本日の夜実況。
キュアグレースの深掘りがされる、涙なくして観られないシリーズ屈指の良回と思う。
それにしてもキュアグレースである。プリキュアとしての動機があまりにも強い。強すぎる。
自分をプリキュアに選んでくれたことに、ヒーリングアニマルたちに対して「ありがとう」と言った前回の台詞。その真意の種明かしが回想によって行われる。のどかはリスクとは無関係に、なんの打算もなく、心の底からプリキュアになりたかったのだ。「正義を遂行することに強い依存心があり、精神的に危うい」という見方はもちろんあるだろう。
強すぎる正義感が、のちに大きな失敗の原因になる。その種まきが既に始められていて、むしろ「構成の上手さだなぁ」と感じる。
夜実況は今日からヒープリ。多分3周目かな?
グレースは自分の最推しキュアなので、その変身回となれば興奮せずにはいられない。
目の前の子犬を救う為にヒーリングアニマルと取引じみた交渉を行い。
ヒーリングアニマルにプリキュアになる覚悟を問われれば、「いくらでも」と答え。
交渉が成立したら、プリキュアとして戦う危険を承知しているはずなのに「ありがとう」と答え。
「ありがとう」ですよ?
プリキュアになることをこんなにも強く望んだ、ガチすぎる主人公がいただろうか?
この回はえりかファンには有名な「とうとう来ちゃったかな、あたしの時代が」の回だけどw、それは置いといて。
久川綾生誕祭として視聴した。
ゆりさんは強く凛々しいけど、初期の回はそれが行き過ぎてトゲトゲしている。それもそのはず、強い言葉はガードに過ぎず、むしろ弱さの裏返しであるという真相が覚醒回からもわかってくる。
人付き合いに不器用なところがあり、それだけに脆いのがゆり。彼女の素顔(言い換えれば「ダメなところ」)の方に魅力を感じるという意図で、生誕祭の題材として選ばれた回がこの回。
前回(41話)では子供の扱いがやけに上手なお姉さんっぷりを見せたゆりだけど(これも意外な一面)、同じ団地に弟のような友達(ハヤト)がいたからだったという種明かしはなかなか面白い。
この回でゆりは数え切れないほど「お姉さん」「憧れ」と言われるけどもw、こと恋愛に関していえば、実は年下のハヤトのほうがだいぶ成熟している。自分よりもゆりのことを案じていたハヤトに好感。
キュアマジカル生誕祭に、あえてこの回を選んでみた。もちろん、選択を誤っているわけではない。
はーちゃんを失ったあと、それぞれの身の振り方が描かれるのがすごくいい。娘のカラ元気が心配になったみらいママは、娘の力になって欲しいと、娘の親友であるリコに委ねる。まずこのシーンがすごくいい。
みらいのことを託されたリコは、魔法の勉強の為に魔法界に帰ると言い出した。みらいが元気をなくしている根本原因ははーちゃんが行方不明であることであるのは間違いないが、「はーちゃんを見つけられる様に、魔法をもっと上手く使える様になる」というその決意が凄まじい。「魔法が苦手なんて、もう言っていられない」という本気を感じる。
みらいから離れることになるこの選択も、最後にはみらいを元気づけることになるというのか。なんと責任感の強い真面目な子なんだろうと、リコのことがそれまで以上に好きになったのがこの回だった。
今日から毎週、番組が継続していたテイで1話ずつ観ていく予定。
ちょっと巻き展開に感じるけどそれは原作や旧アニメを知っているからで、改めて観ると独立したエピソードとしては、特に拙速なわけでもない。
一方でアニオリ要素もちゃんと入ってて、既読勢にも楽しめるものになってる。船上でドラゴンブレス。大惨事ww
ちゃんとした感想を書かねばならない使命感はもうないのでw、今後はリラックスして書きます。
小松未可子生誕祭として視聴。
マァムの勇姿やみかこしのシャウトがキレキレで素晴らしい。惚れ惚れする。
ザムザは満足したと言って散ったが、それは案外本心かも知れない。
ザボエラは息子に向けるような愛情を一切持ち合わせていなかったけど、ザムザの成果への評価は掛け値なしのもので、それはザボエラから得ることができた称賛としては最大限のものだった。
本日の夜実況。
後ろが少したるむハピチャだけど、最終回は良く締まっていて好き。戦闘はよく動き、見ごたえ十分。
フォーエバーラブリーと化したキュアラブリーが、レッド神を笑顔で折檻している見ていると、微妙な恐怖を感じるけどw
劇場版「人形の国のバレリーナ」のゲストヒロイン、つむぎがちらっと登場。
台詞はないが、なんとランニングをしている!現実世界では歩くことが出来なかったあのつむぎが、元気になったんだね…と。ここは泣くところ。
たまたま縁があった人と出逢って友達になる。偶然だからこそ縁は尊い。
高いところから適当に放り投げた「愛の結晶」が、たまたま命中した子はプリキュアになる。これは初回エピソードの回収。
