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毎クール4~10本程度のアニメを視聴。見たアニメの感想は出来るだけ書いていきたいけれど、5分枠の作品とかはあまり書かないかも

サービス開始日: 2016-03-14 (3735日目)

視聴状況

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良い


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良い

珍しく見習い少女達の私服が描かれた今回、けれどそうした私服は彼女らの魔法使いではない面を強調するのではなく、魔法使いの姿をしていなくても抱く魔法使いとしての理念を強調するものとなったような
魔法使いの試験は単純に実力を測る為のものではなく、許される領域を増やす為のもののようで。その為か、テティア達の試験に対する姿勢も様々。そこには彼女らの生来の気質や人生観が反映されている
それだけに目指す魔法使いの形が半ば決まっていて、魔法使いになる事そのものが赦しとなってしまうココの境遇が際立ってしまったような…

元より「知らざる者」と呼ばれるココは魔法使いを目指す事を許された人間ではない。また、悪夢が囁く言葉が示すように彼女には様々な赦されざる要素がある
キーフリーは魔法使いの試験を許される事が増えると言うけれど、ココは魔法使いになって母を助けるまで赦されない。テティア達と根本が異なる
だとしたら、ココが眠る時間を削ってまで魔法の練習をするのは一種の自罰に見えてしまうね。赦して貰えないが母から責められもしないから自分で罰を与える
なら、キーフリーが秩序を破ってまでつばあり帽に近付こうとするのも、彼らに罰を与えようとしているからか?なんて考えてしまうね

でも、許しや秩序に逆らうようにして罰を求めるなんて自然ではない。無理が生じる
キーフリーは大人だから無理の解消は自分で対処できる。でも未熟なココは無理は無茶の結果として現れる。でも、ココに複雑な感情を抱くアガットは慌ててキーフリーを呼びに行くし、キーフリーを始めとして皆してココを心配し協力してくれる。それこそ実はココが既に赦されている証だと思うんだけどな…
他方でノルノアの記憶を消したキーフリーが赦されるべきかどうかはまだ誰も知らない。だから知らないといけない
タータの質問はキーフリーからどのような魔法使いとしての理念を引き出す事になるのだろうか?



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良くない


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良い

前回までの話によりユルは知れる範囲の己とアサに関する情報を得た。次はデラが言うように社会そのものを知る番か
もう9話になるけれど、ユルは電車やホームセンターに驚くくらい現代社会に無知
”知らない”が判断の足枷になると示されているように、”知っている”は有利を得る為の材料となる。ユルはパンツの存在を知った事で過去に倒した山賊の正体に気付けた。それは知る行為が情報の精度を上げる何よりの証明
ユルはまだ様々を知る必要がある

影森も知る重要性を意識した動きが
襲撃者の個人情報を多角的に抑える事で彼らの背景事情をより深く把握、更には襲撃の手口にも迫ろうとしているね
特に閻魔帳は恐ろしいツガイ。これは自分達が”知る”と同時に相手へ”知られている”恐怖を与える能力だね
相手を知っているゴンゾウはマコト達に対して有利に立つ、彼らを良いように使える立場に成る。それは情報の重要性を何よりも示す力関係
……それだけに視聴者的に正体を”知らなかった”ヒカルの何でも無い会話が怪しく見えてしまうのは仕方ないけど、コミカルなギャップでしたよ(笑)

尾行は相手に情報を”知られる”行為。でも、尾行されていると”知っていれば”対処の仕様はある
デラが用いたマヨイガは相手を情報のない空間に陥れるようなツガイと言えるか。相手に情報は無くこちらは情報を持っている。尋問において有利な立場を確定させる状況と成り得た筈
それだけにデラが全く知らぬ闖入者はそうした力関係を崩すものか
手長足長を知る左右様がこの脅威にどれだけ対処できるのか、次回は結構なバトル展開に成りそうだ



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良い

前回のリリムからは所謂「ふしだらな~」の雰囲気を感じたものだけど、ベルゼブブとの馴れ初めが明かされた事で唯のやべぇ人と知れたのは衝撃。自分を罵倒した男に惚れた上で助けられた所を無理矢理襲うのはもう無茶苦茶なんよ
こうした話から見えてくるのはリリムの暴走は羊司と距離を詰めたいカナンの脅威に成り得るという点
けど、想定以上に羊司はカナン一筋だったし、カナンの事ばかり意識しているが為にリリムの一人相撲になってしまったね。…それでもリリムの暴走は酷いものだったけど(笑)

