歴史上の偉人と言われるとちょい疑問符がついてしまう人物である北条時行、そんな彼を主役にしてこれだけの物語を展開するなんてね
鎌倉時代の武士なんて倫理観も何も有ったものじゃなく死と戦いばかり。そんな在り方に反旗を翻し遁走する時行はそれこそ反逆の英雄と言った処か
この初回で誰が最も武士らしかったかと言えばやはり尊氏になる。武士団を率いて破壊の限りを尽くし天下に名を轟かせた
家臣の操り人形な高時や稽古から逃げ隠れる時行は武士らしくない。そんな者が武士の頂点に立つなら天下が崩されるのは必然の話
その必然に別の未来を見たのが頼重や邦時か
怪しい頼重の言葉を信じる根拠なんて平時は見つからない。それこそ武士の力が試される時でなければ
大量の武士に囲まれた際に時行が発揮した逃げ上手は凡人のそれとは違いすぎる。一つの刃も矢も許さず生き延びた彼は時代が望む存在と判る
史実を知っていれば彼がこの後どのような歴史を紡いでいくかは判ってしまうもの
けれど、その判りきった事実からも逃げ隠れてしまうのではないかと思わせる逸材には、彼がどのようにして英雄へ転じるのかと期待させる
早くも傑作の予感をさせる作品ですよ
扱い方の難しいお題目を難しいままに取り扱っている点が印象的
近年のアニメなら理解有る人物だけで環境を固めても違和感など無いだろうに理解有る人物を竜二だけにするなんて思い切りが良い
それだけに無理解のまま肯定的にまことを捉える咲が映えてくる
咲自身も多数派と言い切れるか怪しい点がある点は特徴的。そういった自覚無いままに同性と思われたまことに告白した。また、男の娘に興奮する特殊性もある
同様に竜二も多数派と言えない類である感じ
まことを肯定しない多数派から彼らは漏れていて、その中核がまことになるのかな
なら、まことが咲を振った際の理由が「好きな人が出来たこと無い」であるのは興味深い。多数・少数を背景としない振り方だから咲も「初恋の人になる」と諦めない姿勢を保てる
ただ、その諦めなさはちょっと力強すぎるね。授業中ですら話しかけてくるなんて(笑) 彼女の個性を現している
でも咲の諦めなさはまことを変えるものになりそうな
一時は諦めたハンカチやそれに結びつく想いを咲はスルスルッと掴んでみせた
まことと異なるその姿勢は早くもまことに影響し始めている。今は狭い範囲内で大事にするしか出来ないまことの在り方、それを共に育んでくれる人になりそうな気がするよ
異なる家族が一緒になる過程で、子供が家族を目指すわけでも恋の兆しが生じるわけでもなく、他人のままに互いの気が休まる妥協点を探ろうとしているのかな
その意味では悠太も沙季も自分が暮らしても良い家を探している。それを相手との関係の中に見出そうとしている
同い年の異性が家族に成るフィクションのような展開はけれど二人に興奮を覚えさせないのが印象的
一方で何も思わないわけではなく警戒は有る。だから試す発言をして相手の人間性を探っている。相手の居る空間が自分にとって安らげる場所と成るかを見定めようとしている
それでも同じ屋根の下に入ればどうしても緊張してしまう。それを和らげる一歩目が敬語の停止かな
通常、家族同士で敬語は使わない。敬語を使うならまだ相手を同居人と認めていないようなもので。だからちょっと背伸びをしても悠太は敬語を辞める必要があったのかな。仮初でもその瞬間に二人は家族っぽく成った
悠太はシニカルだけど冷淡ではなく、沙季を受け容れようとしている
その象徴がお風呂の温度やらノックの強さやら。直接聞けはしないけど、不快にならない領域を探っている
沙季の側の迷いも印象的。今は押すべきスイッチが判らない。でも試す内に判ってくる
今は扉を安々と越えられない二人がどのような擦り合わせの果てに丁度良い関係と成るのか気になる第一話でしたよ
猫が店員のラーメン屋とか、その時点で設定勝ちな気が
ただ、本作の良さはそれだけじゃなく、例えばあの猫達を人間に置き換えたとしても人情物として成立するだろう点だね
前の職場では人間扱いされなかった。そんな珠子が新しい職場で人間でない者を世話をして人間扱いされる不思議で温かい光景
猫が店員をしているなんて有り得ない光景。でもそれを現実に擦り合わせようとしているのだから面白い
猫毛の注意に保健所がどうやら等々、中途半端に現実的だからこそコミカルで面白い。また、その完璧ではない現実さは人情味溢れる猫店員の態度から来ているのかもしれないと思えるね
