サービス開始日: 2016-03-14 (3845日目)
遥か昔に小説版を読んだ気がするのだが、ぼんやりとした印象を第1話第2話について覚えているのみで終幕の第3話が全く記憶になかった為に補完する意味合いを込めて鑑賞
見終わって最初に出てきた感想としてはとても美しく美術的な青春風景と男性的な恋愛観が内包された作品といった処だろうか?
貴樹と明里の恋は何段階か存在しているね
出会ったばかりの頃は小学生らしい淡い恋模様が見え隠れしている。一緒にいるけどそれ以上の意味を持たない、持たせたくない。それが中学進学に拠って崩れ、一緒にいる為に栃木まで向かうわけだけど、その道は事前の想像に無かった困難に満ちたもの。これは2人の関係が空間的に離れてしまった点を暗示しているかのよう
だからこそ、キスをして特別性を見出そうとしたのかな?でも貴樹も明里もそれまでの二人を繋いでいた手紙の事を言及できなかった時点で2人は既に一緒に居られない事実を自覚していたと言えるのだろうね
第1話では手紙を出す明里と会いに行く貴樹と双方向的な繋がりが描かれたけど、第2話では花苗という別の少女に拠って2人には繋がりが有ると間接的に描いているね
花苗から見れば貴樹は一人で居る事が多くて、それが花苗には他の男子と違って見えた。でも、それは視聴者には判るように貴樹の心が此処に無いからそう見えてしまうだけで。心が在る場所は精神的な世界であり、そこでは明里と一緒なのだろうな。空間的な距離があるからこそ精神的な一緒を求めていたのかもしれない
そんな状態では他の人物と心を通わせるなんて出来る筈がなく。第3話で破局した女性も同じ理由か
第3話では2人の繋がりが完全に絶たれた様子が描かれるけど、貴樹より先に明里の方が別の道を選んでいる為に貴樹の虚しさが強調される形に
この頃の貴樹は働いているわけだから空間的な距離は関係ない。それでも明里の傍に行けないのは精神的にも既に離れていたから。明里はそれを認められたから新たな恋というか人生へ進む事が出来た
なら、貴樹に求められるのは既に自分達は離れ離れになっていると自覚して別の道へ歩みだす事で
再び出逢えたかもしれない明里を前にして、その再会を阻んだ電車に憤るのではなく、電車を越えて会いに行くのではなく。桜舞い散る光景に背を向けて歩き出せた様子は貴樹がようやく失恋を終わらせた瞬間と言えるのかもしれない
と、色々見えてくるものは有るものの、全体的に貴樹を主軸とした恋愛性が作品を支配している為に貴樹にどう感情移入するかで作品評価が大きく変わりそうだなと思ってしまったり。特に第3話は状況が語られる貴樹と語られない明里の落差をどう捉えるかも評価に影響しそう
個人的には第2話の花苗はもう少し報われて欲しかったと思ってしまったり
また、絵と脚本のバランスが少々難しい事になっていると思う部分もあったかな
背景や情景はとても美しく仕上がっていると思うだけに、絵によって充分に表現されている心情をモノローグでも言及してしまうシーンが幾つか見られたのはクドく感じられたり
それだけに台詞が無くなって主題歌が大きく流れて貴樹・明里・花苗の恋物語を美しく描き出すシーンはとても上手く嵌っていると逆に思えてしまったよ
最後のレースをどう飾るか、ライバルはどう送り出すか、観客はどう見届けるか
訪れた一つの終幕へそれぞれが全力で臨む事は変わらない。でも臨む意気込みが変わってくる
志したお祭りそのものにはならなくても最高のレースにする。そのようなキタサンの願いの影響を誰からも感じた最終回となりましたよ
キタサンを彩る特別衣装は格好いい上に彼女が背負うGⅠ6勝という輝かしい栄光を表しているかのよう
