見る専門ではあるが作画オタクの端くれとして、ラストの水崎氏の台詞に心が震えた。誰かの手が作り出した動きそのものが別の誰かを救うことは、確かにあるのだ。
今回は水崎氏が拠って立つところ、原点ともいうべきものが描かれていたと思う。アバンタイトルだけでもそれは強く伝わってくる。
椅子に座っていた人が立ち上がるときの動きは、自分もアニメを見ていてここ数年ずっと気になっていた部分。劇場はともかくTVでは、立つ前に上体を前に倒してお尻を浮かせる動作なんて、まず見ない。ほぼ全て、自然な重心移動など全くない、操り糸で上から吊り上げるような立ち上がり方をする。(こういうのって一度気になり出すと止まらなくなる)
演出がOKを出しているということは、それでも問題ないと判断されたのだろうし、見る側もそこにひっかからない人が大多数だろう。それでも、そこにこだわって、より自然な動きで椅子から立ち上がれば、それは明確に意識されることはなくとも見る人に確実に影響を及ぼし、「そこに人が生きている感じ」を生み、作品世界をより確かなものにし、作品の「伝える力」を強める。
少しでも多く、そういうこだわりのある動きを感じ取れるようになりたいと思いながら、アニメを見ている。
名探偵 聖井戸、空へ向けて拳銃を撃つカットでお腹が見えてたけど、あのコートの下はどんな格好なのか、めっちゃ気になる。
今回、百貴がジョンウォーカーの容疑をかけられたわけだけど、容疑をかけた人物がいるということ。蔵のメンバーはジョンウォーカーの手がかりを殆どつかめていなかったのに、その人物は家宅捜索ができるぐらい容疑を固めていた……というよりは、その人物がジョンウォーカーとつながっていると考えた方が自然じゃよね。蔵の局長とかあからさまに怪しいけど、怪し過ぎて逆に違うかも……うーんうーん。
浅草氏の中で「ツッコまれないこと」の優先順位が上がってしまったときの「つまらないアニメになりそう感」よ。
近頃のネットを見ていると、粗がなくて整っていて均質であることが良い作品の条件、みたいな風潮を感じるが、自分は大いに疑問。そのへんはあくまで手段であって、目的になってしまってはいけないと思う。
ルームランナーのシーンは、アニメにおいて効果音が果たす役割がよくわかる。庵野秀明監督も、アニメにおける質感表現の決め手は音、みたいなこと言ってたっけ。
今回、デッサンが怪しいカットも散見されたが、ラーメン屋のシーンの芝居がとてもよかった。店員がテーブルにラーメンを置いた後立ち上がるときの動きとか、水崎氏が喜びそうな自然な動き。