Annictサポーターになると広告を非表示にできます。
とても良い

アンナがゆっくり出来そうと評する若さの少ない街。それは音楽を失った際に活気すら失ってしまったのではないかと思える程
けれど、旅人であるタクト達の訪れによって若さと音楽、そして生の歓びが彼らに齎される。ロードムービーとして文句のない内容だね

運命やタクトは変化・成長し続けている。運命は冗談が言えるように成り、タクトは皆の前で明るく演奏できるようになった。それは歩み続けているからであり、若さを備えているからであり
タクト達が持つそれらは訪れた街にて、人々に振る舞えるものとして描かれている点は印象的

朝雛ケンジの音楽に触れ人生は素晴らしいと感じたジョーも今はただ生き永らえているだけと寂しげ
それをタクトは生きているから自分の音楽を聞けるのだと豪語するね。そして素晴らしい音楽を聞いたジョーはタクトの中に朝雛ケンジの音楽が生きていると実感できたわけだ

アンナを娘と勘違いしたサリーの時間は止まっている。でも、そこに運命が居た事で彼女の時間は少し変化したのかな
何もない道を呆然と見ていた際のサリーからは生の歓びは感じられない。けれど、運命と甘い菓子や活気ある話を分かち合う中で運命の幸せを感じ取れるようになった
最後、ソファーで眠るサリーは安寧を取り戻したかのよう

今回は何よりも、運命がタクトの音楽を好意的に受け止めていた点は意外だったかな
それはコゼットと異なる受け止め方。けれどコゼットと同じようにタクトの音楽に魅せられているのだと判る

これから何でも書ける無地の五線譜。同じようにタクト達の旅も無限の可能性に満ちているのではないかと思えたね



良い


とても良い

大攻勢、急襲、モルフォにより迫る確実な死を前にして、死をどう受け止めるかという点が描かれているね
誰も彼も死を受け止めきれないから憎しみの対象を必要とする。その中で憎しみより誇り有る死を口にするシンエイ達はやはり異様に映る

敵を憎んでも意味を成さないなら身近な異質を憎むしか無い。かつては哀れな被害者とされていた86が今では化け物と呼ばれる哀しさ
ニーナの手紙、仲間の恨み節、罵声、更には死者の声……。前回は戦いに呑まれ、狂い始めたように見えたシンエイが実はそれらによって追い詰められていた側面も有ったと知れる描写は強烈

それだけに死国へ近づく彼を引き止めたのがレーナの声であったのは本当に良い流れに思えた
スピアヘッドの仲間達の声は誇り有る死を願う死神を肯定しても、生に引き止めてはくれない。かといって既に居ないレーナの言葉はシンエイを生かしてくれないし、戦場から逃げられる訳でもない
だから「さよなら」するしかないか……

憎しみの環境にて他者を恨まず、憐れまれるより恨まれる方がマシだと激怒する86達は異質と言う他ない
でも、幾つもの死に背中を押され生き残ってきた彼らは既に止まれない処まで来ているとも言えるのか
何時になく激しい口調になって理想を語ってみせたシンエイの姿にはハッとさせられる

でも、彼らが自身の異質さを受け止めきれていない部分が描かれているのも良いね
シンエイが声を荒げてしまった姿もそうだし、セオトが何でも「86だから」で済まされる事に寂しさを覚えてしまったのも

死地を抜けた筈が別の死地に赴く羽目になったスピアヘッド。何とかしてレーナと再会する道はないものか……



良い

予備校編に入ってから他人と比較する描写が増えた本作。今回は自分を誰と比較するか、比較の際に相手を決めつけていないかという点が中心に描かれていたね
八虎が天才と考え引け目を感じる世田介と桑名。その二人だって自分と誰かを比べているようで

クリスマスにケーキは一休みかと思えば、それも課題。決めつければ痛い目に遭う
前回は自分の描き方を決めつけてしまった事で評価を下げた八虎、今回は逆に自分を下に見過ぎているかのような描写が目立つね
八虎がそんな風だから、隣に立つ世田介や桑名のスタンスが明白になってくる

世田介は自分には美術しか無いと考えている。だから何でも持っていて、絵への理解力を上げる八虎が羨ましく、劣等感を覚えてしまうのだろうね
それでも八虎は素直に自分の感情を口にして、素直に世田介の言葉に喜ぶのだから余計に堪らない。世田介に未知の感覚を与えている

