「今はまだ子どもだから、おもちゃの指輪しかあげられないけど」って言いながら、西村さんの左手の薬指に指輪を嵌める高田くんは、「大人になったら……」という暗示のようで、もう……もう……!!
それに、「宝物ができちゃったよ…///」って西村さんも、「いつか大人になって高田くんがちゃんとした指輪をくれるその日までは、このおもちゃの指輪を大切にしよう」ってこの関係がずっと続いていってほしいって意図が見えるようでたまらない気持ちになってしまった。
ちっちゃな子どもたちのおっきな夢を、子どもらしい世界観の中で描き出し、そしてそれを大人の世界へ羽ばたかせていく素晴らしいシンデレラストーリーでした。やっぱり夢と現実はどこかで繋がっていて、それを渡るために悩んだり、汗をかいたりしながら懸命にもがいて輝いていきたいと思わせてくれるパワーを受け取りました。
大人たちの描かれ方もさまざまな側面があって、それぞれにちゃんと意味があって、部長の存在も良い意味でU149の野心をより輝かせてくれるコントラストをくれた存在で良かったです。
会長の鶴の一声で決まった、U149のサマーライブ出演。でも、それは決して職権に物を言わせただとか、結局は大人の力学だったとかそういうものではないと思う。会長が示しているのは、ありすのパパやママと同じように、「みんなの夢を影から応援してるくれる大人」であり、そしてプロデューサーのように「みんなの夢が夢な大人」なんだと思う。
そして、そこから一気に動き出す現場。ドームのステージという大きな夢に向かって、練習に励むU149のみんなも、調整に奔走するプロダクションの大人たちも、その姿は光る汗を散らしながら最高に輝いていた。決してスマートじゃないかもしれないけれど、がむしゃらにみんなが夢へと駆けていく光景は、どこまでもクールでカッコよくて、見ている人にも夢へ駆けるパワーをくれるものだった。
そんな夏のステージで披露する歌は、U149のみんなの夢を歌詞に込めることになった。特に、ありすは込めたのは「夢を見るのに、早すぎるも遅すぎるもない」という言葉。大人でも子どもでも、夢を願った時こそが夢を見て走り出す時という思いは、まさに「アイドル」という一つのシンボルに全力を注いで関わっている全ての人を表していたように思う。
そして、ステージは終わり、小さな彼女たちの大きな夢は一つ叶った。やりきったという達成感と充足感に満ちた夜。だけど、U149のみんなが上り始めた階段はまだ終わっていない。
だから、「夢を見るのに、早すぎるも遅すぎるもない」というように、みんなの夢はまだまだ続くし、もっともっと大きく膨らんでいく。さらに、その無限に広がった夢はU149に新たな仲間を誘った。それが暗示するのは、この物語を通して、その夢がぼくらのところまで広がってきたということ。ぼくらにもその夢の階段を駆け上がれ!と言いたげに見えていた。なぜなら、早すぎるも遅すぎるもなく、願ったその時こそが夢を見る時だから。
小学生、夏、田舎、初恋……………最of高
お母さんの墓前で「高田くんのおかげで大好きなお母さんに初めて友達を紹介できた」って西村さんの笑顔が、恋愛とかそういうのを超えた、報われたとか救われたとかそんな感情を見たような気がした。
高田くんが「水着似合ってる、超かわいいね」って一言を普通に言うんじゃなくて、敢えて西村さんの耳元でひっそり囁くのがとてつもなく良い。こう、特別感を感じるようだったり、高田くんもちょっと照れくさいのかなとか思ったり。
それに、「僕はいつでも味方だから、西村さんがどんな風に笑っていても」って台詞は、もう好きになっちゃうとかそういう次元を超えてるよ……。
西村さんも好きな言葉は何?って高田くんに聞かれて、明るい言葉を挙げる中で、思わず高田くんの名前の「太陽」って言っちゃうのすごい……良い……。
あと、種崎さんの大人っぽさ強めの演技もすごい好き。てか、お姉ちゃんもお姉ちゃんで天然たらしだな!!
