細かいことは抜きに、美術やプロップのデザイン等、映像を見ているだけで結構シヤワセな気分になれてしまう。黒星紅白氏によるキャラは言うまでもなく。
べへモスの巨大さとか、こうして映像化されると「倒せるかこんなん」感あっていいなあ。特に美術まわりが、自分の貧弱な想像力を軽く超えるしっかりさで描かれており、「こんな感じなのか」という驚きがあって目に楽しい。
エルの、ことロボットに関しては自重とは無縁なイッちゃってる感もちゃんと表現されていて、満足。初めてロボットを操縦してテンションが上がりまくるシーンは、エルの高揚感がグゥエラリンデの動で表現されているのに唸る。
次回は、いよいよこの作品の本筋ともいうべきロボット開発。楽しみ。
黄瀬美甘のトイレシーンがあったので神回。
OP、イントロでまさかと思ったら、本当に作曲が渡辺宙明先生でしたよ! クレジットの文字サイズの大きさが、実にアナログ放送っぽい。いっそアスペクト比は4:3にして、音声はモノラルに……はやり過ぎじゃよね。
物語も、特撮ヒーロー物に対するリスペクトが感じられて、悪くない。ギャバンのOPの歌詞や、ストロンガーの名乗りといった小ネタの使い方は、特撮ヒーロー物の脚本も手がけている荒川稔久氏のセンスだろうか。
原作は「小説家になろう」版を既読。原作は、ロボットに乗って戦うことよりも、ロボットの開発に重きを置いているところが、ユニークな点。なので、アニメ版でもそのバランスは大事にして欲しいところ。第1話とその直後の特番を見た限りでは、期待できそう。
原作では、第1話のラストに登場したべへモスとの戦いまでに、かなりの分量があるのだが、アニメ版では大胆に省略。原作通りにやると、主人公がロボットに乗るのが1クール目中盤、専用機が完成するのは最終話、ということにもなりかねないので、妥当な判断だと思う。異世界転生物は、主人公がひたすらスキルアップに勤しむ幼少期が続いて、活躍できるようになるまでが長かったりするし。
ロボットの描写は、質感もいいし、重量感のある動きもいい。操縦席に乗り込んだ際のセットアップとか、操縦桿の動きとか、ロボットが動く原理や機体の構造や運用を意識したカットがそこここにあって、メカ物としてイイ感じ。
キャラデザインも好み。エルって、原作は小説なので当然エルの顔は見えなくて、言動が完全にロボットオタクのおっさんだったけど、常時顔が見えて声が聞こえると、だいぶ印象が変わるなあ。
ロングショットで大勢がバラバラに動くような手間のかかるシーンも丁寧にやっていて、見応えがあった。
次回も楽しみ。
「冴えない彼女の育てかた」以外では久々に、タイツの陰影がグラデ処理されている作品を見た。EDでは黒タイツ越しのパンツも堪能できるし、黒タイツ描写を目当てに見続けられそう。
メテオラさんやりたい放題だな!
あ、メテオラさんの容姿は今回のよりもいつもの方が好みです。
総集編ではあるのだが、作者の世界に自分が創作したキャラが現れる、というこの作品のコンセプトからすれば、こういうメタな回も当然あってしかるべき、という気もする。
アルタイルのキャラデザインに対する愚痴には、力いっぱい頷きつつ笑ってしまった。真面目な話、今のアニメはキャラの線が多過ぎると思うので、もっと減らすべきだと思うです。
設定やキャラについては一切説明しない、ファン以外を全力でふるいにかける作りだったが、自分はその方針を肯定したい。尺は短いが、ファンの一人として満足度の高いシリーズだった。一年ぐらい続けてくれればいいのに。
受け手が欲しいところに抜群のコントロールで投げ込んでくれるので、FAガール達のかわいさを心置きなく堪能できる、そんなシリーズだった。
つまり、バーゼかわいい。
まさに、これなんてエロマンガ?な展開。
ただひたすらに紗霧がかわいい最終回だった。脚本・演出・作画・色彩設計・声……使える物は全て使って、渾身の力で紗霧のかわいさを描き出して見る者に叩きつけてくる、そんなフィルムだった。一視聴者として、幸せである。
ラスト、自室の窓を開けて友人に手を振る姿が、物語当初とは変わった紗霧を象徴していて、思わず目頭が熱くなった。シリーズを締めくくるに相応しいラストシーンだったと思う。
最後がいつもと少しだけ違う、最終回だけのEDもよかった。
女の子達を魅力的に描くのだというスタッフの気合が伝わってくる、またそれが高いレベルで達成できている作品だった。ああ、楽しかった。
人として恥ずかしいことではありますが、正直なところを申し述べますならば、颯太がいったい過去の自分のどういった言動に責任を感じ悔いているのか、自分にはわかりませんでした。
あれでしょうか、いじめを見過ごすことはいじめに加担すること、ということでしょうか。
しかし、あのとき颯太に何ができたかというと、何もできなかったと思いますし、何かしたとして、それが良い結果をもたらす保証などなかったと思うのです。
あるいは、何もせずにセツナから逃げたことでしょうか。
しかし、他人の病んだ心の問題に首を突っ込むことは、よほど自身が頑健でなければ、病人がもう一人増えるだけではないでしょうか。最後に自分を守るのは自分だけ。自分を他人の犠牲に供さないために逃げるのは、責められるようなことではないと思うのです。
颯太はまだ若いですから、「自分にはもっと力があるはず」と思ってしまうのも、自分の過去を振り返れば、わからなくもないのではありますが。