🍅🍅🍅🍅🍅 at イオンシネマ海老名 THX
2年ぶり
やっぱりやばいよこの映画
なんだかすごいものをみたぞ
デコトラすこ
私たちはもう舞台の上
何度見ても、圧倒されるというほかない。
卒業後の進路選択を控え、トップスタァの座を貪欲に追っていたかつてのオーディションの悔しさも忘れ、なんとなく自分の実力に見合った進路を考え始めるころ。
その雰囲気を看破し、ワイルドスクリーンバロックで喝を入れ、新たなレヴューの場を設けた大場なな。抑えこんでいた想いをレヴューでぶつけあい、次の舞台へ。
素直に観れば、レヴューを通して激重感情がぶつかりあい、わだかまりが解消されていくさまに、ある種のアトラクションに似た爽快感を覚える。
劇場での視聴がおすすめされるのも、そうした体験のクオリティがより高まるからだろう。
やはり最後のレヴューが難しい。考えずに圧倒されておけばいいという感じもする。ひかりから見て華恋はまぶしくて怖い。華恋から見てひかりは舞台そのもの。ひかりと離れても華恋が次の舞台へ立てるように。舞台=ひかり、ではなく、ひかりへのライバル心や観客の期待を、舞台に立つ燃料として燃やせるようにする。
2023/01/14 発声可能応援上映@池袋ホールミクサ
数ヶ月ぶりの劇場スタァライト嬉しいな〜
普段見るのとは違うし流石に泣かへんやろと思ってたのに結局最後で感極まってデケエ声で叫びながら泣いてしまいました。
2023年にもなって劇場でスタァライトを浴びられる喜びよ!
上映してくれてありがとう。
序盤こそ皆手探りだったけど、レヴューが始まる頃には自分も含めて応援声出し音出しのタイミングを掴めてた感じがあった。
友達の家で一緒にツッコミながらホームシアター感覚で見ている時のような、普段と違う面白さがあった。
旅の恥じゃあないが、折角の合法的に映画館で叫べる貴重な機会だったのでハラ決めていっぱい声出した。こういうのは照れたら負け
そして何よりみんな『理解っているオタク』なのでレヴューのいいところではしっかり黙ってキンブレ振るだけになっていたのが良かった。
競演のレヴューでゴールの先がT字型(ポジションゼロ)になってるのは前々から気付いてたんだけど、「露崎まひるさんが神楽ひかりさんにそれを示して先に進むように促す」という行為の意味に今日ようやく気付いた。
先に居る愛城華恋さんの舞台に向かうべきは私ではないと理解しており、神楽ひかりにその座を譲り、そのうえで「舞台で生きていくと決めた」と表明をする意思たるや。
また一つ確信させて頂きました。
以下印象的だったガヤ
TLのオタクが頻繁に「映画館で観ろ~~~~~~」と呟いていたのが目に入ったので,109シネマズ川崎映画祭にて鑑賞した.
初見で色々感想を述べるのはとても難しく感じる作品だった…映像と音響がスゲーとなっていたらいつの間にか2時間経っていました.
何回見ても見足りない(満足できない)というオタクの気持ちはよくわかった….
人生でここまで何度も観返した作品は実写含めないです。
初見の方はストーリーラインが掴み辛いかもしれませんが、脳を空っぽにして映像美に酔いしれていれば、じきにスッと入ってくるようになります。
叶うならば、池袋・BESTIAのあの画面と音響でもう一度観たい作品。
アマプラで初見1+1回視聴済の友人とともに鑑賞会。
そろそろ飽きるだろと思ってるのにマジで一生味するなこの映画、無限にダシの取れるガムやでホンマ
初見のオタクと一緒に見てたので極力コメント控えめにしてた。
劇ス初見のオタクの新鮮な疑問符最高~!俺も何もわかんね~~~!
「列車は必ず次の駅へ」「飢えて、乾いて」「次の舞台へ」は本質的に同じ。
やっぱり劇場版スタァライト怒りのデスロードで過去を燃やす直前のところで、「あぁ、愛城華恋さんのこれまでの人生は全てこの舞台を演じるために捧げてきたんだな」というのを感じてしまって、一人の人生をこれほどまでに燃やし尽くす"舞台少女"というモノの美しさに触れたキリンの気持ちを理解できて泣きそうになる。
のをグッとこらえていたら「此処が舞台だ、愛城華恋!」で更に涙が込み上がってくる
そしてその直後のアタシ再生産\バァーン/←???????????
更にその直後の照明演出が良すぎてもう感情がデカくなりすぎる
もうスススは感情がジェットコースターなんよ、スピード上げて急ブレーキやめてくれませんか!!?!?!?
東京タワー、あるいは約束タワーが真っ二つに折れた理由って、正直今まであんまり理解してなかったんですけど、ちょっと真面目に考えてみる。
今までは愛城華恋さんと神楽ひかりさんが「スタァライト」を演じるという目的があって存在していたけれど、愛城華恋さんが舞台少女として"次の舞台"を目指したことで、これまで13年間続いてきたスタァライトという目的(=この「レヴュースタァライト」という作品)を果たしたことで、愛城華恋さんと神楽ひかりさんの道がまた分かれていくことを(それこそ大場ななさんと星見純那さんのように)表してるのかな。
愛城華恋さんから吹き出した大量のポジションゼロ。つまりは愛城華恋さんがこれまでスタァライトを演じるためだけに蓄えていた彼女のポテンシャルを、大きな広い世界に解き放つための描写。神楽ひかりさんが刺した傷から吹き出したことにも合点がいく。
彼女が愛城華恋を舞台少女として火をつけたが故に、彼女の手でこの幕を引かなければならない。
生まれたての舞台少女"愛城華恋"が、一番最初に、一番近くで見たスタァとして。
「九九組の日!みんなで観よう劇場版スタァライト!」@オウチ with Youtube配信
#劇場版スタァライト #九九組の日2022
最初のトマトブシャァの時点でコメンタリーSideがかなりワイワイで映画全然入ってこね〜〜wと思ってたけどめちゃ楽しかった………
映画館でウッ……となりながら見るのも良いが家でワチャワチャしながら見るのも楽しいわね
普段(劇場鑑賞)は感想リアタイで吐露するとか出来ないから、配信も聞きつつTwitterで実況しながらトレンド入りまで(これは本当になぁ〜んで?なんで〜?)して色々楽しかった〜〜
空飛ぶんだよな〜フラペチーノが!←うっかりトレンド入り(サルバトーレの方が)
なんかアニメ3話の収録のときに生田輝さんが転んでフラペチーノを富田麻帆さんにぶちまけた事件があるらしい。
語感のネタかと思っていたがあまりにも身内過ぎたw
どれだけ直前までネタで騒いで明るくてもやっぱ最後のセリフは泣いてしまうんよな……
劇場版少女歌劇レヴュースタァライト 怒りのデスロード(??)
→ライティングからの私がスタァだ!!(最高!!
→武器が折れて音が止まる演出
→この無限とも思える無言の逡巡に愛城華恋さんが『神楽ひかり』に対して何を考えて「最後のセリフ」に至ったのか
コレを考えるだけでもうね……もう……ありがとうございます………この一瞬のためにこの2時間生きてる
百代さんが言ってたけど再生産後に出てくる看板は「レヴュースタァライト」なんすよね〜〜!確かに〜〜!
戯曲スタァライトではなく、演じるのはレヴュースタァライト。
ED前で互いの髪留めが砂上に落ちているのを見てふと「あ、これって『運命の舞台のチケット』だから運命の舞台であるスタァライトを、ひいてはレヴュースタァライトまで演じきったからその役目を終えたからか」というのを理解した
見終えた舞台のチケットは、タダの置物ですよね。
思い出にはなるけれど、もう役目はない。
(おそらく初出情報)
ED後のエピローグで入る『本日、今、この時』のオーディションの会場が実際に九九組がスタァライトのオーディションをやったときの会場と同じらしい。
おま、お前……お前……それは……最後の最後にそんな……それは最重要やんけ……!!!
しかも内部関係者しかわからへんやんけ……!!!!
2022/08/11【極爆】@立川シネマシティ
映画館での🍅鑑賞は丁度10回目!10回目が極爆なんて最高だぜ!
立川の爆音はローエンドの鳴りがスゴイ!!
