ちいかわコンテンツは一切未履修
ただ、この映画に関して、知っている人と知らない人の間に生じる受け取り方の差は伝え聞いていたので、本映画はちいかわコンテンツに対して、事前にどのような認識を持った上で鑑賞したのかが感想を左右すると思っていたのだけど…
想像していたより、ニュートラルな作品だなというのが第一印象。勿論、そこには本作のコメディをシュールとかカワイイとか、そのように思ったりはするのだけど良い意味で本作は自然体だなと感じられましたよ
本作のストーリーラインって報酬に釣られたちいかわ達が島にやってきて、島民の困り事に巻き込まれていくという筋書きなのだけど、ちいかわ達ってセイレーンから言及されるように徹底してただの「観光客」に過ぎないんだよね。セイレーンと島民の対立において何ら利害関係を持たない。敢えて言えば先に助けを求めてきたのが島民であり、島民の歓待を受けていたから彼らに協力したというだけで積極的にセイレーンを許せない理由を持っていたわけではない
一応、セイレーンが島民を食べているとの許し難い背景はあるものの、その行為だって先に人魚が食べられたとの情報に接していたちいかわ達にとって、どちらが明確に“正しい”と断ぜられるだけの何かは持たない
だからか、ちいかわ達は流されるように行動している。島民と一緒にセイレーンに対抗して、友達が攫われたから助けようとして、セイレーンに島民が襲われないようにカレーを作って…
良くも悪くもちいかわ達は島民の方向性を変える何かは持たないし、セイレーンを抑えられる何かも無い。彼らの行動は自然の流れに沿っている
そう捉えると、問題の根源として存在する要素も自然の流れによるものだったのかも知れない
島に一方的に棲み着いたセイレーンは恐ろしく、またご馳走を求める厄介な存在だったのは事実。反面、セイレーンの唄は作物を豊かにさせる。島はセイレーンの恩恵を受けていた
その様は制御出来ない神威的な自然現象と人間が持ちつ持たれつの関係を気付いている在り方を想起させる
だから自然が崩れるとしたら、相手へ不用意に深く踏み込んでしまった瞬間で
自然現象と接していれば命を落としてしまう事だってある。それを仕方ないと流せば、それ以上の何かなんて発生しない。けど、あのヒトハは踏み込んでしまったわけだ、禁忌へと
そうなればセイレーンが怒り報復するのは当然。けれど、ここで更に誤りとなるのは自分達が犯人であると名乗り出なかった点。そうして本当に罪の無い島民達が攫われ、島民達はセイレーンを邪悪な存在としてちいかわ達に討伐させる事になるのだから
セイレーンと島民達の間には自然的な流れがある。共生している内は良い。けど、自然の領域に踏み込んでしまった時、自然は牙を剥く
その際に因果の整理を行えば事態はすぐに自然的なものへと回帰するかもしれない。隠し続ければ不自然が際立つ。結局はセイレーンという存在の討伐へと乗り出すしかなくなる
なら、隠さない事こそ自然的、正しかったのかというとそうでもないのが一種の難しさか。そもそも問題はフタバが命の危機を迎え、ヒトハが助ける決断をした時に全ては終わっていた。以降の判断なんて全ては蛇足
その意味ではちいかわ達はもうどうしょうもなくなっていた事態に巻き込まれていたと言える。だから流されるような行動も問題とならない。何故なら今更何かを判断した所で喰い喰われる関係は変えられなかったのだから
ただ、それを理由に全てを諦めて良いというわけでもない点を本作は示してくれるね
ハチワレや先生は何度かに亘って、どうすれば良かったのか、何が正しいのかと頭を悩ませる。全てを解決する答えそのものは提示されないけど、代わりにちいかわが示したのが、あの場における正しさ、または間違いではないと信じる判断だったのだろうね
何も罪を糾弾するだけが正しさではない。隠そうとする姿に互いを想い合う心が見えるなら、その意思を尊重するのも一種の正しさだろう
……と、そこで終わっていれば比較的綺麗な物語に成ったかもしれない。けど、本作は後味悪く終わるね
なのに後味の悪さこそ本作の魅力と成っているのだから面白い。綺麗な物語なのに後味が悪いなんて余計な要素が足されたと捉えても可怪しくない。でも、本作の場合はあのラストシーンがある事で気持ちの良い後味の悪さになる。きっとあのカットが無ければそれはそれで気持ちの悪い後味を覚えたのではなかろうか?