それを着込む彼女の覚悟は充分に固まっている。ならライバルや観客の覚悟はどうかと言えばそれも問題ないようで。キタサンが去るからと容赦したりせずライバルは走り、観客は声高くエールを送った。それらが合わさった時にスターが輝くステージへと変貌するね
誰もが声援を送り、キタサンがそれに応える。ラストランであろうと変わらない関係
そうして作られたお祭りはこれまでで最も輝きを放ったのではないかと思える程。キタサンがピークを過ぎてからも気力を絞って走ったから作られたもの
スターの終幕を有終の美として飾る。それが実現したステージはとても尊い想いが沢山詰まったものと感じられましたよ
以前に発表された実写映画は見た事がなく原作も知らず。事前情報がほぼ無い状態で今更鑑賞
原作小説が発表されたのが1984年である点が関係しているのか、根底にあるフォーマットの古さをほんの少し感じてしまうものの、恋愛物語としてはとても良い作品に仕上がっているとも感じられたよ
運命的な事故から出会ったクミ子と恒夫はジョゼと管理人という役柄に拠って結びついていくね。ジョゼは車椅子に乗りながら外の世界に憧れる女性として、管理人は外の世界からやってきた男性として
クミ子は絵を描いたり想像する事でしか外の世界を味わえなかった。そんな彼女を恒夫がジョゼから見た世界がどのような色をしているか知りたいからと連れ出してくれる構図
これだけを見れば、クミ子にとって恒夫はとても都合のいい男だね。祖母から匿われ高飛車な臆病者になっていた彼女を導いてくれる
様々な場所に行って、様々な体験をして、友達も出来て…
恒夫が居なければクミ子がそれ程の体験を一人でするのは難しかったかもしれない
でも見方を変えると、やはり恒夫はクミ子にとって外界の人間に過ぎないわけで
恒夫はクミ子のように何処へでも行けるし、海にも潜れるし、沢山の友達が居る
ジョゼと管理人の立ち場のままでは2人は世話される者とする者という関係性を乗り越えられない。外界に居る恒夫は更に外の世界にも行けてしまう。対して世話されるクミ子は恒夫の交友関係には混ざれないし絵の仕事だって満足に出来る気がしなかった
それでもクミ子がジョゼとして恒夫の傍に居る事で沢山の勇気も経験も貰えたのは事実だったのだけど…
クミ子を守っていたもう一人である祖母が亡くなった事でクミ子の日常は一気に崩れ去るね。彼女が外の世界を拒めたのも、外から安全そうな恒夫を呼び込めたのも全ては祖母が居てくれたから
彼女を守る人が居なくなってしまえば、クミ子は強制的に自立を求められて、自立できないならヘルパーが必要という話になって。それは自分の夢をどうこう言える立ち場ではないと告げられたようなもの
既に自立して自分の夢を掴もうとしている恒夫とは雲泥の差となってしまうわけだ。それを間接的に健常者とそうでない者と表現するなんて、クミ子がその内心に何を抱えていたかが見えるかのようだったよ……
そのタイミングで恒夫が障害者と成りかねない大怪我を負ってしまうのは運命の悪戯としてもあまりに酷いと言いたくなるもの
でも、この境遇を味わう事に拠って恒夫はクミ子から見た世界がどうなっているのか、彼女が抱える夢への難易度を知る事が出来る。一方でクミ子は恒夫がもし歩けなくなったとしても夢を諦めて欲しくないとの想いを自覚できた
あの一件は2人の想いを大きく揺さぶるものとなったね
そうしてジョゼが作り上げた絵本は素晴らしいものに
恒夫をどう見ていたかが判るようになっている点も良いのだけど、個人的には貝殻の役割に感銘を受けたり。
貝殻には別の願い事をしてはならなかったけど、翼有る男性への願いは良い事として人魚を肯定される
