サービス開始日: 2017-06-27 (3205日目)
ソラのうめき声とか力込める声とか勇ましさとか力強さが伝わってくるのはかなり良かった
ただバンクの時の声がかわいさよりだったのが気になるな……、ソラにどういう印象付けさせたいんだ?
未知の試合中はあんな楽しそうで負けたらあんな寂しそうで、そんな全力に永遠は魅せられた
それはまた早苗も動かした、高校で母親に柔道をやるなと言われていたけれど、それでも自分のやりたいを貫く勇気を道から受け取った
未知の無自覚だからこその全力がみんなを動かしていく、そんなアツい1話だった
だんだんと二人の特別な関係を知る人も増えて、二人が互いにそうとは言わずとも既成事実化は進んでいく
あとは想いのもう一押しだけ...
シビュラシステムによって、法律は不要になるだろうか?それが今回の問いであり、議題だった。
神の視座から愚かな人間たちに絶対的な裁定を下すAI、それがシビュラシステム。究極の客観性を携えたその支配システムは、私たちに汚れた人間の主観を一切排した答えをもたらしてくれる。その真実に疑いの余地はない。しかし、まだ根本的なことを語り尽くす必要はあるだろう。それが、正義の価値観だ。
外務省海外調査部現地調査隊、通称ピースブレイカー。かつての政府の飼い犬で、今は首輪の外れた狂犬と成り果てた組織。一体何が彼らをそうさせたのか。
そこには、日本が近隣諸国に仕組む略奪経済や国内の平和の代償にまき散らした世界紛争、ピースブレイカーたちを死ぬまで戦わせる体の良い駒として使った過去があった。そして、そんな不平等を生み出す陰に隠れた人間への復讐と是正こそが砺波率いるピースブレイカーの目的であり、正義であった。彼らが目指すのは歪んだ人為、正義の名により下される悪の暴露と天誅なのだ。
だからこそ、ピースブレイカーたちは神に祈る。正しくない人間と相対する絶対神のAI・ジェネラルこそが、真に平等な裁定を人々に下すものとなり、彼らを導いてくれる。そして、だから、彼らは聖戦に対する死の恐怖を捨て去って、自らの一切合切を捧げることができるし、人に科せられた原罪の赦しを得られる。
その具現化がディバイダー。神を憑依させてくれるその装置が、愚かな人間の主観と客観を分離してくれる。ピースブレイカーたちは脳に埋め込まれたチップにより、痛みの感じない兵士となり、犯罪係数も偽装できる。その上、彼らの預言者もといリーダーである砺波が各員の行動をハックすることができる。そんなピースブレイカーの戦い方は、まさに神とその預言者によって、人の弱さや汚れを排したものだった。
慎導篤志の経歴というのは、ここまで見事に成功を続けてきたものだった。なぜなら、彼は神になろうとした人間だったからだ。彼は正義の遂行のためであれば、容赦なく手駒を切り捨てる。事実、彼はピースブレイカーをおびき出すために、ストロンスカヤ博士が殺される結果を招き、さらにピースブレイカーに潜入させていたワシリー・イグナトフを不幸にも自らの手で殺さなければならない事態をもたらした。
慎導篤志は汚れた正義の執行者なのだ。それを正義ために必要な経費と見るか、正義を名乗るには許されない罪と見るかは揺れ動く価値の上にある。しかし、それでも、彼の正義が完全なる潔白な善でないことは確かだ。
でも、だからといって、彼を以て人間を絶対なる悪と定義できるだろうか?