だって放映前の別映画の宣伝の時点で圧が、圧がデカい。
こんな物騒な「すずめの戸締まり」があっていいのかよ。
新海誠作品じゃないのよもうこれは。
具体的な体感だと〜50Hzがモリモリです。
大場ななのミサイル両断
ジェットエンジン加速
東京タワー撃墜
もうね、地鳴りがしとるんよ。
これもう実質4Dだろ
ただ一方で70〜120Hzあたりの音程感のある鳴りに関しては、モリモリにエンハンスされてるローエンドの帯域に負けてて、そういう点で曲とかがややイメージ負けしてた感じがあった。
ちゃんとセリフや上の方は聞こえてたのでそこはトリートメントされてる極音という感じでした。
今回気づいてウワッてなった話していい?しますね
(ついでに学校も真っ二つ)
これ全部舞台そのものを破壊してるんですよね……
ココで演じているレヴューというものが、各々が別れの為に取った対話や歩み寄りの表現だとするのであれば、『舞台』というのは要するに「今まで生きてきた世界」のことで、それを皆様々な形で破壊して終えるレヴューはまさに各々の形による【別れの為の舞台】に他ならない……!!
そして、舞台装置は『演者の行動や感情』とリンクして動作する設定なので、つまり『各々で自ら、舞台を破壊している』という捉え方が出来るんですワ~~……!!!!!!(デカ声)
自分が今まで読んだ範囲の考察では書かれてなかった気がするし、よしんば書いてあったとしても自分の中では全く覚えていなかったので独力で気付いてしまって「ゥ…アッ……(」となってしまった
……で。でよ!まだありますよ!
唯一破壊してない方がおりますわね。
露崎まひるさん。
露崎まひるさんの中ではもう過去の自分が生きてきた『舞台』は破壊されて、輝くスタァに "なる" ことを見据えていた。
彼女の舞台はもう完成しきっている。
それ故に、壊すこともなかった。
もう既に、新しい一歩を踏み出していた。
これに気付いた瞬間背筋が寒くなったわ。何なんだこの映画
以下、感想。
一番最初に目の前で"ホンモノ"の「何故…」に呑まれてるのに、拍手が起きたところで直立ドヤ顔の星見純那、かわいいね(繰り返す人並の感想)
神楽ひかりさんが愛城華恋さんを目前に置きながら「私がスタァだ!」と宣言する意味を考えるとウアアアアアア!!!!となってその直後の最後のセリフで感情が爆発して毎回死んで生まれ変わってる
流石に映画3連ハシゴしたからなのか、あるいはもう見飽きた気持ちもあるのかもしれないが、前半の過去回想のシーンでは若干の飽きを感じている自分が居た。自分もそろそろ"次の舞台"へ進む時が来たのかもしれない。
ていうかそろそろ上映する映画館も減ってるし物理的に見れなくなるよな……
鑑賞する直前(2時間くらい前)に聖地の津田塾大学小平キャンパス(の正門前)に行ってきた。
丁度夕刻だったので第1話のエレベーターが動きそうな予感がした(部外者なので流石に中には入りませんでした)
意外と周辺にコンビニとかが見当たらなかったので学校近くに住むと不便そうだなあと思った。寮とかはやっぱ少し離れたとこにあるんかな?
石動双葉さんが練習してた例の公園や劇スパンフの天堂真矢さんやらでおなじみの交差点もすぐ近くで「これくらいの距離感なのね…」という実感が湧いた
7回目
2022/07/30【極音上映】@立川シネマシティ
今回は初見の知人3人を引き連れて鑑賞!
いや、プライム配信が始まろうと"劇場で観る"ことに意味があるので……
前回の感想で時系列整理して5/14に劇場見学って言ってたけど喋り過ぎだよねの日が5/14だったわ。
で、さらに自分なりに(色々考察を読んだ上で)考えたんだけど、後半のレヴューは1日じゃないわよね、そらそうだわ!
ロンドンに行っていたはずのひかり、バイクを託したふたかお、EDで流れる個々の進路
そういうのを考慮すると、決起集会以後~卒業の間に各々が取ったコミュニケーションや『ケリの付け方』をクソデカい心情描写とともに描いたのがあのレヴューというだけで、実際には行われていない。
そう考えるのが自然だ……
うみねこでいうところの魔法描写みたいなものだ(なんで10年以上前の作品で喩えるの?)
こんな当たり前のことに今まで気が付いていなかったのか……
だってアニメ版ではレヴューやってたじゃん!実在してたもん!
……いや、本当にアニメ版でもレヴューは行われていたのか……?
アレは情景描写としての意図しか無かったのでは……
いや、それを考え始めるとこの作品の根底が揺らぐような…。
電車の「でも…今は、よ!」と大場映画株式会社のところの回想で台詞が違うというのを見つけて注視してたけどホンマにちゃうやんけ……!!!!大場映画株式会社のところは過去の再演の果てで見たシーンだったんですね……
電車
敵わないもの。天堂さんや貴女には…。
映画
今の私じゃ、経験も、練習してきた時間も足りない。舞台に立つための覚悟だって、全然…。
映画終わった後の感想会で、皆から質問攻めに遭った(当然の権利)
でもある程度はネタバレに配慮しつつちゃんとした(自分なりの)回答ができていたのでこの映画に関する啓蒙ポイントも高まってきたのかもしれん
初見の人の役に立つかもしれないのでいくつか受けた質問メモ
Q. ちょくちょく出てくるキリンは何がしたいの?
A. トマトの意味とか燃えて火を灯したあたりのシーンを考えると分かってくるかも知れませんね
Q. この"レヴュー"で戦ってる目的は何なの?
A. アニメ版では役の奪い合いっていう意味があったけど今回はそれがないので目的というのは無いのかも…。その"先"を見たいという『理由』から生まれたのがこの舞台
Q. リアル寄りのキリンが走って喋るのはなんで?
A. それはホンマにわからん………………(わからん)
友人は「これはレヴューで実際に戦う勝敗はどうでもよくて、その内容に意味があるのか」と解釈していて「そうなんですよ~!」と思った
…思ったが、その後に「じゃあ実質ガチムチパンツレスリングと同じ構造なわけだ」と続いて「そうなんだ~(新鮮な解釈を浴びたオタク)」になってしまった
前回気付いてしまったゴママヨワードはかれひか対面時の「モダンダンス」でした。2次マヨやんけ……!
2022/07/22/20:45【極音上映】@立川シネマシティ
次の舞台に行けていない哀れな観客達(と極僅かな初見の観客)がこの立川に、眩しい煌めきの再演を見に来ている。
この映画の視聴は、何回目?
『今居る場所を、明日には超えて。』
いつまでこの作品に囚われている?
『辿り着いた頂に、背を向けて。』
音圧面でいうと川崎のほうがバカアホ音圧で迫力があったけど、コチラもこれで素晴らしかった
言うなれば川崎のLZHC爆音はデカい音は最強!!の良さで、
こちらは表情やディティールが汲み取れる…!という感じの良さでした。
今回は趣向を変えてかなり最前の3列目D席で鑑賞。
前方席では音がデカくて良いね〜
前の方だと見上げるから首が痛くなるかな〜と思ったが別にそんなことはなかった。
けど元々ワイドサイズのスクリーンなので広く視野が取れる中距離のほうが見やすいと思った。
でもやっぱりデケェスクリ────ンとデケェ音響設備で観賞する劇スは最高ですわ〜〜〜🍅家で見るのとはレベルが違いますわね
同じ映画何度も見て楽しいか?と思う(思われる)こともあったけど、いま明確な回答が出せたわ、これは『アトラクション』なんですよね。
ディズニーランド行ってビッグサンダーマウンテンとか乗った直後に「もう一回乗りたい!」ってなるじゃないですか。劇場版スタァライトはあれと同じです。
ワイルドスクリーンバロックっていうアトラクションがUSJにできる日も来るよ。
流石にもう気付くことないだろと思ったけどまだあるんだな、これが。
冒頭のばななの紹介で出てくる雨宮詩音さんの脚本シーンで『明日の決起集会までに仕上げ…』って言ってるのに気付いて「これ5/13-15のたった3日(?)の話だったのか……」と驚いた。(川崎の時点でこの台詞は聞こえていたもののそこまで深く考えてはいなかった)
時系列整理を今までまともにしてなかったけど(後半は時系列もクソもないので……)
〜5/13〜
先生との二者面談、101期生の見学案内、喋りすぎだよね(夕)
〜5/14〜[オーディション1周年]
劇場見学、皆殺しのレヴュー、決起集会(夜)
〜5/15(?)〜
諸々のレヴュー?
という感じなんですね、ヤバすぎる
でも冷静に考えると時系列では皆殺しのレヴューの後で決起集会になってるのに、そこでは愛城華恋さんが居なかったので丸一日神隠しに遭ってた説があるな。
まあ本編11話で半年以上神隠しにあってる人も居るみたいですし……
有志による花柳香子さんと棺桶の考察を見たので今回は花柳香子さん(と石動双葉さん)の言動を強めに見てた。
花柳香子、お前はよ………。大体アンタが……!
