お約束通りに牡蠣に当たってるの草。
「譲れなくて喧嘩するのなんて普通だろ」って言ってのける日向、すげぇな。でも、チームスポーツではそれができるとこが強くなるんだろうなと。
高さへの飢えか……。
影山もいろいろ持って帰ってきたし、さらに力を付けていくことを予感させるこのワクワク感が、スポーツ物の良さだなぁ。
日向の観察眼が急成長してる。
星海は小さくてジャンプ力がハンパなくて上手いスパイカー。日向の上位互換って感じか。影山がいろいろ学んで日向に伝えることになるのかな。
百沢の高身長はギフトだから活かさない手はない。歴が浅くて技術が足りないってのは高校スポーツではよくある。頭を使って効率良く経験値を積めばその技術差をわりと埋められたりするのも高校スポーツ。
生牡蠣は僕も大好きだったんだけど、一度当たってからは食べられなくなった。何かフラグ立ってる気がw
球拾いなめんなってそういうことだったんだな。
日向はアスリートが必要な栄養素も考えたことがなかったんだな。
日本代表でも若いスパイカーがレシーブが下手なのを見抜かれて後衛の時にサーブやバックアタックの的になることがある。その場合は国内で通用するレベルでも強豪国相手だと少しでも弱いと突かれるってことだけど。違うポジションの上手い選手から学べることは多いはず。日向はスパイカーだけど身長が低くてリベロ並みに重心が低いから、レシーブ力を鍛えられるはずで、守備で大きくチームに貢献できる可能性がある。
フィジカルとテクニックに加えてあらゆる要素においての観察と思考がステージを引き上げる。
日向のひたむきさがツッキーを動かしたw
一つの方向性でやっている時、他の方向のものは見えなくなる。その盲点になってる視点を見つけられれば力を付ける幅が広がる。日向はそれを必死で考えて探そうとしているわけだ。
貴重な5日間をただの球拾いで終わらせるか、何か光を見出して持って帰るか、瀬戸際だ。
絵柄が前シリーズから変わったような。特に表情の描写が良くなった気がする。
日向はその馬鹿真っ直ぐなところが最大の長所だよね。
確かにこれまでは影山の卓越したトスアップの技術あってこその日向だったわけで、アタッカーとしての本質的な強さを知って身につけるための良いチャンス。逆境上等ってか。
シンドイーネは一昔前のバンギャみたいだなw
気弱なペンギンの召喚獣がマスターを得た。
ちゆは温泉旅館の娘……ある意味温泉回。入浴シーンは足湯だったけど。
ペギタン用のステッキにも肉球があるという違和感w
キュアフォンテーヌ爆誕。心の肉球がキュンときたw
水のエレメントボトルはミネラルウオーターでは。
今年のプリキュアは皆、フェミニンな可愛さを前面に押し出したキャラデ。
要求のゴロゴロとかいう特殊スキルw
ナマケモノは変温動物だったのかw
8倍速でその速度w
ナマケモノ大変すぎる……。
ネコはツンデレだよね。
不自然異種交遊とは。
ゲコ太、ピョン子、ゲコラー……。
婚后さんかわいそう。でも、婚后さんの良さが発揮された回。高飛車お嬢様キャラは本当はお人好しで心優しい善人という法則。
馬場芳郎(よしお)はいかにも三下な名前だなぁ。暗部組織「メンバー」所属で、使ってるロボやナノデバイスは自分で作ったんじゃなくてリーダーの博士から借りてるだけで、しかも無能力者だから、こいつこそ自分が蔑む無能なクズなわけで。人を誘い出したり罠にかける小賢しさといい、倒れてるJCに怪我を負わせるほど蹴りまくるところといい、とにかくゲスい。たしか、禁書本編では暗部組織「メンバー」は垣根帝督と一方通行に壊滅させられてたはず。
厄介なのはナノデバイスだな。婚后さんのお友達がんばれ。
な、泣いてないし!(鼻水)
今年のメインヒロインは、幼い頃から重い病気の期間が長かったために、五体満足でいることの有り難みを知っているし、人々を助けたいという気持ちが最初から強くて心優しい。
運動が苦手でも何でもやってみたいというチャレンジ精神が旺盛なのは、体が自由に動くことの喜びを今感じているからだと。
最初からこんなバックボーンを持っているプリキュアは初めてなのでは……心の肉球がキュンときた。
食蜂の能力、厄介だな……。
学園都市第5位とはいえ、さすがレベル5ってところか。
けど、食蜂って、原作の新約禁書(ほとんど読んでない)ではメインヒロインの一人で上条さんを一途に慕う的なポジ(過去に命を救われてるとかが理由)だった気が。無闇に人の心を覗かない自分ルールを作ってたり、悪人ではないと思うんだけど。
今回のエピソードでは、学園都市の暗部組織と繋がらざるを得ない何か事情があるのかな。それともガチでヒール?