だって、鑑賞者の多くはヒトハ・フタバを追い詰めるセイレーンの姿を見たかったろうから。その意味では実際に追い詰める姿は描かないままで、追い詰めるかもしれないという予兆程度に留めたラストは鑑賞者にとって丁度良い気持ち良さの“後味の悪さ”となっているのだろうと思えたよ
そういった部分が本作の魅力なのだと実感できたね
ストーリー部分について、長々と述べてきたけど、本作を鑑賞中に抱いた率直な感想は「可愛くてシュール」という印象が強かったかな
まず以てちいかわもハチワレもうさぎも可愛らしい。それで居ながらハチワレもうさぎもシュールで空気が読めない言動を繰り返すし、他キャラクターに於いてもいわば自分のキャラを前面に押し出した行動に全力投球している。そうした行動はちいかわを困惑させる事もあるのだけど、喋らないちいかわが可愛らしく困る事で不快感を抱かず微笑ましく見守る事ができるね
劇中では我儘を発露しちいかわを露骨に困らせるモモンガすら可愛らしく見えてくるのだから面白い
そうした可愛さは本作において、いわば敵役とも言えるセイレーンにすら見て取れるのは印象的
セイレーンは明確に島民を「喰べた」と言っているし、実際に恐ろしく襲ってくるシーンもあるのだけど、それでも怖さだけに終始しない可愛さを感じてしまう
そもそもセイレーンは悪意に拠って島民を襲っているのではなく、人魚を食べられた哀しさと憤りという真っ当な感情から襲っているからなのかもしれない。セイレーンは悪役などではなく、彼女とて可愛らしいキャラクターなのだ
そう捉えると、逆に騒動の始まりであるヒトハ・フタバの造形に注目してしまうけど、こちらは何処まで意図した形なのかな…と想像してしまったり
本作ではモブを影塗りにしてメインキャラとは一線を画すしているのだけど、ヒトハ・フタバまで影塗り状態なものだから登場当初はモブとの区別が付かなかったよ。でも、話が進めば両者は重要な意味を持ったキャラクターと判るし、表情を出さずに済むキャラクターではないとも判る
それでも二人はモブと同様の見た目をしていて、顔や言葉が描かれる事はない。そこに可愛さを見出すのは難しい
その点は先程の捉え方と合わせて考えると、一般人として振る舞う者の中にこそ、自然を侵食して自然の怒りを買う原因となる原因が混ざっている、なんて深読みも出来るのかもしれない
怖いけど可愛くも思えるセイレーン、モブのようだけどモブでは済まないヒトハ・フタバ。その描き方の差異に何処まで意味があるのか、独特の後味の悪さに浸りつつ考えてみたくなる作品でしたよ
まあ、それ以前にちいかわ達の可愛さに浸っている方が楽しい作品でもあるんだけどね
これまでシーナは戦場とかけ離れた場所に居たし、戦場を行き来するミミの兵士としての姿も見た事がなかった。だから前回のように命の尊さを説く事が出来た
保健室に集められた傷付いた生徒達、ミミが血塗れになってズタ袋に入れられた姿はシーナに戦場の匂いを感じさせるものであり、ミミに人の命を気遣う余裕なんて無い環境だと示してる
シーナは自身の無知を突き付けられる形となったわけだけど、そういった姿こそミミにとっては嬉しいものだったというのは何とも言えないね…
シーナは戦場に行ける程に強くないし、戦場を理解できる程の経験もない。それでも戦場に身を置くしかないミミはシーナに懐いているし、シーナもミミの傍に居続けたいと思う
なら、シーナは戦場に関わらない形でミミの拠り所となる必要があるわけで。しかし、花冠しか作ってやれない彼女の目の前はまだ限られたまま…
同様に前にある道が限られているのがセイランか。前々から孤児を集めて育て戦争へ行かせるこの機関はおぞましいと思えるけど、実際に渦中に居る者にとって親代わりと言える機関の命令は絶対か…
まだ戦争へ行った事がないセイランは戦場の匂いを知らない。けど、恐れより恩返しを優先する彼女は自身を戦場へ向かわせる手続きを進める、可哀想との陰口にも反発する
有限の命のセイランは戦争へとひた走る。傍で見守るアリも表面上はセイランを応援するような姿勢を見せる。それ以外の道なんて無いから
こうなってくると、子供を戦争へ向かわせる機関において、戦争で役立つ以外の道を模索するシーナこそ異端に思え、だからこそ彼女が見出すだろう何かが戦場へ向かう子供たちを救うものになれば良いなと願ってしまうね…
ララによる人間界探訪が童話的であるならば、リサは現実的またはこれすらも一種の童話と言えるのか
ララが人間の王子に出会って本当の愛を見つけられそうだったのに対し、リサは人間に捕まった事で愛どころか心まで失いそうだった。心が保たれたのはコータが居たからで
ララの愛が広い意味を持ちそうなのに対し、リサは狭い意味の愛となりそう。リサの長い経験はララが短い間にした経験と対に見そうになる。けれど、そこには世間知らずのララではなく、人間界を生き抜く知恵を有するリサである為に生じた経験差が見えるような
ララは「醜い」と言われ人間界から弾かれたのに対し、リサは「気味悪い」から「興味深い」へと転じて人間界に受け容れられた。ただ、そこにリサの意思は無いから彼女は心を無くす
そんな彼女が人間の脚を手にしたのは偏にコータの為か。彼女は人間に成りたかったのではなく、自分という存在の個人的光と成ってくれるコータに応えようとしただけ。その手段が人間だった
リサの次なる理由は家族探し。しかし、家族を見つけても目覚めさせる役割はリサに無く…。また光の正体さえ掴めない
ララには明確な役割が課せられているのに対し、リサの役割は薄い。時間は有るのに時間が無い。人間を好むわけでもない彼女は人間と生きる。そこにはどうしようもない理不尽さが見える
しかし、同時に人間を好まない彼女ですら、地上では人間と共に生きる必要が生じるし、脚の生えた彼女はグレイスからすれば”人間”と扱われてしまうのは皮肉と言えそう
ララが”本当の愛”を見つけるのが役目なら、リサに課せられた役目・生きる意味は何だと言えるのか?それがグレイスへの糾弾?