しょうもなくねえよ……
注視して気付いたけど決起集会のヒキで全体が映るシーンにもちゃんと主要キャラは立ち位置のところに描かれてるんですね。ココで流れる台詞が良すぎてそっちに意識が割かれてたので全然気付いてなかった。
そしていい加減にこの考察にけりを付けよう。
やっぱり公園で神楽ひかりが愛城華恋に分かれを告げるシーンがアニメと違うのはどちらか(おそらく華恋)の回想だからじゃないんですかね?(無限に言ってる)
この回想のシーンの時だけ背景がぼんやりと滲んでるんですけど(おまけに東京タワーは溶けている)(←コレはよく分からない)、後々出てくる[1年前]のひかり転入→寮への案内シーンでも背景が滲んでたんですよね
アニメ本編一話どうだったか覚えてないんですけど、背景が滲んでるシーンは愛城華恋さんによる過去の回想という解釈なんじゃないですかね
愛城華恋さんにとっては神楽ひかりさんとの会話の内容こそがその時の記憶の主要な部分だったし、場所はどうでも良かったからこそ多少の相違が見られたのかなと。
今回(インスト音源が事実上正規入手不可能になったので)ようやくサントラを手にして聴き込んでから初の劇スだったんですけど「あ〜ここは台詞で被って歌詞が聞こえてなかったけどこんな歌詞だったんだな〜」とか「このシーンと歌詞が!シンクロしとるやんけ!!」という気付きがあってよかった
あとマッドマックスも鑑賞した!
曲は勿論だけど、鎖とか砂嵐とか見つけて想像以上に要素出てるな…と思ったよね……なんなん……。
でもやっぱ意味はわからんわ……。死生観とかあの辺の引用なのかな…
そして意味はわからんけど、スススはなにもかも面白くて泣けるのでスゴイ。
最後のセリフの考察で
「得物」の長さは『相手との心の距離』✨(古川知宏Twitterより)
古川知宏ォ〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!
めちゃくちゃ関係ない話、どこかのワンシーンでゴママヨワードが出てきて一瞬集中を切らした瞬間があったけど、見終わったら後半の話が全部良すぎて何だったのか全く思い出せない……
次回以降見るときずっとこれか!→忘れた…になりそうでやだなあ
二本連続上映[シネマノヴェチェント]
品→🍅、デケェ〜!!
大場ななさん並に一生再演に囚われ続けています。
過去の回想シーンについて。
3回目の視聴くらいから気にしていた『アニメとロロロでは神楽ひかりがロンドンに行くと告げるシーンが滑り台の上だったのに劇場版では滑り台の下になっている』描写について。
こんな重要なシーンを意味もなく変えるか?というスタッフへの信頼があったが故にずっと気になっていたが、過去のシーン(13年前時代)をよくみると背景がずっと水彩画のようなぼやけた描写になってるんですよね。人物はそのままのクッキリした線なのでかなり意図的だと思います。なのでやはり過去のシーンは事実としての描写ではなく、(誰かの?或いは燃料としての?)回想として記憶のイメージを描いたものというのが正解なんじゃないかなあと感じた次第です。自分の中ではもうこれということにします。
もう大方の気付きをやり尽くしたので新しいことは何もないんだけど(折り目を付けた台本並の感想)、何もなくても過去の積み上げた考察が感情になって襲ってくる。
スススだけはマジで意味が何も分からんのに泣く、マジで何なんだ。いやデコトラも意味わからんけど…
しかしながら人間の慣れというのは恐ろしいもので、川崎の爆音上映を浴びてしまったせいで物足りなくなってしまっている自分がいる。怖いものだ…。
でもバカクソデカい音でスタァライト浴びると100点の映画が1500億点になるので……。
先日東京タワー観光をしてきたので東京タワーが映るたびにデカいんだなあ…と思ってた。今回は東京タワーでデカくなった感情を治めようと思ってたら再演が来たので本当に助かりました。
それとこんなレトロな映画館中々来る機会はないのでそういう意味でも面白かったです。
2022.4.18 舞台挨拶付きプレチケ上映 at新宿ピカデリー (4回目)
質の良い悪夢でした()
【チネチッタLZHC爆音上映】映画館6回目。毎週スタァライトキメてるな……
今日は通路挟んだ最前(G列)で。やはりスタァライトはバカデカイ音で聞くのが最高だわ……!!前回最後方列に座った回と比較して、明らかに音による感情の揺さぶられ方がもう段違いでした。普通に全部のレヴューで泣いてた。
というかこの爆音の煌めきを、この音圧の衝撃を、一度浴びてしまったら戻れなくなる……
やはり危険ですねぇ…舞台少女というものは……。
この映画、もはやほぼ内容覚えてるんですけど、
「キネマシトラスロゴ」→オァ〜〜始まった〜〜キネマシトラスありがとう……🙏
「電車」→うわ始まった(背筋を伸ばす)
「鉄火場のクロはん」→うわ始まった(背筋を伸ばす)
「宣誓!」→うわ始まった(背筋を伸ばす)
「大場映画劇場」→うわ始まった(背筋を伸ばす)
「ACT Ⅰ」→うわ始まった(背筋を伸ばす)
「東京タワーの階段」→うわ始まった(背筋を伸ばす)
「マッドマックス」→うわ……いや何もわからん!!!何もわからんわ!!!
なお全部最後は泣いとる模様
爆音でメイン以外の声が聞こえることによる気付き
冒頭の石動双葉さんの進路のとこで「稽古にならないぞ!」の前は聞き取れなかったけど、その前は「緊張する〜」みたいなこと言って談笑してた
同じく、空飛ぶんだよな、サルバトーレが!のところ、後ろで実はななかれも「私見るの初めて〜!」みたいな話をしていて、直前までは本当に和やかだったんだ〜という。
地獄耳なのは天堂真矢だけじゃなくて大場ななさんもでした。
前回何故か急に理解したんですが、大場ななによる皆殺しのレヴューについて。今までは大場ななさんが皆を一度舞台少女としての死を意識させることで次の舞台へと進ませるモノだと思って。
まあそれ自体はあってるんですけど、大場ななさんが行為に至る動機として『メタ世界(観客/キリン)を周回によって知覚していることに所以する』モノだという漠然としたイメージだったのですが、発言を確りと汲み取るに『大場ななが幾度も繰り返した世界の先で舞台少女として堕落した皆の姿』を見たが故に起こしたものなのかとスッと腑に落ちました。
毎回思うんですけどキリンが燃えるとこで走る観客席のポジションゼロ客席に座る花柳香子さんの太ももが……えっち……。
鑑賞n回目にして気付いたんですけど、再生産直前の神楽ひかりによる、『舞台で、待ってる。』という発言。これ11話の舞台少女心得幕間のアレやんけ!!!!!!となった………
アニメ本編では愛城華恋さんが1人孤独になった神楽ひかりさんを甦らせるために『舞台で、待ってる』の言葉を99期の皆から受け取ったのに対して、映画ではその神楽ひかりさんから発されている……この、対照構造……!!!
今更気付いたのかと言われてもまあ仕方ないですけど自力で気付いたのでオワ〜〜〜ッッ!!になってしまいました……
あと今日は諸事情あってクイズ脳になってた補正も込みの感想ですが、めちゃくちゃ細かいところにもネタが多い(今更だけど改めて)……。ネタバレ無しの小ネタカルトだけでペーパークイズ1枚分くらいはできそう。
いつか作るかも(けど…今は、よ!)(君死に給うことなかれ)(差し出される脇差)
劇場5回目?チネチッタの爆音上映、また来ました。
今回はちょっとした都合と今まで見たことないという興味から最後列の席を取ってみました。
爆音上映とはいえ最後列だと普通の映画館と音量感的には大差なかった!でも低音はスゲ〜〜でかい……圧がすごいぜ……
一番後ろの席に来て初めて気付いたことが2点ほど。
後方だとまず映画への没入感が薄れます。その代わりにかなり俯瞰的な見方ができます。
『映画を見ている観客』を見ることができるからかもしれないです。
そしてもう一つ驚いたこととして音声の空間がかなりハッキリ認識できます。デケェ音だからかもしれん……
目の前の登場人物の声はまっすぐナローに、左右の声は当然左右から、そして画面手前のキャラクターの声は真ん中なのにワイドに聞こえます。
逆位相くらい?広がってました。でも映画とかいう配置もスピーカーもバラバラなメディアでそんなリスキーなことするとは思えないのであくまでそれくらいという感じです。
今回は一旦過去の考察とかは忘れて初見の体で見ました。自分が最初見たときを思い出しつつ……
……
いや無理だわ!1度しか初見の衝撃は味わえんのよ!過去の自分が考察した分だけ感情が積もっとるんよ!