桑名は姉への劣等感を持っていたようで。そして意識するあまり自分から姉の絵に近づけ、似ているという認識から抜け出せなくなっていたのかな
自分は姉より劣り、落ち込む者を見て心を整えていた。それでは自分を嫌いになる
そんな桑名の特性を見出して絵を評価した八虎の言葉は彼女を慰めたようで

八虎は世田介と桑名に対して嘘のない憧れを口にする。だから他人と比較して自分を決めつけていた二人にとって衝撃を与えるのだろうね
八虎は自分を天才ではない、武器を持っていないと決めつけてるけど、既に自分だけの誰にも無い特性を持っている気がするけどな
彼が受験日までに気付くことは有るのだろうか?



普通

暗殺者に必要な諸々を手に入れていくルーグ
それが必ずしも暗殺技術や力でないのは面白い。父はどちらかと言えば、人間性を重視しているように見える。ルーグもこれに応えるべく暗殺者以外の面で成長を見せていると感じられる描写が多かったね

象徴的だったのはロナハが突っかかってきたシーン。ルーグは相手を捻じ伏せるけど、ルーグの父は強さは重要でないと語る
それを証明するようにルーグのアフターフォローこそ重要。もしもの力として騎士のロナハを勧誘している
そういった見極めが出来る人間性こそ暗殺者として求められるものかな

そんなルーグが次に手に入れるのは商人としての資質ですか
それも必ずしも暗殺技術に繋がるものではないが、人間らしさの育みに繋がる経験
既に異なる人生を歩んでいるルーグが更に体感する別の人生。暗殺者の本分は失わないままに彼の人生は華やかなものになっていくね



良い

ワルキューレ含め登場した新キャラ達はどこかテンプレ感に満ちた言動が見えるけど、それは他者をチェスの駒と捉え枠に収めようとするシントラーが居る事で余計にそう感じるのかな
それにより、逆に枠に収まらないタクトと運命が際立って見えるように思う

シントラーは中ボス的な黒幕、ワルキューレはチョロイン的なツンデレ、地獄は狂キャラ的な底知れ無さをそれぞれ感じる。それらは枠に収められそうな人物像
反面、外壁を破壊して外に出る運命も組織への従属を拒むタクトも枠に収まらないタイプだね

枠に収まらないから、戦場でも敵そのものを狙うのではなく戦場を壊すという戦術が取れる。枠そのものを破壊する
また、自分達を枠に収めようとする動きに反発するのも印象的。運命を兵器扱いしたシントラーに反発したタクト。コゼットが変質した運命を彼がどう捉えているか、明確な描写はこれまで少なかったけどその一端が見れたね

ただ、地獄は狂キャラらしい狂キャラだけど、本当にその枠に収まっているのかと疑問に思う。運命の目を欲しながらすぐに諦め、タクトにはワルキューレと契約すれば良いと真っ当な助言をした。どこか底が知れない……

何はともあれ、規格外に翻弄されるアンナは少し可哀想だ(笑)



とても良い

ルディが思い付かなかった点、至らない部分がまさかの形で提示される胸の痛い回
これ、視聴者もルディの不作為が気にならないノリが続いていたからこそ、この回で突きつけられるあまりにも当たり前な事実の数々が衝撃的に映るんだよね……

ルディは別に大変な思いをしてこなかったわけではない。1年以上も見知らぬ土地でエリスを守ってきたのだから
でもルディ以上の苦難を味わってきた者達からすれば、それは余裕があるようにしか見えない。また、これはルディへの期待が高かったからこそ、それが反転されてパウロの怒りに繋がった面もあるのだろうね

母よりシルフィを心配してしまったように、転生者であるルディは家族や領民への愛が足りてないのではないかと思えてしまう。
ノルンがルディに逆らって父を庇う姿が描かれ、ルディから目を逸らす捜索団の姿が有るからこそ、ルディが家族や領民を全く心配していなかった事実が浮き彫りになってしまう

打ちのめされ、過去のトラウマも蘇ったルディは不出来な人間である自分に直面したかのよう。更には守ってきたつもりのエリスから慰められてしまう始末
異世界でルディを形作ってきたものが足元から崩れてしまったような逆転の構図。それでもここから本気出す事も出来る筈
ルディがここで終わってしまうのか、ここから始められるのか。これも一つのターニングポイントになるのかな?