トンチキバカアニメの第2クールは、まさかの超絶感動のスポ根で二人の貴い絆の泣きアニメでした。
運命に振り回され続けるイヴと葵だけど、それでもお互いを求め合って、また同じグリーンに立つ。そこに懸ける二人の特別な想いに胸をアツくさせられました。
倒れた葵……。だけど、全英の最終日、彼女はイヴのキャディーとしてコースに現れた。そして、イヴはイヴで、葵のシャイニングウィングのドライバーを持って現れた。
全英三連覇の女王ユーハに打ち勝つために、二人でプレイすることにしたイヴと葵は、意味は少し違うけれど、それでも「二人でゴルフをする」という約束を果たしに来た。そんなイヴと葵の二人の約束を何が何でも叶えてやるという諦めの悪さ。それは、二人が互いに互いのために立ち続けようと惹き合わせる特別な絆、その貴さを感じて仕方なかった。
そして、何よりも葵の「輝ける翼」のドライバーで、イヴが「レインボーバレット」を打つ姿。それは、リタイアしてしまった葵の翼を、イヴが虹で再び輝かせているように見えて、それは「まだ葵は墜ちていない、まだ戦い続けてる」と言いたげなように見えていた。そして、それもまた二人が「約束」に想いを懸け、執着する象徴だった。
だからこそ、その後のイヴとユーハのやり取りでの、「私は葵のスコアと戦い続けてる」というイヴの一言があったのだと思う。葵がキャディーとなってまでイヴと共にゴルフをする提案をしたのと同じように、イヴもずっと葵だけを見てゴルフをしている。常にお互いのことで頭がいっぱいなイヴと葵のライバル関係は、どこまでも強くて美しかった。
また、葵のクラブでイヴが打った「シャイニング・レインボーバースト」は、天鷲一彦のショットのようにも、亜室麗矢のショットのようにも見えていた。
それは、まさに血を分けた異母姉妹の二人の交錯した運命が、一つに結び付いた瞬間だったように思う。「二人で一緒にゴルフをする」という約束を交わしてから、数多の運命のイタズラに邪魔をされてきたイヴと葵だったけれど、この全英最終日の舞台、この瞬間に全ての運命が収束したことを示していた。
そして、そこに湧き上がる「ようやく、ようやく届いたんだね…」という思いで、胸がいっぱいになってしまった。
結局、全英は総合スコアでユーハにイヴは敗れ、葵の取るはずだったスコアとイヴのスコアも引き分けに終わってしまった。
でも、だからこそ、「次こそはちゃんと一緒にゴルフをやって、イヴ/葵に勝つ!」という約束が交わされる。そうやって、4年後また全英の舞台に二人が立って、今度こそ決着をつけようという光景は、まさにこれまでの物語の全てが詰まっていたように思う。
ずっと二人で「約束」を追い続け。幾度となく困難が立ちはだかるけれど、「待ってる相手がいるから」という想いに突き動かされ、乗り越える。そうやって、この世界でたった一人の運命の相手のために、もがき続けて高みへ昇っていく。そんなイヴの葵の運命のラインをありありと感じさせるラストショットとして映った。
ようやく二人で一緒にグリーンの上で戦える、──そう思っていたのに…。
限界を切り詰めた葵ガ倒れてしまって、また二人の願いは届かない。どうしようもなくすれ違い続ける運命が、イヴと葵の儚い夢を裏切り続ける光景に涙が込み上げてきてしまう。
「なんで矢野が悪く言われるのかな…。」と涙を落とす陽芽の、今も昔も矢野のための外面を演じているのに上手くいかないことへの悔しさとやるせなさが胸にツンと来た…。
それでも重ね塗りの陽芽の外面に、何を信じればいいのかわからなくて、陽芽の本心すらも素直に受け取れない美月。
だからこそ、単純に真っ直ぐに「好き」を伝え合って、遠回りせずに本心を通わせた瞬間、数年越しの遠回りなすれ違いの帰結は胸をアツくさせられました。
第三芸能課のみんなが各々の夢を書き綴ったホワイトボードに、「思案中です」と一人書いていたのが橘ありすだった。その姿は、夢を見ることを恐れているように見えていた。
そんなありすの中には、二つのずっと思いがあった。それは「大人らしくちゃんと現実を見なきゃいけない」という思いと、「子どもっぽいかもしれないけれど、アイドルになりたい」という思い。大人になりたい子どもとして、ありすはどちらかを選ばなければいけないとアンビバレンスな内で悩んでいた。
だから、ありすは大人でもなければ、子どもでもないのだ。そして、そのどちらにもなれずにその狭間をふわふわと漂う。それ故に、ありすは子どもな第三芸能課のみんなにも相談できないし、プロデューサーや親といった大人にも相談できずにいたのだと思う。