直前にスタァライトの台本の文字を書き起こす某考察記事を読んだのもあり、今回は戯曲スタァライトにある台詞に気が付くたびにウォッとなってしまったね……
今回は後列席や初見の再演意識のお陰で、狩りのレヴューとスススの2回しか泣かずに済みました。
スススの演出だけはマジで何も分からんけど、感情も台詞も流れも舞台装置の規模も、何もかもがデカすぎて涙が出てくるんですよね……恐ろしい作品だわ……。
いや〜〜でもやっぱりこの映画はアトラクションなんでね……極力デケェ〜音とデケェ〜画面で観れる前方をオススメしたいです。(ネタバレ無し純度100%の感想)
【チネチッタLIVE ZOUND HARDCORE爆音上映】
BD出てから何回か見たので総回数ではないが、劇場だと4回目みたいです。
トマト破裂音デッッッッッッッッッカ!!!!!!!!!
やっぱり映画館のデカいスクリーンの、デカい音で見るとインパクトが格別に違うわ……
つい最近私生活でも人生の節目のような終わりと始まりを迎えたのが重なって、あらゆる台詞に特功バフかかって響いてきたので、今までのスタァライトでも1番感動した。
というか、もう、感情と情緒がめちゃくちゃ。
具体的には全部のレヴューで泣いてた。
古典和歌で「我が衣手は露に濡れつつ」なんて表現があるけど本当に服の袖(映画館なのでマスクも)で涙を拭ってたもん。
映画の話はもう無限にやってるし語らないとして、レヴューの最初の方では「レヴューきた!?曲良いんだよな〜(全曲いいので同じ感想)」となるのに、口上のあたりから映画の描写と自分が過去にした考察の積み重ねが合わさって、その上今回は現実の境遇とのシンクロバフが相まって「ぅック……(涙を拭う)……ァ……」みたいなことになってた。
各レヴューの間に愛城華恋さんの過去編が入る構成、BDをゲットして家で見られるようになった当初は「ここいる?(n回目)」と思ってたけれど、映画館ではコレ絶対いるわ。
これは監督の優しさだったんですよ、「この時間にさっき爆発させた感情をクールダウンしてくださいね」というための時間だったんですね〜
コレがなかったら感情が爆発しっぱなしだけど過去エピが挟まることで感情に波が生まれて何度も何度もデカい感情になってしまうという訳なのです。理解しました。
劇場版の設定は『オーディションの開始日(=神楽ひかりの転入日)』である5/14になってるけど、テーマとしては「新たな道程」や「過去の精算」が主題なので、実質2月や3月のこの時期に見ると途轍もない破壊力がある。
爆音上映としての感想ですが、具体的には90Hz以下が"圧"で来ます。
そして音がめちゃくちゃでかいので、今まではマスキングで全然聞こえてなかった「メインが喋ってる間のガヤ/モブの会話」とかが聞こえてきて、また新たな気付きが得られました。
ホンマに上映してくれてありがとう。
再視聴。私にも、この作品とケリがついた気がします。華恋の「私もひかりにまけたくない」が何となく分かりました。そう言った時、華恋(演じていない華恋)は驚いていました。ひかりへの感謝でも、ひかりと一緒にいたい願いでもなかった、言いたいことを口にしたはずなのに、どこか自分の知らない思い。「自分」だと思っていた以上のものを演じて知った瞬間、それはとても怖くて眩しくて煌めいた一瞬でした。
オタクと一緒に家でBD上映会(4回目の視聴)
🍌のレヴューとかススス落下シーンとかで出るマーク、星積みの塔のマークかと思ってたんだけど、一緒に見てた友人から「棺桶のマーク⚰」と言われてはぇ〜〜〜!!となった
あと真矢クロのレヴューのラストが『二人共奈落で見上げてる』って言われておァーーとなった……
何度見てもスーパースタァスペクタクルで何もわからんのにめちゃくちゃ笑えてめちゃくちゃ泣けてくる、本当にすごいアニメだ…
🍅
(視聴日 2021/12/20)
劇ス、3回目と申します。
時系列的には何も知らずに初回見て、アニメ履修して2回目見て、考察斜め読みしてロロロの直後です。
もはやBD出るし考察も無限にあるので深くは書かないと言いたいところですけどこれは私の備忘録なので好きなだけ書きます。
でも大体既出考察クリシェなのと、引用や元ネタのような知識的な物でもなく、登場人物の人間関係や発言などの原作内のみで完結するものだけになるとは思います。
まず結論から言うと、3回目にして最後で泣いてしまいました…。この映画という作品の色々な"仕組み"に気付いてしまって、その上で色んな感情が(キャラも自分も)大量に押し寄せてきてしまって、そして曲と演出が良すぎて。人間は余りにも良いモノを浴びると笑いながら涙が自然と流れてくるんだなあと思いました、すごい。
私、この映画の好きなとこ100個は言える!
でも、この映画の嫌いなところは、1つも言えねェ……
話の大筋はもはや見てくれとしか言えないので気付いたことを書いていくやつ。
今回は考察を少し読んだので、『この舞台の、観客は誰か』といった疑問提起についてしっかりと意識して見れたのがまず大きな変化だと思う。この映画を見るに当たって『観客が誰か』『この舞台の立ち位置はどういうものか』を認識して見るのとでは大きく理解が異なる。映画でありながら、こちら側にいる観劇者(映画鑑賞者)の存在を知覚しており、その影響を受けているという前提をこちら側も理解しておくだけでもかなり理解が進む。
電車内のシーンもよく見るとたくさん気付きがある。
進学組(ひかふたまや)とそうでない組(かおくろ)と過去に囚われている組(かれなな)で席が分かれていたりするのはまあ2度目で分かっていたものの。
電車内で、クロディーヌが双葉を唆す発言や、純那が自分を卑下するような発言をしていたあたりも実は後のレヴューのトリガーになってたのは今更気付いた…。
小ネタ枠では、電車内で双葉がポーズ真似してたのは見たらわかるんだけど、その直後に真矢さんが背景の全然違うポスターのポーズとシンクロしてるのは気づいたときちょっとワロタw
車内の電光掲示板には演劇祭?みたいなので、聖翔音楽学院以外にも舞台版で見たことある名前がチラホラ。
大場なな、皆殺しのレヴュー。
いや、もう、wi(l)dscreen-baroque、曲が良すぎる!!!かっこよすぎる!三好啓太さんありがとう……。もうこの曲を聞くだけで映画を見に来た価値があるといっても過言ではないからな…。
レヴュー内のみならず見学会前日にも(洗濯物を干しつつ誰にも聞こえない様に)言っていたばななの「喋り過ぎだよね」は自身が"どういう立ち位置/役割の人間であるか"を知覚しているが故の発言と受け取れる。
(ななと真矢以外)舞台装置内で死という演出を受けたのも、この『舞台』の中で『演じ続けていなかった』から。
「なんだか…強いお酒を飲んだみたい。」は(>>シェイクスピアからの引用という考察から)、大場ななさんの(愛する)純那ちゃん(≠"星見純那"(後述))に対するせめてもの助け舟だったんだろうなあ
「天堂真矢は負けてない!(涙目クロちゃん)」という考察見かけたので意識してみてたけどホンマや……!「あれ?でも自分の骸を見つめるシーンで真矢居たよね?」と思っていたが、自分の骸と向き合うシーンは6人だけじゃなくて大場ななさんも居たので戯曲スタァライトに囚われていない2人以外全員なんだと思う。あのシーンは罰というよりも、ここから再び彼女達の演劇への火を着けるための、あるいは『この作品(アニメスタァライト)』を終わらせる為の役を自覚させる為だったのかも。大場ななさんも「そろそろ、私も自分の演じる役に戻らなきゃね…」みたいなこと言ってたし。この役は後述(忘れてなければ)。