ララに脚を与え、今は傍で見守り。リサが脚を得る切っ掛けで、今は近くから見張り。そろそろグレイスが何を望んでいるかを示して欲しいもの
ただ、ララやリサが地上で為す何かは人魚であるグレイスとどう関わるのだろうね?また、このタイミングで現れた”王子様”と生えた”醜い尾鰭”はララをどう変えてしまうのだろう?
リニアとプルセナの卒業は勉学の修了を示すというより、旅立ちを思わせる機会に。特に二人の決闘はこれまで定めていなかった優劣や曖昧な己の立場を定めたね
…ルディがシリアスな覚悟を読めなかったのは既に彼が立場を定めた人間だからかそれとも単純に空気が読めないからか(笑)
さておき二人はとこん遣り合った。勝ち負けを明確にし、傷を誇りに出来るくらいに。それは学園での日々や決闘を過去とし、気持ち良く前へ進める者へと成長した証と言えるのかもね
そうした格好良さが直後のオチで台無しになったと見るか、やはりこの二人は仲良しだと見るべきか(笑)
召喚魔法は成功そのものより、ルディがあの光を向き合い乗り越えた点に成長を見てしまうな。彼はトラウマの光を見ても進むのを辞めなかった。それは大きな変化
けど、変化がそのまま変質とならないのはリニアとプルセナが証明した通り。宴会の楽しさは変わらない
そんな中でノルンが見せたのは変わらないようでいて、変わっていた成長か。事前にシルフィとロキシーには相談済みだったのは印象的。それはルディを信用していないのではなく、成長の証をルディに見せる為には何をすれば良いか考えた結果だろうから
そうした点はノルンのこれまでの日々にも表れていたようで
ルディはノルンの日常に生徒会の仕事まで混ざれば負担になるのでは?と想像する。それは以前のノルンをベースに考えた結果
けど、ノルンは既に生徒会の手伝いをし、保証もシルフィ達に求めていた。それらはノルンがそれまでとは違うと、ルディに心配されるだけの幼い妹ではないと証明し小さな旅立ちをした瞬間
そうした周囲の成長や旅立ちに自身の経験を振り返るのはルディならではか。だとしたら、魔人殺しに会いに行くのはルディや周囲の者達にとってどのような旅立ちを意味するのだろうね?
ドレゲネと結びついた事でいよいよ本格化する復讐の算段。但し、シタラには武力も地位も無いのだから、モンゴルへの復讐はどうしても水面下を通してのものになる
だからか、今回はモンゴルという巨大組織の水面下を覗かせるようなエピソードに
表層を見れば、今のモンゴルは沢山の人が集まり頂点に君臨する四兄弟の仲も良好。けど、それは何もしなくてもそうなったのではなく、チャガタイのパフォーマンスに代表されるように水面下での様々な政治を通してそうなっている
いわば水面下での政治こそが表の政治を支えているわけだ
テムゲが言及したようにモンゴル直近の目標は金国の征討。だからオゴタイに従いつつ水面下では自分達の処遇をどうするかを気にしてる。それによって皇帝の真価を測ろうとしている
でもオゴタイがしたのは全く別の話。あの都市計画は彼の賢さを示すものだけど、皆が理解できない以上、上に立つ者の言葉としては微妙。むしろ皇帝の座近くに足を踏み入れたトルイの言葉こそ皆が求めたものであり、皇帝の器を示すものに
勿論トルイはオゴタイや叔父を持ち上げる作戦にしているけど、彼が戦の話を主導した以上、そこには水面下に収まらない力関係が見て取れてしまう
力関係のアンバランスを知り嵐を起こせるとシタラが考えるなら、嵐を起こさせまいと考えるボラクチンが登場するのは鮮烈
両者は同じくトルイが強すぎるが故の危うさを見ている。でも、結論として導き出そうとしているものは正反対。こうなってくると嵐を起こそうとするシタラこそ悪のように、トゥースを蹂躙したモンゴルそのものとなっていくのは面白い構図
けど、これこそがモンゴルが巨大となり過ぎて、その水面下にモンゴルの繁栄を願わぬ者すらも取り込んでしまった結果と言えそうだ
そして全く異なる水面下を推し進めていたのがオゴタイか
モゲの耳飾りの一件はどこか寓話めいているが、彼が目指しているのはシステム的な話だね。オゴタイは善良な行いの結果として耳飾りが戻ってくるのではなく、支配体制の安定化結実として戻ってくるのを想定した。それはシタラが驚く程の貴き智慧
ただ、そうして作り上げられる体制が蹂躙された者にとって本当に納得できるかは別な気がするが…
オゴタイは皆にもっと自分の考えを聞いて貰いたいようで、金国を滅ぼした後に。その反発を水面下に押し込む支配体制を本当に”安全”と呼んでいいのかな?