とても良い

今回は神回か!マジで迫力が凄すぎたんですが!
想定以上の大攻勢という絶望的な状況に対して、前線で縦横無尽の活躍を見せるノルトリヒト戦隊が格好良すぎる!
戦神と呼びたくなるシンエイの無双ぶりに惚れる。ただ、戦に呑まれておかしくなるシンエイに恐れも抱いてしまうが……

一般人にとってレギオンは屑鉄と呼ばれる程に無機質な存在。でもレギオンに宿る亡霊の声が聞こえるシンエイにとってそれは人殺しに似ているのかな。人殺しに塗れ過ぎたシンエイはそれこそキリヤと同じ
戦いの中で笑みを浮かべる彼は化け物めいている。雨によってその像がブレたように、人を辞めかけているのかもしれない

一方でレーナも重大局面に差し掛かったようで
共和国に迫る大攻勢。けれど、戦ってこなかった軍人は戦えないし、人間として扱ってこなかった86も信じられない。ジェロームがしたレーナのへの反論は国の総意と言える
生き残る力の有無ではなく誇りの面で共和国は詰んでいる

だからこそ86を信じ、この大攻勢に向け準備してきたレーナの存在が光るね
彼女は生き残る力を持っているからではなく、誇りの為に詰んでいない。8話において子供として見下されていたレーナは、子供でありながらジェロームと同じ目線に立ち理想を貫いた
誇りの為に戦いへ向かう彼女の女王陛下然とした振る舞いから目を離せないね



良い

受験日程が明らかになり課題に向かい合う八虎。これは難しい時間だね
好きな事として絵を描きたい。その為には藝大に受かる必要があって、合格水準に達する絵を描けならなければならない。初期衝動が薄れていく
前回は死語と切り捨てられた『受験絵画』が纏わり付いているかのよう

目の前の物を切り取って描いてきた八虎にとって、見えない物を描くのは苦手で望んだ方向性ではない。でも、受験の為には必須技能
苦手で課題の攻略法が見えないから迷う。見えない答えは八虎の描き方すら駄目にしていくね

壁にぶつかったタイミングで森の絵やそれと出逢った感動を思い出させるイベントが有ったのは良かったね
大学では森に逢えなかった。けれど、方向性は変わっても主張が一貫した森の絵は八虎に初期衝動を取り戻させるものになっている
森の絵に込められた祈りが八虎の向かう道を教えてくれる

自分が何を得て、何と出逢ってきたのか。それを思い出した八虎の絵は良い物になったね
けれど『受験絵画』からは抜け出せていないから、結局良い描き方をそのまま答えとしてしまっている。
受験と好きの間で苦悩する八虎に世田介からの連絡は何を教えてくれるものになるのかな?



普通

ルーグが求めた優秀な助手、それが女神の手引によって見つかった上にルーグを完全に慕う状態へ
この辺りはちょっと都合が良すぎる感が有ったけど、暗殺業に無関係の少女を巻き込む為にはこれくらいの強引さが無いと難しいのかもしれないな、なんて思ったり

一方で洗脳完了なんてほくそ笑むルーグを見ているとイケオジだった頃のニヒルな彼は何処へ…?と寂しく思ってしまう部分はあるのだけど、それ以上にルーグを心底信頼して全てを預けるタルトが可愛すぎるので、もうそれだけで良い気もしてきた



とても良い

平和になった世界が完成品であるならば、それを作り上げようとするシンフォニカは一種の作り手、人々がシンフォニカの苦労を知る事はない
果たしてタクトはそれに加わるのか?運命と向き合えるのか?コンダクターになる道もならない道も選べるタクトの分岐点を彩るよいエピソードになったね

タクトに様々を教えるレニー。でもラスベガスの裏で飛び交う悪事は教えなかった。それはコンダクターとしての完成形をタクトと運命に見せたいとの想いが有ったからかな。
D2を粗方倒しても悪事はなくならない、平和は未完成。未完成品をお客に見せることはない

作り続ける事が完成への道なら、知ることだって完成への道なのかも
D2の気配をコゼットを通じて知ったタクトは見て見ぬ振りせずにカジノ場へ。また、戦闘中もレニーの指導に従ってコンダクターとしての自分を作り上げていたね
そして遂にやってきた開演の合図!タクトと運命の関係が完成されたのだと感じられたね

第一話で完成されたタクトと運命の関係を見た視聴者に対し、特別に2~4話を掛けて提供されたのは関係を作り上げるまでの工程。どのようにしてタクトと運命が今の姿になったのかが描かれた
こうしてコンダクターとムジカートとして完成されたなら、次回からは再び旅の続きが描かれることになるのかな?