その後、『もう死んでいる』九九組の皆を除いては楽しげな第101回聖翔音楽祭決起集会。「どうしてあいつだけ…」と納得のいかないクロちゃんと("あいつ"はこの時点では大場ななさんか天堂真矢さんか分からないけど後の発言で天堂真矢の事を指していることが分かる)、第100回で"再生産"されてしまった戯曲『スタァライト』の結末に悩む脚本担当の子。
見ない、聞かない、調べない。非核三原則ならぬひかり3原則(言いたかっただけ)
因みに幼少期のかれひかはひかりの方が積極的な感じですけど、プロフィール(ロロロパンフ参照)を見ると、実はひかりは早生まれなので愛城華恋さんの方が本来は大人びているはずなんですよね。
こういうところからも幼少期から既に愛城華恋には"生きる為の糧"が無いことや"(神楽ひかりさんによって)舞台少女というキラメキを与えられた"ということが分かるように出来てるのかな〜と。
⚠ これは映画とアニメを見てからずっと気になってるんですけど ⚠
アニメ/ロロロでは愛城華恋と神楽ひかりが「私、ロンドンに行く→手紙ならいいよ」の会話をするシーンが滑り台の上なのに、劇場版では滑り台の下になってるんですよね……
流石に(これほどまで緻密に練られている映画の中における)こんな重要なシーンで、描写を変えていることに何の意味もないとは到底思えないのでずっと気になっています。
個人的には『愛城華恋にとっては重大な記憶/イベント/出来事であるにも関わらず、ひかりの中ではただ別れを告げたというおぼろげな記憶』であることを表現する為に敢えて変えたんじゃないかなあ…と思っていますが、どうにもしっくり来ていないので、この描写の部分についてクリティカルな考察があったら教えて下さい。
こっからレヴューについて語ります…なぜなら過去周りの詳しいことを覚えられなかったので……
石動双葉さんと花柳香子さん、怨みのレヴュー。
女郎の格好の香子さん。クロディーヌに向けて発した「ウチのお菓子箱を唆して〜」みたいな発言はアニメ本編中における部屋での説得もそうだし、電車内での新国立行けると思うわよみたいな励ましに対する苛立ちに因るモノですよね。要するに『一番傍に居た筈の存在である自分から引き剥がそうとした』言動に対しての明示的な敵がクロちゃんだったという感じ。
賭場に突っ込む デ コ ト ラ wwwww笑うしかねえだろwwww何二人共名乗り口上述べてんだよwwwwwww誰かツッコめwwwwwww監督もやりたかっただけ言うてるからなここに関してはもう何も言うまい
博打についての他者の考察。ふたかおは片方早生まれで年が違うから(名乗り口上で分かるが)17歳と18歳、クロちゃんを相手取ってた丁半博打はふたかおのどっちに賭けるのかという考察を読んで流石にこの目の付け所はスゴイと思った。
セクシー本堂の直前の石壇登るシーンでちゃんと「←本堂」って書いてあるの気付いてしまって危うく笑いかけた。
セクシー本堂のシーン。これは劇スを初めて見たときから感じていましたけど『アニメ映画ならではの表現』だなと。話しを継続しながらも、いきなり場所とカメラワークと衣装と一気に変えて繋げるってリアルの映画では中々出来ない技法だと思うんですよ。これってホントスゴイと思います。
このレヴューのオチについて。
デコトラくんさぁ…キミたち衝突してなかった?…いやいいよ、百歩譲ってデコトラ衝突じゃなくてチキンレースに切り替えたとしようか。
チキンレースで本堂(の舞台)から一気にデコトラくんが飛び出して落ちたとしてさ?
な ん で 床 に 穴 が 空 く ん だ よ ! ! !
これだけはマジでわからへん。多分考察とかしようと思ったらなんかの映画のワンシーンが元ネタなんだと思うけど永遠の謎やわ。
「監督のワガママには勝てんわ。」って香子はんも言うてた気がするわ。
神楽ひかりさんと露崎まひるさん、競演のレヴュー。
…と始めるその前に。神楽ひかりさんは既に舞台から降りていた。100回目のスタァライトの後、結局自主退学してロンドンへ。後にも語られるけれどこれは愛城華恋さんからの『逃避』による行動であり、「友よ、征かねばならぬ〜」と言うような自主的なものとはまた違っていたのだと思う。
そんな感じでヌルっと『"舞台"を降りた』神楽ひかりさんに対しても、"観客"や"キリン"が舞台を素直に降りることを許す筈もなかろう。
そんな訳で神楽ひかりによる"再演'を望む方々に依って、ワイルドスクリーンバロックの迎えが来た、てわけ。
神楽ひかりさんは歯牙にもかけてなかったけど露崎まひるさんからは(愛城華恋さん経由で)クソデカ感情の矢印が向いてたからな〜〜〜〜〜!?入学当初からずっと同室で世話もしてて励ましても貰ってた大事な存在を、なんか急に(しかも10年ぶりとか?)現れた謎の転校生に一瞬で掻っ攫われてしもたんやからな…
このレヴューもさぁ〜演出が良い〜〜〜!一瞬でシチュエーションが変わるのとか、それでいて動線は保持してるのとか作りが上手すぎ〜!?
とか言ってたらホラーな感じ。Jホラー意識らしいって監督言ってた気がするけど「人からの理不尽な怨恨」みたいなのはJホラーのテーゼみたいな感じがあるよなあ。
メイスを床にブチ込んで地面破壊するあたりでヒョェ…となるけど、これは先に述べた純粋な怨恨を"舞台"として演じながら伝えている。けれどその一方で、愛城華恋という存在からの逃避と、舞台の上での役としても意思の疎通を取ろうとしない神楽ひかりには演者ではなくただの人間の行動として映る。このね、舞台上であることを理解できてる人間とそうでない人間によって生じる差も1つのこのコンテンツの大きな楽しみですよね…
天堂真矢さんと西條クロディーヌさん、。
いや、これ〜〜!!コレが個人的にかなりヤバい。…んだけど!見てから時間経ちすぎてあんまり内容思い出せない!
動物将棋(?)をしながら語る二人のシーンから。ていうかあんた、弱すぎじゃない?クロちゃん、せめてものマウント。
西條クロディーヌさんは先の電車でのレヴューで、天堂真矢さんとの舞台に対する意識の差を文字通り痛感しているところ。
一方の天堂真矢さんは常に1つの頂点を目指して普段通り"演じれば良い"と考えている。
そんな人間に相対する"悪魔"に扮したクロディーヌ。
二人のね口上がね、互いに本編の口上に返歌する形でバチバチに挑発してるんですよね……!現代の歌人がよ…。
アニメ本編では「…大火傷だったわ。」や「天堂真矢は負けてない!」と言い張るほど真矢の実力を認めていたクロディーヌに対して、天堂真矢の"空っぽの器"で演じていたという事実が突きつけられ、階段から転げ落ちる。
しかしレヴューは終わらない。「舞台の理を…ッ!」悪魔との契約は、見たことの無い舞台を見ること。これが達せられるまで終わらない。
このレヴューで最も特筆すべきことはやっぱり天堂真矢さんのこれまで抱えていた内情なんですよね…。天堂真矢さんはサラブレッドと呼ばれる家の生まれなだけあって(アニメでは家庭事情について描写されたことないケド…)孤高のトップに対する意識の高さは誇りと驕り(アニメ3話)でも出てた。けれどもその本質は努力したが故のトップとかではなくて、自身が演じればどんな役であってもトップになれるという、他者の可能性を真っ向から否定するものだった。
いや、これほんとに、おまえ、天堂真矢お前どんな気持ちでこれまでお前……、。アニメ本編で言ってた「私は負けていませんよ、クロディーヌ」とかの発言はクロちゃんを認めたこととかじゃなくてこれガチで負けてないとか思ってたのかもしれないなあとか思ってしまうんよ!本当に天堂真矢という女の味方が大きく変わるので映画の中でも正直かなりヤベーと思う。
大場ななさんと星見純那さん、狩りのレヴュー。
いや、やっぱりじゅんなななのレヴュー何度見てもエエわ……!!