私達現代人から見れば東村の環境は時代遅れで不便に思えるのに、そこから現代へ戻ったナギサにしてみれば、現代こそ不便になったと見ているのは面白いね
その言葉を補強するように、誰とでも簡単に連絡を取れる筈のケータイ・スマホは充電が切れたり感電によってあっさり使えなくなってしまう。使えても電話口で話す相手が信用できない状態とも気付けない
現代を舞台に昔ながらの価値観を持つユル達が戦う作品だからこそ強調された要素なのかも
秘密の話がしたいなら、文明の利器等に頼らず直接会って
アスマが咄嗟にユルを逃がして夜桜に説明させたのは賢い遣り方だし、ジンとデラが作戦に関する話を事務所で直接会ってしたのも同様の背景
…ザシキワラシによる秘密の会談はちょっとズルっぽい気もするけどね。監禁が意味を為さないなんて、そりゃスマホに頼る現代人からすれば想像もできない事態
極めつけは狼煙か
何処に居るかも連絡先も知らない相手と意思疎通を取るなんて現代人には難しい行為。それだけに場に居る者全てに届きつつ、東村出身者にしか解読できない狼煙は使い方を知る者達にとって究極的に便利
また、あの狼煙は助けを求めるだけの合図に留まらず、ダンジからユルへと仲直りしたいとの意思が垣間見えるものになっていたのは印象的
そう考えると、狼煙に関わる価値観を共有できるアサと偽アサの邂逅とて仲直りの機会となったり……は流石に難しいんだろうなぁ(笑)
砦を落とされても全く苦境に陥らない諏訪勢はしぶといね
但し北中南それぞれの戦場が奮闘しようとも連携できなければ大局は変えられない。だからこそ各地を走り回る時行達の尽力は光り、各地を見て取ったから差し出せる策も際立つという事か
他方で戦場を変え得る彼らは別に全能の存在でも何でもない、無制限に頼れる存在ではないと描いていたのは印象的。…その象徴として用いられたのが信濃仮面だったのはどうかと思うんだけどさ(笑)
矢の下でも駆け回れる時行を始め、戦局を左右する献策が出来る雫。また他のメンツも有能ばかり。亜也子の会話にあるように時行には将の器が見て取れる
それだけに海野の言葉にはハッとさせられたな。時行に将の器があるとしてもそれは将来的な話。現状に於いての完璧さではない
だからこそ大人がフォローする必要があって。その在り方が信濃仮面なんてふざけにふざけた存在である点には文句の一つも言いたくなる(笑)のだけど、逆に言えばああした柔軟性も歴戦の大人が持ち合わせた実力の一つだし、兵の援軍に時行捕縛の意味合いを含ませた貞宗も大人の柔軟性を有していたと言えるのかも
こうした状況では時行含む子供達が大人の庇護下で育てられているという要素が強調される。頼重も庇護した時行をこれ以上危機に陥らせない為に戦場から離れさせようとしたのだろうけど…
将の器は将来の話としても、いずれ将として戦場に立つなら大人に守られているだけは許せない。また、鎌倉で死ぬかもしれなかった自分を救けてくれた恩義もある
大人の予想を超えて覚悟を示す時行の姿はそれこそ成長の象徴であり、頼重が報われた瞬間であるように思えたよ
……ふざけた展開がありつつも真面目な要素が描かれただけに、信濃仮面以上にふざけた戦闘神輿で締められる内容には度肝を抜かされたんだけどさ。なんだアレ(笑)
シーナはミミの異端さを近くで見つつも、それ以上にあどけなさを発するミミの在り方も見ている。だからか、シーナがどうしても考えてしまうのは「ミミを戦場に行かせるのは正しいのか?」という点
けど、シーナの魔力は弱いし、ミミ以外の誰かを戦場へ追い遣る覚悟もない。今の彼女はとても中途半端、但し、シーナが不満に思うシーナの在り方にミミは懐き居場所としているのも一つの事実
シーナはちゃんとミミの平穏になっている。でもシーナはそれだけでは満足できなくなってきたようで
返礼の日を中核とした今回は戦場へ追い遣られる子供達の悲哀が見えたような
古着や小物を融通し合う様子はフリーマーケットぽさがあって賑やか。けれど、それらはもう居ない誰かが使っていた物が混ざっていて、誰かを知る人が手放していると考えれば、そこには温かみだけではない何かを見出してしまう
けど、手放す人にとっては大切な人が使えなくなったとしても、別人にとっての大切な人が使ってくれれば報われるという面も見える
大切な人の関係は巡り回るもの
だからシーナが意識してしまうのはミミを大切に思う気持ちだけでなく、ミミが誰かにとっての大切な人の死因になる可能性か
けど、それを避けようと思えば、それこそ貴重な戦力であるミミを戦場から遠ざけるしかない。それはまた別の誰かの死因になる。ぐるぐる考えるしかないシーナに出来るのはミミに守られる現状を甘受する事だけ。ただ、そうして戦場から離れた平穏の中に身を置き続ける様はミミにとって嬉しいものであるのも確かで
もう枯れたと思われた草木に命を見出せるシーナは既に死んでいるミミにどのような命を咲かせる事が出来るのだろうね?
ララが求める王子様や本当の愛というのは特定個人を指す表現と考えれば、誰に会えるかも判らないバイトはララの使命から外れた寄り道となる。グレイスがララに催促するのは当然の話
他方で、使命を果たせるまで地上で暮らすなら先立つ物が必要で。茉里の家に厄介になっているから必要なかったそれが家主から求められるなら必要な寄り道となって
こうした寄り道がララの原点を思い出すものとなるのは少し面白いね
ララの面接は酷いね…。どうして雇われたか想像もできないよ…?