とても良い


良い

3つの規模で停滞からの進展が見られる回だったね
雨季が過ぎるのを待ってからの出発、ギュエスの中で変わるギレーヌへの印象、そして喧嘩別れしそうになったエリスとミニトーナの仲直り
どれも気持ち良い変化が感じられる描写となっているね

ギュエスの中でギレーヌの印象は停滞したまま。でも変わった後のギレーヌを知っているエリスにとっては納得出来ないギャップ
止まったものを動かすには刺激が必要。エリスを通して伝わるギレーヌの剣術、ルディから知るギレーヌの立場によってギュエスの認識が変わり、進展する様は良いね

そんなギュエスだから、停滞しかけたエリスとミニトーナの仲を取り持てるのだろうね
止まったまま別れる辛さを知っている。停滞から進展したからあの時何をすれば良かったか判る。
また、人生をやり直しているルディも戻れない辛さを身に沁みて知っている
二人の仲介を受けたエリス達が仲直りする様子は心が暖かくなるものだったね

雨季は終わってルディ達は再び旅路へ。村に留まる事は出来なかったけど、代わりに彼らを模った人形が残る事に。それは両者の絆がちゃんと存在し続けると示しているかのよう

ラストに幾つかフラグめいたものが有ったけど、やっぱりここからの旅路も安穏としたものにはならないんだろうなぁ……



良い

以前から連邦の人間が口にする理想論。それはシンエイ達を受け入れる土台と成ったけれど、所詮は彼らが彼らの為に用意した理想だからシンエイ達を真に慮っているわけではない
共和国とは別の形でシンエイ達の形を決めつける檻となっているね

軍規、形式、兵の統率。それだけを見れば連邦軍はそこまで大きな問題のない組織であるように見える
でもサインをファイドに任せ、異なる国からやって来て、規格外のレギンレイヴを乗りこなすシンエイ達には合わない風土。だというのに連邦は自分達が保護した哀れな少年兵いう意識がある為か、シンエイ達の都合は悪い意味でお構いなしになっている

その中でフレデリカはそこまで連邦の理想に染まっていないように見える。それは理想に染まりすぎて破滅したキリヤを知っているからだろうか?
自分を守る騎士として連邦軍を殺し過ぎたキリヤは可怪しくなり、終いには死体ではなく王族を示す衣装を見てフレデリカは死んだと思い込んだ
これで滅んだなら、フレデリカが死を与えたと言えるのかもしれない

連邦を形作る理想
けれど、グレーテの説明シーンから判るようにシンエイ達は連邦の主張にそれ程耳を貸していないようで。代わりに気にしているのはレギオンの襲来。彼らはあくまでも生きる場所を戦場と定めているね
だからこそ、逆に戦場を生き延びた先を想像できずに居る

エルンスト、フレデリカの言葉から先の未来を想像するのではなく、過去の思い出を想起したシンエイはまだ過去に囚われた人間のままなのだろうか?だから今もショーレイと自身の関係をフレデリカとキリヤに見てしまっている?
どちらにせよ、全ての為には生き残る必要があるが……。レギオンの大攻勢ではまた多くの命が消えることになりそうだ



とても良い

予備校に通い始めた事で八虎の絵や人格が講評棚に飾られる如く他者と比較される話になったように思っていた。でも、考えてみれば、批評・比較されているのは八虎だけでなく他の生徒達も皆同じなんだよね
それが見えてくる内容は見事

異様な行動を繰り広げる浪人生。でも、あれも一つの工夫。他者より目立ちたいとの意志が感じられる試行錯誤
あの遣り方そのものは八虎が目指す方向ではないが、参考には出来る
その結果の絵が評価されるのは気持ちいい流れ。その一方で低い評価に終わった者の背中が寂しいが……

他者と比べられる環境だと様々な要素を気にしてしまうのかも
単純な実力差、一位のジンクス、受験絵画。それは予備校の中だけでなく藝大においても同様なのかもしれないと感じられた

