロメラという学院の友達を助けにやって来た。なら彼女とてフィロメラという個人で言葉を話さなければならない
立場も呪いも関係なしに「助けて」と発する事が出来たフィロメラ。ようやく彼女が言葉にできた本心がとても尊いものだと感じられるラストだったよ…
お祭り娘としての在り方を再定義し確かな勝利を手にしたキタサン。なのに、またしても敗北を味わい道に迷い始めているような。彼女はなかなか好調を安定させられないね
宝塚記念という大一番。それを前に様々なタスクが積もり積もってしまった事が彼女の足を思うように進ませてくれなかったのだろうか?
イベント実行委員長はお祭り娘としての立場を考えれば適任。彼女だからこそ盛り上がる祭の様子は多くの来場者やウマ娘が賑やかに楽しむ光景と繋がっている
でも見方を変えると、大一番を控える彼女に任せるのが本当に正しかったかどうか判断が難しい
ダイヤが凱旋門賞へ向けて秋まで休みを入れてイベントを普通に楽しんでいるのと比較すると大きな差
加えて、ダイヤやドゥラメンテに触発されて凱旋門賞を意識するようになったのはキタサンにとって果たして良かったのか…
この回冒頭では宝塚記念を走りたいと言っていたのに、中盤辺りから宝塚より凱旋門賞への意識が強くなっていたね。目前のレースを飛び越えて遥か遠くを見てしまっていた
レース結果は様々な要因が絡むからたった一つの原因を求める事は難しい。けれど、掛けるべきスパートを掛けられなかったのは不調の現れか?
勝つつもりで居たのにサトノクラウンに掠め取られてしまった勝利。けれど、敗北を通してキタサンが失ったのは果たして勝利だけだったのだろうかと疑問に感じてしまうよ
使い手にすら害意を向ける花魁は恐怖と怨嗟の具現。力の源は消えない憎しみだからか、同じように恐怖と怨嗟に支配された少年霊を超越する
人間にとって害であるそれから螢多朗達を守るのが、怨嗟に支配されながらそれを脱したH城址の霊である点は面白い
彼女は恐怖の存在であり続けながら、恐怖から守る盾となってくれる
恐怖的な存在から変わらなくても怨嗟は乗り越えられるというなら、そこが花魁と少年霊の違いとなったのかな?
花魁は最後の瞬間まで恨みを口にしたけれど、少年霊は恨みに負けないようにと封印を望んだ。その違いが少年霊が本来は心優しき少年であったと伝えてくれる
だから夜宵も彼に必要以上の仕打ちはしない
花魁も少年霊も正体が分かる恐怖。それを思えば警察署を支配した正体が見えぬ怪異がどれだけの恐怖であるかという点も見えてくるね
警察も事実を隠蔽したくなる程の恐怖。それを振りまいた成り代わりの仲間が今度は夜宵に近づいてくるとなれば、どれだけの恐怖が周囲に振り撒かれてしまうのかと逆に期待してしまう展開ですよ
順当に各チームの紹介EPをやるのかと思っていただけに今回の話は驚き
憧れの先輩と一緒のステージに立てる思い掛けないチャンス。でも憧れが強すぎると自分との隔たりにショックを受けてしまうもの
オールスターズとシアター組。異なる次元に居ると思われた両者を結び合わせるEPとなったね
デビュー前の未来達にとって幾つものステージに立ってきた春香達は遠い存在
でも隣に来てみれば、彼女達とて今の自分と同じように努力を重ね今の姿になったと判る
多少遠くても全く辿り着けない存在ではない、それどころか努力を続ければ彼女達のように成れると勇気づけられる
他方で最も憧れが強かった翼は想定外のダメージを受ける
翼だけは春香達のステージに付いて行けたが、その志には程遠い。己の不足を感じ取れない彼女は成長の余地を実感できた紬達に比べて壁が高そうだ
対して、春香と未来の会話は他の組み合わせと異なる色を見せたね
実力の差はあれど意識の差は少ない春香と未来
未来はシアターのバトンを引き継ぎいつかASに追いつくつもり。でも春香だってシアターのバトンを握るつもり
両者は異なる次元ではなく、地続きのステージに居ると判る
そうして描かれたTeam8thとASのステージは様々な感動を呼び起こすものと感じられたよ