リリムの色気に負けなかった羊司は彼氏として合格を勝ち取った形に。……彼氏認定したからこそ手を出そうとするリリムは本当にヤバいけども
母に認められたカナンの意識に上ってくるのは羊司にもっと自分だけを見て貰いたいという欲。特に母と羊司が妙に仲良さそうなら尚の事
でも、羊司は元々カナンを一番に見ているんだよね。だから自分が楽しいようにカナンにも楽しんで貰いたいと想っている。それは彼氏として立派な心懸けだろうね
…なんて感じてたら、最後に妙な展開が。あれってジャンヌなのか?



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良い


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良い

きな臭さはありつつも穏やかに進行していた無人島試験、関わる者達が遂に裏の顔を見せる事に
何か背景がありそうだと前々から感じさせていた七瀬が見せた裏の顔は綾小路にとって因縁であり驚きの顔。けれど、それを偽物に過ぎないと看破した彼は流石
裏を潜ませていたとしても単純に実力差があれば如何ともし難い。これは天沢と櫛田にも見られる現象か
その意味では何の為に裏の顔を潜ませるかという点が勝負の分かれ目となったと言えるのかな

天沢は櫛田を制して綾小路を守りはすれど、彼の前に姿を現す事は無く。というか2年最初の事件で宝泉を手助けした人物だと思い返せば天沢はまだ裏の顔を隠していると言える
月城も陰謀を話す場面を見られたというのに一之瀬の排除は行わず。むしろ別種の裏を垣間見せる事で一之瀬を封殺するのは流石といった処か
更なる裏という点では綾小路も流石だね。一度七瀬の心を折った後に別の目的を与えて懐柔、自分の手駒として使うつもりのようで
今回は裏の顔を見せた者達が幾人か登場したけど、それを上回る裏を持つ者達が支配し返す恐ろしさが見られた回でしたよ…



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とても良い

ココに酷い真似をしようとした魔警団は秩序の守護者、イースヒースが言及したように風景を一変させる魔法を行使した者がいるならば拘束し無害化するのは必定
しかし、証拠も無しの記憶消去が秩序に反するのも必定ではある。そもそもルルシィの台詞にあるように、魔法には明確に出来る事と出来ない事がある。なら、ココに出来る筈がない事で罪を問うのは無謀な話
ただ、それは一方でイースヒースがそれだけつばあり帽を危険視している表れであり、同時にそんな彼を制する為に剣を抜くキーフリーの反秩序的行動も見えて来た内容でしたよ

ココは結局証拠不足により無罪放免。むしろココを取り調べるより、助けを求める人達の救助を優先したり、人々の生活を守る為に橋を架ける方が魔法使いの秩序に沿っている
その視点ならまだ見習いでしかないココ達が決断を迫られ、行為をの責任を取らされそうになった方に問題がある、キーフリーが言及したように秩序に反している。だからバランスを取る為にアガットに試験の提案をするわけだ
キーフリーの言動にはちょくちょく危うさが見えるけれど、同時に師匠として未熟な魔法使いを導こうとしている様子も感じられるね。その点は彼なりの秩序に則っているのだと判る

そんなキーフリーの秩序が危険なものであると、見え方が反転するのがBパートか…
これまで彼は何度も記憶消去の反秩序性を説いてきた。なのに彼は秩序に反する魔墨を守る為にノルノアの記憶を消した。その上でつばあり帽と曰くのあるココは全力で守ると…
それはまるで己の目的の為にココを反秩序の世界へ導こうとしているかのよう
世の中が限られた色で見えるタータは「出来る事と出来ない事」を説いた。ならココに限られた平穏を与える事でキーフリーは彼女をどのような魔法使いにするつもりなのだろうね?それは果たしてココが目指す夢溢れるワクワクさせる魔法使いなのだろうか?