また、文化祭のシーンでは3つの視点で藝大の作品が鑑賞されていたね。純田達の視点、世田介の視点、八虎の視点
作品が批評・比較の対象にされるのは当たり前だけど、一方で批評する者の視点も批評の対象になっているのは印象的。世田介は自分が切り捨てた作品を八虎が判らないながらに考察を深める様子に劣等感を抱く
でも、作品があらゆる人に理解されないように、人柄も全員から理解されるわけではない

その憤りを全てぶつけた八虎の最後の絵は素晴らしかったね
八虎は余裕が有るわけではない生活で藝大一択。それは正しく生きるか死ぬか。彼にとって合格とは他の受験生を殺すようなもの。だから絵も激しくなる
知識も技術も少ない八虎は不利。でも、それ故に有利な面もあると知れる大葉の言葉。八虎はその絵で何処まで生き残れるのかな?



普通

前回ラストではディアが実力差を見せつけたように思えたのに、間を置かずルーグの実力が披露されるのは爽快感が有るね。でも、勇者暗殺の任務や前世の慎重さにより強大な力を持っても奢った様子が見られないのは良いね
……それにしたって金属を代償無しで生み出してしまうのはやりすぎな気がするけれど

魔法を教えに来たのに、術式を書き出した辺りから共に魔法を探求する立場に。だというのに新しい魔法を開発できるとワクワクした表情を見せるディアの純粋さは気持ちいいね
他では味わえないだろう貴重な経験。短い期間であってもディアにとってルーグが掛け替えのない相手になったのだと判る描写だったね

暗殺者としては充分過ぎる心構えを既に持つルーグ。けれど、ルーグの父は「人間らしさは暗殺に必要」と教えるんだね
忠誠を誓ったのに道具として処分された前世を持つルーグ。この世界で力だけでなく心も学ぶ事になるのかな?
いずれ人間らしさを備えた時、彼はどのような暗殺をする事になるのだろうか?



とても良い

死んだ筈のコゼットが蘇りD2相手に無双。それはどう考えても普通ではない
事実を把握して前に進もうとするタクト、少しでも運命の中にコゼットを見つけようとするアンナ、2人の動揺を意に介さない運命
三者三様で統一感のないリアクションが事態の異質さを強調しているね

パーティーみたいな豪勢な食事を客人が用意するこれまた普通でない食卓で語られるのはD2との戦いの経緯、運命が普通でないムジカートである点
時間を掛けて語られるこれらはタクト達が以前と異なる世界へ既に飛び込んでいると受け入れさせるものになっているね

異質さの中心に居るのは運命なのだけど、それと生命共同体になっているタクトも普通でないものに成りつつ有るようで
使命の為にD2殲滅を何より優先してしまう運命はタクトの都合もお構いなし。一方でタクトも自分の為に戦いを止めろとまでは言わない。自分の家を壊す許可まで与えてしまう

こうまで普通でない2人に対して、何とかして運命がコゼットに戻る可能性に縋るアンナは良い意味で普通の女性
家やこれまでの人生を捨てるように普通を捨てたタクトと運命と共に旅するアンナの存在が2人にとって僅かばかりでも日常の居場所となる事を願ってしまうね

それにしても戦闘シーンはぬるぬると激しく動いていて素晴らしいね!
特にD2相手に高速移動を連続して刃を振るう運命の躍動感とか、タイタンが射撃の反動で後方に浮く動きとか、とんでもないこだわりと注力を感じさせますよ!



普通


普通


良い

お家紹介なノリの冒頭に始まり、長閑な村風景を映していたら火事からの急展開。それが解決したと安心してもラストに予想外にも程があるショッキングな展開……
なんて容赦なくこちらの心を揺さぶってくる作品なのだろうね

中空の牢に閉じ込められたルディ。後の描写から判るように脱出そのものは簡単
何故ルイジェルド達を待つのかといえば、森に迷うのを恐れた他に手順を踏もうとしたからだろうね
ルイジェルドによって無実を証明、牢から合法的に解放、そしてデッドエンドは善行を為したと評価されるため

森が火事になれば逃げる。それは順序として誤りではない。獣族とは無関係だし
それでもルディが獣人を助ける事にした経緯が面白いね。自身を正義とは思わない彼は助ける理由として「恩を売る」と言っている。
恩を売る為に助ける。そういった順序を用意して救援に向かったわけだね

