『牙狼アニメシリーズ』『ゾンビランドサガ』などの作品を手掛けてきたシリーズ構成・村越繁氏らしい堅実な面白さ。しかし原作未完ゆえの露骨な「俺たちの戦いはこれからだ!」ENDは、心のどこかで予期していたとはいえがっかり。
アニメを機に原作を現在2巻まで読んだものの、現段階では全体の構成やキャラの描写は正直アニメ版が勝っている印象。1~2話で擬神兵の全盛期の活躍と、シャールとジョン・ウィリアムの交流を描いた前日譚を描くことでキーパーソンのハンク・シャール・ケインに感情移入しやすくなっているし、前半のミノタウロス・ベヒモス・セイレーンといった擬神兵にクローズアップしたエピソードも、アニオリ描写の追加が全体的にプラスに働いている。
個人的に改変で一番よくなったと思ったのがシャール。原作だとコメディ描写もあって、よくある「世間知らずのお嬢ちゃんヒロイン」の範疇に収まっているのだが、アニメ版ではハンクに自分から同行したり、擬神兵と積極的に関わろうとしたりと、2話のジョンとのエピソードもあって「意思の強さ」をしっかりと描けていて好印象。スプリガン編でハンクに一発しか撃てなかった銃を、蘇ったニーズヘッグやガルムに対しては覚悟を決めてしっかりとした姿勢で全弾発射している、という描写もベタだが対比になっていてGOOD。
一方で、1~2話のアニオリやシャールの覚悟決めをニーズヘッグ蘇生の回に持ち越した弊害で薄味になってしまったガーゴイル編など疑問に思う回も。そして先も言ったように謎が全く解決されない打ち切りエンドに不完全燃焼感が残る。作画も前半は良かったものの、後半になるにつれて若干のっぺりしてしまい見応えが薄れたのもマイナスポイント。
【総評】総じて「原作の販促アニメ」の域にとどまる作品ではあるが、決してつまらなくはなく小粒だが楽しめた。個人的には一番の参入障壁は「歌い手」出身で非常に癖のある、まふまふ氏の歌うオープニングテーマかもしれない(笑)。2期があれば見る。
見終わってまず感じたのは「予告に騙された!」と言うことだ。当然だが予告編はかなりの情報統制がされており、わかるのは物語の大筋程度で、キーポイントとなる部分はすべて隠匿されている。
予告を見た時点では「アンジェラほかディーヴァの勢力vsフロンティア・セッター」という物語全体の構図を予想していたのだが、それは見事に裏切られた。深いネタバレになるので多くは書かないが、フロンティアセッターの正体含む中盤~終盤の展開は見る前は全く予想できなかった。この辺りはさすが、過去作でも驚きのギミックを脚本に盛り込んできた虚淵氏らしいな、と感じた。
見所はやはり3DCGで描かれた世界だ。
「蒼き鋼のアルペジオ」「聖闘士星矢LoS」など日本でも3DCG主体のアニメが普及してきたが、本作もそれらに勝るとも劣らないハイクオリティを実現している。
特に感動したのがキャラクターの描写だ。様々な部分で見られる人間らしい所作、コロコロ変わるアンジェラの表情、しなやかな格闘シーンなど、CG特有の「硬さ」を感じさせない動きが素晴らしい。アルペジオと同じく、2次元的キャラの「らしさ」を3Dに落としこんでいる。
トランジスタグラマーなアンジェラは多彩な表情もあって可愛く、そしてエロい(重要)。しかも戦闘外骨格アーハンのコックピットはバイクの座席のような構造なので、乳揺れも尻も思う存分拝める。ありがたやー。
予告でもその姿を見せていた戦闘外骨格アーハンのバトルシーンも鳥肌モノ。特にラストの市街戦は「かっこいい」の一言。
シナリオに関しては、ロードムービー風味の序盤~中盤、そしてフロンティアセッターと接触し、ディンゴらと共にアンジェラがディーヴァから離反する後半以降、といった構成。
ロードムービー風の前半は地球の環境や、生身の体(マテリアルボディ)の不便さに戸惑うアンジェラを描きつつ、フロンティアセッター探索の旅を描く。旅の中でのディンゴとの日常描写はいいのだが、人によってはここでダレるかなー、というのは感じた。
