Annictサポーターになると広告を非表示にできます。

領主ともあろう者の妻が別で仕事をしているのは江戸の人質みたいなものなのか、そんな大した意味はないのか? 随分リベラルな感じなので単に働きたかっただけかもしれない。
ハンバーガー、正式な作法でもバゲットは素手で食べるはずなのでそんなに行儀悪くは見えない。
シアは珍しく常識的な警戒心を持っているようだ。



これ絶対性格合わないやつじゃない? と思ったがそうでもないらしい。
家電は魔法でどうにかしているとしてもユナの食生活の水準が物凄い事になっている。現実の中世ヨーロッパなら主に砂糖のせいで莫大なコストがかかっていそうだが、まぁそれは地理的要因が大きいからこの世界ではどうにかなっているのだろう。
シュリはかわいいが大分危なっかしい様子だ。



とても良い

競馬で確信するというのは何とも生活感がある。良いテンポ感でキャラもかわいい。



三輪がかわいい。伏黒覚醒の示唆が続くので早く成果を見たいところ。



特級は戦術兵器レベルと考えて良さそうだが五条の場合本気を出せば戦略兵器と呼べそうなレベルの火力をしている。(ただ領域は広さ的に対少数に見えるが)「死ぬよ」とは言ったが夏油の評は意図的に過大にしたものだったのだろうか。「無限」の様に最近の能力バトルでは抽象概念を扱うものも増えてきた印象があるが、JOJOやワンピースなどが割合具体的なだけでギリシャ神話などでは時間、運命といった抽象概念の神が存在しており、現代的という訳でもないか。



人体発火させる呪霊、正に理不尽な死という感じ。8/12程度なら12/12に同等以上の五条に勝てるとは思えないが勝算はあるのか?



ちゃんと死にに来る虎杖である。前回「なんで俺を助けた」の意味をよく分かっていなかったが、虎杖も両面宿儺を制御しきれない可能性があるのにということか。呪術師と言うだけあり負の感情に肯定的なのが面白い。パンダとは



やっぱめちゃめちゃ強い化物のバトルは最高。虎杖に初めて人並みの恐怖心が現れたが、今までの人生で並外れた身体能力により「弱さ」を実感した事がなかったからということか。



相変らずテンポ感が宜しい、野薔薇の話丁寧にやると思ったらこれ死ぬやつなんですか?



とても良い

火葬場、強烈な死のイメージ。
戦う理由をこういう序盤で問うのは珍しい様に思う。ここでもやはり念頭にあるのは死だ。死んで当たり前なのだから、その時のことを考えておかなくてどうする。そうした強烈な問題意識に貫かれている。



とても良い

虎杖の丁寧な日常感・生活心理を描きつつ衝撃的な戦闘シーンもあり、またアバンも最後まで観れば凡そ意味が分かる様になっている(世にはただインパクトがあるだけで作品を終盤まで観ないと全然分からない様なものもあるが正直どうかと思う)。卒なくハイクオリティでかなり期待できる。



公共性(要するにこの街への愛着)が芽生えたユナだが、領主を悪人と思い込み直情的になった事を後悔する。言うなれば『鋼の錬金術師』的に、最初から能力は上限だが精神的な成長を描こうという意識がはっきり表れている良い回。ただ経営の仕事を押し付ける場面などノリがあからさまでやや恥ずかしい。



「貸し」を早速治療のために使うのかと思ったがそうではなく、ユナは自力で治療を行う。単純に強いのとはまた違うレベルで条理を覆しているが、魔法として名前がなかったし今後使う事はないのだろうか。



全体
良い

全体的に劇的という訳ではないが、仲間の印が散っていくところなどなかなか残酷。ひよこがこの僅かな思い出を良しとして別れを受け入れるのも個人的に来るものがある(子供がそんな覚悟をしなければならない世界など間違っている)。全ての優しさが実る訳ではないが、それでもできる事をする。そう考えると見た目に反して非常に現実的であり、また強くもある。



ルリーナのリアクション芸が光る回。
土魔法の生成物は解除可能だが常時魔力を消費する訳ではないのか。
一瞬で作ったとはいえ自宅に相棒の仕事場を作るとはなかなか粋だ。



良い

「神を信じますか」と訊いてくる神、幼女戦記並みに嫌だな。前回あまり異世界転生って感じじゃなかったけどそうらしい。
戦闘が前回よりちゃんと見せ場で迫力があって良い。「レベルによって」と言う割に最初から強いが何か背景があるのか。
獣の解体と言うと「草場権」的なものをフィナの出自に推測しないでもないがまぁこれは無駄な深読みの可能性が高い。
ユナはフィナを気に掛ける理由を明言しなかったが、自らの境遇に照らして思うところあるのだろうか。



