親と子、それぞれの成長が見受けられる回
夜覚めの花を探すソマリ、それを捧げられるゴーレム。
ソマリの願いが少しずつゴーレムに伝わっていく流れは秀逸
地下へ潜った二人を追ってきたムスリカ。彼は面倒見が良いが見た目は恐ろしく、二人に帰れと諭す
しかし、ソマリはそんなムスリカに臆すること無く願いを叶えるために花を探すと譲らない
そこにあるのは親ともっと一緒に居る為に成長しようとする子供の姿だ
その姿勢はソマリだけでなくキキーラにも見られる。
前回の遊び姿や無謀に地下に入ってしまう点は子供らしさに溢れるが、ツチトカゲを威嚇してソマリを守ろうとする姿からは男としての矜持が垣間見えるね
ソマリを守るキキーラの姿、父と一緒に居たいと願うソマリの純粋さ
それはツチトカゲの子供を通してツチトカゲに届く。花の番人が二人を見逃したことは二人が成長した何よりの証となる
一方で杓子定規な対応でソマリを悲しませてしまうゴーレム
そこにあるのは確かにソマリを心配する感情なのだけど、感情をそのままぶつけてしまっては子供を悲しませてしまう
ソマリを悲しませないためには親としての成長が求められる
ムスリカの叱咤、ソマリの体調不良。それらはゴーレムに自分の未熟さを理解させる
だからこそ、ここでゴーレムは杓子定規な対応から外れられるのだろうね
路銀を薬に変え、ソマリの願いを叶えるために嘘をついた
それは親としての成長の証
互いに謝り合い親子として成長した二人。願いの通り、ずっと一緒に居られればそれでいいが、そもそもこれは別れるための旅。それを思うと単純に成長を喜べないのは辛い……
次回はあの二人が登場ですか。あのエピソードって結構好きなんだよね
スバルが8話で勝ち取ったものによって進む9話。呪いの発生源も判明するし、再び村へ行く際もレムが同行してくれる展開にもなった
居なくなった子供達を救出する際、スバルは子供達の夢を守りたいと語り、友達の心配を優先する意気を汲もうとする。それらを語るスバルは真剣な表情を浮かべる
そういった表情の中にレムはスバルの人間性を見つけていく。
やはりここでも笑顔ではなく、別の表情や行動によってスバルは信頼を勝ち取っていく
そういった積み重ねが土砂崩れを前にしてレムがスバルを押し、助ける展開に繋がるのだろうね
それはスバルも同じ。鬼となり殺戮を繰り返すレムに対してもスバルが躊躇なく助けようとしたのはこれまでの積み重ねによって鬼になったレムであっても信頼できると考えているからだろうね
幾つもの積み重ねによってここまで辿り着いたスバル。その頑張りはきちんと報われるのかな?
そして自分を助けてくれたレムに対してお礼を言う機会はあるのだろうか?
