ベル・ウィングをして「あいつの運は左に回らない(≒カードを自由自在に操れる)」神業ディーラーのアシュレイとの対決、そしてバロットの「戦い」がついに決着する最終巻。
物語のクライマックスということで前2巻にもましてスタッフの気合が入っていることが伺える出来だった。前2巻で感じた「物足りなさ」を払拭するには今一歩足りなかったが、最終巻らしく楽しませてもらった。
基本は前2巻と変わらず。短い尺という問題はつきまとう。だが今作ではシリーズ初の原作改変を行って、なんとか約60分でこの物語を終わらせることに成功している。
改変されたのは終盤。保釈され、オクトーバー社の抹殺対象となったシェルを保護に向かうシーンとクリーンウィルとの会談に臨むシーンをくっつけ、シェルが潜伏しているとされるホテルにクリーンウィルもいた、という改変をしてシーンを接続している。
ここは映画向けの良い改変だと思う。クリーンウィルを前にして、ウフコックがバロットの意志を信じ「俺は、俺を君に託す」とバロットにトリガーを預けるシーンも、「圧縮」との対比になっている。
カジノでの頭脳戦も色々カットしながらも、強敵・アシュレイのプレッシャーや頭脳戦を前巻よりも表現できている気がする。欲を言えばアシュレイ戦はもっと尺を使って欲しかった。
だが、バロットがかつての己を越える描写が薄味なのは難点。原作では身にまとった金属繊維(ライタイト)が剥がれ落ちることで視覚的にも「バロットが成長した」描写があったのだが、そこもカットされてしまったのは大きな残念ポイント。
そしてラスト、シェルとの決別とボイルドとの決戦。かつてあれほど依存していたシェルを前にしても淡々とした態度を崩さないバロットは「成長した」感があり、その後のボイルドとの戦いも見応えがある。
残念ながら同年代のアニメと比べても戦闘シーンは動き、作画の質など見劣りする部分もあるが、「砕けたガラスを足場にして迫るボイルド」などかっこいいシーンもあるし、最後までバロットの根幹を成していた「死にたくない」という意志、そして決意が「ウフコックの作った鎧(≒バロットの心の殻)を破る(生まれ変わる)」という形で視覚的にも表現されていたのが良かった(カジノでのライタイトのシーンを補完する意味も込めてか?)。
決戦時のBGM「The Roar of Supremacy」も非常にカッコいい。
ただし、ボイルドが投げ落とした電磁兵器を無警戒に撃つシーンはちょっとモヤッとする。そこで一言、ウフコックが「待て、バロット!」とか警告するだけでも違っただろうに、バロットが間抜けに見えてしまう。
問題は、やっぱり最大の敵であるボイルドの戦う動機がわかりにくいことだ。原作の情報量が膨大で、バロット近辺の描写をするだけで60分の時間がどんどんなくなるため割りを食ってしまっている。個人的には、本作上映前に発売されていたボイルドの過去を描く三部作「マルドゥック・ヴェロシティ」の要素とかも輸入して欲しかったのだが、しつこいようだが尺の短さがそれを許してくれなかったようだ。
ただし、原作(ヴェロシティ発売以前)でも「ボイルドの『動機』」はある程度読者の解釈に委ねられていた部分があったので、一概に映画の欠点とも言えない。
最後まで、尺の短さからくるせわしなさと描写の不足は否めなかったものの、3作の中では最もいい出来に仕上がっていた。何だかんだ言ったが、3作通して楽しませてもらった。
スタッフが変わっていないので当たり前だが、今作もどこか深さと難解さのあるサスペンス&ドラマ、リアルなアクション、そしてどこか「攻殻機動隊シリーズ」を思わせる文学作品の引用が交じる会話劇と「サイコパスらしさ」は健在。
何よりも嬉しかったのはサイコパスもう一人の主役、狡噛慎也のカムバックだ。『2』ではあくまで朱のイメージとしてしか登場しなかった狡噛は、待ちわびていたファンの期待に応えるかのように活躍する。
あくまで一人のデカであった狡噛がゲリラのアドバイザーとなり、多くの人々を(狡噛の本意ではないが)導く、かつての槙島のような立場に立ち再登場したのは面白かった。
各種戦闘シーンのクオリティは、TV版から更に磨きがかかったように思える。冒頭の不法入国者との銃撃戦を皮切りに、新型の兵器ドローンが活躍する旧首都での銃撃戦、多彩なガジェットを使いこなす傭兵たちの鮮やかな奇襲、そして狡噛と傭兵たちの見せるしなやかでダイナミックな格闘戦は見所。
シナリオに関しては、無印の時点でシビュラのカラクリが判明しており、「外国にシビュラが輸出されている」という設定を聞いた時点で「爽快なハッピーエンドには成り得ない」ことは誰もがわかっていると思うが、鬱エンドでもなく、さりとてハッピーでもないが、続編にも繋げられるなかなかいい落とし所を見つけて前向きな「本作らしい」視聴者にも何かを投げかけるエンディングに繋げられたと思う。