運命論的な、粋な締めはすごくいい。
本日の夜実況。
最終盤、「愛が憎しみに勝ることを、暴力で伝えようとしている」面白い画づらにどうやってもなっちゃってるんだよねw
フォーエバーラブリー変身のシーンが熱い。今日の「良い」はこ、のラストシーンに対して。
フォーエバーラブリーのコスは、キュアラブリーの基本フォームをより神々しいものにリデザインしたような感じ。あまり好きになれなかった終盤の展開で、フォーエバーラブリーのキャラデザは「好き」と言える数少ない要素のひとつだった。
本日の夜実況。
ミラージュ戦(43話)以降の展開が苦手だったけど、この回、改めて観るとすごくいい。成田さん直々の脚本だけはあるね。
キュアラブリーは自分なりの言葉で、拙い言葉で愛の再定義を行った。
誠司がブルー以上に大切な存在であると気付き、誠司への「一緒に生きていきたい」というプロポーズじみた言葉まであったw
ところでプリキュアのパワーアップには、「精神的な成長のタイミングで行われる」という原則がある。
ラブリーの言葉には自身の成長を示す十分な説得力があり、イノセントフォーム覚醒や、次回のフォーエバーラブリー覚醒はこの回にこそ行われるべきだったと思う。
小ネタでは、キュアフォーチュンと闇誠司が空手で戦うシーンがエモだった。
本日の夜実況。
ハピチャは何度かリピートしているけど、闇落ちしてグレた誠司を観るのはいつもつらい。
本放送の放送は新年の初回だけど、年明け早々に放送したのがこの鬱回かw
めぐみにとっての誠司は、たまたま縁のあった幼なじみだけど。
特定の誰かを救いたいという私的な(それだけに強い)想いこそが、身の丈に合ったプリキュアの正義。ミラージュ戦(43話)以来の最終盤、その様な原点回帰は感じる。
本日の夜実況。
プリキュア名物、クリスマス台無し回。クリスマスにいつもろくな目に遭わないプリキュアたちが気の毒すぎて、じわじわくる種類の面白さw
誠司が敵に回る展開、個人的には観ててつらい。
誠司がグレちゃうつらみとつり合うほどの見返り、つまりはめぐみの「気付き」はもたらされるのか?
宮本佳那子/キュアソードの生誕祭、その後夜祭とでも。
「この回はキュアソードの担当当番回である」という持論によって選ばれた。
「運命からは逃れられないが、ただ流されるだけでない強さを持ちなさい」というおばあさまの助言だったはずが、真逆に解釈してしまったキュアエース。
そして、誤った道を驀進するキュアエースを止めずに、むしろ焚きつけるいい大人であるジョー岡田。(CV: 櫻井孝宏)妙にタイムリーな展開だなw
繰り返しになるけど、和解できるはずのふたりが戦わねばならない狂った状況を、ひとり冷静に俯瞰しているキュアソード。
なりふり構わずマナに助けを求める、キュアソードのその叫びが胸を打つ。
それにしても、王女はレジーナと亜久里の戦いを審判しなければならない、善悪どちらにも肩入れできない中立の立場のはずだが。
「現実は正義の味方だらけだ。いい人同士が殴り合う。それがこのクソッタレな世界の真実だ」
吉松の例を挙げるまでもなく、声高に正義を掲げる輩がそもそもうさんくさいって話かも。もっとも、物語の中の暑苦しい正義も、それそれで自分は美味しく頂くけれども。
バディものということで、プリオタの自分にとっては「ふたりはプリキュア」(無印)と重ねて見る機会も多かったこの作品。本当に守りたいものは正義ではなく、隣人や日常だったということかな。そんな、20年前の名作との意外な接点を感じた。
Bパートラストのちさとの台詞「よし行くぞ、相棒〜!」が、自分にとってはこの作品を締めくくる言葉だった。ワイハーは笑うところw
本日の夜実況。
成田さん本人が手がけているだけあって、めぐみが失恋に泣くシーンの作画や台詞回しはすごく良い。
一方、アバンのブルースカイ王国に平和が戻ったシーン、ここはせめて国王王妃がひめを労う心のこもった「台詞」が欲しかったところ。
上手く言えないけど、失恋が世界の破滅であるかのような世界観に微妙な寒気を感じる。
クイーンミラージュの失恋が世界を破滅に導いたから、この作品世界ではある意味間違いではないことだけど、失恋そのものはみんなが経験しているありふれた出来事で、みんなそれを乗り越えて成長しているわけで。
めぐみには神やプリキュアのようなマジカルな力ではなく、人として普通に失恋から立ち直って欲しいものだけど。
めぐみが言っていた「イノセントな想い」が「奇麗事すぎる」ことが、遂に問題にされ始めているのかも。
HUGプリのプレジテントクライにも少し似たにおいを感じる。奴の憎しみは、少なくとも劇中では「民衆の悪意」という極めて抽象的な概念に対してのものあるという描写になっていた。それは「生身の人間が果たしてこんな、抽象的な憎しみを持つものなのか?」という軽薄さにつながっていた。