慎導篤志は神になろうとした人間なのだ。いや、厳密に言えば、神は絶対なる正義という価値観のことである。だから、正確に言えば、彼はこの世に神なる正義をもたらす預言者になろうとした。それが意味するのは、正義の相対性と、神の不完全さ。
慎導が切り捨てた手駒も見方を変えれば、正義のために命を懸けた殉教者と言える。それに、神なるシビュラシステムではジェネラルを信仰することで犯罪計数を偽るピースブレイカーという異教徒を裁くことができない。そして、この後に訪れる真実として、シビュラシステムの目の届かない犯罪者たちに東京は蹂躙されることになる。
だから、常守朱は人とシステムを共生を叫ぶのだ。そうでなければ、人は人が生きる価値を失ってしまう。だからこそ、法という人による正義の価値観が必要なのだと訴える。それが、彼女の正義の在り方なのだ。
シビュラシステムは今回の事件を、慎導たちがピースブレイカーによる海外での破壊活動を命じた結果として砺波の離反を引き起こしたと結論づけた。すべて迷える子羊たる人間たちが全てを招いたのだとした。
だから、常守朱はシビュラシステム・局長を撃ち殺した。そして、その神殺しの事実と、それでもなお犯罪計数を低く保ったことにより、彼女はシビュラシステムを公然と否定してみせた。常守朱という人間の正義の価値観によって、シビュラシステムという神に敵対することを選んだ。そして、彼女は「他人の悪を疑い、自分の正義を疑え」と戒め、人間らしく自分のやり方で正義を問えと残された人間たちに道を示した。
彼女が慎導篤志や砺波告善と決定的に異なるのは、正義も罪も自分自身で背負うことにある。彼女は決して人を駒として扱うことも、人に責任を転嫁することもない。自分で選んだ正義だからこそ、その代償も全て自分自身の身で受けようとする。それが神やAIに自分の行動原理も価値観も委ねはしないということであり、それこそが彼女の言う人間の生きる価値なのだと思う。
神を殺した彼女は牢獄に囚われ、泣き声を上げる。それは決して自らの選択を悔いているからということなんかではない。自分の正義に伴う責任も痛みも苦しみも、一人の人間として言い訳せずに背負ったからこそ、常守朱は人らしく涙を流すのだ。
「おかげで俺は幸せ」
周のその一言が表したことには、真昼の料理こそが彼に幸福をもたらしたということ以上のものがあった。
きっと真昼はこんな私でも、幸せを知らなかった私にも周を幸せにできるんだというそのことに、これ以上ない幸せを感じて身悶えていたんだと思う。私と彼だけの繋がり、それを示す淡くて愛おしい1ページだった。
改めてこの大樹の村の暮らしを俯瞰するような回、やっぱり設定が緻密なだけにありありとこの村での暮らしが感じられるようで楽しい
そして、ルールーシーの子どもは一体誰の子なんだ………
真昼と真昼の父母の話
そもそも真昼の父と母は互いに愛し合ったわけではなく、真昼という子を産むつもりもなかった。だから、彼女はそうやって愛を知ることがなく、必要とされることのなかった。それが椎名真昼。
それでも、愛が欲しくて、報われないと分かっていても頑張ってしまう。その果ての姿が天使を演じる彼女だったように映る。だけど、それは本当の椎名真昼ではなく、みんなが求めるのはその天使を演じる椎名真昼のように感じて仕方なかった。
だから、たった一人、本当に自分を、可愛げがないところも好きだと言ってくれる周が、真昼にとって、ただ一人心から自分を解放できる相手となっていった。その告白が物語られた一話だった。
バレンタイン、真昼が周に贈ったのはオランジェット。そこに込められていたのは、「甘いものはあまり好きじゃない」という周の以前の言葉、真昼だけがそれを知っているという特別な味だった。
真昼にも分かった幸せの気持ち、それは家族との団らん。藤宮と彼の母と父と囲む食卓の味は真昼にとって初めてのものだった。
初詣で真昼が祈った平穏な日常が続くことというのは、こんな幸せの日常のことだったのかもしれない。
クリスマスの2人、真昼の感謝の言葉に対する藤宮からの「俺は何もしていない」という返答に、真昼が重ねて返すのは「周くんには分からないとこで感謝していますので」という言葉。
それが意味するのはきっと当たり前なんだと思う。真昼にとっては当たり前じゃなかった当たり前を、藤宮がくれた。こうしてクリスマスを誰かと一緒に過ごすこともそうだ。そうやって、藤宮が真昼にとっての当たり前になってくれた、そのことに対するありがとうだったんだと思う。
シビュラシステムとビフロストの対決、軍配が上がったのはシビュラシステムの方だった。また、それは同時にゲームの勝ち負けという二者択一の価値観ではなく、善悪という多面的で多様な価値観の勝利でもあった。
だから、梓澤はシビュラシステムに拒否された。最も正しくありたい、この世で最も崇高な神になりたいと願った彼のその理想はあっさりと残酷にNoを突き付けられた。