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普通


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良い

東村で穏やかに生きてきたユル、東村に狙われて一度は死んだアサ。二人は双子であっても全く異なる経験を積んだから、食事を共にしても考え方の違いは明確に出てしまう。また、こうした違いは田寺と影森、人間とツガイ、過激派と穏健派などなど様々な対立の中でも生じるね
だからか、自由に座って良い筈の食卓もまるで明確な対立構造の下にそれぞれが席を決めたかのように映ってしまったよ

会談という名の腹の探り合いを途中まで聞いていたユルは聞くべき事を聞き終わったと言わんばかりに口を開くね。啖呵を切る様子は勇ましい
けど、それは同時にアサの経験を積まない無知でもある。狙われる辛さを知るアサはユルの無謀を責める。それは対立を越えて彼女がユルの側に近付いたシーンでもある為か、ゴンゾウもユルを影森へと誘う契機にもなる
しかし、ユルは対立を越えず。彼は彼なりの方法でやっていくと、そうして生きていくと決断するわけだ

対立を越えるかどうかの話はそのまま境界線へと通じる話
両親と生き別れのユルは長い事二人の姿を見れていない。ならば時や場所を越えて会えた両親の姿は、対立を越えなくてもユルに家族の温もりを授けるものとなるね
また、共に食事を囲んだ経験は幼少期に繋がる経験である為か、ユルは影森の家にいるアサを昔のアサと繋げて考えるし、安全な境界を越えて妹としての温もりを届けてくれたアサの行為により彼女を真の家族だと認められる
対立は越えられない。だからこそ対立によって分かたれている双子の状況をより悲劇的に捉えられる回であるように思えたよ…



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良い

帰省の際に彼氏を連れ込めば、そりゃ彼氏が実家に受け容れられるかが話題の中心になるのは当然。でも、カナンは恋愛的な意味で付き合っているとは認めないし、ベルゼブブ以外の家族は認めてくれそうに無いし、しっちゃかめっちゃかな印象
そんな状況だからこそ、何ていうか感性が単純な羊司がうまく話を回してくれている気がしなくもない
あと、対立陣営の拠点に紛れ込んでしまったのに、普通に満喫しているジャンヌは何なんだ(笑)

羊司は様々な意味でベルゼブブ一家に受け容れられるのが難しい属性持ち。彼らからすれば食糧といえる人間だし、リリムは男性恐怖症。そのままの彼では一家に入り込めない
だからこそ、間に羊司と付き合っているカナンを挟む必要があって。母娘で初めての料理、かつてない経験はカナンが彼氏である羊司の為に作りたいと願ったからこそ実現したもの。リリムはカナンとの料理を楽しむ事によって、間接的にカナンと羊司の交際を認めたといえるのかもしれないね
……それはさておき、別の感情を認めそうになっているリリムはちょい大丈夫かい?と聞きたくなるが



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普通


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良い


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とても良い

迷宮編で問われた、魔法使いとは何者で在るべきかという問い掛けをより深化させたようなエピソードに思えたな
功に焦るアガットは困る人を前にしているのにチャンスと思い込んでしまう。実力を発揮する機会に乏しい見習いだからこそというのもあるんだろうけど、それは彼女が成ろうとする魔法使いの在り方から外れるもの
アガットが魔法使いらしさに瞑想してしまったからこそ、アガットの目を覚まさせたココの魔法使いらしさが光ったように思えますよ

事故現場にてアガットが任されたのは服を乾かしてやる事。それだって本来は立派な人助け魔法なのだけど、判り易い功績を求めるアガットには響かない
まあ、直後にキーフリーとオルーギオがあのように判り易く凄い魔法を披露するものだから、比較してアガットに任された仕事が余計地味に思えてしまうのは確かなのだけど
また、ココに貸した為に空を飛べず、結果更なる判り易い仕事を任されないのも彼女にとっては不満点か。けど本来なら残って救助者の手当等をするのだって立派な魔法使いの仕事の筈なんだけどね

新たに起きた事故への対処はそれこそアガットが待ち望んだ事態か
でもそれは期待を一身に背負うという事でもある。功を望めば失敗を恐れる羽目になる
だとしたら、失敗などの尺度ではなく助ける為に何が出来るかを考えたココは立派な魔法使いでありアガットを正道へと戻してくれる存在だね
そしてアガットがしたのは一種の道化、目眩まし。功をココに譲る行為。友の為の行いはココに状況打開の策を思い付かせるものと成るね
アガットは直接には人助けはしなかった。けれど、困った人を助ける為に魔法を使うという魔法使いらしい行動は出来たように思えるよ

ココもアガットもまだ見習いだから本当の意味では魔法使いじゃない。出来る事は限られている。それでも協力すれば魔法使いらしく人助けが出来る。特にココはそうした行為が母を助ける未来に繋がる。そうした点を思えばココは羨むくらいに魔法使いらしいね
だからこそ、驚愕させられてしまうのはココが使った魔法が原因で人助けではないおぞましい状況が展開されてしまった事か
ココの魔法はどう考えても魔法使いらしさから外れている。この危機的状況はどうやったら魔法使いらしく打開できるというのだろうね?