宮本佳那子/キュアソード生誕祭として、1日早いけど視聴。
プリキュア全話のなかで、この回が自分の最愛の回であることはそうそう簡単には揺るがない。
歌唱シーンや特殊変身はタナカリオン最高の仕事であり、もちろん素晴らしいけれども。
この回を繰り返し観ているうちに、「レジーナの為に自分は何ができるのか?」と自問するAパート。むしろ、真面目で誠実な真琴の姿に感情を揺さぶられる様になった。
全ての事件が解決し、ちさとの命以外の全て解決したかと思われた矢先のラスト。
「ラストがまるまる後日談とは、1クールものにしては贅沢な構成だな」と、一瞬でも思った自分がアホだったw
逆転に次ぐ逆転、目の回りそうな急展開。
その様な急展開の連続の中でも、憤怒の形相でたきなが発砲を続けたシーンが特に印象に残った。
その表情とは逆に、根底にあるのはちさとへの愛情。やはり自分の推しはたきな。
バトルでは、真島の異常な聴覚を逆手に取った冒頭が面白かった。
スマホの着信は、ふたりのアイコンタクトの様なものだっただろうか。
たきなの突入シーンにしびれた。
ふたりはプリキュア(無印)42話を思い出した。
キュアブラックは涙を流して、バディとの再会を喜ぶ以上に、離れていた苦しさをぶつけたが。
かたやバディのピンチに颯爽と登場したたきな、イケメンすぎて惚れるレベル。結婚してください。
似ているようで違うシーン、どちらもすばらしい。
本日の夜実況は、ハピチャの実質的な最終回w
涙の紋をはじめとした様々な暗喩や仕掛けがあり、今でも新しい発見があったりする密度の濃い回。
シリーズ構成として難があるかも知れないけど、ラブリーの覚醒はこの回であったほうが自分は納得できた。
「誰も不幸にしたくない」という青臭くはあるが魂のこもったラブリーの言葉は、これこそがラブリーが初めて見せた、真にイノセントな想いであると感じた。
本日の夜実況。
3幹部たちのそれぞれの動機が明らかになり、プリキュアたちが各々説教をする構図。
ナマケルダが本当に面倒くさかったのは、人と関わること。コミュ障を克服してきたキュアプリンセスの担当。
ホッシーワはお菓子だけでなく、価値あるものを独占したい。平和主義者キュアハニーの担当。
オレスキーは「1番になり」名誉を得たい。空手の有段者であり、求道者でもあるキュアフォーチュンの担当。
「結局みんな、人間関係をこじらせたただのコミュ障だったのだろうか?」とまとめてしまえそうで、3幹部はずいぶん卑小なキャラクターになった。プリキュアたちの成長を見せることは逆にできていて、今回の「良い」はそのあたり。
ドラマのあった前回(41回)とはエピソードの順序を逆にするべきだったと、この回を見る度に思う。ゆうゆうのキャラも、前回から少し変わってしまっている気がする。あと、作画は微妙w
「私に決めさせてくれて、ありがとう」
何かを隠すことで、誰かが幸せになることはないのであると。
そして、この国の暗部も洗いざらい、すべて暴かれようとしている。
ヨシさんの救世主という物言いがちょっと引っかかった。
救いたいのがちさとではなく、世であるとすればなんたる独善。この作品のことだから、この少しイラッとする言葉選びもあえて行われたのだろうな。
Bパートのたきなに激しく心を揺さぶられた。
プリオタだからバディには弱いのです。
本日の夜実況。
この回については、もう特に言うことはないかなw
これでもかというほどの、しあわせの再定義。ハピネスチャージ。
ジャンプコミックス37巻(最終巻)収録分。
遂にこの日がきてしまった。最終回である。
実は自分、大魔王との決着がついたあとの騒動を蛇足と感じている。この最終回は原作の忠実な再現であって、その意味ではアニメ版スタッフは最高の仕事をしているが、原作最終回がそもそも蛇足であった為に、残念ながら「とても良い」評価はできない回になっている。
自分の「ダイの大冒険」という作品自体への評価はストップ高であり、通常であれば最終回が伝えるであろう様なメッセージ性を作品自体が持っていることもあって、最終回の出来で評価が変わるほどヤワなものではない。…ないのだけど、繰り返しになるが、結末にはあまり満足していない。
この作品の円満終了に十分と思われる、物語を畳む為のスケジュールが編集部から提示されたはずが、実際にはそのスケジュールでも不足していた為か、図らずも「打ち切られた」様な結末になってしまったのが原作の最終回であったと自分は想像している。
実際、最終回に至っても回収されていない要素は少なからずある。ポップ×マァム、エイミ×ヒュンケル等のカップリングが、最後まではっきりと描かれなかったこと?…いやいや、それももちろん大事だけどw
ダイは大魔王に「おまえを倒してこの地上を去る」と言った。(86話)ダイは果たして、本当に地上を去る羽目になったのかどうか?