彼は神が優れているから、自分自身もそうなりたいと願った。そして、自らの能力の優秀さを示そうとした。だが、それ自体が間違いであった。正負の二分法の価値観で存在を測り、二者択一の道という独善的な梓澤のやり方は、シビュラシステムの価値観とは真っ向から対するものだった。
シビュラシステムが真に求めるのは、正負を超越した多面的な判断の価値観であり、それはまた慎導であった。彼が免罪体質であることはもちろんその要件であるが、それと同時に犯罪者を梓澤すら殺さずに償わせるというその価値観こそがシビュラシステムに求められる理由だったようにも映る。
自分自身の価値観で正義を切り拓く、その生き方こそが正義に適うと。価値観を自ら規定しようということこそが正しい価値観となるといったように。
彼はまたシビュラシステムの一部となる資格を持ちながら、そうなることを拒否もした。なぜなら、シビュラシステムとしてではなく、慎導灼として正義を規定し、正義を執行するためだから。そんな風に彼の姿は見えていた。
分析官の言葉が印象的だった。今までずっと安全圏からサポートをすてきて、心のどこかで現場に出たいと思っていた。一方で、犯罪計数が下がっているという話、だけど、いざ外に出ると思うと怖くなってしまう。結局、私は臆病だった。
でも、ここで自分の命を懸けて、前線でみんなを助けられたら変われる気がする。堂々と外に出て、自分で選択した人生の中で生きることがきっとできる。
まさに、自分の意思で直接道を選び取る生き方の自由さと、そしてそこに求められる勇気の象徴を表す分析官の決意だった。
公安局を襲撃する梓澤、彼の行動の本質は分岐点を作ることだと言う。彼自身は何も手を下さない。ただターゲットたちが置かれた状況の中で、いかにシビュラ的になって生き残るのか。それをほんの試すことだけが、梓澤の成していること。
敷かれた道を行くだけの者は早々と死に絶え、己の道を求める者だけが、シビュラ社会の中で存在を確立できる。そういう意味では、全ての起点であり、全てと関わらざる梓澤こそが最も己の道を行くシビュラからも自由な存在なように映る
公安局を襲撃する梓澤、彼の行動の本質は分岐点を作ることだと言う。彼自身は何も手を下さない。ただターゲットたちが置かれた状況の中で、いかにシビュラ的になって生き残るのか。それをほんの試すことだけが、梓澤の成していること。敷かれた道を行くだけの者は早々と死に絶え、己の道を求める者だけが、シビュラ社会の中で存在を確立できる。そういう意味では、全ての起点であり、全てと関わらざる梓澤こそが最も己の道を行くシビュラからも自由な存在なように映っていた。だから、彼はシビュラシステムにはなれなかったのかもしれない。
分析官の言葉が印象的だった。今までずっと安全圏からサポートをすてきて、心のどこかで現場に出たいと思っていた。一方で、犯罪計数が下がっているという話、だけど、いざ外に出ると思うと怖くなってしまう。結局、私は臆病だった。でも、ここで自分の命を懸けて、前線でみんなを助けられたら変われる気がする。堂々と外に出て、自分で選択した人生の中で生きることがきっとできる。まさに、自分の意思で直接道を選び取る生き方の自由さと、そしてそこに求められる勇気の象徴を表す分析官の決意だった。
シビュラシステムとビフロストの対決、結局、軍配が上がったのはシビュラシステムの方だった。また、それは同時にゲームの勝ち負けという二者択一の価値観ではなく、善悪という多面的で多様な価値観の勝利でもあった。
だから、梓澤はシビュラシステムに拒否された。最も正しくありたい、この世で最も崇高な神になりたいと願った彼のその理想はあっさりと残酷にNoを突き付けられた。彼は神が優れているから、自分自身もそうなりたいと願った。そして、自らの能力の優秀さを示そうとした。だが、それ自体が間違いであった。正負の二分法の価値観で存在を測り、二者択一の道という独善的な梓澤のやり方は、シビュラシステムの価値観とは真っ向から対するものだった。
シビュラシステムが真に求めるのは、正負を超越した多面的な判断の価値観であり、それはまた慎導であった。彼が免罪体質であることはもちろんその要件であるが、それと同時に犯罪者を梓澤すら殺さずに償わせるというその価値観こそがシビュラシステムに求められる理由だったようにも映る。自分自身の価値観で正義を切り拓く、その生き方こそが正義に適うと。価値観を自ら規定しようということこそが正しい価値観となるといったように。
そして、彼はまたシビュラシステムの一部となる資格を持ちながら、そうなることを拒否もした。なぜなら、シビュラシステムとしてではなく、慎導灼として正義を規定し、正義を執行するためだから。そんな風に彼の姿は見えていた。
海の街の商人の元締めとの取引、なんだかすごい円滑だったように見えたが....