これをクミ子と恒夫の関係に落とし込むと、貝殻は絵に相当するのかな?クミ子にとって絵は趣味で出来れば仕事にしたいもので自分の為のものだった。けど、傷ついた恒夫の為に使った時にクミ子の絵は意味を持ち、恒夫を再び歩かせる原動力となった
でも絵本にて二人の道が分かたれたように、既にクミ子は恒夫との別離を覚悟していたわけで。絵本がクミ子の想いそのものなら人魚のようにクミ子は海の底へ戻っていかなければならない
でも、やはりそれは絵本の話なんだよね。クミ子の絵に勇気を貰った恒夫の想いまでは含まれない。何故ならそれをクミ子は知らないから
最初に出会った時のように運命的な再会をした2人が交わすは思いの丈。雪景色をバックにした告白シーンはとても美しいものでしたよ…
そう思えただけに、巡った桜色の季節にて夢と恋を叶えた2人が仲睦まじく過ごす光景には余計に感動してしまったり
成り代わりと遭遇し、手元では卒業生相当が潤った。遂に準備は整ったと始まる神殺し作戦はかなり大規模になるようで
相手が常識を超えた存在なら、こちらも常識を超えた作戦を。立案者の夜宵が規格外なのは既に証明され尽くしている。そんな彼女に付いていくなら、螢多朗も詠子も規格外になる事が求められるわけだ
螢多朗はその身で出来る精一杯の遣り方という感じだったけど、詠子は監視カメラに加えて無限修復人形を考案する事で規格外に。ていうか、彼氏の家にノリノリで監視カメラを取り付ける彼女って嫌だなぁ(笑)
でも、そこまでする事で2人も規格外になれる。夜宵の神殺しに同行可能な常識外れの存在になる
夜宵達が神に対抗できる陣容になった他方で描かれるのは愛依の境遇か
神に魅入られた為に無限の恐怖に引きずり込まれそうな愛依。常識の中に居た筈の彼女に襲いかかる常識外の災厄。これに夜宵がどこまで応えられるのか…
いよいよこれから常識外れの戦いが始まると予感させるタイミングでアニメは終了。原作付きの宿命と言ったらそれまでだけど、出来ればこの続きもアニメで見たくなると思える終幕でしたよ
それっぽい感想を述べる事は出来るかもしれないけど、流石にこの内容への感想は実際に現地に居た人や前々からミリマスを推してきた人の熱量や感動には負けてしまうだろうなぁ
それくらいこれまでミリマスという作品を応援してきた人達への感謝と愛情を感じる内容だったよ
それでも何かを述べようとするなら、この最終回もバトンを繋ぐという点を意識した描写が幾つも見られたのは良かったな
そもそも次々にアイドルが登場して曲を歌い繋ぐという点がそれだし、あのような素晴らしいステージに到るのもこれまでのデビュー活動でアイドル達の頑張りが後に続く者達への指標になったという点も上げられるだろうし
極めつけはやはりトラブルの瞬間だろうね
これまで繋がっていた全てが理不尽に途切れてしまった。バトンは繋がらず終わる雰囲気
だというのに、曲が途切れても歌って繋ぐ杏奈達、音が途切れた時間を拍手で繋ぐ観客、暗闇に支配されそうな空間を灯す幾千の灯
これこそがシアター組が形作った新たなバトンの形であり、彼女達の輝きの象徴であるように思えたよ
というか、それぞれの楽曲が持つパワーやそれを歌い上げるアイドル達の様子はどれも素晴らしいものだったね
贅沢に最終回の殆どをライブ描写でやってのけた本作。彼女達のこれからの活躍も見たいと思わせる魅力が詰まったものとなったよ
猫猫が処刑の関係に名を連ねるなら、責任者として情を挟まず処断するのも、情に拠って見逃すのもどちらも正しく出来るのが壬氏
それ以前に、人として彼女の想いに寄り添うなら後宮に留めるべきか?
