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普通

不健全アニメだ



とても良い

柄にもなく泣いてる堀さん、かわいい..........
かといって、宮村くんが味方してくれないからって堀さんが泣いちゃう気持ちもちゃんとわかるから、なんか感情移入できて胸がぎゅってなる



とても良い

レズで報われない恋だから恋愛感情を捨てたいってヒューマノイドの女の子、こういう社会ならあり得そうだなぁ……となってしまうし、できてしまいそうだなって切実さがある

それに、恋愛感情を捨て去るってそんな片思いの潰え方ってそんな………って気持ちでどうにかなっちゃいそう



良い

人もAIもロボットも適材適所ってことよ



全体
普通
映像
普通
キャラクター
普通
ストーリー
良い
音楽
普通

ゆるい世界観は良かったです



普通


全体
良い
映像
良い
キャラクター
とても良い
ストーリー
良い
音楽
とても良い

非常に難解奇異な物語で、最後の最後に何を言わんとしていたのかをようやく微かに理解することができたような…気がするといった作品だった。

私が出した結論としては、『パプリカ』というのは「夢の昇華のさせ方」を描いていたのだと思う。

粉川警部の夢解析

一番分かりやすい表象が、粉川警部と彼が見ていた夢だったと思う。はじめ、粉川警部はある夢にうなされて、パプリカから治療を受けていた。その夢というのは、様々な映画の場面に飛び込むというもので、夢の最後の場面で粉川警部は夢の中のもう一人の自分自身を殺してしまい、中途半端なところで未完成に幕切れしてしまう。

まず、これは夢と現実の葛藤を示しているのだと思う。後に明らかになるように、粉川警部はまだ学生の17歳の頃、今は亡き友人と共に刑事と犯人が追う自主制作映画を撮っていた。そんな当時の粉川少年の夢は、間違いなく今のような刑事なんかではなく、映画監督のような映画の仕事だった。

そんな若かりし頃の夢と現在の現実の間に抱える葛藤。つまり、叶わなかった夢への後悔から目を逸らしたいという粉川警部の深層的な心が、映画の夢で自分自身を殺すという形で表象されていたのだと思う。そして、そんな葛藤が粉川警部にこの映画の悪夢を見せていたように見えていた。

しかし、物語の終盤で、粉川警部は例の中途半端に途切れた夢を完成させることができた。そして、今は亡き映画仲間の友人が、警部に向かって「嘘から出た真だ」と言い、かつて撮った映画の役の刑事に実際になったことを肯定してくれた。その二つを受けて、粉川警部もどこか救われたような気持ちを携えることができた。ここに『パプリカ』が描いた「夢の昇華のさせ方」があったように私は思う。

夢と現の反転術式

そんな粉川警部の「夢の昇華」を噛み砕いてみると、「夢と現実の反転」というのが見えてくる。粉川警部の最初の夢は映画の仕事であったが、後から現実の結果である刑事の仕事を私の夢だったのだとすり替えている。これを情けないと取るかは置いておいて、この「現実と夢の揺らぎ」が「夢の昇華のさせ方」の正体であるように思う。粉川警部の例のように、後悔をポジティブに変化させること自体は「夢の昇華」ではなく、あくまでも「夢と現実の反転」に付随するものに過ぎないのだと思う。

夢が現実で、現実が夢となりゆく

別の例を挙げると、千葉敦子とパプリカという存在のように、現実の人物の分身的なものとして夢の中の存在が写し出されているという描写がある。また別の例としては、クライマックスの場面で夢と現実の街が繋がってしまい、夢が現実を侵食しにくるという場面。

これらはまさに、「夢と現実のどちらが本当の実体なのか曖昧になってしまった揺らぎ」を描写しているように見えていた。そして、その「夢と現実の揺らぎ」は、夢という理想を掲げる自分と現在の現実の自分との間にあるギャップに対する葛藤を示しているのだと思う。

そして、その「揺らぎ」という葛藤を経て、粉川警部の例のように現実が夢となる。あるいは、なんとか丸く収まったこの物語の結末とは逆に、夢で現実を読み込もうとする理事長の企みが成功してしまったifのバッドエンドとして、夢が現実になるということもあり得るだろう。