刺激のある戦闘シーンは最序盤のアーハン無双を境になくなってしまい、後半まではわかりやすい娯楽シーンがなく、ディンゴ・アンジェラの会話劇とフロンティアセッターの探索で話を引っ張る形となるのだが、これを楽しめないと辛いかもしれない(実際寝ている人がいた)。
しかし、そこはグッと我慢。楽園追放の見所はフロンティアセッターの真意が判明してからの、後半からクライマックスへの怒涛の流れだ。そこからの見所は多い。アンジェラの駆るニューアーハンvs宇宙戦闘機とのハイスピードバトル、ディーヴァが差し向けたアーハン部隊との決死の市街地戦、三者三様の「仁義」をめぐるドラマと、楽園追放の魅力がぎっしり詰まっている。
NARASAKI氏の手がける音楽も相まって、後半は鳥肌が立ちっぱなしで息をつく暇もない。
先も言ったように、予告では隠された驚きのシナリオ展開、単純な善悪の話にとどまらないドラマは、ここ数年の虚淵氏の集大成にも思えた。
上映している映画館が少ないのが悔やまれる、「ヲタク向け」にとどまらない名作。
「虚淵玄なんて鬱シナリオしか書けないんでしょ」と侮る無かれ。アンジェラ、ディンゴ、そしてフロンティアセッターの物語は、充実の約2時間になるはずだ。
前半60分は、新規カットと新曲『Blue Snow』によるオープニングと、群像とイオナのナレーションを交えてのTV版全12話の総集編。最終回の暴走コンゴウvs「蒼き鋼」のバトルを軸にまとめている。
しかしいかんせん12話を60分にまとめるのには無理があったのか、かなり端折って話が進む。総集編というよりは「TV版を見た人向けの『これまでのおさらい』」の域は出ないため、ちょっとご新規さんにはつらいものがあると思う。
多いので全て挙げるとキリがないが、具体的に削られた部分の例を挙げると
・1話のナガラ戦、SSTOのくだりはカット。振動弾頭の輸送依頼を既に受諾した状態から話が始まる
・VSタカオ、VSキリシマ&ハルナも大幅短縮。TV版の戦略的なバトル描写は全カット、要点だけを取り出して再構成
・蒔絵とハルナ・キリシマの邂逅後の、刑部邸関連のエピソードや、硫黄島関連のエピソードはイオナのナレーションでごまかしながらほぼカット。このため、ヒュウガのイオナLOVEな部分やタカオの群像への愛、キリシマ&ハルナのキャラがいまいち伝わりにくい
・↑に関連して、蒔絵の薬関係の設定は消滅
・蒼き鋼メンバーとコンゴウの会談もカット。海辺でのキャッキャウフフシーンが名残として残っている
このように色々犠牲にしているため、正直TV版を見た人にとっては前半はあまり価値がない。ご新規さんも「何で軍艦が女の子の形をしてるの?メンタルモデルって何?」「主人公たちは何の目的があって霧と戦ったりしてるの?彼らは何者?」「タカオやハルナは簡単に離脱してるけど、霧の艦隊って人類の敵じゃないの?」などの疑問が拭えないと思う。
ぶっちゃけ、TV版の概要を理解しているなら前半部分は寝ていても何ら支障はない。だが、劇場の音響による甲田雅人手がけるBGM、そしてSEは聴き応えがある。
新規パートの後半40分はTV版のその後を描く。沈んだ402のユニオンコアの回収、タカオ・ヒュウガの水着&コメディ、人類の霧の艦隊への反撃、「生徒会長」ヒエイとのバトル、そして千早翔像の登場などで構成される。
蒔絵とハルナたちの日常、タカオ&ヒュウガの漫才めいたコメディと眩しい肢体(ちょっと固い動きだけど乳揺れもちゃんとあるよ!)など、TV版の「その後」が見られただけでも十分嬉しいのだが、TV版同様の、緊迫感あるヒエイとの交戦、そしてヒエイとイオナたちの、今後の伏線にもなる対話は見所で、次なる劇場版「Cadenza」への期待を抱かせてくれる。
原作とは違う道を歩む「アルス・ノヴァ」だが、どのような結末を迎えるのかが非常に楽しみである。
だがこれ単体で見ると、やはり「原作orアニメを見た人向けのおさらい+α」の域は出ない作品だと思う。これを見て「わけわからん」とおもった初見の人は、是非TV版を視聴してほしい。
