「特別編」のページではあるが、特別編を含めた物語全体の総評を書く。
『ダーリン・イン・ザ・フランキス』『絶対魔獣戦線バビロニア』のCloverWorksが手掛ける作画は「極上」と言って差し支えないクオリティで、精緻に、かつ派手に動き回るバトルシーンを作り上げているだけでなく、日常パートにおいては登場人物の心の機微を細かな動作・表情の変化でしっかり描いていて、この高クオリティの作画を見ているだけでもなかなかに楽しめた。
ストーリーに関しても、死者に心を囚われた4人の少女がエッグ世界における戦いの中で友情を深め、自身のトラウマに向き合い、乗り越えていく姿がしっかり描かれていて、後述するような問題はあるものの「4人の少女がワンダーエッグをめぐる戦いの中で成長していく」という本筋に関しては楽しく見れた。特にリカがワンダーアニマルの万年とのやり取りを通じて自分の家族に、大人に対する複雑な負の感情に向き合い、昇華するエピソードは素晴らしかった。
小糸の自殺とそのキーパーソンとなる沢木先生の真意、アカと裏アカがなぜ少女たちをエッグ世界で戦わせるのか、などの謎も”終盤になるまでは”物語に視聴者を引き込むギミックとして機能していて、繰り返すが”終盤になるまでは”夢中にさせてくれた。
しかし、終盤までグイグイ上がった視聴者の期待を裏切るかのように、物語は投げっぱなしで終わる。
死んだ(裏アカに破壊された)フリルはなぜ思春期の少女たちを自殺させていたのか。
フリルと、彼女の率いる3人の異形の目的は一体何なのか。
ワンダーエッグと、エッグの世界とは一体なんなのか。
ねいるは何故フリルの誘いに乗ってエッグの世界に消えたのか。
これら核心に至る謎はすべて放置され、物語は「アイたちの戦いはこれからだ!」と言わんばかりに幕を閉じる。
このあっけない、今まで抱いていた期待を裏切るような幕切れには面白い、つまらない以前に「怒り」を覚えてしまう。
擁護すれば、一応「アイの成長」は描けているが、描けているがゆえに、
「生まれ変わったアイが、ねいるをエッグ世界から救い出すところが見たい!」という誘惑も強くなってしまう。
「すべての伏線を回収し、アイたち4人物語に区切りをつける『完結編』が見たい」。
総評というか願望だが、本当にそれ以外言うことがない。
情報は聞いてたけどここでぶつ切りとはなぁ…。
今回だけ、どうしてオリジナルのアイのトラウマというか疑念である沢木先生がワンダーキラーとして登場したんだろう。パラレルのアイは小糸と出会っていないわけだから、パラレルアイと沢木先生との接点は薄いわけで、あれがパラレルアイのトラウマとはちょっと考えにくい。
パラレルアイと沢木先生が見せた小糸の幻影からアイが自身と向き合い、トラウマを超える描写は良かっただけに、こういう細かい部分のツメが甘いのが気になってしまう。
エッグ世界やアカ・裏アカの存在は、『レヴュースタァライト』のオーディションと似たような舞台装置的なものとばかり思っていたけど、オチはそこに切り込んでいくのか。
リカというキャラクターへの印象が一気に変わった回。リカがお助けキャラの姿を見て「母」の心持ちを想像し、そこから逆転を決めるバトルシーン、そして戦いを終えての4人の友情の復活には爽快感があった。
今までで一番ぐっと来たかも。
ミテミヌフリが「アンチ」に変化。アカの言い分からすると、エッグの世界の出来事には現代のインターネットとそこにいる人々をダブらせているのかな。
アイが先生を好きなのでは云々はちょっと唐突な感があったかなあ。
「死者を蘇らせる」という願いの何たるかを問う話。結局、4人とも根幹にある動機って「自分のため」なんだよね。
そして初めて描かれるねいるの戦闘。武器が銃なのでほか3人と差別化されていてよかった。外的な要因によらない自殺者もエッグから出てくるのには驚いた。
ストーカーのワンダーキラーをアイドルの音楽とペンラで撃退したのはちょっと笑ってしまった。痴漢ネタにLGBT(?)など、タイムリーな問題を拾っていた印象。
第4のヒロイン・桃恵の登場で役者が出揃った。さて、ここからどう進展するのか。
凄まじいバトル作画はさすがの『FGOバビロニア』『ダリフラ』のCloverWorksといったところ。躍動感ある少女たちのアクションは非常に見応えがあった。
物語の方も、第3のヒロイン・リカの登場に明かされていくアイの過去と進展。死んでいった者(小糸とちえみ)に対する感情を安易に「悲しみ」に一元化せず、グチャッとした感情として描いたのも良かった。
「ひきこもり」という設定とパーカーのフードをしっかり閉じた姿から勝手にアイをコミュ障キャラと思ってたけど、結構グイグイ行くタイプで面食らった。
アニメ視聴継続の分水嶺と言われる3話でどんな仕掛けを繰り出してくるのか、期待が高まる。
「自分と同じ心に傷を負った者」を救うことで死んだ親友を蘇生させられるというかな~り胡散臭いルールの異世界は『まどマギ』を否が応にも連想させる。正直エッグの少女を助ける時の主人公の心の動きに少し唐突な感は覚えたものの、優れた作画もあって「見続けたい」と思わせるパワーはあった。