例のごとく商人の内心は超ド級のモンスターたちに囲まれている状況なわけで...、様式美と化しつつあるが、でもやっぱあっちとこっちのテンションのギャップがおもしろい
そして、Bパートはドラゴンと脱衣麻雀
ハクレンの声が幼さのある堀江由衣さんみたいな声だと思ってたら、伊藤かな恵さんでした
ていうか、ラスト、魔王軍すら怖気つくこの村を落とそうなんて軍勢が...どうオチるのか楽しみ
突如、現れたのは藤宮の母。嵐のような勢いで、友達以上恋人未満の二人の関係を恋愛関係にこじつけていく...。触れたら溶けてしまいそうな二人の繊細な関係だろうがなんだろうが容赦ない勢いに笑うしかないというか、おもしろすぎた。
その一方で、藤宮母が気付かせてくれたこともあった。それは名前呼び。真昼にとってそれは自分の親すらしてくれなかったこと。でも、今は藤宮が「真昼」と呼んでくれる。それはもう、真昼にとって藤宮が家族以上のものであることを示すようであった。
そんな少しずつ進展する二人の間に次に差し込まれたのは、カギだった。藤宮母からの避難用に藤宮が真昼に渡した家のカギだったが、藤宮は真昼に持っていて良いと言う。もう言い訳できないくらいに二人はお隣さんや友達以上の関係だ。
すると、必然的にクリスマスの過ごし方も変わってくるもの。真昼にとってクリスマスといえば、一人寂しいものしか知らなかった。だけど、今年は藤宮が一緒にいてくれる....、と思ったが、藤宮の友人カップルにお隣さんが真昼ということがバレてしまって....。
タッパー詰めの夕食を食べさせる、そんな真昼と藤宮の関係は、いつの間にか真昼が藤宮の家の台所で出来立ての手料理を振る舞うような関係になっていた。
だからといって、そこに特別な感情が生まれたわけじゃない。それは、まるで恋愛関係から恋愛感情だけがすっぽり抜け落ちたような関係。
色恋とかそういう感情を抜きに、助けてあげたい尽くしてあげたいとか、それに喜んでくれた笑顔が嬉しいとか、そういう素直で純粋な二人の間の感情の発露が二人を繋いでいる。二人に恋愛感情がないからこそ、二人はここまで近づくことができた。
だから、真昼にとって藤宮は初めての人。真昼にとって、誕生日とは知らない人たちがプレゼントを渡してくる日で、だから嫌いな日でもあった。でも、今年の誕生日、プレゼントを渡してくれたのは藤宮だった。
それは真昼の誕生日を初めて嬉しいものにしてくれた。その理由は、藤宮は真昼にとって知らない人じゃないから。それは真昼にとって言葉以上のことを意味をしているように映った。初めて自分自身を真っすぐ見てくれた、実は可愛げがないところも良いと言ってくれた、天使なんかじゃない椎名真昼として私のことを見てくれた初めての人が彼だった。
ラブコメはラブコメでもどういうテイストで来るかいうとこで、予想通りコメディ要素は薄め、だがロマンス要素がさほど強いわけでもなさそう...
微妙に張り詰める緊張感がどう転ぶのか、直感だとロマンス方向に振れると思うし、そういうものを天使様には期待しているのだが、うーん
主人公の藤宮くん、どこか冷めた視線を持ちっていて、生活が崩壊し気味なところがあって。でも、それが天使様こと真昼の琴線に触れたようで。
藤宮は真昼のことを天使様とからかいはするが、他の男子のような視線は持たない。どころか、可愛げがない、でもそんなところが接しやすいと言う始末。そんな初めての扱いに天使様はただの女の子にされてしまったのかもしれない。