シナリオはやや粗はあるものの(後述)、燃え・萌えを手堅くまとめているし、クライマックスの盛り上がりも素晴らしい。
プロローグのヤマトVSムサシの戦い、ヒエイ戦で深い傷を追った401を追撃するアシガラ&ナチ、群像の命を受けて行動する(そして相変わらずのポンコツぶりで視聴者を安心させる)タカオ、イオナとムサシとの邂逅と、クライマックスまでの展開にはちゃんとイベントが敷き詰めてあって、ダレることがない。
「これまで多くのメンタルモデルと出会い、対話してきたからこそ安易に『ムサシを倒して止める』という結論を導かず、あくまで対話による決着を試みる群像&イオナと、人類を愚かと断じるムサシのぶつかり合い」というシナリオもよくできており、単純な勧善懲悪モノに留まってはいない。
見所はやはり、苦戦する401の進むべき道を切り開くために、タカオ&ヒュウガ、蒔絵と愉快な仲間たち、そしてコンゴウと、かつて群像とイオナが対話してきたメンタルモデルが集結し401を援護するバトルシーン、かつてイオナによって「個」を認めたコンゴウが今度は逆にイオナを諭すという展開、そしてそこからのイオナの決意により401が復活し、さらにヤマトの意思を継いで、ムサシとの対決に向かうというクライマックスの流れだろう。
原作ファンならこの流れには盛り上がらないはずがない(断言)。
キャラクターの魅力は本作でもうまく描かれており、「Cadenza」で新規に登場したミョウコウ4姉妹、ヤマト、ムサシは何れも個性的で、新たなイオナの敵にふさわしい魅力がある。
特にミョウコウ姉妹は全員個性的で、見ていて楽しめる。アホガラもといアシガラのアホキャラに持って行かれている感はあるものの、ぽえぽえ系のナチ、アンニュイ気味ながら戦闘では割とはっちゃけるハグロ、出番は少ないもののクールで、イオナにトドメを刺す寸前までいくというおいしい立ち位置のミョウコウとバリエーション豊か。
群像の父・翔像と姉であるヤマトとの絆と、人類への憎悪が複雑に絡み合うムサシの描写も面白い。
続投キャラの描き方にも違和感はなく、キャラ描写に関しては文句なし。
そして戦闘シーンの出来は相変わらず!
原作譲りの戦略的な描写と、サンジゲンのCG技術を結集したバトルシーンはぜひ高画質で味わって欲しい。
各艦が個性的な装備と戦い方を見せるミョウコウ姉妹もさることながら、ちょっと笑える新装備を引っさげて帰ってきたタカオ、「はしたない」戦い方でヒエイとぶつかり合うコンゴウと、戦闘シーンはどこをとっても見応えあり。
ここからはちょっと問題点。
105分というアニメ映画としては長い尺の本作ではあるが、それでも前半~中盤の展開に「詰め込んでいる」感がある。特にムサシとイオナの邂逅→イオナの精神世界におけるムサシとの対話シーンに顕著で、さらにこのシーンは「イオナの出自」「ヤマト・ムサシの過去に何があったのか」の解説シーンにもなっていて、「説明している」感の露骨さは否めない。
また「イオナがなぜ霧としての能力を失ったか」の説明もなく、後半の描写も踏まえると「イオナの動揺と後ろめたさが本体である艦体にも反映された」というのが真相だろうが、初見では「ムサシに何かウィルス的なものを仕組まれたのか」と思ってしまう。
マイナスポイントもあるが、見ている間はそんな欠点は殆ど感じさせない良作。「アルス・ノヴァ」という作品のクライマックスを飾るに相応しいクオリティだった。
難解な作品を書き上げることに定評のある円城塔が手がけた原作をうまく纏めて映像化できるのか、という不安が観るまで常につきまとっていたが、いざ見てみると原作のエッセンスを上手く残しつつ、「もうひとつの『屍者の帝国』」としてうまくまとめたと思う。
120分という長い尺でも流石に難解な原作は収まりきらなかったのか、原作の要素はかなり簡易化・アレンジされているが、物語の骨子、そしてテーマ性は変わっていない。