ただ、恩を売っても回収できないなら順序を外れてしまう。ルディは自分の命を捨ててまで助けられはしない。
そこで聖獣の犬が助けに来たのは良い展開。犬はルディに助けられたからルディを助ける。そんな助けが入ったからルディは正義感気取りに戻れる、戦いへ向かえる

ルイジェルド達と合流し冤罪が消えれば獣族から感謝されるのは当然の流れ
何もかもが手順を踏んだ順当な展開。同様にエリスを守り家へ連れ帰ることができれば全てが解決するだろうと思ってしまう。
だからこそラストに驚かされる。最早、エリスを連れ帰ってもハッピーエンドにはならないんだな……



良くない


良い

戦う相手もシンエイの立ち回りも変わっていないのに、彼の呼び名である死神の意味が変わっている点が印象的だった
スピアヘッドでは仲間を死んだ後も覚え連れて行く役目として死神と呼ばれていたけど、連邦では死を呼び集める者として死神と呼ばれているように感じられたな

再び現れたファイドはスピアヘッドの始まりから終わりまで全てを見た存在だった。そんな彼が戻ってきたのはスピアヘッドの再興であるように思える
でも、中心となるシンエイの役割は大きく変わっているね。誰からも記憶されない86だからこそ、シンエイは名前を連れて行く必要が有ったけど、連邦兵士相手にその必要はない

シンエイが死神として忌み嫌われる分、マスコット扱いされるフレデリカの立ち位置が際立つね
フレデリカのようなか弱い少女なら守りたいと思う。それが兵士たちの戦う理由になる。
一方でシンエイがかつてスピアヘッドで担っていた役目はフレデリカに受け継がれた感じだね。帝国の遺児である彼女は全ての兵士を記録・記憶しようとしているのだろうか……

ユージンが最期、シンエイに死を願ったのは彼が死を運んでくれる人間だからなのだろうな。そしてシンエイも彼を連れて行く約束はないからドッグタグは自分で持ち帰らない
連邦の人間からは見えてこず、86にしか共有できないシンエイの戦う理由。連邦での死神の役割が明確化する中、共和国で存在した断絶が連邦でも別の形で出現しそうだ……



普通


良い

予備校に通い始めた八虎。そこは美大を目指す者ばかりだから競争心を掻き立てられる。でも、競争における判断基準が一つだけではないから様々な苦しみに直面する
実力、感性、好きの方向性。八虎の苦戦が描かれていたね

デッサンを通して世田介と自身の間に大きな実力差を見てしまった八虎。そこにあったのは才能の差だけど、努力で超えられないとまで思わない。だから悔しいと歯噛みする
そう捉えるのは世田介と自身がある程度似通ったものを持っていると感じているからなのかな?

見た物を素直に描いてきた八虎にとって、自分の絵という方向性で八虎の先を橋田の絵は迷いを抱かせるものになっているね。また、美術館に飾られる絵の良さもすぐには判らない
ただ、橋田とは絵の方向性が異なるから彼への悔しさはそこまでではない。むしろ彼の言葉によって新境地が開かれるまであったね

八虎にとって一番悔しい競争相手と言えるのは龍二なのかもしれない
好きを契機に絵描きへ進む八虎にとって、周りを気にしていないかのように自分の好きを主張し続ける龍二の姿は苦手と感じてしまうもの
でも彼への理解が浅いから、好きが叶わなくても抱きしめられたなら良かっただろうと捉えてしまう

でも、龍二にとってそんな形の優しさは自分の好きを認めてないのと同じ。集まってくる女子も同じ
好きを訴え続けても受け入れられない龍二はつまり、傷つきながらも無理難題に挑戦し続ける者。それは一部で八虎と結びつく部分がある。だから龍二と話して自身のレベルの低さに気付いてしまう

幾つもの競争を通して実力を高めつつ、自分の絵や好きを定めようとしている八虎
そんな中でひたすらに他人の絵を参考に描くのは正しいと言えるのかな?一種の迷宮に迷い込んでしまったようだけど、すぐに意見を求めたのは良いね
才能の差を感じた世田介が告げる本質。これを八虎はどう自分の絵に落とし込むのかな?



