Amazonで異常に評価高かったのと、前々から気になっていたので観ました。
結論、自分には合いませんでした。
作画は基本レベル高かったし、キャラデは可愛いし、所々綺麗だなと思う背景もありました。
でも話が肌に合いませんでした。
1.観る側がフィクションを現実として捉え直せるほど、現実を上手くフィクションに昇華できるような設定になっているかという観点で、作り込みが特に甘く感じました。
2.妖精(戦う女の子)は現実でいう何のメタファーなのか?が伝わって来ず、お涙頂戴の道具か、若しくは何の努力をしなくても可愛い女の子が自分を助けてくれると勘違いしている男性への媚びとして扱われていたように思います。ヒロインに主人公を「君」と呼ばせる作風も個人的には好かんです。
3.「人間が人間ならざるものに変わり、自らの身を滅ぼす」という使い古された物語構造をやること自体いいのですけど、その滅ぼす原因の描写が薄すぎて具体的に人間の何が良くなかったのかが少なくとも12話を通して切実な形で持って伝わって来なかったです。
だだっ広い大河の部屋を見た時のふとした川嶋の表情にこだわりを感じる。しかもそのこだわりは、コンテキストなしで伝わってくるものではなくて、コンテキストがあって初めて、その表情のシニフィエを意図されたものとして視聴者に呼び起こすようなものである。キャラクターを描くとはこういう事だよな。
こういうのを言葉にするのは野暮ってもんだけども。
櫛枝は本当は自分の中の高須への想いに気づいているが、それを認めてしまえば「優しい自分」でなくなってしまう。だからそれを打ち消すための言葉をかけてくれる川嶋に頼るし、今回も北村を好いている逢坂の「ために」動いた。その結果、北村が別の人に想いを寄せていることが発覚し、その事実を目の当たりにした櫛枝に川嶋が放った一言が「罪悪感は無くなった?」。
川嶋は、櫛枝の本質的な弱さ(自己選択することで及ぼし得る影響への恐怖を偽善でもってカモフラージュし、選択しない事を自己正当化)におそらく気づいていて、それが理解できないし、もどかしいのだろうな。少なくとも周りの女子よりは「大人」だが、そうであるがゆえに、自分をそう見做さない高須に惚れる。だから「泣き叫べば救ってもらえるって思ってるやつは幸せ」なんだな。