これって絶対ヤクザが元締めてるコンカフェから思い付いたネタだよね
そう思うと1話でヤクザっぽいメイドものかと思ってたのが、もうこれメイドっぽいヤクザものにしか見えなくて、そういう目線で見るといっそうおもしろく見えてきた
ASMR甲子園とは
むちゃくちゃASMR世界観が出オチすぎておもしろかった
ダミヘの左耳(向かって右耳)に入った音が左耳から聞こえるの正しいんだけど、直感と反してて体験悪いわね
江沢民こと、たくみんちゃんが入部
手近なとこを良くしたいな〜ってとこから始まるの良いね
ハーイエスwwwwwハーイエスwwwwww
いやぁこの主人公、テキトーだ
この振り切ってる感じおもしろすぎる
そして、妻からも娘からもハゲ呼ばわりされるパッパ……
試写会で
いや~厳しいっすね、つまんない
でも、AI搭載ロボットのナナコちゃんってキャラがいるんですけど、それが主人公と仲を深めていって自我を得ていくのはかわいくて良かったです
解約前にもう一回見てしまった
やっぱ泣くよ……家族のために家族がみんなバラバラになって、そんな最後に「大丈夫、きっといつかちゃんと家族になれるから」って台詞が入るのつらすぎる
どれも映像クオリティは高いけど、ストーリーはまぁピンキリ
8話はストーリーもスゴイ良かったです
1話、3話も割と好き
4話、5話までが及第点かなぁ
夢見た悪魔たちと、人であり続けたチェンソーマンてば何が違うんだろうか
生への執着?他人のために夢見たこと?
3DCG使ってアクションバリバリって感じなのね
ともりるのマキマさんの声はハマってていいね
新海誠IMAX映画祭で2年ぶりに
今回見返して「君の名は。」の方が感動するんだなぁと評価が覆ったけど、それでもこういう運命に抗おうとする人間臭い物語の方が好きなことに変わりはないとも気付いた
東京の街は、この世界は人の手によってあまりに人のものからかけ離れた姿になってしまった。
建物も、インフラも、そこに生きる人々も全てが効率と利益のために整然とならされてしまった都市という空間は、人に優しくない。人の生活のために目まぐるしく変貌を遂げ続ける街は、そうなればなるほどに人が生きづらくなっている。
東京の至る所に張り巡らされた鉄道網は人家すれすれを通り、歓楽街は誰かの快楽と犠牲が表裏一体であることの縮図ですらある。弱者を救うための社会のセキュリティーネットも善意で陽菜と凪を引き裂こうとする。そんな風に整備し尽くした世界の中で、大人たちは自らの首を無自覚に絞めている。この世界は、大人たちは何を失ってしまったのだろうか。
そんな人の作り出した理りに最後まで背こうとするものがある。それが「天気」。人の営みを意にも介せず雨を降らせ、陽を照らす。自然の気ままな天候を人間はただ受け止めるしかなかった。そして、そんな空模様に人の心は簡単に動かされてしまうのだ。
だけど、人は遂に巫女の力でその天気すらも変えてしまった。自然の理りすら人の手の中に収めようとしてしまった。気ままな天気を人の都合で異常気象と呼び、人智の中に収めようとする。そして、あるがままの大地を整然とした都市に変えたように、人はまた空を予報ではなく、予定通りに変えてしまった。合理的で仕方のない犠牲として、陽菜という一人の少女を人柱としながら。
この世界で大人たちが失ったのは、愛。いくら愛しても、相手がそれに答えてくれるとは限らない。どれほど愛を注いだ人でも、唐突に目の前から去ってしまうことも珍しくもない。陽菜は母を亡くしている。圭介も妻を亡くしているし、愛娘と会うことすら義母に拒否されている。思い通りにならない自然を排した人々は、同じように愛のことも忘れたくなってしまった。老年の安井刑事が「そこまでして会いたい子がいるってのは、私なんかには、何だかうらやましい気もしますな」と呟いたように、人はそんな純粋な想いもいつしか忘れてしまっていたのだ。
でも、帆高だけは愛を信じていた。追いかけ続けた陽菜が天気の巫女として空に消えてしまった。誰もと同じように愛する人を不条理に奪われてしまった。だけど、帆高はそこで愛を信じることを止めなかった。不条理に奪われたキミを取り戻せる保証なんてない。だけど、この世界の全てを投げ売って、帆高は愛の力に想いを託した。
陽菜を取り戻した代償に世界は変わってしまった。自然の理りは崩れて、雨は降り止まなくなった。人の作り上げた都市は自然のままに飲み込まれてしまった。何もかもが不安定な世界だけど、「ぼくたちはきっと大丈夫だ!」と言い張れる。なぜなら、まだ愛にできることはあるから。愛を信じているから。