良い

これみんなAIなんだろうか、だとしたらめっちゃ社会性終わりになりそ~(だってこの世界で完全に自己実現、俗に言えば承認が得られるので)と思ったが、ちゃんとそういうリアル側での反-人間関係が描かれていたので結構信頼できそうな作品。かわいいに振り過ぎない落ち着いた主人公の声も良い。
戦闘描写はやや迫力に欠けるか。

明るい色調と不釣り合いに深刻なクエスト内容はユナと周囲との距離感を示唆しているだろう。この周囲とはリアルだけでなくゲームをも含んでおり、だからこそカイの言動を一歩引いて観察したりしている。そう考えると、これから先の展開は在り来たりなリアルへコミットする話ではなく、むしろこのゲーム世界へコミットしていくという方向性もあり得るのだが(次回登場する少女も重要人物のようだし)、はたして。



楓の「来いと言ったり待てと言ったり」が鋭く指摘している様に、甲斐甲斐しく梨璃の身支度をする一方で戦場に出ると突き放してしまう夢結の行動は矛盾しており、生来の人間性と自罰感情が綯交ぜになっている心情が察せられる。
夢結の雪解けが梨璃だけでなく周りのコミュニティからも見守られ歓迎されているのも印象的。
美鈴はずっと死んでるものと思って(だって生きてるならあんな孤高! って感じにならなくない?)寮で話しているのを別人と思っていたから、祀が出てきた時どっちが本当のルームメイト!? となっていた。普通は「死んでる」であれが幻影と分かる訳だ。



良い

アニメ的でありながら立体感のある顔が好きなのでアバンの「変な子」のカットはかなり好みだ。
「落ちこぼれ」みたいな属性はアイデンティティとして主人公だけに課される事が殆どの印象なので二水との共通点として働いているのは興味深い。
完全に摸擬戦する流れかと思えばそうでもない。こういうところ在りし日の学園ラノベアニメ的なノリで観ていると屡々裏切られるが、別に気にしないで観るのが正解な気もする。
夢結がいきなり(いや不発の楓の行動はあるが)ビンタするのはかなりビビる場面というか何故。いきなり襲ってきた不届きな部外者に怒って? それともシュッツエンゲルに値しない人間性を演出しようとして? 梨璃は普通に喜んでいるがそれでいいのか。変わった理由が知りたいと言っていたからまぁ目的に適ってはいるか。楓は第1話の心酔から打って変わって「すっとこどっこい」とまで言っているが頷ける反応。梨璃は逆にそれだけ夢結の善性を信じているという事か。ビンタされての困惑(元から梨璃に受け止められて動揺してはいるが、手と目線からこの時点で楓の注意は夢結のビンタに行ったと考えていいだろう)から怒りを再燃させてビンタし返すまでの表情変化が特に印象的。
浴場や寮でのコミュニケーション描写は実在感があってよい。「風呂アニメ」と称されたアンジュ・ヴィエルジュが懐かしい。



良い

話の流れにはややぎこちなさを感じるが、戦闘や表情などの画は良質で百合バトルアニメ的に期待できる。特に楓の動向は気になるところ。
シックな制服デザイン、このごった煮ばかりのご時世に北欧神話一本のモチーフ、下半身重視の体型(キャラクターデザイン)など味のある要素が多い。



あんこが会いに行くのを躊躇うの、まぁ取り敢えず行ってから考えようぜと思ってしまうが小5でそう思い切りよくはなれないよなぁとか、豆大が昔日を懐かしんでも別に涙ぐんだりはしないのもこの歳だとそういうものなんだろうなとか、キャラクターの振る舞いが本当に世代に跨る恋の姿を映していた。もち蔵も珍しくいい仕事。チョイが非常に馴致している一方で礼節は損なわないのがまた良い。
史織の参入でもそうだったが、各話間の人間関係の変位が時間の流れを意識させる様になっている。ここには地域コミュニティに根付いた日常であると同時に、時間に根差した日常がある。



奇妙なダイエットを遂げるデラ、学生体験のチョイ。
服、あるいは装い?