とても良い

前日譚。第一話で皮肉屋でピアノ馬鹿なタクトを見ていたせいか、陰鬱さを撒き散らす今回の姿には驚かされるね
でも、これも全ては人生に豊かさを齎す音楽が世界から失われてしまった事と関係しているのだろうな。音楽を守ろうとするあまり、己の人生を失いかけていた

コゼットがウザ絡みするようにタクトの世話を焼き、外で音楽を弾かせようとするのはタクトに自分の人生を取り戻させようとしているからなのだろうね
今のタクトの人生は薄い。今の生活が変わる可能性も想像できず、傍にいるコゼットの価値に気付かないくらいに

一方で世界が音楽を捨ててしまったから、タクトの人生の中核を成す音楽の価値も不鮮明になっている点は印象的
そう考えると、コゼットも実はピアノを弾けたというのは大きな意味を持っていたのではないだろうか。タクトを外に導いたのは実はコゼットの奏でた音が大きな理由だったのかもしれない

祭りで連弾した2人。それは世界に音を満たす行為となり、タクト本人にも生の歓びを注ぎ込むもの
直後、コゼットの音を止めてしまうD2襲撃は衝撃的だったけど、本当の意味でコゼットを別の存在に変えてしまう展開には絶句してしまう
終わらせない為に続けてしまったコゼットの人生。こうしてタクトと運命の旅は始まったのか……



普通


普通


とても良い

ロキシーが夢見る乙女だった点は驚き。貴方、それなりのお年じゃありませんでしたっけ?

一時的にはルディに近づいたロキシーだけど、どうやら本格的に擦れ違ってしまったようで。ただ、別方面からグレイラット家を探すなら、全員が揃うまでの時間が短縮されるとも考えられるのか

結果の為なら何をしても良いと過程を無視し擦れ違いかけた前回を踏まえての今回。過程と結果の整合性を取ろうとする動きが幾つか見られるね
思えば、ロキシーが最初の一人に出会う為にあんな夢物語を考えているのも、好きなタイプとの巡り合いに一種の整合性を取ろうとしているからと言えるのか

エリスに手を出さないように色々と我慢しているルディはちょっとエリスから誘いの声を掛けられても丁寧に辞退
以前の約束が有るし、彼の中でエリスは本格的に守る相手となっているのだろうね
エリスを無事に家に帰すという結果、その為に守り続ける過程。それらの整合性が取れているから我慢できるのかな

信念により獣族を助けようとするルイジェルドはその目指す結果の為にルディを巻き込む過程を避ける。ルイジェルドの中で整合性は取れているが、ルディは悩んでいたね
密輸人が人殺しなら自分も殺したって良いという整合性。けれど、それではエリスを守る整合性が取れなくなる
何を優先すべきか。そっと視線を逸らすルディは辛いね

本来は犬を助けるお手柄な役目。それがどうして密輸人と間違われてしまうのか(笑)
整合性の取れない理不尽な展開。ただ、ルイジェルドやエリスなどルディを助けるためなら大暴れする人員が控えていることを考えると、次回はかなり派手な展開になりそうな予感



良い

かのんの歌えない問題は第3話以降歌えてる事により解決済みかと思いきや、改めて掘り下げるね
Liella!は上昇志向が強いのか、ラブライブ優勝の為に出来る事は何でもしようという気概が感じられるね。それがリーダーへの荒療治に繋がる展開はちょっと意外性が有るけども

メンバーはかのんが何故歌えるようになったか理解しきれていないし、かのん自身も理解できてない。だから下見の時も気を落ち着かせなければならなかったし手を握って貰わなければならなかった
そういった意味では千砂都は友人として、かのんが苦しみの種を懐き続ける姿は思う所があったのだろうね

小さい頃からかのんは皆を引っ張り勇気を齎す少女だった。なら、かのんの手を引き勇気をくれるのは誰か?
昔の自分は「一人で怖かった」のだとかのんは知った。では今は何が変わったかと言えば「皆が居るからもう怖くない」。かのんが手を引いた仲間が今はかのんをステージに立たせてくれる

昔の、何も怖いものなんて無かった頃のかのんの言葉が今のかのんに勇気を奮い立たせ、そして昔のかのんが勇気を持てるように今のかのんは奮い立たせた。
それが念願のステージに繋がる。観客を前にして柔らかく歌い上げたかのんは本能の意味で恐怖を克服できたようだね
それを大きく喜ぶ千砂都の姿もとても良かったのですよ



Loading...