誰かを守るのにどんな堅固な建物も、法律も、便利な生活も、お金もいらない。
キミを守るのは、愛なんだ。
新海誠imax映画祭で初見
見終わった直後、呆然あるいはショックを受けてる。二人はまた出会えるんじゃないかって思ってた。
でも、この感情こそが答えなのだと思う。人生は複雑で大きすぎて、その中でただ波のままに揺られて、流されることしかできない。いくらあの島へと願ったところで、海はそんなもの意に介せずに僕を運んでいく。でも同じ海の上を浮かんでいる限りは、いつかまた君と出会えるんじゃないかって思わずにはいられない。地球の7割を覆う海の上でたった一粒同士の雨の滴が重なり合うような確率を、もしかしたらと夢見てしまう。
そして、そんな感情をきっと幼さというのだと思う。
遠野はきっと栃木に向かう道中、子どもにはどうにもならないくらいに広すぎる世界を知って、運命に疑いを抱いてしまった。数分の電車の遅延は何時間にも膨らみ、ただ吹き抜けた風は明里への手紙を奪っていく。何気ないはずのことが13歳にとっては全てが重くのしかかる。
そして、明里とキスしたあの夜にそんな運命のなさに気付いてしまい、やがて明里にメールを送ることをやめてしまった日に遂にその運命を信じられなくなってしまった。
それを大人になることというのだと思う。
だから、大人になれば、そんな奇跡みたいな運命みたいな再会なんて起こりっこないってことくらいすぐに分かる。それが現実。そして、そんな人がいたことすらもさっさと忘れてしまうのが正しい人生の生き方。だけど、そんな人生は何色をしているだろうか。冬の冷たい雪の色か、どんよりとした雲の色か。
でも、きっと哀れで無知な幼さのままに運命を願っていれば、世界は春の降り注ぐ花の景色のように見えるはず。バラ色には染まらなくても、どこかその桜吹雪に寂しさを感じながらでも、その向こうにバラの色を透かしたような桜の色をした景色が見えるはず。
あるいは、夜明け間際の空に滲んだ薄明の色をした夢を見続けていれば、それが永遠の深い夜を連れてくる日暮れだと気付かないでいられるのだ。
そこに君の気配を感じて振り向こうとする瞬間を永遠にすることができれば、どんなに幸せだろうか。それがきっとあの踏切で明里の気配に振り向いた瞬間の遠野を表していたと思う。
でも振り向けば、そこに明里はいないという無機質な現実しかないことに気付いてしまうのだ。もう少しで届きそう……。そんな風に永遠に焦がれることができたらどんなに幸せだろうか。届かせようとしてしまえば、たちまち夢は消えてしまうのだ。
そんなことを考えると、もしかしたら遠野に気持ちを伝えようとして諦めてしまった澄田が一番幸せなのかもしれない。少なくともあの時の彼女は、遠野が来て帰る東京の景色も、自分の進路すらも知らない子どもだった。
そして、遠野ではない誰かと結婚をした明里は今更子どもの頃の恋を思い出すことは淡い思い出どころか、遠野ともその誰かとも苦い関係になりかねない。確かに遠野とすれ違った明里が振り向いた先にいなかったのは、ちゃんと大人としてそんな思い出ごと忘れてしまったということなのかもしれない。
一度知ってしまったことは忘れられない、一度忘れてしまったことを思い出してはいけない。全てが刹那的で、もう後戻りができない。そんな人生にこう思わずにはいられない。
いつからか忘れてしまった子供じみた運命を、今もいつまでも信じることができたならば…と。
新海誠IMAX映画祭で2年ぶりに
誰と繋がっているのか、どこと繋がっているのか、本当は夢や幻なんかじゃないかと思ってしまうくらいに覚束ない記憶。だけど、確かに繋がっていることを感じさせる「結び」がある。
ある日、三葉と瀧は遠く離れた世界を越えて、出会った。あり得ないほど遠い遠い世界を跨いで、溶け合うように交じ合った。
200年前の大火で何のための儀式だったかという記憶が欠け落ちた宮水神社の伝統。母を失って、父との軋轢の末に断たれてしまった三葉と親子の繋がり。そして彗星に散った糸守町と、その夜を最後に失われた瀧と三葉との交わりと三葉という命。
東京で出会った瀧くんにはそもそもなかった三葉の記憶。それから全てに気付いて、カタワレ時に出会った二人。そして、再び消えてしまう君の名前。
「より集まって形を作り、捻れて、絡まって、時には戻って、途切れ、また繋がり、それが『結び』、それが時間」