心の中で「大人と子どもの違いってなーに?」とありすは問う。それは、どっちつかずの自分がいったい何者なのか、「大人になりたい」けど、「子どもっぽく夢を見たい」という私は何なのか?はたまた、そんなことが許されるのか?という疑問の表れだったように見えた。
そして、それに答えを与えるのならば、子どもから大人へ羽化しようとする「思春期」そのものであるというように思う。
そんなありすに、良い意味で子どもみたいな大人のプロデューサーが向き合ってくれた。大人と子どもの狭間でどうしようなく孤独で、夢と現実の間で迷っているありすに、そのどちらでも良いと教えてくれた。大人でありながら、子どもでも良いんだと。
大人も子どもも同じで、大人だって子どもみたいに夢を見ていいし、それを叶える姿は間違いなく大人である。そして、アイドルは夢をお仕事として叶える究極の存在で、それこそありすがなりたい大人で子どもらしい姿なんだと導いてくれた。
「矢野の前だと上手く外面できないんだよ」という陽芽の本心は、一見すると矢野に対するキラいや困惑のように見えていた。
でも、陽芽の心の奥底には、本当は幼い頃と同じように矢野のことをどこかで大切に思う気持ちがあるように思う。幼い頃の陽芽が「美月ちゃんだけには嘘をつかないから」と言ったように、美月を想う気持ちが、嘘の外面に違和感を感じさせているのだと映った。
インモラルエロ×ハイテンションギャグコメディ×シリアスでミステリアスな世界観とかいうはちゃめちゃな組み合わせがすごかった……。
この狂気さをフル稼働させる演出もおもしろかったし、単純に宗教教団活動ってコンセプトも新鮮で深くて楽しかった。
そして、作画リソースが厳しそうな中で、ドット絵とかクソコラで表現するのはなかなか秀逸でした。
最後までめちゃくちゃすぎてワロタ。謎アイドル展開からのアータルの尊厳破壊て。
クソカス陽芽ちゃんが果乃子にだけは気にかけてるの良い。あと、原作だとやらかした時のリアクションが素感があったけど、アニメだとcv小倉唯さんのおかげでかわいさ増しになってる良いね。
めちゃくちゃ裏表のあるcv小倉唯さんがひたすらおもしろい。店長もcv田村ゆかりんが付くことで、この周到でしたたかなイメージが増すわね。
それにしても、原作読んでるけど、映像化すると途端にこのコンカフェの限界設定が際立つわね……。
江戸に生きる葛飾北斎とその娘・お栄たち絵師の姿を通じて描かれた物語には、「見えざるものを見る、感じ取る」という迷信のような価値観が映し出されていた。
その「見えざるものを見る」というのは、浮世絵師として必要な素養であることもちろん、目の見えないお猶が触れて嗅いで聞いくことで物事を捉える様子にも映し出されていた。そういった大袈裟に言えば、彼らの生き方の根幹にあるものとして、「見えざるものを見る」ということ、それによって世界を拡張していくということがあった。
一方で、思い込みから妖怪の気配を感じ取ってしまう奥方の話も印象的なエピソードだった。お栄の描いた地獄の絵のある屋敷の奥方が、鳥の鳴き声や花の落ちる音を絵に描かれた亡者の悲鳴だと思い込み、妖怪を錯覚してしまった末に病に伏せてしまうという話であった。そして、最後に北斎が仏様を描き加えることで、その奥方は気を取り戻すのだが、その結末で含めて「見えざるもの」が種々の迷信や信仰を生み出す根源という江戸や中世特有の世界観に触れたようだった。
そして、最後に目の見えないお猶がは病気になって、逝ってしまう間際。唐突な風がお栄と北斎の家に吹き込んで来たことが示すのは、やはり目には見えない形で、お猶の死を告げるものであり、またお猶が最後に二人に会いに来たということのように映った。そういう意味で、「見えざるものを見る」というのは、極楽や地獄であろうとも、この世に生きる人々と繋がっているという世界観や人生観によって、今を生きる人の心を支えるものでもあるように感じた。
やはり「見えざるもの」で溢れていた江戸だったからこそ、その「見えざるもの」を見ようとすることによって、人々の生きる世界はより豊かに広がっているように思えた。また、安定した世の中だったとは言えど、現代と比べると先の覚束ない社会の中、見えないものに希望を託すことはその時代なりの生き方だったのかもしれない。そして、今は「見えざる」江戸を描いたこの作品も、数百年前という未知の世界への想像を膨らませるものであり、自分の世界観が拡張していくような趣深さがあった。