労働条件通知書に雇用保険料、雇い主なら当たり前の義務だけど、誰もが当たり前を出来るわけじゃない。当たり前の対応してくれるという事は、相手をきちんと人間として扱っている証拠でもあって
だから珠子は涙を流してしまったのかな。当たり前の対応にこそ人情味が詰まっている
そう考えるとハナが珠子に厳しいのもきっと人情味
コネ採用なんて当たり前とはちょっと違う。更に珠子は猫に応じてブラッシングを変えていなかった。それは相手をまだ観れていない証
その意味では未熟なのだけど、逆に言えば珠子はこれからあの店で学ぶ事が沢山あると言える
そのような温かな当たり前を感じられた初回だったよ
人間四ノ宮功とカフカの戦いは次第に怪獣同士が激突する様相へ
それが最終的に功を圧倒するに至るのは本質的に功が人間であり、カフカが人間では無いから
でも強さだけでその存在が何かは測れない。それが表現されたEPとなったね
功を一方的に蹂躙し始める姿は正しく怪獣8号、人類の敵そのもの
けれど、カフカがそれだけの存在でない点は同期が示してくれる。レノを始めとして誰も彼もカフカは人間か怪獣かなんて問題にせず、彼を信頼できると訴えている
そしてカフカ自身がミナの信頼に応えたいと思っている。ならカフカが何者かなんて答えは決まりきっている
常識や前例では有り得ないカフカの救済。でも、カフカの心に触れた者だけが彼の無罪を確信できる。それはミナであり、功であり
人を救う事を一心に考える、その心構えは誰よりも防衛隊に相応しいかもしれない。でも彼が怪獣である事実は変えられず
人に認めさせる、認められる程に強くなる。カフカにもレノ達にも課せられた茨の道がどうなるのか続編が待ち遠しいね
泉志帆の心の奥底に迫るEPとなっているのは良いのだけど、その分だけひまりと依のカップル成分が減る点が気になってしまう…
ただ、そう思う程にはローレライ結成の経緯は強烈。志帆に勝ちを与えぬままに世を去ったキョウは別の意味でも天上の存在。彼女へ届く音楽を奏でる為に志帆達は人生を懸けているのだと思えたよ
存命中は親しくなんて出来なかったのに、キョウが何も言わなくなってから一番心を明かせる相手になった。それは志帆にとって生きていても死んでいても彼女が自分の人生を構成する支柱になっているとの感覚か
似た感覚を持っていたのが百々花かな。キョウの恋人だった彼女は今でもキョウが人生の支柱になっている
勿論それは妹である始も似たようなもので。そんな同志だからキョウに届く音楽を一緒に奏でる事になった。でも、肝心のキョウが故人なのだからコレほど痛みに満ちた行為は無いように思える
だというのに、志帆には更なる痛みが潜んでいたなんてね
ひまりと違い叶わなかった一目惚れ、その感情がゴミ箱に捨てられる様は余りに哀しい
バンドの曲が思ったよりも評価されていない。受け入れ難い現実を前にした仁菜達の選択は良い意味でも悪い意味でも斜め下へ突き進むものになったような
「私は間違ってない」と叫んで反抗を続けた仁菜が迷いながらも到達したのは誰もが間違っていると直感できる正しい道だと思えたよ
低調な曲に対バンの客入り差、トゲナシとダイダスの間にある明確過ぎる評価差は絶対評価と言えるのか?仁菜は自分達の曲は良い曲だと思う。でも、世間で同様に感じる人は少数派
仁菜は間違っていてヒナは正しいのか。仁菜はヒナに誤りを認めなければならないのか?
まあ、そこで頭を下げるくらいなら仁菜はロックに成らなかったのだけど
同様にダイダスに頭を下げて同じステージを演るなんて有り得なくて
商業音楽としてそれは間違ったこだわり。押し潰されそうになる仁菜は間違いの象徴かもしれない
でも、そんな間違ってるのに間違ってないと反抗する仁菜に智や桃香達は惹かれた訳で
トゲナシは自分達が間違ってないと叫ぶ為にロックを奏で道を突き進んでいる
始まる前から負けが判りきった勝負にそれでも魅了された少数派の為に奏でられる『運命の華』はトゲナシがこれまで歩んだ道そのもので、「私は間違ってない」の叫びの先にある輝かしい何かを掴む為の唄
終わってみれば始まりに至った物語。この若々しい煌めきの続きをまだ見ていたいと思えるような素晴らしい最終回でしたよ
日比野カフカは人間か怪獣か?誰もが頭を悩ませる問題に日比野カフカの性格や行動を見て信頼を掲げるレノを始めとした面々が温かい……!