さておき、バイトを自分の意志で始めたなら、そこには責任が付き纏う。ララは一応の責任を示せていたと言えるのかな。「ケーキのためなら死ねます!」と豪語して雇われた彼女は自分の言葉に責任を持つ必要がある。この言葉はかなり大袈裟だけど、地上での使命に家族の命が懸かっている彼女にとっては的外れの表現ではない。ただ、そうした背景はバイトにおいて無関係なもの
もう一つの問題点はララが現状の行動を正しいと思えていない点か。だからさっさとお金を手に入れようとするし、不満だって漏らしてしまう。それが仕事上の失敗に繋がってしまう
失敗したなら何かが間違っていたという事で。バイトを辞める選択肢が浮かぶのも自然。何故ならバイトをしたって王子様なんて見つかるわけが無いのだから
そこで王子と出会う前の初期衝動、人間を知りたいという愛の前に存在した想いに立ち返ってバイトを続ける選択をしたのは良かったな。ララは人間を知りたい想いが溢れ、王子に出会った。なら、本当の愛を見つける為に人間と暮らすのは間違いじゃない
ララにとってバイトは寄り道じゃなかったし、自身の責任にも結び付く行いだったわけだ
他方でララに必要なものを勝手に決めつけたリサの行動は思わぬ悲劇へ。あのオブジェがララの感情に基づき動いたのは間違いない。けれどララはそれを知らない。後戻りできない行動の責任は誰が取る事になるのだろうね?
本作はルディ(前世の男)によるやり直しの物語。悔いを残した行いを別の形で向き合い成長とする。そう捉えるなら、確かにサラとの別れは悔いが残っていたと言えるわけだ
てか、突然のスザンヌ再登場には驚きましたよ。あのパーティとはサラの件により破綻したけど、エリスと別れた直後のルディが落ち着ける場所を見つけられるかもしれなかっただけに行方が気になっていたから、スザンヌ再登場はあの頃を少しだけやり直せるようなもので、そして彼女が登場したからにはサラが登場するのも当然で
こちらもやり直しの機会となったわけだ
ただ、再会するなんて思ってもいなかったルディはサラと向き合う準備もない
そこで周囲の女性陣が良い補助をしてくれたね。後にルディはシルフィ達を窮地を救ってくれる存在と褒めたけど、サラと向き合う際にもそれは発揮されるね
ルディ一人では後悔あるサラとは向き合えなかった。だからシルフィの言葉はルディにとって救いであり、自分の不誠実を自覚して動けるなら彼は成長しているという証でもある
そして、成長しているという事はわざわざあの頃に戻りたいとも思わずに済む
ルディはサラとの関係をそのままの意味でやり直したいわけではない。ただ、気持ち良くない別れ方をした関係を気持ちの良い別れに変えたいというだけ
それはサラも思っていたというのは良いね。彼女もルディとの別れに後悔があった。彼女にとっても今回はやり直しの機会
恋は正しく始まらなかった。後悔を含んだ時間や関係を正しく終わらせられたサラの表情は気持ちの良いものでしたよ
情けないルディはシルフィやロキシーの力を借りて新たな人生で様々なやり直しが出来る。それは彼女らに寄り掛かっているというだけになっていないのは二人の表情を見れば判る事。3人は愛して愛されているね
と、こうして過不足の無い関係を築け、そしてルディの後悔の一つが清算されれば思い出すのはエリスの事。彼女ってルディの隣に相応しい存在になる為に、そしてオルステッドを倒す為に修行しているわけだけど、その間にルディが家庭を持ったと知ったらどうなってしまうのだろうね……
今後訪れるだろうエリスとの再会は本物の修羅場となってしまうか、やり直しの機会となるか。全く想像できませんよ…
ドレゲネの話はシタラと似通った部分がありつつ、同時にシタラがこれから歩むかもしれない可能性すら提示するものとなったね
ドレゲネはメルキトの者では無かったし、すぐに好意を抱いたわけでは無かった。それでもクランを始めとしたメルキト族との関わりで彼らが居る場所を新たな故郷とした
こうした流れはかつてのシタラととてもよく似ている。ならば、そんなドレゲネがモンゴルに来てから辿った道もシタラに似通るものとなるかもしれないわけだ
ドレゲネとシタラは何もかもが同じなわけではないね。シタラはファーティマやムハンマドとの関わりによって家庭的な愛に照らされた。対してドレゲネは部族的な連なりという波に揺られた。喜びも悲しみも得た。ドレゲネはメルキトの全てを受け取った
だから彼女は高価な宝石としてモンゴルに下るクランの想いも、モンゴルを許せない男達の無念も理解できる
そんな彼女が理解できなかったのはメルキトからモンゴルへと変わってしまったクランの笑み。クランが赦したように見えるなら、ドレゲネの復讐心は行き場を失う。鬱屈だけが溜まる
クランの笑みは前回シタラが見た奴隷達の笑みに似ている。そんなものを見せられたら、ドレゲネのようにモンゴルの女としてモンゴルの子を産み育てる道しか残されなくなる
けどドレゲネの復讐心はシタラの笑みを見て再び動き始めた。ならば、ドレゲネと同じようにモンゴルで漫然と生きようとしていたシタラも同じく動かなければならない
力で復讐したならばダイルのように死ぬ道しかない。智慧での復讐を、それも二人で行えば別の道もあるかもしれない。二人は果たして嵐を巻き起こせるのか、それはモンゴルを内側からどう蝕むものとなるのか?史実を知らないからこそ、先の展開にワクワクさせられてしまいますよ!