通常、原作から要素が削減されることはメディアミックスの際にマイナスポイントとされることが多いが、本作に関してはスリム化により物語性がわかりやすくなっており、未読者にも既読者にもやさしい作品になっていて、今作に関して言えば要素の簡略化はプラスに働いたように思える。
「失った友人を取り戻すために、屍者技術の秘奥を記した『ヴィクターの手記』を求める」という改変は良かったと思う。パンフレットに書かれている通り、この改変により物語の導入がスムーズになっており、エンタメ的な面白さも補強され、物語性を強く表現することにもつながっている。
シンプル化されたとはいえ難解な感は否めないものの、原作に比べてかなりわかりやすく、「ワトソンとフライデーの友情」という明確なストーリーと、わかりやすい悪役も用意されたことで作品に入り込みやすくなっている。
美術もかなり評価できる。魔都ロンドンの暗黒、アフガン行きの旅路の中でワトソン一行に立ちふさがる雄大な自然、浮世絵のようなカラフルさをうまく表現している日本など、様々な風景・デザインにこだわりが見える。
作画も全編にわたって安定しており、CGと手描きを使って描かれた屍者の不気味な「ギクシャクとした動き」をうまく表現している。所々に挿入される戦闘シーンも良質で、本格的なバトル物のような派手さこそないものの、WITスタジオのハイレベルな作画を堪能できる。
しかし、ストーリーは簡略化されたと言っても先に述べたように、終盤に行くほど難解になっていく。そこに「様々な文学作品を背景に持つ登場人物」「伊藤計劃の『007』へのオマージュ」が加わってくるため、やはり作品のすべてを楽しむなら頭を働かせる必要はあるし、原作を、加えて言えば各登場人物の原典となった作品を読んでおいたほうがスムーズに入り込める。
また、終盤に関してはやや疑問に思う展開があり、終盤に再登場し唐突に「全人類の屍者化」による世界平和を語り出す「M」には唐突な感が否めない。
ザ・ワンの方も「フランケンシュタインの怪物」の原典の設定(怪物はヴィクターに伴侶の創造を求めた)を理解していないと行動の動機に唐突さが否めない。「フランケンシュタインの怪物」はポピュラーなので流石に「全く知らない」という人はいないだろうが、それでも作中で解説を怠ったのは失敗であったと思う。
また設定の簡略化のせいで、ザ・ワンの花嫁復活に伴う「屍者の言葉が世界にあふれる」「手記のページが浮かび上がり、結晶を纏って十字架めいた図形を形成する」という展開・演出も一見意味不明・理解不能になっている。ここは原作からして難解の極みにある設定なので、多少はしょうがないのだが。
また、エンタメ成分が強くなった反面、原作の『X』の設定が失われたために「意識とは、魂とは?」という原作のテーマ性が少し損なわれたのは賛否が別れると思われる。
個人的には「これはこれであり」派だが、原作のテーマ性を気に入っていた人にはつらい改変かも。
基本的には原作をなぞる形で、改変点は殆どない。元となったWeb配信版の尺が短いせいか詰め込み感もなく、70分の尺によくまとまっている。
ストーリーは全部知っているのだが、やっぱり色と声と動きがつくとインパクトが増すし、情報がよりわかりやすく伝わる。各キャラクターの声優の迫真の演技も相まって、原作の持つ陰惨さが際立つ。特に終盤、ダリルとイオの死闘の裏で同時進行するムーア同胞団とリビングデッド師団の悲惨な白兵戦、虫のように殺されていく連邦の学徒兵、そしてドライドフィッシュ奪取のためにムーア側が仕掛けた「作戦」など、展開を知っているにもかかわらず心を締め付けられるような苦しさを感じた。
原作の帯に「これが本物の戦場、本気の一年戦争」という煽り文句があったが、まさにそのとおり。この戦場にはニュータイプやイノベイターのような「奇跡」はない。イオとダリルだけではない、誰もが戦場からは、「殺し合う宿命」からは逃れられない。
絵がアニメになっただけで、これはもう「戦争映画」と言っても過言ではない。