今度こそはと皆を守るために行動を開始したスバル
まずは信頼を勝ち取ろうとするのだけど……
前回などは正体を怪しまれ殺されるに至ったのだから、自分は怪しくないと主張するためにスバルは笑顔を過剰なまでに振りまいている
けれど、その無理やりさが却って怪しまれてしまうのは哀しい所
そもそも相手を信頼する方法なんて笑顔だけではないとスバル自身が知っている筈なのにね
スバルは自分を殺そうとしたレムとラムをリスタート直後に信じていると伝えた。それは前回のループで自分の手を握ってくれていたのが二人だと知ったから。スバルは二人を信ずるに相対する相手だと見極めた
同じようにエミリアはスバルの笑顔ではなく、泣き顔を見て信頼を見極める
エミリアの膝の上で泣き喚くように辛さを訴え、子供のように眠ったスバル。それは何よりも悪い人間ではない証拠となる
エミリアはスバルを信じ、そしてレムに信じられる相手だと教えられる
そうして培われた信頼はスバルが予定より早く村へ行き、状況を変える下地となるのは良い展開
ヌシの悩み解決編と鋼人七瀬導入編が同時に描かれる回
怪異と現実が織り交ぜられていることで、現実に対して虚構を用いて推理する琴子のスタンスが際立っているように思えた
事件の真相を琴子は浮遊霊を通じて知っていた。本作が通常の推理モノであれば、その真実を懇切丁寧に話してヌシを納得させる展開になるかもしれない
けれど、琴子は秩序を重視する
地位有る存在を無理に納得させるのではなく、ヌシが『納得したい』虚構を信じさせる
それは嘘とか屁理屈と言われるかもしれないが、琴子の虚構によって傷つく者は居ない
あやかしであるヌシが事件関係者と関わることはなく、犯人の知らぬ所で行われている、推理の要である嬰児の死体が見つかることもない
虚構によって全てを丸く収め、琴子の望む場所に話を収めている
琴子は同様の手法を九郎に対しても使う
九郎は琴子と付き合う気はない。けれど九郎が心配しているのを良いことに琴子は言質をとって「付き合うのを認めましたね」と突きつける
九郎の言葉は別に琴子との交際を強く意識したものではないけど、琴子は望む虚構によって現実を塗り潰している
対して河童に出会って以来、現実が破壊されたままの紗季は鋼人七瀬の話に上手く向き合えない
鋼人七瀬を本物と受け止めつつ、取り繕った偽の証言を調書に採用してしまう
また、鋼人七瀬を何かを隠す為の囮と受け止める寺田を納得させる言葉を言えない。虚構も現実も告げられない
あやかしの世界に生き現実の問題を解決する琴子、現実の世界に行きあやかしと向き合えない紗季。この二人の出会いを通して鋼人七瀬という怪異事件への対応がどの様に描かれていくのか楽しみだ
夢に手を伸ばす地学部の面々。と、同時に自分の好きな分野が集積された施設に行ってテンションが爆上げになるみら達が可愛らしい
地質標本館やJAXAなど自分の好きが詰まった空間に夢中になって標本などにかぶり付くのは正しい姿
でも、合宿として来ているなら自分の夢に手を伸ばす為の行動も必要
そういった意味ではJAXAでのみら達の行動は面白可笑しい部分はあるものの別の意味で正しい姿
JAXAでは新天体発見をしていない為に求める情報は手に入らなかった。けれど、あそこで聞かなければJAXAでは判らないと知れなかった。また、他の拠点を探せば専門家に会えると知ることも出来た
これらはちょっとの前進かもしれないし、大ジャンプかもしれない
普段はマイペースなモンロー先輩も夢に手を伸ばそうといつになく真面目にメモをとっている
皆の目がない場所でロケットに手を伸ばしたのは彼女の夢が本気である証であるとともに、本気の夢であるとアピールすることへの気恥ずかしさも感じられた