アシェラッドの見事な最期。自らの命と引き換えにスヴェン王を葬り、ウェールズとクヌートを守った。スヴェン王は己れの薄汚い奸計がアシェラッドを命を捨てるほどに怒らせるとは思ってなかったわけで、確かにそれは王者の誇りと本質的な資質に欠ける。
トルフィンはアシェラッドが死なない限り、自分の道を見つけるスタートラインにすら立てなかったということか。アシェラッドがトルフィンに遺した言葉は、トールズの先へ行くことがトルフィンの道(=本当の戦士になること)だという示唆だった。
トルフィンが本当の意味で成長するのを見たい。クヌートはこれからイングランドを掌握するための戦いを重ねるし、その先にはノルウェーとスウェーデンを統べる戦いが待っている。トルフィンはそこに加わって最後にヴィンランドを目指すのが筋じゃないかと思うのだけど、どうだろう。
まさにまだ序章の始まりでしかない。
個人的には、ここ最近で最も好きなアニメ作品の一つだと思えた。中世の北海沿岸史は、高校の世界史の教科書にも少ししか載っていない。クヌートについては北海帝国を築いたのに一行ぐらいしか記述がない。けど、このあたりのデンマークがイングランドを征服してデーン朝を築いて最盛期を迎えてすぐに衰退し、ノルマンコンクエストへ至るまでの歴史はめちゃ面白いので、そこをここまで掘り下げて描いてくれた原作とアニメに拍手を送りたい。
続編を切望する。
アシェラッドはスヴェン王がウェールズ侵攻を企てることを想定していなかったと。
史実においてスヴェン1世は戦死したと思ってたのだけど、急死とされている資料が多いようで、戦死とも病死とも取れる感じ。
なので、このヴィンランド・サガではどうなるか。アシェラッドが春までに手を打つ可能性が高いかなと。
というのも、この時期、スヴェン王はイングランド王位に就いて第一次デーン朝を作ったものの、デーン人はアングロサクソン人から嫌われていたため、ブリタニア(ブリテン)の統治体制を固めるのに注力せねばならず、ウェールズに侵攻する余裕はなかったはずで。第一次デーン朝は1年で瓦解している。
レイフはトルフィンにヴィンランドに行くことを促しているけど、すぐにそうはならないだろうなと。ただ、史実のレイフは後にグリーンランドを経て本当にヴィンランドに到達、その後ヴァイキングが入植している。ヴィンランドは「ブドウの土地」の意。今のニューファンドランド付近だとする説が有力。同地は現在では寒すぎてブドウは育たないけど、当時は温暖だったという説がある。また、同地ではヴァイキングの入植を示す遺構が見つかっており、世界遺産となっている。
アシェラッドがかっこよすぎる回。
彼は自分が王になるには血と罪業に穢れ過ぎていることを分かっている。
トルフィンは小さい頃から何も分かっていないところが何も変わってない。世の中を見る視野が極端に狭く、トールズが死んだ背景がこのスヴェン王麾下の統治体制にあることを理解していない。
アシェラッドはトールズ殺害の当事者だが、自分やデーン人達が血生臭い争いの中で生きる背景が何なのかを子供の頃から理解している。英雄アルトリウスは来なかったが、クヌートを争いの背景(体制)を覆し得る者として見ている。
トルフィンが視野を広げて背景に気づくならば、成すべきことはアシェラッドへの私怨を晴らすことだけではないと知るはず。
アシェラッドへの復讐を果たしたところで、至る所で親を殺される子供が大勢いることは何も変わらないわけで、そこはどうでもいいと思うのなら、父への思いは神父が言った差別でしかない。そこに気づけば世の中を変えねばならないことに思い至るはず。至ってくれ、主人公トルフィン!と思わずにいられない。
一方、御前会議はアシェラッドの思惑通りには行かない気がする。スヴェン王も何か手を打ってくるはず。
ヴィリヴァルド、あのヒゲ神父がまさか23歳だったとは。一番驚いたw
次々と展開が進んで行って面白い。
スヴェン王はさすがに権謀術数に長けている。アシェラッドがスヴェン王を手強いと見抜いたように、スヴェン王もまたアシェラッドを厄介と見た。
ラグナルの弟は小者感がすごい……クヌートは王の監視と報告を命じたけど、裏切る可能性あるな……逆にクヌートの身辺情報をスヴェン王に密告しそう。
史実ではスヴェン王は戦死している。クヌートとアシェラッドがそのように仕組むのであれば、見ものだなと。
クヌートはキリスト教の神を否定し、自分が地上の楽園を作る一歩を踏み出すと言った。つまり、汎神論すら超越して、人間の理性のみで社会を作るという次元まで考えが及んでいる。まるで、神学内性から脱したニーチェや生の哲学に通ずる、中世ヨーロッパにはあり得ない革新性を感じた。