ピラァの爆発を防いだことにより「閃光のような」生き様を大魔王に知らしめた人間たちだが、それは確かに人間の素晴らしさの表現ではあるけれども、「人間ではないダイが迫害を受けるかどうか」への答えにまではなっていない。モンスターたちがデルムリン島で暮らした後日談もあり、「やはりダイは、デルムリン島で生きていくしかなかったのか?」とも感じてしまう。
ダイは「キルバーン人形の処理」という想定されていたのとは別の理由で地上を去ることになったが、差別や迫害というもっと大事な問題は保留されたままだ。
「おまえを倒してこの地上を去る」と関連して、太陽に関連する重要な台詞がいくつかある。
バラン「今こそおまえも太陽になるのだ!仲間たちを、地上を輝き照らす太陽に…!!」
ダイ「太陽になって、みんなを天空から照らすよ」
どちらも、「文字通りの意味で」太陽になることを連想させる生々しい台詞である。決着の後、石化した大魔王の背後に見えた巨大な球体は、太陽ではなかったのか?ダイが太陽になると言ったのは「比喩ではない」という自説を、自分は連載当時から主張し続けてきた。
クロコダインの「生きとし生けるものにはすべて太陽が必要なのだ」から始まり。ダイの母ソアラは太陽に喩えられ、また、大魔王が最終的な目的としていたのも太陽を手にすること。太陽は、物語の中での存在感を徐々に増していった、隠れたテーマであったと言っていい。
自分はたとえ悪役に対してであっても、「こいつは悪党だけれども、言ってることは一理あるな」という共感は持ちたいと常々思っている。
若返って本来の肉体を得てからの真大魔王バーンがいささか軽薄なキャラクターになってしまっていたのは、「太陽とは何だったのか」というテーマにはっきりとした結論が出されなかったという理由もあるかもしれない。太陽について多く語られなかった為に、それを欲する大魔王への共感の余地がなくなってしまったこともあるのかもしれない。
アニメがリブートされると聞いた時、一番最初に期待したことは「太陽」問題の決着だった。原作で語られることのなかったこの問題への加筆を期待していたが、高望みが過ぎただろうか。原作を良くする為の改変を、ここまでの回でも積極的に行ってきた経緯があるだけに残念だ。
最終回は、その様な高望みを別にすれば十分な良回。物語全体としての総括は後日行う予定。
2回目視聴。
とてもまとまりの良い回だった。くまモンとのタイアップがあったにも関わらず、不自然なところもない。
(過去のシリーズを振り返って、今観ると厳しい芸人回もあることをを考えると)
特に良かったのはメンメン。メンメンはらんにとても懐いていて、エナジー妖精たちの中で、パートナーとの関係が一番よく描けているのはメンメンではないか。
また、今回明かされたいくつかの設定も興味深い。エナジー妖精各々が「麺占い」などの奥の手を持つこと、麺のエナジー妖精は麺料理のレシピッピたちのリーダー的立場であることなど。
Aパートでうんこネタで爆笑していたと思えない急展開。
たきなが有能すぎて惚れる。
ツンデレっぷりも美味しく頂きました。
冒頭、真島の似顔絵に吹いたw
オモシロシーンだけど、実は言うほど下手じゃないと思った。
あのちさとも、吉松の前ではいっぱいいっぱい。ただ事ではないと感じたたきなが、影ながらフォローする。
大人たちがちさとに向ける興味はあまり感心しないものばかりだが、ちさとのことを案じるたきなの情が暖かい。