直前にロロロ見てたからなんですけど「ばななは泣き虫だ」ということを純那は知ってるんですよね、同室だからこそ他の人より大場ななという存在を知っているけど、過去の周回は何も知らない。
逆にばななは過去の再演を通じて「手が届かないと分かっていながらも手を伸ばす貴方が美しかった」ということを知っているのに、いや知っているが故に、電車内での発言を許せなかったんですよね。諦めるような発言をする星見純那は"私の知ってる星見純那"ではないと。
そしてその結果が「君、死に給うことなかれ」と脇差を差出し切腹(=舞台少女としての幕降り)を促すという行為に繋がるわけよね…。
更にいうとこれは電車上で言っていた『大場ななが演じている役』であり、鑑賞者(=作品を見ている自分達)が"そういう星見純那のキャラクター"を好きだということを見透かしていて、そういう期待に応えるために演じてる状態でもある。
大場ななは"この世界"の構造を(キリンを除いて)一番理解しており、登場人物の一人でありながら、狂言回しや道化のような立ち位置として物語を進める役割も担っているんですね〜。
最後に互いの知らない存在であることを受け入れて「じゅんなちゃん/なな」呼びではなく、「さようなら、"星見純那"」「さようなら、"大場なな"」と自分の未知だった1つの個人に対して別れを告げるというのも良すぎる……
この直後に大場ななさんが「純那ちゃん…」っていうから大場ななの中ではまだ再演の中で輝き続ける"純那ちゃん"とたった今知った未来を見据える"星見純那"が同一だと受け入れられてないんだというのもまたね……。
ここは他者の考察を見ての気付きですが、
電車上の純那「こんななな、知らない…」→ばなな「こんな純那ちゃん知らない!貴方は誰!?」
ばなな「あーあ、泣いちゃった」→終わり際の純那「…泣いちゃった」
みたいに互いに煽り合いというか互いが知ってるようで知らない部分を見せられてるっていう構造すごく面白いんですよね。
全ての序章が終わり、約束タワーを登った先で愛城華恋と神楽ひかりが対峙するシーン。今までなんで急に愛城華恋さんがぶっ倒れて急逝したのか分かってなかったんだけど、今回ようやく理解した。
神楽ひかりの口元と足元に転がるトマトから神楽ひかりはトマトという栄養(=観劇者)を得て存在意義を保っていられる。一方で愛城華恋の足元に転がるトマトは無傷で、トマトに見向きもしない。「二人でスタァライトをする」という存在意義で神楽ひかりだけを栄養(燃料)にして舞台少女として生きていたものの、神楽ひかりから"その先"を否定されたことによって『この映画における存在意義』を失ったため息絶えた。多分こういうことなんだと思う。
穿った見方にはなるが、「観劇者の『愛城華恋による再生産』に対する期待」の為に殺されたという解釈も可能だろう。
因みにレヴューで勝った方…まあ要するに『舞台少女として輝いていた方』は基本的に"舞台少女としての先の人生"を歩んでるんですよね。全員そうやろがい!と言われたらそうなんだが…
ふたかお…(win)双葉は新国立、(lose)香子は京都で世襲
ひかまひ…(win)まひるも新国立、(lose?)ひかりは…?
じゅんななな…(win)純那は…?、(lose)ばななはロンドンで舞台創造の道へ。まあ元々脚本やってたし(ロロロパンフより)普通に実質最強枠だからな…。
まやクロ…(win)クロちゃんは予定通りフランスへ、(lose)真矢は新国立。このレヴューだけ"次は…"って言ってるから痛み分け扱いというか二人勝ち扱いになってるのかも。
かれひか…(win)ひかりはまひるに負けてるけどこっちで勝ってるから特に何もなく他の面々と会いに放浪の旅へ?、(lose)愛城華恋は、次の舞台へ。
劇場版スタァライトは意図のあったりなかったりする示唆を無限にしてくるくせに、回答を明示しないことが多いのでオタクの怪文書考察が無限に出来てしまうバグがあるんですよね。この映画の構造そのものがSNS等で情報発信や共有がイージーになった現代文化にフィットしたモノになっている側面もある。
劇中でも言及されていたが、まさに観客(つまり俺ら)が望んだから生まれた舞台。
それぞれのアフターエピソードや過去の掘り下げといったTV版の補完というかファンサービスというかがモリモリだった。TV版本編を終えた舞台少女たちが次に目指す場所を示すことで、その後の作品世界の広がりを感じる、後味の非常に良い仕上がりになっていた。
なんで戦ってんの?なんで怒ってるの?とか細かい設定はよく分からないけど、そんなこと気にしなくてもジェットコースター乗ってる時みたいに騒いで楽しめる。考えるな、感じろって感じ。
とんでもないものを見て、せめて感想は残そうかと思ったが、いざキーボードを開くと何を入力すればいいのかわからず……脳でも焼かれたか?
人って理解を越えたものを見せられると笑いが出るんだな、と思いました。笑いは出るし涙浮かんでくるし情緒がわからなくなってしまった。
百合好きな身からすると、本当に色んな関係性が見られてそれはマジで最高でした。それだけはこの映画の初見で(ある程度は)わかります。特にまひるちゃんと純那ちゃんの感情はめちゃくちゃ刺さりました。もちろん他の子たちもすごく良いものを見させていただきました。純那ちゃんマジでこの作品で好感度爆上がりしたな。カッケェよホントに。華恋ちゃんもすっごい掘り下げられてて、TV12話分見て気になっていたところを完全に補完してくれて最高。百合が好きなら絶っっ対に見た方がいい。
本当に全然理解できてないんだけど、思い出に残る一作です。
観たいものが全て入っててひじょ〜〜〜〜〜〜〜〜〜に良かった。
私たちはもう舞台の上
メモ
Date:2021/1/2
Youtubeで公式がアニメ本編を全話無料公開していたのでアニメ本編履修してからの2回目!(ロロロは未履修)
何も知らない完全初見と違ってキャラの背景をしっかり把握できたから各台詞の持つ深みや説得力がグッと増して感じられた。
見る前に予習復習も兼ねて考察記事を読んでから見たんですけど、トマトやキリンの持つ意味だとか、各戦闘を通じた二人の関係性とかをより理解できてグオワ〜〜〜ありがとうございます……という気持ちになった……
音響はたしかにすごいんだけど、ストリーミング始まったら家で何度も見返してもいい映画だと思いました
ここまで来るといっそロロロ観たいわね…
卒業。
不安、進路、諦め、韜晦、希望、飛翔、約束、成長、迷い。
前進。止揚。未来。
少女たちの関係性のドラマに映像美とアクションをブレンドして、何重にも重なった歌劇の世界。
デコトラ!オリンピック!泣いちゃった!かわいい!
これはあまり考えすぎてはいけない、"関係性"のアニメ。
キマった舞台演出と作画で顔のバチバチに良い女たちが痴話喧嘩するやつ。
でもTVシリーズをみて、この映画を見て、またTVシリーズをみると、
痴話喧嘩で掘り下げられた発見がある。
特にひかりと華恋は、そのセリフそんな気持ちで言ってたんだ……ってなったり。
ストーリーの評価はTVシリーズ見たかによりそう。見て良かった。
劇場版レヴュースタァライト感想(※たぶん?ネタバレあり)
まずこの感想は少女☆歌劇レヴュースタァライトに関してアニメの1話すら見ていない、キャラの名前どころかキャラの見た目さえ知らない人間がこの映画を見た感想であることを予め述べておく。
因みにかろうじて知っていることはこの映画が話題であることと、曲の作詞が中村彼方さんであることだけである(なんで?)。特典欲しさに「見るなら今しかねえ!」思って足を運んだ次第である。
結論から言うが、よくわからんけどすごい映画だった……
冒頭、進路相談の体で各キャラクターの名前と未来を語る。
そして電車に乗って見学に向かうのだが……。
…何!?へ!?なんか、へ!?何?これバトルアニメ!?帝国華撃団的なやつですか!?!完全に置いて行かれた…ッ!
そして徐々に理解し始めてくる。これは映画であり、アニメであり、アニメという構造を利用した『演劇舞台』でもあるということを。更に言えば、舞台装置がどう工夫してもできないような演出を行っている、演出技法の面で言えば舞台の更に特殊な上位互換なのだと。
それを理解できると今度は話を追う余裕が出るが…キャラの感情が悉くデカイ!