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普通


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とても良い

閉鎖的な山暮らしというからユルに対人戦の経験は無いかと思いきや、まさかの殺し殺されを経験した方でしたか…
また時と場所を別に、アサも殺し殺されを経験していたようで。彼女は無垢なアサはもう居ないと自称していたけど、それはユルも同様。むしろ双子の片割れに逢う為に地獄へと進む覚悟をしたアサ、デラからは命を捨てる危険性を懸念されていたユルを比較した場合、未だユルの方が無垢さを残しているなんて捉え方も出来るのかもしれないね

殺されそうになった経験、生きる為に殺さなければならなかった経験はユルにそれこそ生きる為の教訓を授けるものとなったようで
生き続ける事と殺気を向けられる事、ユルにとってそれは繋がっている。父の教えは特別な双子であるユルが生きる上で必要な指針。他方で全てを教えている訳でもないと察せられるのは、それもまた教えであると言えるのかな
あの時点のユルには襲われた事を皆に言わない本当の理由は判らない。けど、村の特殊性やそもそも自分が狙われる事情を知らなかった事で村において仮初めでも平穏な日々を生きられたと言えそうだ

死んだ時点で既に何度も狙われるような生活をしていたアサはもしかしたらユル以上に生と死が近しい生き方をしていたのかもしれない
そんな彼女が直面したのはただ死ぬか、地獄を生きるかという究極の二択。でも彼女の迷いは少なかったね。自分が生きているから両親に危害が及んだ。それを知りながら、兄が生きているだろうから死ぬ訳にはいかない。彼女は死ぬような生を受け容れ、代わりに双子を狙う者が生きる事を赦さなかった
それこそがアサの覚悟であり生き方となったわけだ

自身の経験、知らなかった諸々の情報、そしてアサの生き方…。それらを知りつつあるユルとて自身の生き方を定める事が求められる
ここで厄介、というか難しい点は、デラや左右様は善意によってユルの生き方の選択に干渉している点だね。それはユルが貴重な経験を父の教えから学んだように、生き方は自分の判断だけで選べないと示唆しているかのよう
ただ、生き方を選べなくても生きる事は出来る。まずは腹ごしらえ。そうして既に生き方を選んでいるアサがユルとの朝食を呑気に喜ぶ姿に癒されてしまったのでした



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良い

撫子といえば羊司の友人枠として無害な存在ながら、無害である為に話に関わって来ないタイプだったのだけど、ここに来て宜しくない特徴を見に付けた上で話に絡んできたね
カナンに罵倒されるのは羊司の役割。けど、嫌われているから罵倒されるのではなく、気に掛けられているから罵倒される関係
そこに他人が割り込もうとすれば、多少の無理が必要となり、無理を通せば羊司以上の罵倒が待っていたわけだ
いや、撫子は厄介な個性を手にしてしまったね…

彼女の家に伺うとなれば特別な心構えが必要となる。ただ、羊司の場合は単純にカナンと一緒に居たいだけのようだし、緊張より水着への期待の方が上回ったようで。その点は何とも楊枝らしい反応。この羊司らしさは悪魔の居所へ辿り着いても変わらぬのか、それとも新たなトラブルが発生するのか、果たしてどちらだろうね?
ラスト、とんでもなく知性の低いコメディが展開されたな…。何故人は自ら地獄へと向かってしまうのか(笑)



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視聴中止

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普通


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普通


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良い

まだ状況は穏やかに見える無人島試験。けれど南雲の言動から察せられるように見えない場所では何かしらの戦略が進行している。だからか橋本だって少し擦れ違っただけの綾小路の動向を把握しようとする
しかし、見えない場所で進めるのが戦略であるならば、綾小路に全てを見せるようにして同行する七瀬の戦略は何故か見えてこないね。月城に送り込まれた彼女は何らかの騙しによって綾小路を貶めようとする筈。なのにそんな素振りは見せないどころか、むしろ彼に関する人間関係改善に寄与するのだから面白い状況