おお…、視聴者からすれば意外性に満ちたアキオの暴行を影森は完全に見破っていて、逆に罠を用意して待ち構えていたというのは衝撃的
アキオは狙いを成就できるタイミングを伺っていたわけだが、そのタイミングこそ仕掛けられたものか。待ち構えられていたなら、その後の展開は予定調和、逃れる術は無
自分は逃げられなくてもツガイを逃がそうとしたのはアキオなりの優しさか…。しかし今更そんなものを示しても都合よく逃げられるなんて無いわけだ
対アキオ戦、予定調和以上の激情を見せたのがガブか
アサの辛い境遇をきっと誰よりも実感している彼女は影森屋敷がアサにとって自由に逃げられる場所だと知っている。だからアサを害そうとした点も、逃げ場所を壊そうとした点も許せない
けど、予定調和から外れるのも宜しくないわけで。ガブを抑えたナツキは流石。ガブは確かにアキオに憤りをぶつけても良いかもしれないけど、だからってあまりにアサの想いを代弁しすぎるのが良いわけでもない
彼女に許された予定はアキオを追い詰める事まで
そうしてアキオは最悪な予定調和へ…。あの捉え方はマジで嫌だな…(笑)
他方で予定調和破りが宜しくない展開に至りそうなのはユルか
彼は人質を取られて自由に動けない立場。なのにハヤトを人質に取って自分の要求を通そうなんて、そうは問屋が卸さない。自分に許されていた予定を破壊しようとしたユルは意見を自由に通せない立場へと手酷い形で逆戻り
せめてユルもゴンゾウのように誰の予定もぶち壊せる立場ならもっと別の遣り方もあるかもしれないが、それこそ封の力が必要という話になるんだろうな…
鎌倉奪還を目標に据えた作戦が近付き、諏訪方や旧鎌倉方の充実が露わになった印象。味方がそうした思いを抱くなら、敵だって懸念を抱く
清原による一斉攻撃は旧鎌倉方を殲滅しようとの思惑によるものであり、逆に言えば旧鎌倉方にすればここを乗り切れば鎌倉奪還の現実性が生み出せるとも言えるのだろうね
今回の時行の任務はいわば各地の戦いを孤立化させない事か。清原は圧倒的な力により、こちらを追い詰め各個撃破を狙ってくる。まだ完全に纏まれては居ない旧鎌倉方は一つに成りきれない中で一つへと変じなければならない。時行はそれぞれの戦場を繋ぐ役割と言えるわけだ
そして反撃の戦の中で頼重に仕える三大将が描かれたわけだけど…
海野のキャラが滅茶苦茶濃いね!戦では頼りになるしイケオジって感じなのに、そこを誇りにするんだ!?しかもそれが周囲から尊敬されているんだ!?おまけに妙な実写映像で妙な根拠付けまでされてるし!でも、強い!!
さておき、海野の存在は頼重には頼りになる配下が居る証明でもあって。時行には逃若党がいるけれど、もっと広く視点を取れば諏訪方に頼もしい人材が居ると知れる話となったね
けど、海野唯一人では3か所もある戦場をひっくり返すなんて出来はせず
降り注ぐ矢を笑顔で躱す時行はそうした分かれた戦場を繋ぐ役割として、戦場での強さだけでは測れない頼もしさがあると言えるね
ただ、今回の時行は頼重が言った、「人となりを知る」という点はまだやれていない印象もある。海野はキャラが濃い為にすぐ知れた。けど、祢津の事は判らないし、彼に絡んで狐次郎の事だってまだ判らない点があると知れた
そして望月の事を知る前に常岩は…。このままでは相手は戦場を繋げられる状況。これに対して時行は相手を繋げず、自分達を繋げる伝令が可能なのかな?
ミミの秘密が明かされたけど、それはミミの強さの納得になるのではなく、ミミばかりが戦わされる状況へ無理に納得するしかない自分への不納得を呼び起こすものとなったような
弱いシーナが戦争へ行かなくて済んでいるのも、14歳クラスがクラスメイトの死に動揺したままながら過ごせるのも誰かが代わりに戦ってくれているから。いわばシーナはミミの異質さにより安全を享受できている側だからミミの境遇を非難する事もできない
なら、シーナは無邪気に戦争へ向かうミミに何をしてやれるかという点が主題として浮上してくるのだろうね
悲惨に過ぎるミミの境遇について、ミミ自身はあっけらかんとしているのが何とも言えないね。少しでも彼女が不納得を示せばシーナは同調できるのに、ミミは「戦うのは良い事」なんて言ってしまう。シーナはそのような哀しさを否定する強さも持ち得ない
そうした心境に陥っているのはシーナだけではないようで。子供を戦争へ送り出すオミだって全てに納得しきれているわけではない。それでも歯車の一つとして、特に子供の前では理不尽な教師として振る舞わなければならない
オミも不納得を納得せざるを得ない立場か
ただ、そうした不納得的な状況もある程度の距離を置けば酷く悩まず済むのも一つの事実で。思惑を悟らせないままにミミと関わるフランも、ミミの境遇を察した上で蘇生魔法にロマンティックを夢見るセイランとアリも。その様はミミの境遇への納得を必要としないもの
幸か不幸か好かれてしまったシーナはミミの傍に居続けざるを得ない。そこで彼女の代わりに戦うのではなく、何も知らないミミに対して平穏を教えようとするのはシーナにしか出せない特質ではあるんだろうな
戦争に最も近いミミ、戦争から遠そうなシーナ。二人の交流は双方に何を齎すのだろうね?