「ガンダムUC」のチームが手がけた渾身の手書き戦闘シーンは「最高」の一言。昨今のCGアニメのようなスピードのある動きとはまた違った、モビルスーツの「重み」を感じさせるアクションは必見。冒頭のジム部隊vsスナイパーの戦いからガンガンに引き込んでくれる。
特に終盤のフルアーマーガンダムvsサイコ・ザクのコロニー跡の地形を使いながらの熾烈な戦いや、FAガンダムのミサイル全弾斉射をサイコ・ザクがギリギリでかわすシーンはクライマックスを飾るに相応しいかっこよさ。
ラストの僅かに描かれるア・バオア・クー戦も短いながらに見応えあり。サイコミュ試験型ザクの活躍を見れるガンダムアニメなんて、本作ぐらいだろう。
普段ジャズは全く聞かないのだが、菊地成孔の劇伴は素晴らしかった。
イオの聴くハイテンポなジャズもいいが、やはり印象に残るのはダリル側のラブソング。特に重要な場面で繰り返し使われる「女の子に戻るとき」がよい。
ガンダムファンでなくとも見ておきたい、圧倒的な質感を持つ「戦場」を丁寧に描いた力作。「MS IGLOO」あたりが好きな人にはかなり合うかと思われる。上映館が少ないのが惜しまれる。
「人間」というものを、とくに人間の「負の面」をとても丹念に描いた作品だと感じた。「いじめ」や「障害」を要素の1つとして内包している以上当たり前なのだが、人間の汚さ、誰もが子供時代に持つ無自覚の残酷さ、綺麗事では隠しきれないエゴ、そしてそれらをひっくるめた「人間の不完全さ」を、あえてほとんど美化することなく描いている。
どんな人間にも嫌いな人がいて、簡単には乗り越えられない一線がある。現実世界ではあたり前のことだが、描くことの難しさからフィクションでは(作り手から)避けられがちな題材だ。
しかし本作はこうした人間の「負の面」を描きつつも「ただドロドロさせて『リアル』を謳う」ような安い作品とは違い、将也や硝子ら登場人物が前を向き、壁にぶつかり、難しい問題に向き合いながら変わっていく姿を描くことで、ご都合主義を排した「リアルさ」を持ちつつも純愛系の作品として高い完成度に仕上げている。
シナリオは序破急の構成がしっかりしていて特に不満なし。登場人物は皆「いいひと」ではなくどこか問題を抱えた人たちばかりだが、それが逆に物語のディテールを深めていて、観客の興味をそそりつつ、「どうやってこの状況からラストに持っていくんだろう?」とどきどきさせてくれる。
メインキャラクターは誰もが問題を抱え、つまづき、苦しむため見ている間は心が締め付けられるが、それだけに最後に迎える大団円のカタルシスはひとしお。
箸休め的なコメディ・日常シーンも要所要所に用意されていて、シナリオに突っ込みどころは殆どない。
ビジュアル・音楽も素晴らしく、特に硝子役の声優・早見沙織の聾唖者の演技は「声優ってすごい」と驚くしかなかった。
基本良作と言って良いクオリティではあるが、不満があるとすれば、やはり全体に「展開を圧縮した痕跡」「原作を削った痕跡」が幾つか見受けられることだ。
この手の原作付きアニメ映画にありがちな急ぎ足感は少ないものの、やはり各所で「あ、ここ原作だともっと尺を割いてるんだろうな」と思わせる「痕跡」が残ってしまっている。実際、原作の重要なシーンが削られているらしい。
ただ、この「欠落」のお陰で「原作ではどうなっているんだろう」という興味が湧いたので、販促という点では間違っていないのかもしれない(笑)。
また、わざわざ「痕跡」と表現しているようにこれらは致命的な問題ではなく、決して総集編映画的な「強引・唐突なシーンの接続」があるわけではない。あくまで「強いて言えば、ここがイヤかな」といったレベルの話だ。
また、登場人物は基本魅力的だが、川井だけは別。川井自体は現実にもいそうなキャラクターではあるのだが、彼女だけ「小学校自体硝子へのいじめに加担しつつも、八方美人を演じて逃げ切った」という罪に対して罰が下されておらず、本人がそれを「悪いこと」と認めるシーンもないため、彼女だけは「かつての罪をうやむやにされている」ように感じて消化不良感を感じた。もっと言えば、彼女だけが将也や硝子、直花のように「壁を乗り越えていない」。