いくつもの運命の糸は結びついたり分かれたりを繰り返しながら、「時間」という世界を表す一つの太く長い糸を紡ぎ出している。遠い世界を越えて結ばれたある二つの糸も、その時間の中で解れて結ばれてを繰り返しながら、それこそが一つの運命となる一本の糸を編んでいた。
この世界の理なんだと思う。過去も未来も、山の中にも街の中にも、森羅万象の中を流れている節理、それが「結び」。瀧が心惹かれる人工的で無機質な建築物にも、幻想的で破壊的な彗星にも、生きとし生ける生命も、全ての幾千が一つに収束されていく理。それが時という流れの中にあるこの世界の至る所にある。
そんな「結び」の一つがティアマト彗星の落下。あり得ないくらい遠い宙の海からやって来た彗星が、予想もし得なかった確率で二つに割れて、ほんの僅かな確率で糸守の街に堕ちる。だけど、これは宮水神社に伝わってきた伝統に示されていたことで、一筋に導かれた予め定められていた出来事。
そして、この出来事を巡って、あり得ないくらい離れた場所とまさにあり得ないはずの時間の壁を越えて、三葉と瀧が出会った。何億、何兆分の一を遥かに超えた確率の出来事だけど、それはまさにここにあって。
この世界に生きる何十億人の中から二人が巡り合って、愛が形作られ、交わる。そして、そこから新しい命が分かれ落ちるように生まれ、初めはたった一つの細胞がいくつにも分かれながら増えていって、一人の人間という形を作り出す。人はたくさんの人と出会って別れながら自分の道を進んで、時には戻ったりもする。そして、再びどこかの誰かだけどたった一人の運命の君と結ばれて、また一つ新たな家族を作って、やがて死という最期でまた別れる。
こうして一つの「人生」が形作られる。それは一人の人間にとっての世界を表す「運命」と換言できる。そして、その「結び」の一つ一つが無数に交わり合って、一つの世界という「結び」を形成している。細い糸は手繰り寄せられて、太い糸へと束ねられていく。それは果てしない奇跡のもとに導かれた脆くて美しい運命で、まさに自然の中に秘められている神秘の奇跡。
この「君の名は。」と題された物語だってそうだ。一番最初に映された場面から、無数の糸に解き解されて分かれ、やがて二つの世界線が一つに縒り合わされる。出会って別れて、思い出して忘れてしまった二人は最後に再び出会う。
そんな物語をたった一言で表す「君の名は。」という言葉には、そんな数え切れないくらいの幾重にも紡がれた意味を一瞬で一度に感じらることのできる言霊が宿っているように感じる。きっとここにもこの物語を集約している「結び」があるのだ。そして、何よりもこの物語は、人生やそれを取り巻く全ては奇跡だという普遍的であるけれど、忘れがちな忘れてはいけないことを思い出させてくれた。
一番感動したとこ、背景のカラフルさ
特に公園の場面で遊具がやたら色分けされてるのとても良い
ちょっとしたトコかもだけど、やっぱ印象が全然違うよね!!鉄棒の支柱が左右で別カラーなのとかもはや感嘆
ぼっちちゃんはダウナーなりのテンションの上げ下げが激しくて楽しいし、リョウちゃんマジで変人で笑うし、虹夏ちゃんはいいリード役
ガンダムがパイロットを殺すモビルスーツ云々って話はもう出てくるのね
ミオリネと父親の衝突は縛られることを嫌うミオリネの反抗なんだけど、あの勢いのせいでメンツのぶつけ合いみたいな印象してくる
エアリアルを企業としての視点で価値を見出すのは、利権的な駆け引きでおもしろい
僕愛から見ての君愛
パレルシフトの上で繰り広げられる二人のロマンスと、暦が栞のために捧げる一途な想いが切なかった……
栞が「私のために、それだけのために暦くんが生きてるなんてそんなの嫌だよ」って言葉に返す「栞のためだけに生きていたい、俺を一人にしないでくれよ」って暦の台詞に二人の全てが詰まっているような気がした
虚質のもつれでどんな世界線でも一緒に結び付けられた二人や、世界線と時を超えた二人の約束の再会は、二人が想い合ったからこそ掴めた運命や繋がりを感じて、切ないけれど幸せだった
可能性が生きている暖かさだと栞は言っていたけれど、確かにそうだと思う
栞は幽霊になっちゃったし肉体はもうないけれど、暦が栞を取り戻せると信じて、栞の幸せのために暦が想い続けている限りは、栞は生きているんだと思う
まずは僕愛から
早川原作らしく本格SFって感じ
分岐を繰り返しながらくっついたり離れたりしても、その全ての君が僕の愛する君というのは、この平行世界の証明されていない世界でも時に喧嘩したりすれ違っても、愛する君に違いないということと同じような気がした
全ての君が愛する一人の君を形作っている