仲間達が信頼を寄せてくれるなら、カフカも信頼を返さなければならない。防衛隊員に相応しいと認められる、それこそが最も必要でカフカの原点
そうした信頼が描かれたからこそ、それぞれの遣り方でカフカが戻れないかと尽力する様子が描かれるのは良いね
特にキコルなんて父親に頼るのは嫌だろうに…
それでも結局はカフカは人間なのか怪獣なのか、そして誰にとっても信頼できるのかという点が問題になってくる。それはカフカにした証明できない
だとしたら、四ノ宮長官による暴虐はどのような意味を持つのかな
カフカは防衛隊に相応しい人間性を証明したいのに向けられる怪獣のような暴力に拠って怪獣性が露わになる。彼を観察する者達の前で披露されてしまうのは人間カフカか怪獣8号か
彼にとって重要な分水嶺となりそうだ
最終回なのに導入が悪魔召喚な展開はちと心配になったが、それは森太郎の周囲が悪魔召喚より奇怪な状態になっていると知らしめるものになったようで
それでも、天使に雪女に吸血鬼に河童とカオスを極めた状況も彼女らの心根が普通の少女でしか無い為に危うさよりも穏やかさを感じ取れる作品になっていると再認識できましたよ
ファンタスティックに過ぎる面々の集いを見た後に描かれるのが実在する観光地でのデート模様とはギャップがある。けど本作は森太郎ととわの出会いから始まったのだから、二人の交流へと収束するのは当然なのかも
また、お金を払っても良い思い出としたい森太郎と費用の高さを気にしてしまうとわという性格の違いから来る雰囲気を楽しめたのは良かった
他にも第一話を思い出させる描写が
間違った方向に進みそうだったとわの手を掴んで彼女を導く森太郎、地上にやってきた時のように空飛ぶとわ。これらは新たな場所へ向かう為でなく、二人の家に帰る為の行為
そうして舞い戻った日常で二人は心温かなワンルーム暮らしを続ける。派手さが無いからこそ感じ取れる穏やかな作品でしたよ
亜季の前とひまりの前で志帆は全く違う顔を見せる。もし、そこに仲違いの一因があるなら、ひまりが知る志帆の感情を明かす事で対立が収まるかもという発想は判るけど、双方の感情はそう簡単に収められるものではなかったようで
むしろ、ひまりが前に出る事で彼女も対立構造に取り込まれてしまうのは良いのか悪いのか…
けど、ひまりが構造に入った事で志帆の心情がより多彩に映る印象が強まるね
亜季や依では引き出せなかった志帆の内面、ひまりが知るそれは彼女を悪人にせず音楽に対してひたむきな少女なのだと感じさせる
一方でこの構造は依に嫉妬に似た勝利欲を引き出させるものになったようで。そう思うとひまりは人から感情を引き出すのが巧い人間と言えるのかな
そうして引き出された感情を元手に依が学祭で勝つ為の新曲を作ると宣言するのだから、ひまりとの出会いが依を大いに変えたと思えるね
他方でひまりが気にするのはローレライが今の形になった経緯。志帆から様々な感情を引き出したひまりは三人の音楽性があのような激しさを伴う感情を知った時、どう行動するのだろうね?
曲を世に発表する段になって強調されたのは、内的な戦いと外的な戦いの混在だったような
曲を自分達の満足行くよう演奏する、バンドとして目指す場所を明確にする。これまでトゲナシがしてきたのは己との戦い。でも、対バンや再生数が絡むならそれは世界との戦いになる
その乖離に仁菜が向き合う時が来たわけだ
ライブ評価をエゴサするのはダイダスと争っているようで居て、それを気にする己との戦い
内的な戦いは悪い事ではなく、それを繰り返してきたからトゲナシは契約に至り、曲発表まで辿り着いた
特に己を誇示して世界と戦ってきた仁菜にとって、戦いの先にこのような光景を見られたのは自分が間違っていなかったとの確信を得られるもの
仁菜以上の戦いをしているのが桃香かな
一度は戦いから逃げた彼女だからこそ、デビューは力が入る。「これでいい」という納得に落ち着けない
そこで彼女に力を授けるのが仁菜になるのは良いね。桃香を戦いの場に戻した仁菜だから発せる背中を押す言葉、それはトゲナシの指針になる
内的な戦いをするトゲナシに突き付けられた対バンは外的な戦い。結果が決まった勝負はダイダスだけでなく業界との戦いでもある
これに己との戦いを持ち込むと仁菜のように「逃げたら負け」なんて発想になる。戦い続ける彼女の姿は美しく応援したくなるが、世界はそんな彼女の姿を知らないわけで
突き付けられた世界の返答、この結果を仁菜は受け止められるのだろうか?