冒頭からカメラをやや回転させながらパンする恐ろしく気合の入ったカット。
尊敬すべき生真面目さ、また実る思い、散る思いに心揺らめく姿、初登場ながらチョイの機微が詰め込まれており最早商店街の一員といった感じ。人々を占う事の喜びや妃が見つからない=王子が結婚しない・ずっと滞在し続ける、という状況による日常の引力(つまり「転」の使者たるチョイだがむしろ現状維持こそ得策かもしれない)は一つの未来をも示唆しているが、はたしてチョイは何を選ぶか。



CM回と近い流れだが、今度は商店街に人が集まるという具体的な成果を得る。そう考えるとこれはたまこの回かもしれない。
酒を撒くというイカれた行動と「酒くさ」という実感の籠ったツッコミが何とも印象的。



唆されたもち蔵の行動に警戒を強めるみどり。
言い争いでの「……なに?」はややニュアンスが難しく感じたが、後の流れだとか「もち蔵だし?」のところで微妙に肩の力を緩める所作を見ると、もち蔵の低レベルのマウントに拍子抜けしたという感じなのだろう。たまこから決定的な言葉質を取ったみどりは「好きにすれば」といった様子。この力関係は告白に関してキョドるもち蔵を笑う場面で明白になる。
一方のもち蔵はまぁみどりの正論を喰らって冷静になったといったところなのだろうか。花火を観ながら改めてたまこを意識するもち蔵だが、冒頭と同じシチュエーションのラストでは意識した様子もなく(頬を染めていない)単に友達と言った絡みで終わる。
デラの干渉があっても物語が動き出すというよりはむしろ日常への回帰に収まる、というところか。



全体
とても良い


全体
とても良い


とても良い

冒頭、お祭りの主役だったときのあんこの思い出。しかし一方で現在はお祭りに浮かれた人々へ醒めた目を向ける。それと対比させられるのが恋だ。興味深いのが登校時に商店街の人々から何かと貰い受けるところで、これを意中の人に見られまいとするのはお祭りや商店街の人々との関わりをより大きな視点で、田舎っぽい振る舞いと認識して忌避している様に見える。生き方そのものとしての「都会vs田舎」の構図が組み込まれている、と読めるところだが、問題の意中の人が実はいかにも都会的なイケメンの方ではなかったというオチを考えると、これもメタレベルでのミスリードなのか、それともただの深読みか。
あんこが「昔は…」と呟くところが最も重要で、つまりあんこは単に興味が移ったという訳ではなく、自分が主役ではなくなってお祭りを楽しめなくなった、という心理があったのだ。
お祭に目配せしつつ博物館へも行く、両天秤の作戦は失敗に終わってしまうのだが、あんこはそこで他の子供に自分の「主役」の体験と同じものをプレゼントすることになる。ここに至って、あんこは地域コミュニティというものが単に自分自身のためではなく、そこに貢献する中で何かを受け継いでいく、そうした中で充足が得られる場所であると気付く。(やはりコミュニタリアニズムとリベラリズム(自由恋愛)という構図を思わせる。)いや「母」の役目を引き受けることで、多様な立ち位置、主役以外にも楽しめる役割があることを理解する、といった感じかもしれない。とにかくそうしてコミュニティへの愛着を回復する。
しかしそれでめでたしではない。それではかび臭い懐古的保守主義になってしまう。物語はそこで恋の側にきちんと報いるのだ。「別の道は別の花。新たな花が咲いている」
そして上述のオチによって対立は結局無化されてしまう。別に彼女はこんなテーマ性云々の為に生きているのでは決してないのだ。きちんと時代性を踏まえつつあんこの機微を描いていて素晴らしい回。



とても良い

前回とは違い冒頭から視線の先が明示されているのだが、では繊細で奥ゆかしい情緒が描かれていないか? と言うと全くそうではない。むしろその描写の厚みが故に「私もだよ」という一言が計り知れない重みを持つのだ。何と反応されるか分からないコミュニケーションの普遍的な不安、それを十分に共有したからこそ、この言葉に途轍もない愛を感じられる。
銭湯の場面、時々眼鏡だしやや近視なのか目を細めるたまこが珍しい表情で良い。



とても良い

バレンタインを軸に商店街の愉快な様子や、たまこともち蔵のいかにも幼馴染みな交流が描かれるが、やはり注目すべきはみどりだろう。
みどりが思いを抱えていること自体ははっきりと言葉でも語られる一方で、その対象については決して語られない。ただ映像によって、例えばCM撮影時にたまこの手のハートマーク→みどりの瞳が揺れている姿、ここでは見ているもの→見ている人というカットの流れのパターンにより辛うじてその対象が示唆されている。終盤のCM放映シーンでみどりが一人だけたまこへ視線を向ける場面、ここでようやく一画面で関係性が確認ができることとなる。そうして振り返ってみれば最初のたまこがハートを描いていることへの固い反応も納得され、また翌朝の言葉が詰まりがちなみどりも(メタ的に言ってしまえばここでこの二人が描かれること自体も)十分に解釈することが可能となる。第一話のデラの分かりやすい「意識し始める」場面とは対照的に、決してそれが記号的に、「それ」として描かれはしないのである。だがやはりこの回の中心はみどりなのだ。網の目の様な地域コミュニティの関係の中でむしろ燦然と輝く関係性を浮き彫りにしており見事と言う他ない。



Loading...