ほんと好き。猫声。細かいいろいろな目の描き動きが印象に残りました。なめはじめる前一瞬ひらいた目だったり、抗議(なのかな?)の白色の目だったり。
(見終えた直後の興奮した頭で考えた無数の感想の一つをそのまま)
舞台少女の死の物語、別れの軌跡、ひとりで空を飛ぶ物語、そんなふうにわかりますと言った瞬間、頬をひっぱたかれる物語。だから一生眩しい。
後日追記
劇場版スタァライト、キャラクターを人(演者とは別)に還すように感じて好きです。座に還すのではなく、ここが座で、あちらがあるような感覚がします。絶対にふれられない部分があって、それが好きで幸せです。8人の物語を9人の「舞台少女」に書き進めたその先に完成した、作中戯曲スタァライトに匹敵する、これが新たな〈舞台少女の神話〉だと思います。
大場ななに対して、ちょっと好きという言葉じゃ言い表せない感情になっていました。星見純那が「知らないでしょ、こんな寒さ」と言ったところ、「知らないでしょ、こんな寒さ」(あなたのこと、わかります)と聞こえて、こういう積み重ねで死を予感したんだろうと思いました。
舞台少女心得の場面、多分少しわかりました。エレベーターで、教科書に沿って学ぶように降りた道を、階段で、一文一文辞書を引きながら翻訳するように一歩一歩歩いて降ります。
華恋がひかりに「帰ろう」と呼びかけるところ、大場なな みたいと思いました。帰る、じゃひかりへ伝える言葉として違いました。
自分の思い描いたように飛べないマリアと止まれない元気すぎるマナの回。良かった…とても好きな回でした。マリアの思い浮かべた光景で、マナの無軌道な飛行は美しい軌跡を描きます。他方マナの身体能力に助けられて、マリアは自分の思い描いたアクロバットの飛行を体験しました。ふたりが居たから、ふたりともにとって相手が居たから、描きだせた光景があったのが素敵でとても好きでした。
特に印象に残った台詞は(ジニーの「でもマナちゃんはマリアちゃんのこと好きだよね」に対する)マナの「嫌いになるとかよくわかんないんだ」です(台詞の前の、背伸びをしていた手のへにゃりとたれる動きの絵も含めて好きです)。この台詞で、マナがそうなんだというよりも、マリアが思い通りにいかない自分自身を嫌いなんだと思いました。それがマナとマリアの違いなんだと。そういう、違うふたりが、お互いがお互いと違うということで、助け合おうとするでもなくお互いがお互いに存在していたことで助かりあっていたことに、なんとなく救われる気分になりました。
マナが風に飛ばされていた(マリアが捨てた)マリアの描いた図案をジニーと探す場面で、サブリミナル的に(的に。実際には知覚できるので)イメージBGを差し込む演出が面白かったです。(その前の場面での)目的なくただ走っていた時とはマナに見えている景色が違っていたのだと思います。そんなマナの楽しさが伝わってくるような演出で楽しかったです。
ED映像なにげに第5話で初めて完全版(テレビサイズの)が流れた気がします…改めてテキスト量の多さでキツキツだったのだろうなとスタッフの苦労が偲ばれました。原作からかなり大胆に省略されていました。原作の1読者として、私はそのカットの仕方が結構好みでした。カットした分ひとつひとつの話に余裕があって、映像としての良い雰囲気や間(ま)が出いてたと思います。キャラクターの作画も背景の描き込み(今回の背景はいつもに増して美麗で好きでした。かつてゲーム世界を旅したように、アインズに見えた旅する時の見知らぬ世界の美しさが思いうかぶ様な美麗さでした。わくわくしました)に負けないためにか心なしかいつもよりシュッとしていた様に見えました。その点でも目に楽しめました。それにしてもso-bin氏の(ED)絵には毎度見とれます。
2回見ました。うまく言葉にできませんが、めちゃくちゃ良いシナリオ回だと思います。満足です。
最初、アバンで今回の主人公はこちら(シルヴィ)になりますって感じの良い絵で気分あがりました。
追記
シルヴィメインの回でしたが、他の面々の動因にも目配りが行き届いていてそれが何か心地よかったです。モフィの同族探しをするジニーだったり、未だネウロイの支配下にあるエリーの故郷ガリアだったり。
例えば、身分を偽っていたことと、天井の騙し絵と、折り紙の偽物の青い桔梗の花(そこに込められた亡き母を思う真の心)とは、当然関連があると書けてしまいますが、その関連性以上に(さまざまな関連性を表現する可能性の中から)それらを選び出したことやその書き方が何か好きで何か良いと感じました。
最後の言葉を贈りあう場面まで好きでした。シルヴィ父の新聞を通して贈った言葉の言葉選びも素敵だったと思います
一度視聴中断しました。なんか観れるようになってました。
保存用レコード(2枚目)は大事ですね。
世界の見え方は人によって大きく違います。俳句をする人にはたくさんの言葉が浮かんでいるように見えるのかもしれません(言葉をまだ知らない人には言葉は絵のようにみえるのかも)。この小田の街の人々は(祭りの)だるまを通して、一つの見方を共有しています。どの家にもだるまが飾られていて面白い風景でした。可愛いものの配信者にも、だるまが可愛いものして可愛い好きの外の世界の人(視聴者)とは少し違った世界を見ています。そういう関心で、どういうふうにその人が世界を見ているのか考えながら見たら楽しく見られました。
もう一人のチェリー坊、最も愛しい人の声を忘れてしまったおじいさんのレコードを探す旅にも心動かされました。
面白かったです。二人とも相当の策士でやってることえげつないのになんでこんなに印象変わるんでしょう。
それにしても七海麻美の声……裏側を知って見ていても危険な声音も入っている感じなのに優しい…と騙されそうな声してます。言ってることも聞くとよくわからないのに騙されそうです…(見終えてから聞き返しました)。
ウズマキTシャツの破壊力が凄まじかったです。あまりにも可愛いって見てたせいでOPのネタバレに気づいてませんでした。
原形が変わって注釈が必要なほど崩れる和也も面白かったです。
瑠夏が来る時は片付けようとするんだなって思いました。
追記、予告の動きだけでなんだか水原っぽいと思えて最後まで面白い気持ちでした。
とても良いエピソードだったと思います。2回観て考えがまとまりました。1回目は何かうまく考えにならず、しかし何か惹かれる感じがあってもう一度観ました。
歌はどこにあるのか、考えさせられる回でした。どんな気持ちになってほしいか、誰に、どんな場所で歌われるのか。
川を背景にした村の人たちと協力してつくりあげた舞台で歌われた3曲の構成が見事でした。
1曲目はこの隊の原点となった二人の曲、2曲目はおそらくその土地に根付いた曲で、3曲目は空を飛ぶ(ウィッチーズとしての)曲です(最初の曲は童心に帰ってつみきの町、2曲めは故郷を思う曲で世界各地から集まった隊員たちの想いがこもっているようでもあって、その点も好きでした。3曲目では歌うことは空を飛ぶことだ、となんとなく思い浮かびました)。
隊のアイデンティティの確立として、また〈もの〉(人、土地、隊)にそれぞれ根付いた音楽(オリジナル)として、それぞれの思いの込った曲として、川と雨上がりの夕暮れを舞台にした曲として、うまく言い表しきれませんが、見事な構成でした。
今後の話の展開、世界ツアーは面白い方向だと思います。この音楽隊がどんな歌を歌っていくかとても見たいです。
使い魔たちがうちとけくっつくようになったのもなんだか嬉しかったです。