七瀬は綾小路の敵対者などではなく、本当に彼を慕って付いてきている後輩かのよう。先輩の友人が困っている姿を見ればアドバイスしたり元気づけたりする
けど、須藤の警戒に表れるように油断して良い相手な訳がなく。そう考えると、七瀬の同行を許す綾小路にこそ戦略がある、なんて見る事も出来るかもしれない。七瀬の接近を気にする軽井沢へのあの行為も綾小路の戦略に含まれる、なんて捉えると面白い
ただ、無人島試験は綾小路だけを中心に回っているわけでもなく。見えない場所で鳴り響くアラートは事故かそれとも誰かの戦略か?そろそろ色々と動き始めそうだ



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とても良い

あれだけの大冒険と活躍をした後だろうと、ココの魔法使い生活が一変しないのは彼女がまだ見習い弟子であり様々を学んでいる途中なのだと伝わってくるね
目指す先は大きくても、今しなければならない勉強は小さき事の繰り返し。やる気が入らない時はどうしてもある。そんなココにキーフリーは良い学び方を教えてくれたね
思えば、ココが現状上手く出来る彩色石の技術だって生活の中で繰り返す事により培われた技術。なら魔法陣についても生活に根ざした学びが出来るかもしれないというのは面白い視点

「生きる事より教えるのが巧い先生はいない」、キーフリーの言葉は示唆に富んでいるね
ココが魔法を学ぶ理由は母を助ける為や魔法への憧れに拠るもの。でも、そうした理由は大きすぎる、どの程度やれたらその目標へ近付いているか判りやしない
でも、生活や料理を小目標にすれば魔法の出来はすぐに判るね。美味しかったり楽しかったりすれば、それは魔法の上達を証明してくれる
他方でココが魔法を上達すればするほど魔法の世界に近付いていくという話になり、結果的にオルーギオとの邂逅に繋がるのだろうね

見張り役のオルーギオは問題が起こらないよう見逃してはならない立場。そんな彼は相手の本質や思惑も見定める人間でもあるね
彼からすれば、キーフリーが曰くのあるココを隠匿しているのは宜しく無い状況。けど、キーフリーがココを通してつばあり帽に本気で迫ろうとしているなら無碍には出来ない。結局見逃してしまう
また、オルーギオはココの本質も見てくれるね。ココが魔法使いになるきっかけには痛ましい事件があるのは事実。一方でそんな経験をしても、また幼少期の経験があっても魔法への憧れは一切無くなっていない。それこそが彼女の魔法を学びたい理由であると判る。だからこそ、魔法使いのオルーギオはココを拒む対象とは認識しなく成ったのだろうね

今回は出番も言葉も少なめだったアガットは壁にぶつかっている様子。それによる苛立ちをココに向けなく成ったのは成長と言えなくもないけど、風雨による騒がしさを敢えて「訓練」と捉える様子は前向きというより追い詰められている印象すらあるような…
急遽やってきた人助けの話。これを実務のチャンスと捉えてしまう彼女は学びの仕方を間違えつつあるような気がするな。このトラブルへの関わり方は果たして彼女にどのような学びを授ける事になるのだろうね?



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全体
良い
映像
とても良い
キャラクター
良い
ストーリー
良くない
音楽
良い

良く言えばジョットコースター遊園地映画、悪く言えば様々な要素をごった煮に詰め込み過ぎた作品
けれど世界的に知られたIPであるスーパーマリオの映画第二弾を製作するにあたってはこういう形にした方がより大勢が楽しめるのだろうなという納得も得られる映画と思えたかな

私自身のマリオ体験は昔のマリオゲームに幾つか触れた程度で『ギャラクシー』は未体験。映画を見ていても元ネタを知らない要素は確かに存在した。けど、同時に元ネタを知っている要素もあった。こういった懐かしいネタに邂逅できる体験は喜びを覚えられるものでしたよ
本映画はそうした体験を思う存分に提供してくれる作品と思えたかな