無論、ラストシーンでは将也に対して償いの行動を見せているのだが、ここはもう少し掘り下げても良かったんじゃないかと思う。個人的に彼女に対する心象は悪い。
総合すると、前評判を裏切らない良作。多くの人に見て欲しい素晴らしい作品。原作のコミックも読んでみたい。
ベル・ウィングをして「あいつの運は左に回らない(≒カードを自由自在に操れる)」神業ディーラーのアシュレイとの対決、そしてバロットの「戦い」がついに決着する最終巻。
物語のクライマックスということで前2巻にもましてスタッフの気合が入っていることが伺える出来だった。前2巻で感じた「物足りなさ」を払拭するには今一歩足りなかったが、最終巻らしく楽しませてもらった。
基本は前2巻と変わらず。短い尺という問題はつきまとう。だが今作ではシリーズ初の原作改変を行って、なんとか約60分でこの物語を終わらせることに成功している。
改変されたのは終盤。保釈され、オクトーバー社の抹殺対象となったシェルを保護に向かうシーンとクリーンウィルとの会談に臨むシーンをくっつけ、シェルが潜伏しているとされるホテルにクリーンウィルもいた、という改変をしてシーンを接続している。
ここは映画向けの良い改変だと思う。クリーンウィルを前にして、ウフコックがバロットの意志を信じ「俺は、俺を君に託す」とバロットにトリガーを預けるシーンも、「圧縮」との対比になっている。
カジノでの頭脳戦も色々カットしながらも、強敵・アシュレイのプレッシャーや頭脳戦を前巻よりも表現できている気がする。欲を言えばアシュレイ戦はもっと尺を使って欲しかった。
だが、バロットがかつての己を越える描写が薄味なのは難点。原作では身にまとった金属繊維(ライタイト)が剥がれ落ちることで視覚的にも「バロットが成長した」描写があったのだが、そこもカットされてしまったのは大きな残念ポイント。
そしてラスト、シェルとの決別とボイルドとの決戦。かつてあれほど依存していたシェルを前にしても淡々とした態度を崩さないバロットは「成長した」感があり、その後のボイルドとの戦いも見応えがある。
残念ながら同年代のアニメと比べても戦闘シーンは動き、作画の質など見劣りする部分もあるが、「砕けたガラスを足場にして迫るボイルド」などかっこいいシーンもあるし、最後までバロットの根幹を成していた「死にたくない」という意志、そして決意が「ウフコックの作った鎧(≒バロットの心の殻)を破る(生まれ変わる)」という形で視覚的にも表現されていたのが良かった(カジノでのライタイトのシーンを補完する意味も込めてか?)。
決戦時のBGM「The Roar of Supremacy」も非常にカッコいい。
ただし、ボイルドが投げ落とした電磁兵器を無警戒に撃つシーンはちょっとモヤッとする。そこで一言、ウフコックが「待て、バロット!」とか警告するだけでも違っただろうに、バロットが間抜けに見えてしまう。
問題は、やっぱり最大の敵であるボイルドの戦う動機がわかりにくいことだ。原作の情報量が膨大で、バロット近辺の描写をするだけで60分の時間がどんどんなくなるため割りを食ってしまっている。個人的には、本作上映前に発売されていたボイルドの過去を描く三部作「マルドゥック・ヴェロシティ」の要素とかも輸入して欲しかったのだが、しつこいようだが尺の短さがそれを許してくれなかったようだ。
ただし、原作(ヴェロシティ発売以前)でも「ボイルドの『動機』」はある程度読者の解釈に委ねられていた部分があったので、一概に映画の欠点とも言えない。
最後まで、尺の短さからくるせわしなさと描写の不足は否めなかったものの、3作の中では最もいい出来に仕上がっていた。何だかんだ言ったが、3作通して楽しませてもらった。