完全初見なので、話に出てきた「オーディション」やキャラクター同士の関係性は理解できていない(なんなら自発的に核心的なネタバレを食らっているまである)が、サシで舞台に立ち、舞台の中で"演技"と"本音"を織り交ぜながら互いに理解をしていく、このプロセス/構造が異常であり、そしてすごい…。そのセリフに乗る感情は、何が演技(虚)で何が本音(実)なのか。きっと白黒の二元論では語れないような部分もあるだろう。
さらに、魅せ方の演出にも多重に舞台装置的かつアニメでしか不可能とも言えるようなアプローチがある。アニメ的なギミックは勿論だが、トマトやT字やキリンを始めとした、モチーフないしメタファー的な演出の扱いが非常に多い。考察の余地が百分にあるだろうと思わせられた、きっと丁寧に作られているはずだというスタッフへの信頼を前提とした話ではあるが…。
そして音楽!舞台でありそうな(急に歌が入ってくるやつ)オーケストラのようなものが多めではあるものの、総じて精神の高揚に合わせて作られていて非常にアツい!踊ってしまうような曲ではなかったものの、思わず拍手しそうになるクオリティの高さだった…
総じて、劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライトは事前情報を何もなくいきなり映画から入っても十分面白かったです。
が、たぶん素人目に見ても核心に触れるネタバレがあることと、最初の舞台演出で完全に脳が思考停止してハァ!?なんじゃこれ!?となるのを防ぐため、そしてなにより各キャラクターの巨大感情を十二分に味わう為にもアニメを見てから行くということを推奨したいと感じました!いや、ほんとにすごい歌劇アニメ映画だった……。
TVシリーズが綺麗に終わったので、新作映画は蛇足なんじゃないの?と思っていた派。
蓋を開けてみたら超最高の作品に仕上がっていて、完全にやられた。
・香子と双葉
・ひかりとまひる
・純那となな
・真矢とクロディーヌ
・華恋とひかり
これらの関係性を、丁寧に発展させて描いていて文句の付けようがなかった。
舞台って、いいな。
劇場版は楽しみだった反面「蛇足になるのでは?」という懸念もあった。物語的にはTV版の時点でしっかりまとまっているわけで、故に自分は「このエンディングから、蛇足感なく物語を構築できるだろうか?」という疑問、そして不安を抱えつつ劇場に向かうことになった。
だが、そんな自分の不安や疑問は開始早々に崩れ去った。
序盤、華恋が白紙の進路調査票を提出するシーン、そして香子が激情を爆発させるシーンで、観客は「レヴュースタァライトは、まだ全然終わっていない」と理解することになる。
キリンのオーディションは残酷にも99期生内部の「舞台人としての才能の差」を可視化してしまったわけだから、華恋を除く8名の心にわだかまりを残してもおかしくないし、何より我々は「愛城華恋が『ひかりとのスタァライト』という夢を叶えたその先の道」をまだ見ていない。
一応、「9人の中で唯一『夢を叶えてしまった』存在である華恋がその先で選ぶ道とは?」というテーマは舞台#2でも語られたのだが、あの時は結局「八雲という『敵』を倒す」という方向に最終的に物語が向かってしまい、前述のテーマは半ば有耶無耶になってしまっていた。
今回の劇場版は、消化不良のわだかまりを抱え、それを半ば受け入れながら前に進もうとしてしまっていた9人の舞台少女が、新たなレヴュー「ワイルドスクリーンバロック」の中でそんな感情をぶつけ合い、精算し、TV版からの重要キーワードである「アタシ再生産」を果たしてゆく、「卒業」の、そして「旅立ち」の物語だ。
序盤にななが仕掛けた「皆殺しのレヴュー」、そしてななが放つ「わたしたち、死んでるよ」という衝撃のセリフで、観客は再びの気付きを得る。
キリンのオーディションを終えた8人は、前述のように各人のわだかまりを抱えながらも、それを受け入れ、あるいは諦めつつ前に進もうとしている。香子が、自身のトップスタァへの執着を吐露しつつも「うちが一番しょうもない」と自虐しているのは、その象徴と言える。
真矢に負けたままオーディションを終えてしまったクロディーヌ。
自身の預かり知らぬところで自分の進む道を決めてしまった双葉に対する怒りが(それが双葉なりの「ふたりの花道」だと知りつつも)再燃する香子。
自分の選択をTV版で香子と交わした約束に対する裏切りだと感じて、後ろめたさを捨てられない双葉。
もっともらしい言い訳を並べて天才たちと相対することから遠ざかる純那と、それを許せないなな。
大小のわだかまりを抱えながら大人になっていくのは、我々にとっては普通のことだ。だが、彼女たちは「舞台少女」。悔しさや後悔をも糧にして進む(by「舞台少女心得」)者たちである。それが燃焼しきっていない感情を残したまま卒業していくことなどありえない。それができないとあらば、舞台少女としては「死んだ」も同然…という事実を、ななは自分を含めた7人の舞台少女、そして観客に突きつける。
そんな彼女たちが自らの感情を吐き出し、ぶつけ、最後に「アタシ再生産」へと至る計5幕の新たなレヴュー「ワイルドスクリーンバロック」は、TV版に輪をかけてスペクタクルかつ独創的なヴィジュアルで、新たなレヴュー曲も相まって観客の度肝を抜く。
TV版よりもより濃密かつエロティックな演出で、香子と双葉が感情をぶつけ合う「怨みのレヴュー」。
まひるのTV版からの成長、そして舞台少女としての本気を見せつけられる「共演のレヴュー」。
純那が選んだ新たな選択に涙する「狩りのレヴュー」。
TV版では若干不遇だったクロディーヌがこれでもかと活躍し、好敵手・天堂真矢の喉元に迫る「魂のレヴュー」。
中盤から矢継ぎ早に展開されるこれらのレヴューシーンは「レヴュースタァライト」でしか味わえない映像体験と言ってもよく、これだけでも一見の価値がある。
そしてレヴューシーンのエモーショナルさに強く寄与しているのが、画面の中の舞台少女たち同様に成長を続ける9人の声優の演技だ。
香子を演じる伊藤彩沙のドスの効いた京言葉に、TV版以上の冷徹さと激情で純那の心を打ち砕かんとするななを演じる小泉萌香の気迫。今までのまひるになかった、震え上がるような恐ろしさを演じきった岩田陽葵など、どの声優の熱演にも拍手喝采を贈りたくなる。
「ワイルドスクリーンバロック」の幕間に展開される華恋の過去回想は、制作陣も「TV版では舞台装置的な立ち位置にならざるを得なかった」と語る「愛城華恋」の人間性を改めて掘り下げていて、華恋を更に好きになれるし、それを踏まえてのクライマックスでの「アタシ再生産」、そして舞台少女としての決意を新たにしたひかりとの最後のレヴューは抽象的な演出故に未だに飲み込めない部分もあるものの、レヴュースタァライトの、99期生の物語の締めくくりに相応しい熱量を持っている。
TV版以上に物語は抽象的で視聴者に考察・脳内補完を求める部分は多いものの、それを楽しめるファンにとっては100点でも足りない名作足り得る、制作陣の熱量がこれでもかと味わえる凄まじい作品。
きらめきをめちゃめちゃ浴びた
とてもよかった
それぞれみんな色んなことにけりをつけてみんな進んでいく感じがしたし
とても綺麗な終わりだったと思う
最初の大場なながホントかっこよくてあんなの落ちるよ
なんなの??ってなる
やっぱりお互いのカップリングでの話は良かったけど
特に良かったのは天堂まやと西条クロディーヌなんだよ
お互いライバルで理解者で最高
2回目は1回目よりも込められているメッセージが鮮明に映った
2回目は1回目よりもいっぱい泣いてしまった
ただ挑戦し続けようとする少女の物語ではなく、変わらなきゃいけないと分かってはいるけれどその一歩が踏み出せない彼女たちがどう過去に区切りをつけて先に進みだすのか
そして、私たち観客もこの物語を構成する一員でもある
最後の「本日、今この時」オーディションに挑む華恋の姿には、2時間この物語を見て心のうちにある熱い気持ちを何かに注ぎたい、歌劇じゃなくともそれぞれの舞台の上で何かを成したいと思っている「私たち」観客の姿を見たような気がした
「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」視聴終了
評価S(神作品)
これぞスタァライトだ!というのをひたすら浴びた120分でした。
アニメより何倍も増した濃厚すぎる怒涛のスタァライトが押し寄せてきた120分でした。
これぞ劇場版の強さだ!というのを痛感できた120分でした。もうスタァライトを知る前のあの頃には戻れません。胸を刺す衝撃を浴びてしまったから。
もう凄すぎて、見終わった直後はしばらく放心状態になって感想なんかまとまりませんでした。ただそんな状態でも一つ確かに言えたのは、間違いなく今のところ今年一番のアニメだということです。
とにかく舞台がヤバすぎます。ストーリーやキャラの関係自体はシンプルながら、そこにスタァライトが組み込まれることで、キャラの感情が何倍にも増して盛られ、セリフや場面の一つ一つに引き込まれる。この演出の暴力により、キャラ同士の関係というのに見入ってしまう。口上や表情、レヴュータイトル、その他全てのことがキャラを最大限に引き立たせている。これはスタァライトにしかできない技だと思います。バナナがもう最高すぎる…
キャストさんも言ってたのですが、4D映画かな?と思うくらいに肌に感じるものがもう凄い。誇張表現無しに、音が耳から聞こえてくるのではなくて体の奥から響いてくる。だからこそこのジェットコースターの中に入り込めた。こんなに作品の中に入り込めた作品は初めてかもしれない。絶対に劇場で見るべき作品。
何度も言いますが、視覚、聴覚、触覚、それら全てに訴えかけてくる舞台演出が凄すぎました。ストーリーとしては、多少よく分からなくてモヤる部分や、最後が「え?これで終わり?」となる部分(最後にもう一度全員が集まったり、その後の進路を描く話を見たかった)はあるのですが、それが気にならないくらいの最高の劇伴でした。スタァライト好きには堪らない作品だと思うので是非見てほしい。いやはや良い作品でした。
考察なんかはもう自分では全然分からないので色んな人のを見て回ります。そして、それを踏まえて2周目行きます。
東京タワーを上り詰めた少女たちは、次はスカイツリーを目指すのである。
端的に言えばこう言い表したい。(劇中に東京タワーは出てきてもスカイツリーは欠片も出てこないが...)