夢から生まれた人生の創出

ともかく、夢と現実のどちらが本物になるのかという葛藤をせめぎ合いの果てに、夢もしくは現実が本物となっていく過程と結果が、つまるところの「夢の昇華のさせ方」を意味していると私は結論付けた。結果がいかなるものだろうと構わないのだが、夢と現実の狭間でもがいた末に結果を出す様は、この『パプリカ』という物語のように実に劇的で人を惹き込むような人生であるのだろう。

それに、結果がいかなるものだろうと構わないと言ったが、別に夢も決して現実を蝕む悪いものばかりではない。悪役として描かれた理事長の台詞ではあるが、「非人間的な科学や現実から人間に残された人間的な聖域の部分、それをを守る隠れ家が夢である」というのは全くその通りだと思う。そして、夢に人間的な要素があるから、現実と夢を突き合わせて出力する時に、魅惑的な人生も生まれるのだと思う。

また、最後の最後に一つ付け加えるとすれば、一番最後の場面でパプリカが警部に勧めた「夢見る子供たち」という映画。あれも夢を抱き、これからの現実を生きていく子どもたちが人生をいかに生きて、いかに夢と現実をせめぎ合わせ、どんな人生を残すのかという含意を勝手ながら汲み取ったような気にさせられるものだった。



良い

ロボットが学ぶことで、人もまた成長するって作用、おもしろい



全体
とても良い
映像
良い
キャラクター
良い
ストーリー
とても良い
音楽
普通

自分が何なのかというお話

結論から言うと、この『パーフェクトブルー』という作品は、アイドルから女優へと転身した未麻のアイデンティティを描いた物語だったように私は思う。

私はどんな私?どんな姿の私?

物語は前述のように、アイドル・みまりんが女優へとキャリアを乗り換えるところから始まる。しかし、それをファンのみんなに告げるステージで、場を乱す乱闘騒ぎが起き、それをとあるファンが止めた。そのファンの彼は、暴徒からアイドル・みまりんを救ったヒーローだという誇りやアイデンティティを得た。それもまた、この物語の裏のきっかけとして描写されていたように思う。

そして、話題の焦点を再び未麻に当て直す。彼女は新しく女優としての仕事を頑張るものの、どこかでアイドルのキャリアを離れたことへの気持ちの引っ掛かりがあるように映し出されていた。それは、アイドルを夢見た初心のせいか、それともアイドル・みまりんを求めるファンの声のせいか…。

しかし、いずれにせよ、女優であることにどこか疑問を感じ始めていた未麻の心は、レイプシーンの撮影で決定的な不和を起こしてしまったように見えた。レイプシーンなんてものはアイドル・みまりんの死の象徴であり、彼女自身も単純に受け入れがたいという本心もある。しかし、一方では、女優として演じなきゃという思いもあり、周りの人を心配させないためにも「何ともない」と言いたげなケロっとした表情を作らざるを得ない。そんなちぐはぐに相反した感情の狭間で、未麻の心は押し潰されて、ぐちゃっと二つに分裂してしまったように見えていた。

認めたくない自分像

その頃から未麻の前に、もう一人の未麻が現れるようになった。アイドル・みまりんの姿をしたそれは、亡霊のようにふわふわと未麻の前に現れて、現在の女優になった未麻のことを「穢れてしまった」と言い指す。そして、現在の未麻にとって、その「穢れてしまった」ということは、まさに心の奥で自覚しながらも、気付かないフリをして押し潰した感情だった。

だから、それをわざわざ指摘されることは、未麻にとって、女優になったことへの後悔や自責の念を搔き立てるものだったのだ。そして、何よりも幻影の未麻というもう一人の自分に、女優としての自分に対するヘイトを煽られたことは、未麻の心を余計に分裂せと加速させていくようだった。

しかし、現実は現実であり、バカみたいな幻影にいつまでも振り回されているわけにもいかない。だから、そんな女優業に対する戸惑いを感じる程に、未麻はそんな戸惑いを忘れようとして女優業へ専念し、ヌード撮影の仕事さえも受けてしまう。どこで歯車が狂ってしまったのか。もう未麻は本心で自分が女優をやりたくないと思う程に、女優業に打ち込んでいくスパイラルに陥っていたように見えていた。