スタッフが変わっていないので当たり前だが、今作もどこか深さと難解さのあるサスペンス&ドラマ、リアルなアクション、そしてどこか「攻殻機動隊シリーズ」を思わせる文学作品の引用が交じる会話劇と「サイコパスらしさ」は健在。
何よりも嬉しかったのはサイコパスもう一人の主役、狡噛慎也のカムバックだ。『2』ではあくまで朱のイメージとしてしか登場しなかった狡噛は、待ちわびていたファンの期待に応えるかのように活躍する。
あくまで一人のデカであった狡噛がゲリラのアドバイザーとなり、多くの人々を(狡噛の本意ではないが)導く、かつての槙島のような立場に立ち再登場したのは面白かった。
各種戦闘シーンのクオリティは、TV版から更に磨きがかかったように思える。冒頭の不法入国者との銃撃戦を皮切りに、新型の兵器ドローンが活躍する旧首都での銃撃戦、多彩なガジェットを使いこなす傭兵たちの鮮やかな奇襲、そして狡噛と傭兵たちの見せるしなやかでダイナミックな格闘戦は見所。
シナリオに関しては、無印の時点でシビュラのカラクリが判明しており、「外国にシビュラが輸出されている」という設定を聞いた時点で「爽快なハッピーエンドには成り得ない」ことは誰もがわかっていると思うが、鬱エンドでもなく、さりとてハッピーでもないが、続編にも繋げられるなかなかいい落とし所を見つけて前向きな「本作らしい」視聴者にも何かを投げかけるエンディングに繋げられたと思う。
そして物語終盤、クライマックスに訪れるファンには嬉しいある人物の再登場と、ラストの傭兵とのバトルシーンには非常に興奮した。あのバトルシーンと、狡噛と宜野座のやりとりはファンにとってはたまらない。
サイコパスファンなら、絶対に見に行くべきと断言できる名作。
あと、「文鎮」もといドミネーターの肝心なときにおける役立たずっぷりは劇場でも健在である(笑)。ある1シーンでの強襲型ドミネーターの鮮やかな活躍は格好良かった。
前情報を全く持っていなかったこともあって、上映前の期待値はそれほど高くなかった。しかし物語が始まると段々とスクリーンから目が離せなくなり、劇場を出た後は、言葉にできない感動が心を満たしていた。面白かった、感動した、と文字にするのは簡単だが、「どうして?」と踏み込まれると上手く表せない。自分の語彙の無さが恨めしくなる。
戦争映画というと、自分の中では「『戦争は悲しいことだから絶対やめようね』というメッセージを嫌というほど込めたお涙頂戴系」か「『U!S!A! U!S!A!』なノリのミリタリーアクション」のどちらか、というイメージだったのだが、本作はそのどちらにも当てはまらない。強いて言えば「日常系アニメ」が近いかもしれない。そんな作風がとても新鮮だった。
内容的に、悲壮なBGMとかを流して「お涙頂戴ポイント」にできそうなシーンはいくらでもあったのに、あえてそういう直接的な演出からは距離を置いて、すずさんやその周囲の人々の生きざまを描く。それが逆に琴線に触れる演出となっていた。
無論、そういう「お涙頂戴」の要素が皆無かと言えばそうではないのだが、そういう部分を観客に「押し付けてこない」姿勢がとても良かった。
すずさんとその周囲の人々が生きる「戦争の中の日常」で進むストーリーは映像・音響の素晴らしさもあって面白く、序盤は戦争の気配を匂わせつつも、例に挙げた「日常系」のようなコミカルな場面も多い。すずさんの人柄もあって比較的和やかに話が進んでいく。
前半の「平穏」が面白いだけに中盤以降、本土に迫る戦争の脅威や戦争によって失われていく国民の心の余裕、消え去った平穏が心に突き刺さる。そして、広島に核爆弾が落ち、様々なものを失いながらも周囲の人に支えられ、前を向くすずさんの優しさと強さに胸を打たれる。
ストーリー面もさることながら、映像・音響も素晴らしい。
映像はアニメならではの表現が素晴らしく、リアル感のある描写と、時折挿入される幻想的・ファンタジックな映像、共に心に残る。絵を描かない水原の代わりに描いたすずさんの絵や、爆弾に吹き飛ばされ失神したすずさんの見る夢、空襲のさなかすずさんの目の前を飛ぶ水鳥、真に迫った空襲・空戦シーンなど、見るべきところは多すぎて両手では数えられない。
