三日月はなぜクーデリアと口づけを交わしたのか。
クーデリアの優しさに気づいてか、はたまた自分を「人間」として保つためか。あからさまに「こうである」と断定しない美学を感じる。
悪魔災害...へええ~
「なんか知らんけど悪魔が悪さするんだぁ」
以上。
残りの話数的にもこの世界にとって悪魔(アスモデウス)がどういう存在なのか、なんで共存を図ろうとするのか「悪さする」以上の何かなのか。語られることはなさそうだなぁ。現実と接続点のないフィクションって個人的に観てても面白いと思わないな。
山下さんの演技あっぱれ。
武虎さんめちゃくちゃ好き笑
悪役を魅力的な悪役にするボイス。
あそこまで絶望の淵に追いやられると、人は自己防衛のために期待をしなくなる。彼にとって「自己」はとっくの昔に諦めたもので、唯一の望みは「他者」である家族だったか、苦しいな。
隊員それぞれが何を希望に明日を生きてるかがかいま見えた回。タカキ前の妹との通話シーンと相まって、死亡フラグビンビンだったけど、なんとか耐えた
いい話だったし、ちょっと緩んだ。
やはり記憶を吸い取る設定が効いてていいな。
前回の変な金髪監視やろうが蛇足だっただけで本筋はしっかりしてるし、普通に良作。
ここ数話のテーマは「家族」で9話にしてまとめにきた。
自分は話数ごとにしっかりテーマが決まってて、その話の中でそのテーマが貫かれているものが好き。
今回なら本筋では鉄華団がテイワズ傘下に入って家族になるというのをやる一方で、オルガの鉄華団員へ向けていた意識の気づき(「家族」)。そしてそれを肌で感じ取ったライドの思いやり。はたまた、姉御肌のアミダ・アルカから無垢で献身的なアトラに向けられた「愛」に関するアドバイス。「(選ぶ男を間違えなければ)」は、まあ岡田さんっぽいというかなんというか笑
など、こういった総合的な演出でもって、一貫したテーマを伝えてくる。凪あすも話ごとのテーマに対する意識をすごい感じたけど、そういう意味で岡田さんの脚本構成は伝えたいテーマとキャラの役割とか物語の内容が結びついていて、ロジカルに感じる。
自分がしてる腕輪を見て何かを悟ると、躊躇なくクランクを撃ち抜く三日月。おそらく死んだ仲間の形見か何かだろうか。
物語の流れ的にクランクも鉄華団の一員として動いたりするのかな、なんて考えてたけど、そうは問屋が卸さない。
狂気じみた冷徹な眼差しでクランクを撃ち抜く三日月を見て、「この作品はやってくれる」と、そう確信した。
バーンスタインと86のミリーゼ少佐。どちらも「戦場を知らないが、知ろうとする者」としての立ち位置が同じ。86になかったものが今作にあるかも知れぬ...