端的に言うと、ちゃんと王道してるレヴュースタァライトって感じでとても良かった。特にストーリーだけ見ると、レヴュースタァライトを私好みの論理だった構成に仕上げた感じの印象があって、その点で言えば上位互換な感すらある。
あとは、舞台シーンの作画の滑らかさ。特に芝居がかった感じの緩急ある動きを的確にアニメーションに起こした場面はとても印象的でした。
そして、何よりもここなとその思いが生み出した存在である静香との絆が、単に儚げというローな感動を誘うだけではなく、夢へ走り出す原動力になっているというアッパーな感動も誘ってくるというのが何とも憎い。
夢は約束。だから、静香は舞い戻ってきた。
「ワールドダイスターになりたい」という夢を 叶える自分の姿を、幼い頃のここなは信じることができなかった。でも、それはそんなここなの背中を押してくれる静香と、二人の約束になっていったことで、ここな自身も夢を信じられるようになっていった。
だけど、自分はここなのセンスだからと一歩引いてしまって、その果てに静香は一度は消えてしまった。そんな静香は、まるで「オペラ座の怪人」のファントムのようだった。舞台を盛り上げるだけ盛り上げて、最後に炎の中に消え失せてしまう。
しかし、一方で、静香がここなを導いたように、ファントムもゴーストの歌い手だったクリスティーヌを表舞台へ導いていた。そして、最後に、逆にここなが静香を表舞台に立たせようとしているのと同じように、クリスティーヌもファントムの作曲した歌を舞台で歌っていた。
たとえ最後に離別してしまうとしても、互いに主役の舞台へと導き合うのが「オペラ座の怪人」のファントムとクリスティーヌという二人の主役だった。だから、この物語もここなと静香のW主演でなければいけない。静香も役者の一人として舞台の上に立たなければいけないのだ。
そして、ファントムと違って、静香が舞い戻ってきたことにも必然性があったと思う。なぜなら、クリスティーヌの許に現れなかったファントムの心は満ち足りていたからだ。醜い姿のファントムはクリスティーヌによって、初めて愛されることができて、そこで満足してしまっていたのだ。
しかし、静香は違う。彼女の中には「私もワールドダイスターになりたい」という思いが眠っていた。この結末に満足していないからこそ、静香はここなに導かれ、再び舞台に戻ってきたように思う。
そして、ここなと静香は「二人でワールドダイスターになる!!!!」という夢を求めて、新たな舞台へと経ち続けていく。そして、輝くセンスと共に、二人は永遠に二人の物語の主役を演じ続けていくのだろう。
やりすぎなおもしろさの自重も知れ!!!!!!!!!
クソアニメにカテゴライズされることの多いハイテンションギャグコメディだけど、転生貴族はかなり正統派だったな
なんというか、一般的なクソアニメが意図しないおもしろさで溢れてるのに対して、転生貴族はコントみたいに意図通りのおもしろさすごい良かった
いや〜アーロンとの最終決戦を終えて、まーた王様に呼びつけられたカインくんだけど、「常識外れの魔法を使うなッー!!!」とか「魔王を助っ人に呼ぶなッー!!!」とかめちゃくちゃなことでめちゃくちゃ怒られててめちゃくちゃおもしろい。
てか、もうカインに疲れたからって王位を譲ろうとしちゃう王様も王様なんよな……。
そして、新しく与えられたドリントルの街へ行ったカインくんだけど、まーたやりすぎちゃって、衛兵に逮捕されてるのは流石にやりすぎだろ。てか、ここのやりすぎエピソードラッシュの勢いが好きすぎるし、いちいち新鮮なオーバーリアクションを取ってくれる王様もおもしろさぎる。
それに、浮気がバレて追い出されて人界に逃げてくる魔王さまも魔王さまで自重をさぁ……。
現実と夢、大人と子ども。第三芸能課のみんなのステージに立ちたいという思いと、「現実を…仕事を…」という部長の姿は隔絶された対立項のように映った。
だけど、現実と夢は必ずしも反発し合うものではないと思う。「みんなに期待されては、頑張らないわけにはいきませんわね」という櫻井桃華の一言が、まさにそれを示していたように見えていた。
そして、第三芸能課のみんなは手づくりのステージを作り上げて、ネット配信のライブを行った。彼女たちは『夢が先立つことで、現実をそこまで連れて行ってくれる』ということを見せてくれた。
たとえ小さな夢でも、夢を願うからこそ、現実と大きなステージまでの距離は少しずつ縮まっていく。そして、その道筋を描くのが、小さな彼女たちの仕事である「アイドル」なのだと思う