両者の行動は夢に手を伸ばす真剣な行動なだけに周囲が見えづらくなっていたり、ちょっと不器用な面が出てしまったりする
そんな時にフォローする桜先輩がいい仕事をしているね
目指す夢が無いと言う彼女は逆に地に足がついている。だからか、手を伸ばして足が宙に浮いてしまう他の部員をフォローできる
でも、桜先輩以上に陰ながらのフォローをしているのが顧問の幸
地学部が興味を持ちそうな施設に連れていき、みらとあおに新天体発見プログラムを教えた。
彼女も昔、夢に本気で手を伸ばした人間だからみら達に必要なものが見えるのだろうね
夢に手を伸ばす為に行動を続けるみら達に触発される形で国土地理院に向かったイノ先輩
夢に手を伸ばす者達と地に足つけた者達。大きな夢の前にはどちらが凄いなんてきっと無い。だからこそ、そんな両者が関わっていく事で本当に大きな夢まで辿り着いてしまうのだろうなと思える回だった
育人と千雪は急場の代役であるが表に居る観客には裏の事情は関係ない。
表に出てくるものが全て。二人にプロとしての実力が試される回
育人に求められたのは表に居る観客に柳田一のブランドを伝えること、もう一つが裏で服を千雪の緊張が溶ける楽しいものに直すこと
それらを同時に叶えるには発想力があれば充分。服の表を綺麗に整え、千雪に着心地の良い服にし、ほんの少しの遊び心があれば問題ない
千雪に表として求められたのはコレクションの成功、裏として育人の直した服を観客に見せること
身長の小さな千雪はランウェイで浮いてまうがその堂々たるウォーキングや千雪に合った服によって、それも柳田の意図なのかと思わせる
千雪の才能が観客に不審を抱かせない
そしてヒールが折れて千雪が転んでしまう場面、ヒールが折れていたなんて完全に裏の事情であり表に居る観客には伝わらないもの
通常なら見たまま、千雪が転んだと受け取られるそれはもう一つの裏の事情、育人の仕掛けによって演出と受け取られる
裏の事情を重ね合わせることで表の観客に評価させる
幾つものトラブルがありつつも表に居る人々を完全に満足させた育人。そして本来は裏に属する千雪さえも満足させてしまう。
だからランウェイでは笑ってはいけない、裏に潜んでいる筈の千雪の感情が表に出て笑みを浮かべてしまう
タブーだけど、大成功の拍手となる
けれど、これは柳田のコレクション。二人の名が表に出ることはない。更には他のモデルの協力も有ったし、育人が直した服も千雪のウォーキングも誤魔化しだらけ
それでも次は裏も表も整った舞台が見たいと、そう思わせる演出の数々だった
第一話で手を繋ぎ、第二話では振る舞いによって親子であると認識されるようになったソマリとゴーレム
今回は周囲からの認識で二人が父と娘であると定義される回かな
ソマリの同年代として登場したキキーラ。
キキーラは親の手伝いが嫌で箱に隠れたり、お絵描きしたり。元気いっぱいな子供に見えるけど、遊びは店内。それはコキリラから子供と見られているから
そしてキキーラと一緒に遊ぶソマリも子供と認識される
ゴーレムは路銀を稼ぐため食堂の手伝い。その姿は家族を養おうと仕事をする父親と何ら変わらない
コキリラもソマリをお使いに出した事を「行かせては不味かったでしょうか?」とゴーレムに確認したのはゴーレムがソマリの親であると認識しているから
でも、これらは大人から見た二人の関係性
やはりキキーラから見ればソマリとゴーレムの関係は不思議に映る
けれど、ソマリはこれまでの触れ合いを踏まえつつも「お父さんはお父さんだからそう呼ぶんだ」と曖昧な回答をする
二人の質問も答えも非常に感覚的だけど、それだけに大切な部分を押さえているように思える
二人の子供の前に現れた狼人間。彼からは親に内緒で街の下に入っていった二人の姿はどう見えているのかな?