そして物語終盤、クライマックスに訪れるファンには嬉しいある人物の再登場と、ラストの傭兵とのバトルシーンには非常に興奮した。あのバトルシーンと、狡噛と宜野座のやりとりはファンにとってはたまらない。
サイコパスファンなら、絶対に見に行くべきと断言できる名作。
あと、「文鎮」もといドミネーターの肝心なときにおける役立たずっぷりは劇場でも健在である(笑)。ある1シーンでの強襲型ドミネーターの鮮やかな活躍は格好良かった。
前情報を全く持っていなかったこともあって、上映前の期待値はそれほど高くなかった。しかし物語が始まると段々とスクリーンから目が離せなくなり、劇場を出た後は、言葉にできない感動が心を満たしていた。面白かった、感動した、と文字にするのは簡単だが、「どうして?」と踏み込まれると上手く表せない。自分の語彙の無さが恨めしくなる。
戦争映画というと、自分の中では「『戦争は悲しいことだから絶対やめようね』というメッセージを嫌というほど込めたお涙頂戴系」か「『U!S!A! U!S!A!』なノリのミリタリーアクション」のどちらか、というイメージだったのだが、本作はそのどちらにも当てはまらない。強いて言えば「日常系アニメ」が近いかもしれない。そんな作風がとても新鮮だった。
内容的に、悲壮なBGMとかを流して「お涙頂戴ポイント」にできそうなシーンはいくらでもあったのに、あえてそういう直接的な演出からは距離を置いて、すずさんやその周囲の人々の生きざまを描く。それが逆に琴線に触れる演出となっていた。
無論、そういう「お涙頂戴」の要素が皆無かと言えばそうではないのだが、そういう部分を観客に「押し付けてこない」姿勢がとても良かった。
すずさんとその周囲の人々が生きる「戦争の中の日常」で進むストーリーは映像・音響の素晴らしさもあって面白く、序盤は戦争の気配を匂わせつつも、例に挙げた「日常系」のようなコミカルな場面も多い。すずさんの人柄もあって比較的和やかに話が進んでいく。
前半の「平穏」が面白いだけに中盤以降、本土に迫る戦争の脅威や戦争によって失われていく国民の心の余裕、消え去った平穏が心に突き刺さる。そして、広島に核爆弾が落ち、様々なものを失いながらも周囲の人に支えられ、前を向くすずさんの優しさと強さに胸を打たれる。
ストーリー面もさることながら、映像・音響も素晴らしい。
映像はアニメならではの表現が素晴らしく、リアル感のある描写と、時折挿入される幻想的・ファンタジックな映像、共に心に残る。絵を描かない水原の代わりに描いたすずさんの絵や、爆弾に吹き飛ばされ失神したすずさんの見る夢、空襲のさなかすずさんの目の前を飛ぶ水鳥、真に迫った空襲・空戦シーンなど、見るべきところは多すぎて両手では数えられない。
原爆投下後の悲惨な風景や、放射能に焼かれてしまった少女の母親などあえてぼかさずに描かれた悲惨な描写も真に迫っている。
音響もリアルにこだわっており、それが空襲や爆撃の恐ろしさをより強く表現している。特にすずさんを演じたのん(能年玲奈)の演技。上手・下手という単純な評価を越えて、「キャラクターに命を吹き込んでいる」と言ってもいいほど。のんという人の声に先入観を持っていなかったこと(決してプロの声優の演技が嫌いというわけではなくむしろ彼らも素晴らしいのだが、どうしても声優各人の『代表作』のイメージがまとわりついてしまう)も大きいが、「演じている」と思わせない、自然体の演技が逆にすずさんというキャラクターに実在感を与えていた。
「新たな戦争映画の傑作が生まれた」と断言してもいいほどの一作。某映画レビュアーが「5,000億点」と評するのも理解できる。個人的にも100点では足りない。
本当に万人に見てほしい、非の打ち所がない名作。
僕が新海誠を知ったのは「ほしのこえ」だが、その時はあまり新海作品に興味がわかず、数年前に「雲のむこう、約束の場所」を見たのが最後だ。個人的には唯一見たことのある2作品と他作品の風評から、新海誠は「『喪失』を描く人」というイメージを持っていたし、そのイメージも間違いとは言えないだろう。
しかし、本作を見てそのイメージは大きく裏切られた。思い返すと、この「新海誠の『喪失を描く人』というイメージからの脱却」を含めて、本作は上映前に抱いていたイメージを「(いい意味で)裏切る」映画だったな、と思う。
冒頭から「入れ替わり系」の物語の約束を網羅しつつ、主要人物とその周辺の事情を説明していく構成は手馴れているな、と感じさせる。新海誠特有の圧倒的なビジュアルの緻密さ、幻想感も相まって、序盤から観客を作品に引き込むには十分すぎるパワーがある。僕のような新海誠ビギナー(笑)も、あっという間に虜になった。
序盤~中盤だけでも素晴らしいのだが、二人の入れ替わりがある日を境に断絶したことで、瀧が三葉と現実世界で出会おうと飛騨の地に向かう中盤以降が物語の本番。