壬氏は猫猫にどう接したいか、彼女をどう扱いたいか?命令する者とされる者という身分の境があった2人の関係を問う話となったね
様々を考慮して盛大に悩む壬氏に対して、猫猫の悩みは何処かコメディ寄り。本人にとっては至極真面目なのだが…
壬氏は「どうしたい?」と身分を越えて猫猫の意志を尊重しようとしたが、猫猫はこれまで通り身分に頼る。ならそれを変えようとする壬氏が手放すのは当然の話で
どちらにも望ましい結果とならないのはディスコミュニケーションの典型か
そんな二人の再会は妓女と宦官という別の身分が存在する場
接客と賓客、命令を下すのではなく会話で饗す関係性。だからか後宮では交わされなかった言葉がスイスイ出る
壬氏は猫猫の想いを察せられなかったが、猫猫も言葉が足りなかった。肩の荷が下りたような壬氏の挑発はこれまで通りだけど、これまで以上を感じさせたよ
壬氏が猫猫を変わらず受け入れるなら、今度は猫猫が我をどう断ずるかの話になる
関わりたくない後宮、花街と対して変わらぬ鳥籠。全てを飲み下した猫猫が選ぼうとしたのは良い意味の現状維持かな
……だというのに、冬虫夏草に釣られ我を忘れる猫猫は本当にしょうもないなぁ(笑)
クラフトが長寿に依る弊害を描いたなら、今回のフォル爺は長寿の末期における侘しさを描くものになったような
永く生き過ぎて知り合いも少なく、話す相手も無い。大切にした者は自分の中ですら朧気。それでも何かを大切にした人生まで損ないたくないから大切にする行為を続ける
フリーレンがいずれ到る領域がそこに有る
死者との約束を守るフォル爺の話を聞いて短命のヒンメルは何を思うのか…
その時は判らなかったろうけど、ヒンメルの記憶を忘れない今のフリーレンならそれを察しているのだろうね
無駄なシーンだって含まれるだろう彼の記憶、でもフォル爺に比べればきちんと覚えているだけ幸福で
思い出せない記憶に縋り続けるのはどんな気持ちなのだろうね……
記憶は覚えていても整理しないとごちゃごちゃになる。その意味では魔王討伐を忘れてしまったフォル爺は哀しいけれど、それこそ彼にとって無駄な記憶だったのかもしれない
フリーレンという同じく悠久を生きる友との再会を経て、大切な人に夢を通して出逢えた。それこそ大切な記憶は決して失われないという証明となったように思えるよ
ザインの友ゴリラはインパクト大な分、多くの記憶に残る。それは歴史に名を残すだけでなく、後から追うザインにも道標となるね
ザインの中で友の記憶は失われない。フリーレン達と旅をしていても揺るがず有り続ける
現状維持か、過去の為に未来を選ぶか。ザインはこの選択とどう向き合うのかな?
自分の望みを口にして呪いから脱したフィロメラが次に行うのは呪いからの完全解放か
彼女にとって呪いとは祖母との繋がりから生まれた束縛。フィロメラがしたのは祖母の言葉を否定し、自分は何者にでも成れると証明する事
そんな最終回は彼女の明るい未来の予兆が感じられたよ
フィロメラは呪いまみれの窮屈な家で過ごしてきた。呪いから解放された彼女が放り出されたのは果てのない銀世界。何をしろと要求されるでもなく、何をしてもいい自由な場所
チセのようにツリーの飾り付けやクラッカーをしたって良い。彼女と居ればフィロメラとて何でも出来る
でも何でも出来るのは時に悩みにも繋がるようで
チセは今回の一件で大きな力を振るった。フィロメラという友を助ける為にそれ以外を犠牲にした。他者の死を誘発した点、そして今のチセが不安定になり始めている点は気になる処
自由に成り過ぎてしまったチセだからこそ、自由の使い方に関する悩みと不安は尽きない
でも悩みがあるのと自由が有るのはやはり似ている話で
ポプリに使う布を決められないフィロメラ。それはそれで本人にとって大変な悩み
でも沢山悩んで良いなら、彼女にとってそれは楽しい自由な悩み
カラフルな布が目の前に広がり、自分を心配してくれる友が居る。最後に浮かべた笑みが何よりも彼女が手にした明るい自由を象徴しているように思えたよ
キタサンの引退は多くのウマ娘に影響を与えたようで
GⅠ6勝という大成果を見せつけての引退、彼女に勝ちたいと思っていた者達にとってそれは奮起の機会となるようで
寂しさより燃えるレースを。それはキタサンを送り出す何よりも花束となったね
キタサンの引退まで残り2戦、それは彼女と競い合える残り時間でもあるね
だからドゥラメンテは間に合わないと悔やみ、商店街の者達は笑顔で送り出そうとする、クラウンも勝負を楽しもうと意気込む
他方でキタサンが去る事に異なる感傷を抱いたのがシュヴァルグランとなるわけか
シュヴァルはキタサンが居た為に栄光を掴めなかった。でも裏を返せば、彼女と常に競い合ってきた間柄とも言える
今回のレースにてシュバルはやっと勝利を掴むわけだけど、彼女の苦難の物語においてキタサンは欠けてはならないピースだった。キタサンが居たからこそシュバルの物語は願いを成就させた瞬間に最大限の輝きを放つ
シュヴァルがレース中に述べるはキタサンへの惜別であり餞。彼女と競ってきたライバルとしてシュヴァルは彼女へ感謝を伝える役目となる
けどその美しい光景は同時に熱狂に浸れる時間が残り少ないとキタサンに教えるものでもあり…
沢山の想いを向けられたキタサンはラストランというお祭りの場でどう返すのだろうね?