疑いと憎しみに満ちた目でスバルに武器を振るうレム。ここで残酷なのはスバルはレムと仲良くなった記憶があるけど、レムにはそんな記憶が無いこと。だからスバルを傷つける事に躊躇がない
その意識の差はあまりにも哀しい
そしてここに来てスバルの境遇を話せないという制約も発覚。スバルは無力なままで出来る事なんて無いのにまるで世界そのものが彼を追い詰めているかのよう
だからこそ、そんな彼の手を握ってくれたベティの優しさが光りますよ
でも、ここでのスバルの失敗は自分の生存を優先してしまったこと。ただ生き延びるだけじゃ何も守れないし意味もない。
眠るように死んだレムに取りすがるラム、何か話して欲しいと乞うエミリア、スバルを巡って力をぶつけるベティとロズワール
何もかもが悪い方に転がったと訴えてくる絵面はあまりにも残酷
ただ、スバルに落ち度があったかといえばそうとも言い切れない
また、ベティに逃してやると言われたスバルはこの時確かに選択肢を手にしたよね。でも自分の命を優先しなかったのは彼の本質は変わっていないから
死にたく無いし、恐怖も有るし、出来る事なんて殆ど無いし、自分だけ覚えている現状を憎んでいたのに、その想いに反するように、むしろそれこそが自分の武器であるかのように飛んだスバル
本当に彼の頑張りが報われる時は来るのかな?出来れば早い内に来てあげて欲しいけど
またしても死んだスバル。同じ行動をしても変わってしまう未来に対して今度は自分から行動し情報収集に徹することに
でも、その行動こそ欲する未来を遠ざけてしまったように思える
ラムとは「泣いた赤鬼」の話で関わったけど、親しくなったとは言い難い。レムとはまともに話せないまま
結局、誰が犯人か判らず関係者が多いからスバルも場当たり的な行動になる。最悪な未来を回避できない
「泣いた赤鬼」の話はレムラムを思うと印象的
頑張った分だけ報われて欲しいというスバルに対して、赤鬼はすべき事をしなかったと批判するラム。
前回の笑う鬼の話と併せて考えるとレムラムの考え方の違いが見えてくるような気がする
そしてやはり衝撃的なラストが……
ヌシの大蛇のために推理することになった琴子
ただし、その推理は通常の推理と異なるのが本作のポイント
ヌシが求めているのは事件の「真実」ではない。「上手く見つけてくれると良いのだけど」という呟きの「納得」だ
だから犯人の自供を基にした最初の推理では呟きの説明ができていないと受け入れないし、琴子が代わりに出した真犯人説も呟きと矛盾すると跳ね除ける
ヌシは呟きの不可解さに囚われたまま「納得」が出来ない
人はどんな「真実」を提示されようとそれが「納得」できなければ受け入れない
そういった意味では九郎が琴子に辛辣な対応をするのは、紗季との別れも琴子が自分を好きだという言葉も「納得」出来ていないからだろうね
琴子の本質を見極めるために後をつけた九郎。琴子のあの手この手の推理を傾聴するヌシ
両者が納得できる推理を琴子はどのように披露するのか……と思ったら次回は早くも鋼人七瀬編に突入するの?
育人は千雪の記事をきっかけに一足飛びでデザイナーになることは出来ない
何故なら、ミルネージュが求めているのが高校生ではないから
場所によって求められる価値は違う。場所さえ選べば自分のしたい事は幾らでも出来る
そういった意味では育人の自分の作る服を着てくれる人がいればデザイナーに成れなくても良いというのは間違った言葉ではない
でも、千雪は諦めない。無理を無理ではないと証明するために進み続ける気で居る
だから諦めている育人の服は要らないと言ってしまう
そんな育人の意識を変えるのが育人の服を着た千雪の写真であるのは面白い
育人が作った服を着ることで求められる価値を示した千雪の姿、同時に作った育人にも更に高いステージで服を作りたいと思わせてしまう
柳田のアトリエは酷いの一言だけど、同時に求められる技量もはっきりしている。だからまだ高校生で裁縫が独学の育人は戦力にならない
出来て当然のことが出来ても認められない。でも、諦めずチャンスを掴み続けようとすれば何かしら巡ってくる。
服に不釣り合いなモデルの千雪、戦力でないまま縫直しを志願した育人。絶対に成功させないといけない場所で二人はどれだけの価値を示せるのだろうね
……自分としてはもう少しゆったりとしたペースで進行して欲しいんだけどねホント
妹に貰ったはちまき石を即席の神棚に飾るみさに笑ってしまった。
すずといいみさといい、拗らせた人間が多い作品ですね……
地質班と天文班が混ざりあったことで「楽しい」を共有できる状態になった地学部
今回は部活動とは無関係な場面でも相手に「楽しい」をお裾分けする場面が散見され、地学部の絆が深まっていると感じられた
みさに地学部活動の記憶出るはちまき石を渡す場面もその類か