劇場版は楽しみだった反面「蛇足になるのでは?」という懸念もあった。物語的にはTV版の時点でしっかりまとまっているわけで、故に自分は「このエンディングから、蛇足感なく物語を構築できるだろうか?」という疑問、そして不安を抱えつつ劇場に向かうことになった。
だが、そんな自分の不安や疑問は開始早々に崩れ去った。
序盤、華恋が白紙の進路調査票を提出するシーン、そして香子が激情を爆発させるシーンで、観客は「レヴュースタァライトは、まだ全然終わっていない」と理解することになる。
キリンのオーディションは残酷にも99期生内部の「舞台人としての才能の差」を可視化してしまったわけだから、華恋を除く8名の心にわだかまりを残してもおかしくないし、何より我々は「愛城華恋が『ひかりとのスタァライト』という夢を叶えたその先の道」をまだ見ていない。
一応、「9人の中で唯一『夢を叶えてしまった』存在である華恋がその先で選ぶ道とは?」というテーマは舞台#2でも語られたのだが、あの時は結局「八雲という『敵』を倒す」という方向に最終的に物語が向かってしまい、前述のテーマは半ば有耶無耶になってしまっていた。
今回の劇場版は、消化不良のわだかまりを抱え、それを半ば受け入れながら前に進もうとしてしまっていた9人の舞台少女が、新たなレヴュー「ワイルドスクリーンバロック」の中でそんな感情をぶつけ合い、精算し、TV版からの重要キーワードである「アタシ再生産」を果たしてゆく、「卒業」の、そして「旅立ち」の物語だ。
序盤にななが仕掛けた「皆殺しのレヴュー」、そしてななが放つ「わたしたち、死んでるよ」という衝撃のセリフで、観客は再びの気付きを得る。
キリンのオーディションを終えた8人は、前述のように各人のわだかまりを抱えながらも、それを受け入れ、あるいは諦めつつ前に進もうとしている。香子が、自身のトップスタァへの執着を吐露しつつも「うちが一番しょうもない」と自虐しているのは、その象徴と言える。
真矢に負けたままオーディションを終えてしまったクロディーヌ。
自身の預かり知らぬところで自分の進む道を決めてしまった双葉に対する怒りが(それが双葉なりの「ふたりの花道」だと知りつつも)再燃する香子。
自分の選択をTV版で香子と交わした約束に対する裏切りだと感じて、後ろめたさを捨てられない双葉。
もっともらしい言い訳を並べて天才たちと相対することから遠ざかる純那と、それを許せないなな。
大小のわだかまりを抱えながら大人になっていくのは、我々にとっては普通のことだ。だが、彼女たちは「舞台少女」。悔しさや後悔をも糧にして進む(by「舞台少女心得」)者たちである。それが燃焼しきっていない感情を残したまま卒業していくことなどありえない。それができないとあらば、舞台少女としては「死んだ」も同然…という事実を、ななは自分を含めた7人の舞台少女、そして観客に突きつける。
そんな彼女たちが自らの感情を吐き出し、ぶつけ、最後に「アタシ再生産」へと至る計5幕の新たなレヴュー「ワイルドスクリーンバロック」は、TV版に輪をかけてスペクタクルかつ独創的なヴィジュアルで、新たなレヴュー曲も相まって観客の度肝を抜く。
TV版よりもより濃密かつエロティックな演出で、香子と双葉が感情をぶつけ合う「怨みのレヴュー」。
まひるのTV版からの成長、そして舞台少女としての本気を見せつけられる「共演のレヴュー」。
純那が選んだ新たな選択に涙する「狩りのレヴュー」。
TV版では若干不遇だったクロディーヌがこれでもかと活躍し、好敵手・天堂真矢の喉元に迫る「魂のレヴュー」。
中盤から矢継ぎ早に展開されるこれらのレヴューシーンは「レヴュースタァライト」でしか味わえない映像体験と言ってもよく、これだけでも一見の価値がある。
そしてレヴューシーンのエモーショナルさに強く寄与しているのが、画面の中の舞台少女たち同様に成長を続ける9人の声優の演技だ。
香子を演じる伊藤彩沙のドスの効いた京言葉に、TV版以上の冷徹さと激情で純那の心を打ち砕かんとするななを演じる小泉萌香の気迫。今までのまひるになかった、震え上がるような恐ろしさを演じきった岩田陽葵など、どの声優の熱演にも拍手喝采を贈りたくなる。
「ワイルドスクリーンバロック」の幕間に展開される華恋の過去回想は、制作陣も「TV版では舞台装置的な立ち位置にならざるを得なかった」と語る「愛城華恋」の人間性を改めて掘り下げていて、華恋を更に好きになれるし、それを踏まえてのクライマックスでの「アタシ再生産」、そして舞台少女としての決意を新たにしたひかりとの最後のレヴューは抽象的な演出故に未だに飲み込めない部分もあるものの、レヴュースタァライトの、99期生の物語の締めくくりに相応しい熱量を持っている。
TV版以上に物語は抽象的で視聴者に考察・脳内補完を求める部分は多いものの、それを楽しめるファンにとっては100点でも足りない名作足り得る、制作陣の熱量がこれでもかと味わえる凄まじい作品。