千明のソロキャン模様を見ると一人時間の過ごし方って個性が出るなと改めて思ったり。昼間は良い過ごし方だったのに、夜になった途端に妙な体験談になるのだからギャップが有る
一人だと長い時間をどのように味わうか工夫できる。皆と一緒なら時間をどう味わったかを共有できる。そう感じられた最終回だったかな
お花見キャンプ前半は飯テロ…なのだけど、いつもと異なる趣向が素直に羨ましいと思わせてくれない(笑)
カエル肉って怖い物見たさで食べたいようなそうでもないような…
また、ジンギスカン鍋は美味しさよりも犬山家驚きの真実によるインパクトが強い。嘘吐きを何年間も騙す嘘って凄まじい(笑)
お花見の本番はまさかの夜になってから
けれど、これまでに撮った桜の写真を持ち寄る事で時間に囚われないお花見となる。特になでしこの写真はその極地だね。一瞬の写真でありながら時間経過を味わえる
そうなれば、自分達が身を置く時間すらも意識する。野クルを部活にするというのは楽しい野望
時間を意識すれば、リンが思うのはなでしこを誘う件だけど、別に自分が口火を切らなきゃいけない訳が無くて
なでしことの会話で無限に出てくるキャンプ案はどれも楽しそう
でも、物語はここで一旦終わり。暫くはこの寂しい時間を味わいつつ、再び彼女らと再会できる時を楽しみに待ちたいと思える最終回でしたよ
挑むに当たり欠けていたのは何だったのか、挑んだ末に欠けたものは何だったのか
長い旅の目的であるゼニスを前に表出したのはパウロとルディの違い。それはどちらも何かが欠けている為に生じる差異
けれど、あの激闘を最後まで見た時、パウロは欠けてはいけないものは全く欠けていなかったのだと思い知らされたよ……
生死不明のゼニスを目撃してからのパウロとルディの心情は真反対
パウロはみっともなく取り乱しているが、ルディは逆に落ち着きすぎている。パウロは冷静さが欠けていて、ルディは親愛が欠けている
でも人は一つの要素だけで語れるものじゃなく。パウロは情の厚さに満ちている。だから落ち着けば仲間への感謝や親としての覚悟を示せる
パウロが言った「死んでも母さんを助けろ」は確かに親の台詞ではない。けれど、戦いの終盤を見れば全く逆の覚悟も持っていた事が判る
パウロは死のリスクを負っても息子を助けた、そして助かった息子を見て笑みを浮かべた
駄目な父親だと嘆く彼は確かに色々欠けていたかもしれないが、親として持つべきものを全て満ちていたのだと判る…
似た事はリーリャにも言えるのかな
彼女は冒険に着いていく事は出来ないしアイシャ妊娠の経緯も倫理的に宜しく無い部分はあった。けれど、アイシャを守り育てたし、パウロの死を知った直後に嘆くよりルディを抱きしめる事を選んだ。彼女も親として満ちているのだと判る
なら、息子として様々が欠けているルディは親としての全てが欠けてしまったゼニスをどう親に戻してやるのだろうね…
相性最悪の巨大怪獣を前に限界を超えても戦い続ける保科の姿には驚かされた
そこには諦めを勧める言葉に反発する中で培った根性があるのだろうけど、それ以上に防衛隊員として守る為には引くなど許されないのだと彼の誇りが見えたよ
保科の誇りが独り善がりにならないのは偏にミナの存在が有ってこそ
保科に不得手が有るようにミナにも不得手が有る。それは向き不向きでなく、守る為に求められる役割・能力の話。だからミナの到達は保科の勝ちになる
そして続々到着する隊員が己の役目を果たす事で防衛隊全体の勝ちへと繋がるわけだ
でも、彼らは所詮人でしか無くて。10号の奥の手は怪獣の能力の具現
それに匹敵するのは人間でない役割・能力を持つカフカしか居なくて
人々を守る防衛隊を守る為に自らを顧みず危険に身を曝してみせたカフカの侠気には感動を覚える
そんな彼に向けなければならない銃口の哀しさが際立つラストでしたよ…
こういう話を見る度に主要キャラにお金持ちが居る作品は避暑行事等に無茶苦茶が出来て便利だなぁなんて思ってしまう
まあ、見方を変えれば特殊に過ぎる家庭環境に生きるひすいは他者との隔絶が存在する人物と言える訳で。それだけにオカ研の集いで友人達と境無く遊べたのは良かったのかな
特にひすいにとって最も壁がある対象は男性で。それは蔓深家が森太郎の登場に驚愕した点から察せられる話
一緒に海で遊んで名前で呼ばれるようになって、最後は小さな境を隔て混浴。壁が有った筈の象徴である男性の森太郎に、勇気を出して異なる環境に飛び込み多くを手にしたと嬉しそうに語る彼女の姿は心温まるものでしたよ