イノ先輩の境遇は「楽しい」をお裾分けされ、そして自分もお裾分けしてきた人物
友達から貰った地図をきっかけに地図が好きになり、地図をきっかけに地質研究会に入り石なども好きになった
相手から教えられた「楽しい」を沢山知っている彼女は今回自作の地図を通して自分の「楽しい」をみら達に伝えてくれたわけだね
異なる趣味を持った相手に伝えていく「楽しい」の連鎖。見ているこちらまで楽しい気分になってしまうね
第一話ラストで手を繋ぐことでまるで親子であるかのように扮することが出来たソマリとゴーレム。今回は一歩踏み込んで行為によって親子であると認識される話だったように思う
手を繋ぐ事で彼らは親子のように見えたが、やはりゴーレムと少女が親子というのはおかしな話。
感情豊かなソマリと感情が無いかのように振る舞うゴーレムの組み合わせもやはり親子とは考えにくい
けれど、見た目や組み合わせだけでなく、行為によってそれぞれの関係性が定まる場合もある
子鬼のシズノと長身のヤバシラの組み合わせはヤバシラが兄であるかのように見えてしまうけれど、薬学に詳しいシズノは調合を行いヤバシラは彼の身の回りの世話をする。これらの行為によって二人は医者と助手という関係性を顕にしている
同様にソマリの怪我を心配し後々のために薬を得ようとするゴーレム、少しでもゴーレムの役に立とうと家事手伝いを元気にするソマリ。これらの行為によって彼らは親子であると認識できる
余命僅かなゴーレムと人間の少女のふたり旅。ソマリの両親が見つかって終わる度なのか、ゴーレムの寿命が尽きて終わるのか。
どうなるか判らないが、それでも二人の道行きがせめて幸福なものになって欲しいと願ってしまう
2話と同じようにループ前に沿った行動を始めようとしたスバルだけど、まさか相手の動きが異なるとは
前回のループは徽章を取り戻しつつエルザを撃退することが目的となったけど、今回はまず「何が起こっているか」を知ることが目的となっていくのかな?
そんな中での癒やし要素はやはりレムだろうね
美少女と褒められたことでレムの中でスバルへの評価が変わったのだろうか?
鬼は一緒に笑ってくれると告げられて暖かな笑みを浮かべた彼女が犯人ではないことを願うばかりだけど……
頑張った者にだけ与えられるというご褒美。こんなに苦しんでも明日を迎えられないスバルはいくら頑張ったらエミリアとのデートという褒美を貰えるというのだろうね?
3話までの話と大きく違い、とても穏やかな日々を手に入れたスバル。だからこそ、ラストの落差が恐ろしいまでの衝撃を視聴者に与えてくる
まだ知り合ってから短いけれど、表面上はにこやかな遣り取りばかりなロズワール邸。その誰かが犯人とはとても思えない状況
スバルは犯人を突き止めるにはロズワール邸の者達と仲良くなりつつ、彼らを怪しまねばならないのか。なんて辛い状況
車いすバスケを始めた海。でも、そこにあるのはこれまで知っていたバスケと異なるもの
最初は車椅子さえ上手く動かせないから自分には上手くなる可能性がないように思えてしまう
だからといって、難しいだけで無理というわけではない。母親が言ったように諦める道もあるけど、海の良い所は諦めが悪い点
なら、海はその性格を頼りに可能性を開いたと言えるのだろうね
他の人を見てすぐに車いすの正しい動かし方を理解するどころか、優希に勝とうと啖呵を切る姿はあっぱれというもの
とても短い時間の中で海が幾つもの可能性を手にしたのを感じられる
それにしてもボールに触れるまでかなりの練習が必要らしいとは意外。
車椅子バスケはまず車椅子の動かし方をしっかり理解した上でないとボールを操れないということだろうか
美味しい富士山を沢山食べたから、見えない富士の形を指で描くことが出来る
キャンプをしなくても、富士山が見えなくても富士の楽しさを味わえる三人の様子には思わずほっこりしてしまうね
映像建の部室となったのはどう見てもボロボロな小屋。普通なら設備の何もない所で……と絶望するところだけど、浅草と水崎にとってはだからこそ想像する甲斐のある場所となるのが面白い
でも、それらを実際に配置するなんて不可能だから現実論を持ち出されたら浅草のように落ちるしか無い
その「落ち」は金森によって齎されたものなんだけど、金森からしたらその「落ち」は金の素になる。
想像ばかりで飛び回ってしまう二人を現実論者の金森が支える。良い構図になっているね
後半では実際に風車の動画を作る様子が描かれているね
まず、アニメに関する機材を示してから、風車を題材に角度を付ける、上下を詰める、また風の存在を示すための技法など様々に紹介されていて見ているこちらは単純に話の筋を追うだけでなく、どのようにしてアニメが作られているかも知ることが出来るのは素晴らしい構成
あ、シュカの「家族を作って」ってそういう意味だったのか。案外、無邪気なタイプなんだろうか…?