前回といい、すごい回だ。
トルケルの誇り。アシェラッドの土壇場の知略。トルフィンはまだ若すぎて、戦士の心の機微も知らなければ、世を見渡す視野もなく、トールズの想いを理解できるだけの経験も足りない。
クヌート王子は既に先を考えている。父王を倒さねば何も開けて来ないことには以前から気づいていたのだろうし、それを実行する覚悟と胆力を得たということなのだろう。トルケルの寸止めに微塵も怯まなかった。 死の危険が幾らあろうとも、自分の成すべきことは変わらないという信念が見えた。だからこそ、アシェラッドにラグナル殺害を告白させ跪かせそれを許し、トルケルを味方にできた。
あの狂戦士然としていたトルケルがどんどん気持ちのいい男に見えてくる。ひたすらに歯ごたえのある戦さを望むのは、トールズが知り得た本当の戦士とは何かを体得するためであり、困難な戦いの道を行こうとするクヌートの覚悟を見て方向性が一致したと見るや、潔く組することを決めた。トルケルはトールズが戦士としての魂の置き所を見つけたということまで理解してはいるが、それがどこなのか、今も探しているといったところか。
アシェラッドは最初からクヌートの魂の奥底に可能性を見ていたわけで、自分の目に狂いがなかったことを喜んだ様子。自分の大目的への糸口を掴んだのだから、軍団を失ったことにも後悔は無いといったところか。
ついにクヌートが王気に目覚めた。
人が人を大切に思う心は差別だと言う神父の言葉が刺さった。確かにそうだ。個人的な愛は博愛ではない。遍く全ての人々を愛するのでなくては、真の愛とは言えないというのがキリスト教の核となる観念なのだろうけど、そこは仏教も同じだ。仏の慈悲は善人も悪人も全てに及ぶ。
クヌートは争いに明け暮れる者共の中に、引いては全ての人間の中に真の愛がないことを悟り、また自分も含め人間が真の愛を得られないことをも確信した(たとえば、人は肉親と同じように罪人を含む全ての他者を愛することができない)。それゆえに、自分が王となってたとえ得られなくとも人々が愛を求められる国を作ろうと思い立ったと。
歴史上大きな事績を残したクヌート王の心の決起をこのような精神性で描く手腕は見事。
トルフィンとアシェラッドは大丈夫かな。
トルケルが「本当の戦士とは何だ?」と問うたの意外だった。ただの戦闘バカかと思いきや、戦士の本質を求めようとしていたとは。それは死を持ってトールズが示したことだろう。真の戦士に剣は要らないと。おそらくトルケルはその境地に辿り着けないだろうけど、嬉々として人を殺しているようでは本当の戦士ではないということかと。残念ながらそれでは簡単に死んでしまう時代なのだけど、暴力の否定を目指す勇敢さを持つ者が真の戦士と言えるのかもしれない。
トルフィンはまだ私怨に囚われすぎているけど、憎しみつつもアシェラッドのこれまでの有能さなどを認めてもいたから、助けに来たのだろう。トールズの残した真意に気づいて覚醒する日が来てほしい。
捕虜を拷問するアシェラッドの冷酷さに戦慄したけども、かつて先住民のケルト人を暴力で追い出したアングロ人にそれ以上の暴力で蹂躙しても文句はあるまいと言う理屈もすごいなと。
でもまあ、これが古代から中世の歴史なんだろうなと思うけど、それは近現代の欧米の植民地主義まで残る精神性だ。力が野蛮さであるのはある意味今も変わらないけど、それは人間の持つべき知性ではなく、原始の獣性の成れの果てだ。人類の歴史はケダモノから人間へと移行するために進んいくと思わせられた。
後半の迫り来るトルケルの脅威と、アシェラッド兵団内の造反は緊迫感がすごかった。力が全ての組織だからこそ、アシェラッドの手筋が悪いと見て裏切りを画策する者も出てくる。それを読んでいるアシェラッド。単純な日和見だけでは生き抜けない局面があることをアシェラッドは知っているようだ。
アシェラッド兵団はどうなるのか。また、ドルフィンやクヌートの行く末は。
アシェラッドに叩かれてからクヌートの顔つきが変わった。ついに、王者への道を歩み始めるのか。
ラグナル……。
クヌートを連れ帰ったところでスヴェン王は褒賞を出すどころか敵となるのなら、アシュラッドの目論見は完全に外れる。
アシュラッドのツキに翳りが。まあ、非道の限りを尽くしてきたんだから、ヤキが回る時が来ても何らおかしくはない。
ただ、史実ではクヌートはデンマーク、イングランド、スウェーデン、ノルウェーを統べる覇者となるから、本当のツキを持ってるのはクヌートかと。帰還すればスヴェン王の気が変わるかもしれないし、また史実ではスヴェン王は戦死するので、そのタイミングもクヌートが抜きん出る機会になるのかも。