そうした遊園地的な楽しさの提供という意味では高い評価を上げたくなるのだけど、他方で他の遊園地的では無い要素についてどのような評価を与えようかは迷ってしまう部分があったり
本作のキーキャラクターとなるのは言うまでもなくロゼッタ。星の命運を握る囚われのお姫様。またその来歴は驚きの人物
…と、ポジションとしては重要なのだけど、マリオやピーチ姫達の中にロゼッタの人柄を知る者が中盤まで全く存在しないというのは宜しく無い構成としか思えなかったり
救援を求める声1つでキノピオ達の反対を押し切り助けに向かう事でピーチの正義感が強調され、彼女の魅力が改めて描かれるけれど、この段階ではピーチがロゼッタを助ける理由が弱いことにより前作におけるマリオがルイージを助けるために奔走する構図が中盤まで見られないのは少しマイナスに思えたり。ロゼッタの絵本を読む事によってようやくピーチは彼女との関係性を知ることに成るわけだけど、マリオとルイージに至ってはエピローグ部に入ってからロゼッタと出会うくらいだし
そのくらい皆して助けに向かうことに成るロゼッタと既存キャラの関係が希薄な点は物語を盛り上げる上で問題だったような……

また本作のストーリー面の難しさは他にもあるね
序盤においてマリオはルイージやヨッシーから「ピーチにアタックしないのか」と何度も茶化されながら問われている。またマリオとピーチが再会した際には関係性の進展を課題とするシーンも見られたほど
けど、作中だと手を握るのがやっとって何…?ってなってしまう
こうした前振り要素の回収が不満足気味な結果に終わるというのは前作にも見られた傾向だなと感じていたり。
他にも、前作ラストでヨッシーの卵が引き要素として用いられ、この続編でヨッシーは活躍している、劇中でのヨッシーの立ち位置ってストーリー面には一切関係ないのは果たしてどういうつもりなのかと疑問に思ったり
そもそもマリオの仲間になるのもサブイベント的な展開の中であり、ヨッシーアイランド要素の際に中心となるだけで特にロゼッタ救出において何らかの役割や因縁を持つわけでもない。マリオ作品のファンとしてはヨッシーが仲間になる展開はテンションが上がったのは確かなのだけど、登場させたならストーリーにおいても何かしらの役割を持たせて欲しかった所

ただし、よくよく考えてみればストーリーより展開を楽しむべきと言わんばかりの主張は本作の随所に見られるもの。マリオ作品との関係が希薄なフォックスがロゼッタ救出に協力してくれるお祭り映画特有の流れ、マリオメーカーやドット表現だったり。そうした諸々は楽しさを求めるものであり、整合性を求めるものではないと訴えてくるかのよう
そうした楽しめるシーンが間断なく展開されていたのは間違いのない事実なんだよね
前後の繋がりがちょっと突然だろうと、マリオとルイージが各ステージをゲームさながらにクリアしていく様子も、ベイビーマリオ達をヨッシーが守る様子も、フォックスが駆るアーウィンが格好良く宇宙を翔ぶ様子も
何もかもが楽しさに満ちている

他方で楽しさを意識したならば、もう少し上手い処理は出来なかったものか…とやはり思ってしまう要素もあるんだけどさ
マリオのゲームをプレイしていると時折発生するのはクッパが仲間になる展開だね。マリオとクッパはピーチを巡って不倶戴天の敵という印象があるけれど、全く別の敵が登場した際にマリオとクッパは協力体制を組む事がある
本映画でも改心したクッパがマリオの旅を先に進める為に己を犠牲にするテンションが上がるシーンが描かれるのだけど…
そこら辺の流れを整理し切らないままにクッパを再び敵側に戻すのって違くない?って思ってしまう
そりゃ、離れ離れになっていた息子と仲を深めた元敵のどちらを取るかって言ったら息子になるのは当然なのだけど、それにしたってクッパの内面の揺れだったり、マリオの敵に戻った前後についてもう少し遣り方があったんじゃないかと思ってしまう
クッパとマリオが協力するという楽しさが描かれただけに、この演出は残念に思ったり

改めて言及するけど、本作の楽しさが素晴らしい出来になっていたのは間違いない
舞台として宇宙要素や他の惑星が登場した事で表現が三次元的になり、画面やキャラクターが前作以上に目まぐるしく動く流れには多様なワクワクが得られた。先述のアーウィンは云うに及ばず、ピーチがカジノに訪れた際の天井・床・壁面が入れ替わりながらアクションするシーンは見ていて素晴らしいものだったし