というか、敵だった時と友達になってからの態度の変わりようがはっきりしすぎていてそれはそれで怖いなって思ってしまう(笑)
第二話も構成の良さを感じるなぁ
ダーウィンズゲームのルールの難しさはシュカとのデート模様を混ぜ込むことで緩和し、3度目の対戦はあっさりめにしつつもスマホが戦いにおいて重要アイテムであると示してくる
何度も同じ形式のゲームを続ければ飽きられるから新しいタイプのゲームを始めて…
シュカの可愛さだけでなく、こういった部分からも作り手側のこだわりなどを感じられるね
原作小説も漫画版も既読
琴子はあやかしの問題を解決しとりなす存在。それ故に調和を非常に重んじる
けれど、一方で調和を重んじる彼女は一歩間違えれば調和から外れてしまう存在でも有るのは面白い
誘拐されて右足右眼を失った少女なんてどう考えても真っ当でない。そこにあやかしの存在が絡んでいれば尚更
だから彼女はあやかしに誘拐された事も明かさなかったし、あやかしと互助関係にあるとは明かさない。
そして九郎も調和から外れた存在。妖怪変化を食べた彼は不死身の体を持つ。明かさない限り調和から外れる筈のない彼はよりによって恋人に知られてしまった
琴子も九郎も素性を明かさない限りは人の世に居られるが、それは他者からの理解を諦めた場合だけ
そういった意味ではあやかし達の知恵の神として人の世に存在する琴子が、人からもあやかしからも外れた九郎を求めたのは自然なことだったのかもしれない
……それにしたって第一印象が「ヤギみたい」なのに一目惚れするとはどういうことか(笑)
こうして見ると、琴子のくるくる回る表情や硬軟織り交ぜられた掛け合いを含む本作ってもしかしたら実況向きの作品なのかもしれない…、なんて思ってしまった第一話だった
そして次回はまさかの大蛇回ですか。確かに時系列に従って長編エピソードをやるよりも短編をやって作品の方向性をしっかり示した方が良いか
今回も第一話に続き、意外なものが繋がりを見せているね
新入部員歓迎会と称して河原に集まった地学部の面々。昼と夜でイベントが分かれているから地質班の領分と天文班の領分がはっきり分かれてしまうかと思えばそうではないのが面白い
みらは川原の石に興奮して色々集めてしまうし、美景も火星や木星に興奮して空を見上げる
得意分野は分かれているからこそ、相手に自分の知っている「楽しい」を伝えられ共有できる。河原のシーンからはそういった様子が感じられた
そして繋がりといえば、みらとあおの過去と現在
あおに星の良さを教えられて始まった二人の夢、だからみらはあおに追いつこうと頑張ろうとするけど、あおだってみらに引っ張られてここまで来れたと考えている
二人はあの日以来離れていたけど、夢を視点にして互いを支え合っていたのだと判る描写は良いね
特に第一話冒頭で描かれた昔の二人と被るように描かれた星を見上げる二人の後ろ姿は変わらぬ関係性を如実に示していたね
後半の唐突な温泉描写には驚いたけれど、それによって地質班と天文班の領分はより混ざり合うようになる
美景達は敷石をつい見てしまうし、みら達は空に輝く月を見上げる。
我関せず温泉を満喫する真理の姿が浮いてしまうのだけど。温泉に来た者の一番正しい姿では有るんだけどさ(笑)