理想という倒錯

そして、そんな風に未麻が葛藤する裏で、最初に未麻のステージを救ったとあるファンが動いていた。

彼はアイドルとしての未麻に異様に執着し、女優としての未麻を疎んでいた。それ故に、彼は未麻の女優現場で爆弾事件や殺人事件を起こして、未麻に女優を辞めさせようとしていく。しかし、それならまだ可愛いもので、彼は「未麻の部屋」というWebサイトにストーキングした未麻の行動を書き連ねていく。これこそが問題で、彼は次第に自分の理想の未麻の行動を織り交ぜていくことで、徐々に「現実の未麻」を「想像の理想の未麻」で上書きしようとしていく。

そして、その彼の行動は、幻影の未麻と共に、この世界が本当に現実なのかと未麻を倒錯させていく。その現れとして、未麻が自分の手でヌードを撮影したカメラマンを惨殺する夢を見てしまうことや、自分がドラマの役を演じているのかそれとも実際の自分なのか曖昧になってしまうことに繋がっていっていたのだと思う。

虚構が現実を追い出す

その果てに、最後、幻影の未麻が本物の未麻を殺しに来る場面は、まさしく虚構の未麻で現実の未麻を上書きしようというものだった。

もうその時点で未麻は、夢の中の夢の中の夢……を見続けている始末。それは、もはや自分が現実にいる現実の存在なのか、それとも夢という虚構の中の虚構の存在なのかも曖昧な倒錯状態に陥ってしまっているように見えていた。そして、それが意味することこそ、アイデンティティの崩壊なのだと思う。

アイデンティティ・クライシス

自分は現実なのか虚構なのかと惑わされる中で、未麻のアイデンティティは脆くさせられてしまった。この自分自身が本物の未麻なのか、それとも幻影の未麻が本物の未麻なのか。そして、自分はアイドルに戻りたいのか、女優を極めたいのか。そんな風に未麻は自分自身を見失ってしまっていたように見えていた。

そして、そんな心の迷いに、幻影の未麻が付け込んで、現実という場所から現実で本物の未麻を追い出そうとする。ファンが理想として夢想するアイドル・みまりん。その姿をした幻影が、現実の女優・未麻を消し去ろうとする。それが、未麻のアイデンティティの崩壊なのだ。

まっさらに青い空に、描く自分の姿

そんな風に自分が誰なのか、何なのかというアイデンティティを描いていたのだと思う。

それはアイドルにとってのファンのように、他人の声に流されて決めたり、他人からの評価によって定めたりするものではない。もちろん、「あんな風になりたい」「こんな風になりたい」と想像してもいいけれど、現実の現在の自分の立ち位置をよく分かった上で、目指すべき未だ虚構の自分を見据えなければならないということなのだと思う。

さもなければ、未麻のように現実と虚構の間で、自分にも他人にも翻弄されて、自分が実体のない存在になりかけてしまうのかもしれない。そんなメッセージが、この『パーフェクトブルー』なのだと私は思う。



良い

男の子の「個性」ってやつ、発達障害っぽいな
自分の小学生の頃のまんまだもん……、それにしてもそれを治すべきではあるけど、性格を捻じ曲げるっていうのも容易には許容しがたいものでもあって……、難しい



良い

恋愛感情に翻弄されちゃうよ〜〜〜〜



とても良い


良い

心はそれぞれの人の心の中にあるのかな



良い

ヒューマノイドに成長の限界はあるかもしれないけど、同じように応援を受け取る心もあるんだなぁと思わされた



良い

萌ちゃんカッコよすぎかよ!!!!!