また、スーパーマリオシリーズという長く続くコンテンツの映画作品として、様々な年代に居るファンを最高潮に楽しませる映画と捉えるならこれ以上無い程の評価が与えられるのは間違いない
なんてったって、あまりマリオ作品をプレイしていない私だって「あっ!このシーンってもしかして…」となるシーンが幾つもあったからね
そうした点を考慮すると、ストーリー面に不満があるのは確かなのだけど、他方で遊園地的な楽しみを得られたという意味では大成功を収めた作品と言えるのかもしれないね



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見た

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普通


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良い

思わず生じた共闘展開は早々にユルとアサが分離される形に
分離されれば互いの理解を促進する時間は限られる筈なのに、分離され相手がどうなっているか見えなくなった事で逆に理解の一助となったような
アサはユルが見えないと彼を心配するし自身の現状に不安を抱く。ユルはアサが居なくても彼女を不要に心配しないし自身の現状についても堂に入った判断ができる
二人は双子だけど、育った環境による違いが如実に出ている印象

結局襲撃者から有益な情報は得られなかった。判らないものは判らないまま
それでも情報理解が進められたのは眼の前に居る人間の性質。襲撃者から聞き出したい事として、ツガイの名前を聞くアサとか、ツガイの扱いに憤るガブなどの姿は彼女らの人間性を知るのに役立つ情報
そうした情報は聞き出すより、ふとした会話の中に表れるもの。ユルとて別に尋問のつもりはなかったろう眼帯の件、それはアサという人間をより知っていく始まりとなりそうな



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良い

ジャンヌは色々と一般常識が足りない為に秩序を重んじるカナンにとって厄災なトラブルを巻き起こしたりする。けど、カナンだって羊司相手に妙なリアクションを返してトラブルを起こすテンプレを有している
そんなジャンヌとカナンが絡む事でテンプレ展開がアップグレードされたような気がするよ。特にジャンヌに対抗してセーラー服を着た挙句にロッカーに一緒に閉じこもるカナンはアホの子可愛い

ただ、カナン本人としては至って真面目だから羊司との間に起きたトラブルに悩む事だってある。そんな彼女を慮ってサボりへと連れ出す羊司は彼氏してるね
彼とて問題行動は多いのだけど、彼女の魅力を際立たせる役割は充分に担えている
トラブルや問題行動の多いカップルではあるけれど、傍に居て心地よさを覚えられるカップルという意味ではこれ以上はない組み合わせであると、ラストを見ながらそう思えたよ



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良い


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良い


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全体
とても良い
映像
とても良い
キャラクター
とても良い
ストーリー
とても良い
音楽
とても良い

鑑賞するにあたってTVシリーズを見返したりとかしなかったため、何処がTVシリーズから削れられて、何処が新規カットだったかは明確には判らず
けど、その分だけ本作の物語にどっぷり浸れたように思えたな。そして総集編の形で見返した事により、この最終楽章において何がテーマとなり、何が久美子達に課題として突きつけられたかが改めて感じ取れたような

冒頭はあすかを見送り、そして託されるシーンから
黄前久美子という人物は高校に入った当初から吹奏楽へのやる気に満ちていたわけではなかった。流れ流れて、その内に覚悟を持って向き合うようになった。その中で“死ぬほど悔しい”という感情を身につけながら

だからか、部長の座に就任した件もどちらかといえば流れ流れて。率先して部長をやると決めていなかった彼女には年度当初のイベントはどれもこれも大役、精神を削るもの
でも、久美子の良い点は最初は出来上がっていなくても向き合っている内に形が整っていく点だね。序盤は先輩達がしてきた事をなぞる様に部員達に向き合った。しかし、部長やドラムメジャーとして行った指導や判断により1年生達が挫けそうになった時、彼女は北宇治高校吹奏楽部の部長として遂に整うね
晴香や優子とは違う、けれどれっきとした黄前部長として部の皆と向き合う覚悟ができた。彼女は難題と向き合う中で皆を率いる部長として成長していくのだと感じられる