原爆投下後の悲惨な風景や、放射能に焼かれてしまった少女の母親などあえてぼかさずに描かれた悲惨な描写も真に迫っている。
音響もリアルにこだわっており、それが空襲や爆撃の恐ろしさをより強く表現している。特にすずさんを演じたのん(能年玲奈)の演技。上手・下手という単純な評価を越えて、「キャラクターに命を吹き込んでいる」と言ってもいいほど。のんという人の声に先入観を持っていなかったこと(決してプロの声優の演技が嫌いというわけではなくむしろ彼らも素晴らしいのだが、どうしても声優各人の『代表作』のイメージがまとわりついてしまう)も大きいが、「演じている」と思わせない、自然体の演技が逆にすずさんというキャラクターに実在感を与えていた。
「新たな戦争映画の傑作が生まれた」と断言してもいいほどの一作。某映画レビュアーが「5,000億点」と評するのも理解できる。個人的にも100点では足りない。
本当に万人に見てほしい、非の打ち所がない名作。
僕が新海誠を知ったのは「ほしのこえ」だが、その時はあまり新海作品に興味がわかず、数年前に「雲のむこう、約束の場所」を見たのが最後だ。個人的には唯一見たことのある2作品と他作品の風評から、新海誠は「『喪失』を描く人」というイメージを持っていたし、そのイメージも間違いとは言えないだろう。
しかし、本作を見てそのイメージは大きく裏切られた。思い返すと、この「新海誠の『喪失を描く人』というイメージからの脱却」を含めて、本作は上映前に抱いていたイメージを「(いい意味で)裏切る」映画だったな、と思う。
冒頭から「入れ替わり系」の物語の約束を網羅しつつ、主要人物とその周辺の事情を説明していく構成は手馴れているな、と感じさせる。新海誠特有の圧倒的なビジュアルの緻密さ、幻想感も相まって、序盤から観客を作品に引き込むには十分すぎるパワーがある。僕のような新海誠ビギナー(笑)も、あっという間に虜になった。
序盤~中盤だけでも素晴らしいのだが、二人の入れ替わりがある日を境に断絶したことで、瀧が三葉と現実世界で出会おうと飛騨の地に向かう中盤以降が物語の本番。
そこに、まず最初の「爆弾」があった。単なる入れ替わりものでなく一捻りあるだろう、と思ってはいたが、予想以上の展開が待ち受けていた。ネタバレ防止のために大筋は伏せるが、多くの人はここでさらにグイッと物語に引き込まれることは間違いない。
そして中盤の急展開から瀧と三葉が再び出会うために、2人を引き裂くだけでなく多くの人の命を奪う「悲劇」を食い止めるために奔走する終盤を経て、RADWIMPSの劇伴とともに盛り上がるクライマックスを終えると、新海誠らしい、「喪失」の余韻が待っている。観客にとってはもどかしい時だ。あとすこし手を伸ばせばハッピーエンドなのに、瀧と三葉はすれ違う。
そしてここに第2の爆弾がある。ここで、新海誠は「喪失」ではなく、ハッピーエンドへと舵を切るのだ。いままでの新海作品にはない、誰もが安心できるハッピーエンドを締めくくりに持ってくるのだ。
展開の意外さにも「やられた!」と感じたが、個人的にはこの終幕を見て「新海誠は『ヲタク向け』という狭い世界から脱した」という思いを強く抱いた。新海誠は「雲のむこう~」「秒速5センチメートル」で有名になったとはいえ、それは我々ヲタク界隈の中での話だ。それが、この「君の名は」を経て、非ヲタの、普段ジブリと「ワン◯ース」以外のアニメ映画には縁のなさそうな層の人をもうならせる人になった。
新海誠イズムを失わぬまま、もっと広い世界、広い客層に受ける作品を生み出した。そこには「広い客層に見てもらう為に、ヲタク的こだわりを捨てた『妥協』」ではなく、確かに「成長」が感じられた。
ヲタクから非ヲタまでを広く魅了するのも納得の作品で、間違いなく良作と言い切れる。新海誠の新境地を見た。
万人にオススメできる、「SF(すこし、ふしぎ)」なラブストーリー。オススメ。