早くから言及されていた”本当の愛”やら”王子様”やら、その定義は如何なるものかと疑問だったのだけど、ララも同様の疑問を覚えたようで
王子様は兎も角として、”本当の愛”があるなら”偽物の愛”も無ければならぬ。ただ、そうなるとララと王子の間にあった感情は偽物だったという話になってしまう。その点を見詰め直すのがひめかと央士の恋物語か
ララと王子が運命的な出会いをしたように、ひめかと央士は運命的な関係性。けど、ララが運命のまま”本当の愛”へ至れなかったように、ひめかも”本当の愛”へと至れないのか?という点が主題となったような
ララは”本当の愛”を向ける対象として”王子様”を探す。けど、茉里や女子達の会話に現れるように”王子様”の定義は千差万別。なら、”本当の愛”も人それぞれなのかと言えば…
ララにすればひめかと央士は運命的、愛も育めるように思える。けど、ひめかはすぐには央士への愛を認めない。認めるのは叶わないと知ってから。そんな段になってしまえば”本当の愛”には辿り着けないように思える
そこでララが訴えるのはいわば奇跡のような巡り合わせか…。王子と出会えた事が奇跡な彼女にとって、愛を告げられなかった事には悔いしかない。だからひめかには同じ後悔をして欲しくない
ひめかが伝える決心をしたのはどういう心変わりだろう…。結末は判っていた筈なのに。でも、判っているつもりでいる事と判るのは微妙に違う。きっとひめかは恋が破れたと知れた事で別の王子を、”本当の愛”を探す決心が固められたのだろうね。彼女の泣き顔からは気持ちの良い晴れやかさを感じられたよ
なら、同様にララも今後、”本当の愛”を別に見つけられるかもしれない
他方、リサはあの電話で何を確認するつもりだったのだろうね?近くに居るのに遠くに居ると嘯き、愛しているというのにそれだけではない感情を覗かせ…
姉の生存を喜ぶララ、言い知れぬ激情を見せるリサ。そこにはどのような”本物”があるのだろう?
おお…ルディは遂に二人同時に……。彼の性格を思えば今までやっていなかったのが不思議なくらいの行為なのだけど、これってエリナリーゼのサポートやシルフィ・ロキシーが互いを想う心や遠慮が薄れてきた事で初めて成立する行為ではあったんだろうな
ルディがようやく手にした日常は彼の人生を顧みれば貴重な程に穏やかだから、あの光景が不変であって欲しいと願ってしまう。でも、そうした穏やかさは温かい変化を伴っているからこそ、不変であるように感じられるものなのかもなと思えましたよ
クリフとエリナリーゼの結婚式はまさしく温かな変化だね。あの光景を見て、ルディは自分達が形作った不変的な関係の温かみを実感できる
でも、温かいからと過ぎた変化を見逃してはならないわけで。かつては旅の中で家族の行方を気にする余裕もなかった彼が妹達の誕生祝いに気付くのは日常ならではの光景か
そして、日常光景だからこそ、ノルンとアイシャへのプレゼント選びにも温かみが満ちる。…ついでにルディも自分の念願を叶える姿には思わず苦笑してしまうけども
日常の中に居るから、ノルンとアイシャを驚かせる算段も日常的行為によって。ロキシー以外した事がない釣りだけど、それだけに日常に温かい変化、ロキシーとノルンが仲良くなるきっかけを齎す行為となったようで
そうして心が温まった後は更に温める祝杯を。異世界に転生して人生をやり直し、新しい家族に祝われたルディが今は妹達を祝う立場に。そこには確かにパウロは居ないかもしれない。でも、父が願った家族の笑顔がそこにはあるし、ゼニスも少しずつ回復している
パウロに育てられたルディが形作る家族の光景に大切なものがこれでもかと詰まっていて、改めて彼が手にして日常の貴重さと温かさを感じられる内容でしたよ…
ソルコクタニの密命はモンゴル崩壊やトルイの立場を案じる懸念が源流にあるのか
現状はオゴタイが新皇帝となり、兄弟達は彼を認めている。それでも形が定かでない絆を儚いと思えば、現状は危うく見えてしまうもの
ただ、本来は危うさや懸念に対しては制度や法によって制御すべきもの。けど、その点についてはオゴタイが誰に告げるともなく独り言ちる姿に現実と理想の距離を感じてしまったよ
チャガタイ陣営に潜り込む手段は奴隷の入れ替わり。奴隷が迷子になる状況というのはくらくらする話だが、遺失物として集約された後に主へと返される制度は面白いな。そうしたルートがあるから、ちょっと雑さのある入れ替わりが成立する
また、チャガタイの言葉や迷子奴隷の言葉からも見えるが、制度がある程度行き渡っているなら、奴隷だってそれなりの生き方を見つけられる。奴隷のまま家族を設けられて、そこが”都”になってしまう
でも、そうした制度は誤魔化しでもあるんだよね。今は極端な不幸を感じていなかろうと、それは元々彼女らが望んだ生き方ではない。強制された人生
だからこそ、強制する者は強制される者の心を本当の意味では判らない。チャガタイは制度として人を守れても心は守れない
その点、ドルゲネの暗殺告白を「仕方ない」で流したオゴタイは王の器を持ちつつ、制度で守れない心の鬱屈を感じ取れているかのよう
それでもドルゲネが表面上はモンゴルの法に守られ、制度上はモンゴル皇帝の妃であるのは事実。立場としては満たされている。なのに心から消せないだろうモンゴルへの憎しみ
そんな彼女とシタラの出会いはモンゴルへの復讐を内側から行う上で、どのような意味を持ってくるのかな?