子供達を恐怖のどん底に突き落とす教師の悪霊。でも蓋を開けてみれば、彼はむしろ被害者だし、彼の怪異で本格的な害を受けた者も居なかった
この学校の怪談は彼の恐ろしさを伝えるより、他者の悪意に拠って狂わされてしまう者の悲哀を感じられたかな
その分、事態の元凶たるドロシーの悪辣さが目立つ目立つ
でも、そんなドロシーを倒すのではなく騙す事で今後の余地を生む夜宵は一枚も二枚も上手。自身の目的である空亡だけでなく、同級生への報復へ繋がる道を残す
悪霊は恐ろしくても、怖がらなければ遣り様は有るという事か
前々から思い続けてきた点だけど、恐怖を使いこなす夜宵は悪霊以上に恐ろしい存在だよ
別個に仕事したりデビューしたりな流れだったから、不安になるのが一体感か
ここで彼女らの始まりである手作りライブを引き合いに出しつつ、一緒に居られる場所としてシアターを挙げるのは良いね
チームという括りは有っても、彼女らは一つなのだと感じられたよ
アイマスアニメ伝統の合宿によって、改めて一体感を感じ直すのも良き
別々に活動してきた彼女らがシアターでの生活を通して自分達は繋がった存在なのだと思い出す。それはこれまでの自分達が繋がっていたという点だけでなく、これからも繋がっていられると認識させるもの
だからか、公演当日に不安感を抱く者は少ないようで。むしろこれからへの期待感に胸が膨らんでいたような
そういった感覚を背景としてか、始まった公演も不足のない素晴らしい始まりに。これは次回もライブ描写が続く感じかな?
それはそれとして、入場時にオーラを振り撒いていたのは誰……?
猫猫が語る真実は風明が隠したかった想いを詳らかにするもの。これまで彼女が隠してきたのは明かされると不都合があるから
通常、犯人が隠したがるのは犯罪者の正体なのだけど、風明が隠したかったのは阿多妃への忠信への曇りだね。過ちを曇りと結びつけたくないあまりに阿多妃に仕え、己の犯行を隠した
過ちを犯した風明に真実を突きつける猫猫は探偵然としている
でも彼女は本当の探偵ではないし、彼女が真実を明らかにするのは羅門の過ちの後始末も含むもの
だから猫猫は風明を問い詰めつつも彼女の想いを尊重する遣り方を提示できる
でも、それが正しい行いだったかなんて猫猫に判る筈もない
自分の行いを誇れないのは猫猫だけではないようで
自殺した下女、里樹妃を毒殺しようとした風明、皇帝の妃を続けた阿多妃、泣きぬれる壬氏
誰も彼も己の行いに疑問を持ちながらも、今の行いを続けるしか無い
その意味ではひとりごとの形とはいえ、それぞれの真実と過ちを推量できる猫猫は特別な存在かもしれない
最後に猫猫がひとりごとにもならない憶測として披露した推理は真実かもしれないし全くの過ちかもしれない
兎に角、猫猫は発見を口外せず場から去る事で己にも他者にも過ちとならないよう対応しているね
それだけに彼女が最後に見た光景、阿多妃と里樹妃の心温まる交流だけが過ちを含まない真実に思えたよ