そこに、まず最初の「爆弾」があった。単なる入れ替わりものでなく一捻りあるだろう、と思ってはいたが、予想以上の展開が待ち受けていた。ネタバレ防止のために大筋は伏せるが、多くの人はここでさらにグイッと物語に引き込まれることは間違いない。
そして中盤の急展開から瀧と三葉が再び出会うために、2人を引き裂くだけでなく多くの人の命を奪う「悲劇」を食い止めるために奔走する終盤を経て、RADWIMPSの劇伴とともに盛り上がるクライマックスを終えると、新海誠らしい、「喪失」の余韻が待っている。観客にとってはもどかしい時だ。あとすこし手を伸ばせばハッピーエンドなのに、瀧と三葉はすれ違う。
そしてここに第2の爆弾がある。ここで、新海誠は「喪失」ではなく、ハッピーエンドへと舵を切るのだ。いままでの新海作品にはない、誰もが安心できるハッピーエンドを締めくくりに持ってくるのだ。
展開の意外さにも「やられた!」と感じたが、個人的にはこの終幕を見て「新海誠は『ヲタク向け』という狭い世界から脱した」という思いを強く抱いた。新海誠は「雲のむこう~」「秒速5センチメートル」で有名になったとはいえ、それは我々ヲタク界隈の中での話だ。それが、この「君の名は」を経て、非ヲタの、普段ジブリと「ワン◯ース」以外のアニメ映画には縁のなさそうな層の人をもうならせる人になった。
新海誠イズムを失わぬまま、もっと広い世界、広い客層に受ける作品を生み出した。そこには「広い客層に見てもらう為に、ヲタク的こだわりを捨てた『妥協』」ではなく、確かに「成長」が感じられた。
ヲタクから非ヲタまでを広く魅了するのも納得の作品で、間違いなく良作と言い切れる。新海誠の新境地を見た。
万人にオススメできる、「SF(すこし、ふしぎ)」なラブストーリー。オススメ。
18年のワースト。
端的に言えば「マクロスとアクエリオンの絞りカスみたいなアニメ」。
原作のないオリジナル作品のはずなのに、ほとんどの展開が読めてしまって全く予想外がない。
キャラクターも悪い意味で既視感があるキャラばかりで、萌えも燃えもあったものではない。
仲間を殺したかつての師匠を追う、ちょっとポンコツな女拳法家。
飄々としているがやるべき任務はしっかり果たす、心に傷を負った傭兵。
指揮官として主人公らを導く一線を退いた老兵。
主人公らにポエミィな助言を与える、謎めいた霊体少女。
理不尽に主人公たちを憎む頭の悪い中ボス。
マッドサイエンティストのラスボス。
これらデジャヴ感じまくりのキャラクターたちが、テンプレ通りの行動を繰り返すさまは退屈極まりなく、正直中盤以降は惰性で見続けていた。
燃えさせようと、あるいは萌えさせようとしているシーンでも全く心は動かなかった。
シナリオについても「『進化フィールドがもたらす人間の進化(BRAI化)の行く末を見たい(人間たちの意思はガン無視)』というマッドサイエンティストと、あくまで人間のまま、絆の力で荒廃した世界を生き延びようとする主人公たちの対立」というもう国内外を問わずしゃぶり尽くされたような陳腐な展開であり、黒幕が自分の野望を語りだしたときには「またそれか!」とただでさえ低かった期待値がどん底に落ちた。
作品を通したキーワードである「家族」も薄っぺらい。
序盤、「家族契約」がレオンとクロエの間だけのものであった頃は微笑ましかったが、それがクイニーはともかくグレンに感染したときは耳を疑った。
そして最終回、チームパンドーラ全員で「家族契約第◎条~!」と叫んで、人間を捨てようとしていたレオンを人間の世界へと引き戻してラスボスを打倒するシーンは感動させたいのだろうが、気持ち悪さにサブイボが立った。新手の宗教をキメたようにしか見えない。
作画もダルダルで、アクションは最低限。
3DCGのロボット(MOEV)の河森正治らしい変態トランスフォームは健在だが、こちらも派手なアクションはなく、絵になりそうなP2の拳法バトルもほとんど披露されずに終わった。
特に24話、ついに制作側の負担が限界を超えたのか「寝返ったP3が銃を撃つシーン」→「P1が銃弾を受けるシーン」というバンクを繰り返してバトルシーンを処理してしまったのを見た時には、乾いた笑いが出た。
他にも「中国を舞台にした意味が『中国資本で作られているから』でしかない」「戦闘にストラテジーが欠けていて退屈」など、問題点は数え切れない。
「これ見てる時間でもっと面白いアニメ見れたよな…」と久々に後悔した一作。
サテライト、たしかに最近の君たちは有象無象のSFアニメやラノベ原作アニメばかりでパッとしないよ。
でも、昔は「ノエイン」とか「モーレツ宇宙海賊」とか、小粒だが名作を作っていたじゃないか。モーパイ、今でも好きだよ。
あの頃のサテライトに戻ってくれ。惰性でSFを作るのをやめてくれ…。