より上のステップへ登り詰めるため、今いる場所を捨て去りゼロから再び始める勇気を掴み取る物語
過ぎた過去の栄光よりもまだ見ぬより眩いきらめきを得るためノンノン・ノンストップで走り続ける舞台少女の姿は胸を熱くさせた
そして、相変らずのエキセントリックな演出や魅せ方が劇場でより映えるし大迫力
競演のレヴューでの音響は鳥肌ものだった
ストーリーラインは分かりやすく、ゾクゾクワクワクさせる展開に、様々な種類の高揚感を与える映像表現でとても良かった
完結編という感じで終わった後しばらくしてから寂しいかもだがじわじわ込み上げてきた。
いやまあ話が続く続編出ても良いんだけどこれはこれで終わっていて欲しい。
それぞれのレビューによって関係が精算されて先に進めるというのが描かれててとても良かった。
マヤクロレビューめちゃくちゃ気合入ってた。
ばなな強キャラ表現がすごくてこれも良かった。
エンドロールのみんなのその後とかもすごく良かった。
正直最初の起点の部分はよくわかってないんだけどそんなのどうでも良かなる程度にはそのあとが良かったのでヨシ!
🍅
劇場で観ると効果が最大になるやつなのは確かです(とはいえ、劇場以外で観ても充分衝撃は受けると思う)。エヴァの内省シーンとかまどマギのイヌカレー空間を特濃にして徹底的に舞台装置として再構築した感じの映像がひたすら続く。微妙に体調が万全でない状態で観たのでちょっとしんどかったw
どこまでが演技で、どこからが素なのか。どこまでが現実で、どこからが虚構なのか。
演出が徹底的に舞台のそれで、映画ではなく演劇を観ている感覚(ミュージカル映画をめっちゃ先鋭化した感じ)。でも演劇では絶対なしえないカメラワークが共存していて、第四の壁とかそんな生易しいモノではないw
アムリタシリーズを引き合いに出してるツイートとかもあったけど、ちょっと方向性は予想と違ってた。でもキリンとかこじつけたくなるし、むしろ日常パートの演劇モノとしての側面はどちらもあるあるな感じで良い。
舞台から見える景色、舞台に上がった時のあの感じ、よく出てた。
TV版未見なこともあってか、登場人物同士のクソデカ感情みたいなものの圧はとにかく感じたけど共感まではいけなかったなあ(最近感情移入するキャラがもっぱらヘタレかおっさんばかりの人)。だからかえって「観客」目線で一歩引いたところから観れた気はする。もしかするとそれが狙いなのかもだけど。
自分はメタ厨だしこの作品はめっちゃメタだったけど、ちょっと自分の刺さるタイプのメタとは違ってたかな。でも逆に自分がどういうメタが好きなのかちょっとわかった気がするw
わりとグロめなシーンもあって疲れたけどw、唯一無二の体験ができる映画でした
https://fusetter.com/tw/XknevE6k#all
ロンド・ロンド・ロンドで突然描かれた舞台少女の死、その先に進むための舞台少女たちの対話と衝突、そして愛城華恋のオリジンがwild(wide) screen baroqueの名の下にぶちまけられたような作品。一回目のざっくりした印象は『聖翔学園からの盛大な卒業式』という感じ。
テレビアニメ版から芝居が板についているように聞こえる。大場ななさんの淡々とした雰囲気はいい。泣いちゃった……のところ好き。
全体的になんだこれはというお話を叩きつけてくるんだけど最終的に綺麗にまとまっていると思わされてしまったし、エンディングが綺麗だったので普通に満足感がある。もう一度観ていろいろ考えたりするのもいいかもしれない。
ふうんフォーザシークウェルということか。舞台という概念の上で星と次の舞台を求める少女達の夢幻廻廊だったんだな。ごめん俺今テキトー言ったわ。いや、テキトーでいいんだよ。少女歌劇はきっと皆の心の中の素敵なサムシングなのだから!
演出の良さが際立っていた。
レヴュースタァライトだからこそできる表現であった。
TVシリーズと同様に説明不足な部分もあるが、映像が良く、気にならなかった。
最近「音を歩く」感覚で生きるようになっていて、その現実の感覚のままで視聴しました(視聴できたところがおそろしいほどにすごい作品とも思います)。とても楽しかったです。「舞台」の上は風が吹いています。吹いてくる風の中を歩くのが楽しくて、風に浸るのが心地よくて、次第にその中にいる怖さを思いました(逆にいえば、風が吹いていない場面は「舞台」への準備だと思いました)。
冒頭、華恋はひかりから吹いた風にとばされます。進路相談の場面の、遥かなるエルドラドを演じる華恋にも風を感じました。電車は風を起こす装置(ワイルドスクリーンバロック開幕のレヴュー)だと思います。華恋とひかりの幼少も風のふく場面があり、みんなのレビューにもそれぞれ風のふく瞬間があります。それらの風に浸るのがとても楽しかったです。
華恋はみんなの「舞台」の風を受けて、ひかりのいる舞台まで、自ら吹く風を持たずに上がり、風を持たないために倒れます。ひかりの呼び声に応えて、その華恋が自ら風を起こしてもう一度その舞台まで昇ります。その昇る場面で風を受ける怖さを思って手に拳を握りました。
「舞台」に自らの風を吹かせること、それが舞台女優を指すのではないかと思います。例えば…。
露崎まひるをどんどん好きになります。ひかりの髪をなびかせて風を吹かせたところが特に好きでした。
大場なな、今までよりずっと等身大のティーンエイジャーに感じました。ななの風は開幕のレヴューで両側の旗がはためくところがお気に入りになりました。
星見純那、何も見えない舞台のけぶりが晴れるところが風です。それと、星見純那の声が一番風だと思いました。星見純那にとって偉人達の言葉がどれほど重いものだったのかを思いました。「借りた台詞」でもなければただの金言でもありません。その言葉たちに身を重ねて想いを重ねてきっと純那は生きてきました。最後の最後に純那の背を押したのも失敗に纏わるそんなひとつの言葉でした。そんな純那が「他人の言葉じゃだめ!」と自分の言葉をななに向けるところに特別な重さを思いました。何かを選ぶことは何かを選ばないことで、星見の進んできた道がその様な風を描いたと思います。
双葉と香子、互いを選んだ(選ぶまい追うまいとして、気づいたら選んでいた)と思います。双葉の「ずるい、香子ばっかりいつも私を独り占めにする」(うろ覚え)と香子の「(今度は)うちが待たせる番」と双葉の言葉を取ったのが今まで以上に印象に残りました。
真矢、クロ。地下から吹く風が止むのを待って動き出すのが最高に好きです。強風のレヴューで全部好きです。
華恋とひかり、華恋の観客席への恐れにひかりが「そうよ」と返す場面、副音声が聞こえました。観客席が近いなら「舞台」は近い。照明が熱いなら見る「舞台」も熱い。「舞台」が怖いなら観客席も怖い。
観客を選んだ私はそのように、そのようにしか究極的には触れられず、ただしかし、同じように風を感じることをしました(己れの選んだものによって同じ様に身を重ねてみても違った読み替えが起きるだろう、と考えました)。
(追記)観るたびに全くわからないとなって全然違う感想が出てきて何度も書きたくなります…
(見終えた直後の興奮した頭で考えた無数の感想の一つをそのまま)
舞台少女の死の物語、別れの軌跡、ひとりで空を飛ぶ物語、そんなふうにわかりますと言った瞬間、頬をひっぱたかれる物語。だから一生眩しい。
後日追記
劇場版スタァライト、キャラクターを人(演者とは別)に還すように感じて好きです。座に還すのではなく、ここが座で、あちらがあるような感覚がします。絶対にふれられない部分があって、それが好きで幸せです。8人の物語を9人の「舞台少女」に書き進めたその先に完成した、作中戯曲スタァライトに匹敵する、これが新たな〈舞台少女の神話〉だと思います。
華恋とひかりの幼少の頃の約束から、一緒に舞台に立つまでの物語なのかな。その中で99期生の面々の葛藤・想いの溢れる衝撃的な舞台には目を見張る。個人的には、まひるのホラー仕立て歌劇がゾワゾワして好みでした。あんなに感情深い表現もなかなか見れないかなと。エレベーターの周囲から聞こえる問いかけは映画館の音の方向性の表現あってこそ!。良いもの見られました(^^)