全体
とても良い
映像
良い
キャラクター
良い
ストーリー
とても良い
音楽
とても良い

挑戦的な新シリーズは衝撃的で、今までのキラキラしたバンドリの世界はどこにもありませんでした。

だけど、荒んだ人間関係の中でももがきながら、「迷子でも進む」をスローガンになんとか一緒に繋がっていようとするMyGOたちは誰にでも寄り添ってくれるような物語だったように思えるものだった。戸山香澄のキラキラだけでは救えないものを、高松燈や千早愛音は救ってくれた。



良い

「弱い私はもう死にました」と言い捨てる祥子の新たなバンドは、『Ave Mujica』

「焦りや後悔はここに置いて、舞台に上がれば、頼れるものは我が身一つ」という言葉に、素顔を隠すためのマスクは、祥子の心の影を表しているようだった。そして、CRYCHICを捨てるに至った己の弱さを自分から切り離し、なかったことにしたがるかのような逃避的な姿が、今の祥子のように見えていた。

そこで、舞台の上で作り出した『Ave Mujica』は、彼女たちが「かりそめの命を宿した人形」と言い表すように、どこか脆さを感じさせるものでもあった。だけど、そんな脆さを感じる分だけ、もう弱い頃の自分ではなく、刺々しくより強い自分であろうという気概も感じさせるようだった。

だから、『Ave Mujica』の世界観とは、祥子の弱さを握り潰すための強気な心の爆発なのだと思うのだ。まさしく、家に帰って開口一番、「ただいま、クソ親父」と言い放つような荒々しさで。



とても良い

ハルトの想像する反抗期の兄嫌いシャルちゃんがスレすぎてておもしろい、舌打ちまであるのも好き



普通

救いが美世さんを待っていたんだなぁって



普通


全体
良い
映像
良い
キャラクター
良い
ストーリー
良い
音楽
普通


良い

強敵の割にはあっさり



良い


良い

ゾンビの子にペットボトルじゃなくて、食べ物でもあげれば………



良い

チョコレートで想いが伝わるってモノローグで、バレンタインっていいなぁ…という気持ちにさせられてしまった

あのねぇ、シンプルにモテる井浦がおもしろい
そして、前にイジメられてた描写からの、このバレンタインをきっかけにあの女の子と友だちになれた沢田ちゃんになんだか嬉しい気持ちになる



全体
とても良い
映像
とても良い
キャラクター
良い
ストーリー
とても良い
音楽
とても良い

結局のところ、何も分からないまま始まって、何も分からないまま終わったような物語だった。それでも、分かりかけたような世界観が少し積み上げられたところで壊されて…というのを何度か繰り返すうちに、それ自体が意味を帯びてきたこともまた事実なのだと思う。

目の前の敵が本当の敵なのか分からない。人食いではなく、人こそが本当の人類の敵なのではないかということ。

人同士の争いの中でも、どちらかが正しいのかだけではなく、どちらが正しいのかという正義の基準がそもそも存在しない場合もある。不滅教団とそれに反対する白装束の勢力も、公平に見れば、互いに間違っているようには思えなかった。

そんな世界観の中で、ただ人に言われたように世界を見るのではなく、自らの意思という目で自分なりに基準を敷くということがこの物語の教訓的なものであるのかもしれない。そして、それが最後のキルコやマルに施設の子どもたちが辿り着いた境地なのかもしれないと映った。



とても良い

学園を襲う原因不明の事故をきっかけに、外の外に飛び出した子どもたち。彼らは彼らにとって未知の世界に晒されて、何も整備も指示もない中を自らの意思で選択していく地平に放り出されていた。

そして、それは外に出ていった子どもたちだけではなくて、トキオもそうであるように見えていた。大人たちに自分の子どもを手渡され、しかし園長はそれを渡せと言う。そんな中で、発言したヒルコとしての異形の能力は、間違いなくトキオが自らの意思を示したという意味で、新たな世界だったように思う。

キルコやマルも同じだと思う。キルコは自分の求める全てだったロビンに裏切られて、それはまさしく信じていたものを全て失ったようで。そして、一度ゼロになったとこから新たに信じる世界へと彼女は進んでいくのだと思う。

マルだって、これまでの旅も踏まえて、改めて「お姉ちゃん」のことを『キルコでもハルキでもない「あんた」が好きだ!』と言い放った。そんな新たな認識の中で、再び彼も彼女と旅を続けていくのだと思う。



とても良い

もうロビンも、天国のことも、何も信じられる世界はない



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