傍から見れば誰よりも信頼に値しないように見えるハヤトとアスマ。けど、その点ユルはニュートラルだね。誰を特別に信用できるとも考えていないから、怪しく怖いハヤトを眼前にしても平常心に近い。勧誘に対し真っ当に返す
そうして現れるのはユルの本来の願いか。幼き日に両親と生き別れた彼にとって、解と封の双子なんて事情は関係なく、ただ家族として暮らしたいというのは彼の在り方が表現されているし、そこにアサも含まれているのは良いね
本来の在り方という点では左右様の戦い方も。普通だったら刀に斬られれば致命傷。けど、本来が岩である二人は後でくっつければどうとでもなると
ゴンゾウが示した戦闘力も彼が隠していた本来の力と言えそうだ
また、デラも東村関係者ではなく、田寺リュウとして望ましいのは何かと考えて方針転換を図るのは良いな。彼の啖呵は本作に登場する多くの人が見習って欲しいもの
なら、アキオの行動は何を表すものとなるのか?アサへの害意か守る意思か。彼の本来は何処にあるのだろうね?
改めて時行の立場の危うさを強調しつつ、新たな戦い方を描くエピソードに
これまでのような命を刀で奪い合う死合ではなく、言葉戦として時行の新たな魅力、対峙した小笠原の強さを描くなんてね
それで居ながら、命が懸かっていないなどとは思わせず、小笠原の一喝によってこれも戦なのだと実感させる作りは流石
小笠原とは何度も相対している。それでも相対する度に彼の強さや魅力が描かれるし、その度に時行は成長を見せる。良い戦表現ですよ
諏訪家にとって時行の正体バレは命綱が切れると同義。重大事だけに貞宗の追求を平静の心地で切り返すは至難の業
事前のとんちきアドバイスにあるように、問答の達人・貞宗を躱すには教養と気遣いから通じる礼儀が重要。貞宗が出会い頭の一括でどちらが達者か見せつけて来たのは象徴的
時行は生まれの良さと付け焼刃でどうにか躱し続けるね。時行にとって躱すとは逃げ、これまでの戦がそうであったように時行は戦を経験して命の輝きを実感すればするほど、戦上手となっていくわけだ
時行にとって戦とは学び。であるなら、貞宗の隙の無い問答はむしろ時行に言葉の戦の切り抜け方を教えるものとなるか。問答が進めば進む程、華麗に躱す時行の言葉は美しい
時行に教えを施すのは貞宗だけではないね。亜也子の田楽は言葉の戦を音で躱す智慧を、そして郎党の貴重さを教えてくれるもの
反面、亜也子は時行に自身の運命を教えられていたというのは良いな。そのような彼女が居るから、時行も彼女に主君として相応しい在り方を学ぶ機会となる
…あと、時行はいつ亜也子に”お手付き”を教える事になるんだろうねぇ、なんて野暮な事を考えてしまったよ(笑)
シーナとミミの距離感が近付いた事で相互理解が進み、更に二人の関係性に名前が付けられた感じか。順調に仲を深めていると判るね
ミミには恐ろしい噂はありつつ、言動も見た目も何から何まで幼い女の子。だからこそシーナが近くに感じられない戦争へミミが普段の調子で向かう様が信じられない
こうなるとシーナとミミが仲を深める上で障害となるのはシーナの苦手意識。それを言葉にしてくれるアリは良い娘だね。ただ、その分、シーナが持たないミミに関するイメージもシーナの中に入ってしまったのだけど
どちらにせよシーナの中でミミの正確な印象は定まらない
ならばと頼るのは出会いのやり直しのような第一印象の焼き直しか。初めて出会った場所でお握りを用意して待っていた彼女の傍にやってきたミミ、今度はあの時と違って綺麗な姿。そこにはシーナが苦手とするミミの要素なんて欠片もない。その為か、会話も穏やかでにこやかに
自分達の関係性をルームメイトから友達に変えられた二人の様子は微笑ましい
ミミにとっては初めての友達だから、特別な初めてをしたい。そうしたワクワク感に対して日常の掃除や洗濯を示す様子にはシーナの性格が表れているね
シーナが友達としての在り方を示してくれたなら、ミミだって友達としての在り方を返したい。
シーナやフランが告げた言葉が繋がり、シーナは友達だからと特別に秘密を打ち明けたミミ。それは無邪気なミミには最も似つかわしくない真実であり、彼女が戦争において秘密兵器として扱われる事に納得できてしまう曰くでしたよ…