だとしたら転入生としてやって来た真由は様々な意味で皆の中に含まれ難い人物というのも見えてくる
部長としての大仕事、部の目標をどうするかと決めるシーン。彼女は祈るように全員一致の目標と出来るかを部員に問うたわけだけど、その“皆”の中に真由は居なかった
勿論、彼女はあれだけの練習量に付いてこれるわけだから、『全国大会金賞』の目標に異論があるわけないだろうが、兎に角真由は“皆”の中に居なかった
また、その後も転入生である為に制服も異なれば、リボンの色も異なり、ジャージのデザインも異なる。極めつけはユーフォニアムの色が彼女だけ銀色、視覚的な違いはどうしても意識に紛れ込む。それらに加えて彼女は「たかが部活」なんて思想の違いまで見せてしまった。どうしたって黒江真由の異物感は強くなってしまう

この異物感に対して特に吹部の面々も低音パートも拒絶しているわけではないし、久美子だって好意的に接している。けど、久美子から無意識的に漏れるのは真由への拒絶感。難しいのは黄前久美子という存在は吹部の部長であるから、彼女の意思は時に部を代表したものに成りかねない点
久美子は真由への拒絶を表明しているわけではない。けど無意識の苦手意識は彼女が部に混ざりきるのを難しくする。結果、真由は部への溶け込みが難しくなり、余計に久美子へと赦しを求めるようになる
でも、表面的には真由を拒絶しているわけではない久美子は真由への対処ができないまま。そうして迎えたのが関西大会を控えたオーディション結果か……

あの瞬間から始まる部内の不穏さやバラバラ感は久美子が気付けていなかった部内の不調和音が原因。けど、それに事前に対処できたかと言えば、あの局面で対処方針を巡って幹部会までもがバラバラになったように、最適解なんて事前に求められるものではなかったんだよね
ここでかつてのリーダー格であり、今は部を外から見遣れる先人が登場するのは感無量の心地になる。特にあすかが滝先生を「滝さん」と呼んでいたのは印象的。見る視点が異なれば、得られる解釈も異なってくる
そうして行われたのは再度の目標設定。今度こそ場には真由も含まれるから、彼女は阻害されること無く北宇治が目指す方針に混ざれる。彼女はあの瞬間、異物ではなくなる。行き当たりばったり感があろうとも久美子の真骨頂が示されるとても良いシーン

ただ、それはあくまで一時的な話で。結局、この前編において久美子は真由の内心にも、そして真由に接する際の自身の内心にも踏み込めなかった。そうして陥った悩みの極地がおそらく後編にて描かれるだろうあのシーンへ集約されるかと思うと期待半分・緊張半分な気分ですよ……!

演奏を主題とした本作、特に京アニが制作しているのだから映像面でも音響面でも凄まじい物がスクリーンに映し出されるのだろうと身構えて鑑賞したのだけど、こちらの期待を裏切らない高品質な作品を提供してくれたね
映像面の美しさは言わずもがな。舞台となった京都の街並みをまるでそれ一つで芸術作品となりそうな美しさで描き出してくれたね。そうしてスクリーンに映し出された背景は鳴り響く音楽をとても効果的に支えていたな

音響面は様々なこだわりを感じられたね。特に久美子がユーフォニアムを演奏する際に、ピストンを押し込む音まで収録しているなんてこだわりが強すぎて驚かされるよね。当然のように吹き込む息も収録されている
それらは彼女らの演奏を実在性あるものとして描き出す為の一助。彼女らが用いる楽器は鳴らせば音が流れる器ではなく、息を吹き込み、ピストンを操作し、精密な扱いをして初めて音が鳴り響くものだと伝わってくる
そうした表現にこだわって制作された作品だから、終盤の関西大会における演奏シーンが際立って感じられたね。あのシーン、音の粒が感じられるだけでなく、音によって空間が震える様子まで感じ取れるように思えたからね。こだわりの強さに拠って実現したとても素晴らしい演奏シーンであるように思えたよ

前編を見て予想外だったのは総集編として扱った話数か。前編・後編という枠組みなのだから前編では半分程度を扱うのかなと思いきや、まさかのTVシリーズ10話くらいまで収録してしまったよ…
全国大会での演奏シーン増量は当然として、まさかあのオーディションシーンを増量するのか、それとも別の仕掛けがあるのか?
最終楽章の後編という本当の終わりを様々に想像しつつ、その時をゆっくりじっくりと迎えたい心地ですよ



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