地質班と天文班が混ざり合い、会報も無事に出せて地学部として本格的に歩きだしたように思える第二話。
みらが言うように地学部を舞台として描かれるキラキラがどのようなものか楽しみになってきたね
本人にはどうしようもない残酷な境遇に立ち向かう二人の物語と見せかけて、ラストにまた別の残酷さが顔を見せる構成が堪らない
千雪が夢見るパリコレに出るには高身長が要求されるが、今の身長では無理だしこれから伸びる余地はない。つまり、千雪の夢への道は既に閉じている
なら、後はいつ諦めるかという問題だけ。そういった意味では父や雫の温情は千雪に無理な現実を受け入れさせるためのもの
けれど、逆境に負けず足掻き続ける千雪の姿勢は良いね
だからといって「諦められない人」に理解が有るわけではないのだけど。
逆境の中で夢を目指そうとする育人に無理だと告げる千雪の言葉はそのまま自分に返ってくる
育人が受けた辛辣さは千雪が受けた辛辣さと同一
そういった意味では育人との会話は千雪に夢を諦めさせる踏ん切りとなるはずだったのだけど、そうは問屋が卸さず
もう一人の千雪である「ミルネージュ」が存在する限り、千雪に夢を諦めるタイミングなど無く人生が続く限り千雪は夢に向かって進み続けるのだろうね
こうして千雪は育人の繕った服を着て1%の壁をこじ開けたのだけど……
ここに来て雫が言った「ショーモデルの仕事は――服を見せるの」との台詞が活きてくる。千雪をパリコレに飛び立たせるはずの服は育人を舞台に引き上げる為のアイテムとなってしまう
千雪は育人を踏み台に使ったつもりが、育人に踏み台にされ、物語の主役すら譲り渡すことになった。
この主人公交代のギミックが今後物語にどのように影響してくるのか、そして千雪が再び物語主役の座を奪い返す日は来るのか。ワクワクしながら見守りたい
原作の良い部分を存分に伸ばした結果、作品の魅力が大幅に増した印象。何よりも子供らしさに溢れるソマリの姿が愛らしいのもグッド
1話を見てアニメ化は大成功だと思える作品ってなかなか無い
普通、異形といえば人間に対しての人外が相当するけど、本作に於いて人外に対する人間が異形に相当してしまう。だからソマリは人外に扮し正体を隠している
異形が異物として認識されればそれこそ話に出たように市場に並ぶ羽目になる
一方でゴーレムもあの街においては異物として存在する
森の守り人である筈が子供を連れて旅をし、食堂に入っても何も食べず、商人に騙されず真贋を言い当ててしまう姿は普通の有り様から浮いている
また、感情豊かなソマリの傍にいるからこそ、彼の無機質さもはっきりとした異物感を伝えてくる
異物であるかどうかは見て判ってしまうもの。かつての人間が人外を許容できなかったのも同じ理由
だから、ソマリが同じ目に合わないようにするには見た目を変えて異物であると詐称するしか無い
ゴーレムはソマリの安全を確保する為に手を繋いだ。それは奇しくもソマリが望んだ親子の風景であり、その光景が擬似的に彼らを呼び方だけでなく見た目からも親子であると認識される一歩となるのは面白い
穏やかで平和だけど、弱者である人間にとっては危険に溢れる世界でゴーレムと人間という異物同士の偽物親子がどのような旅をすることになるのか。
本作の道行きを楽しみにしつつ次週を待ちたくなる