元康は何故ああまでして登場する度に株を爆下げしてくれるのか。第一話の頃はそれなりに格好良かったのに、いつの間にか笑えるけど不快なキャラに。
まあ、元康のやること成すこと全肯定して更に事態を混迷させるマインも大概だけど
どうしてこんな二人が組んでしまったのやら
尚文達はフィーロの傍にメルティの服が落ちていた為に、フィーロが食べてしまったのではないかと想像する。でも実際はフィーロの羽毛の中に潜っていただけ。これは少し前のフィーロの発言、「美味しそうな鳥だね」に起因する発想か。
ある意味、フィーロを何でも食べてしまう存在と判断し外側だけ見て中身を見ない考え方。これと似た思い込みは今回はそこかしこで発生する
尚文は幼い少女の見た目をしたフィーロと、同い年くらいに見えるメルティとの触れ合いをさせる。親心としてフィーロにはもっと近い年齢の友達を作って欲しいとの考えか。これは良い方向に働いたが、種族が違う二人の実際の年齢はかなり異なる
天使萌えの元康は少女形態のフィーロを求める。しかし、鳥形態のフィーロについては悪態ばかり。これもフィーロの外側だけしか見ないから同一人物だと全く気づけない
教会でシスターが粗悪な聖水を持ってきた際、教皇は改めて良質なものを持って来させるが、尚文がそれに感心することはない。盾だけ掲げられていない尖塔を見た瞬間から彼の中で教会を信用できなくなったから
町中で兵士に呼び止められた際も尚文は何も聞かずに逃げ出す。兵士に良い思い出がない尚文は相手が兵士というだけで信用する相手ではなくなる
そして尚文はメルティの話を途中で遮って打ち切ってしまう。彼にとって王族など全く信頼できる存在ではないから、同じく王族であるメルティの話を聞く気なんて毛頭ないのだろうね
盾の勇者と言うだけで差別されると憤ってきた尚文。だというに今度は彼が相手の肩書だけで信用できない相手だと判断するようになってしまった
第三者視点ではそれらは思い違いであろうことは推察できる。教皇はまだ判らないが、兵士は尚文様と呼んでいたし、メルティも神鳥の聖人ではなく盾の勇者と呼んでいた。
そろそろ尚文の人間不信を治す時が来たのだろうか?
信念は人を活かしもするし、殺しもすると感じさせるような内容だった
どろろの過去が明かされる今回。やはり目を引くのはどろろの両親、火袋とお自夜の生き様だろうね
侍に多くを奪われてきた農民だからこそ、俺達も生きてる人間なんだと教えるために侍だけを襲う集団を組織した火袋。それは明確な信念が無ければ出来ないこと
だけど、信念に従い戦い続けるのは非常に危ういこと。そう考えればあの時代で少しでも安全に生きる為に信念よりも利口さを選んだイタチを責めることは難しい
イタチに裏切られ、仲間が居なくなり、重症を負ったのに火袋は信念を変えない。あの状況なら野盗になり他人から食料を奪ってもおかしくないのに、彼らは信念を守り死者から食べ物を拝借するだけ。その生き様は地獄を彷徨っているかのよう
けれど、そんな火袋を殺すのもまた信念であるのも悲しい
火袋達によって殺された侍の生き残りは、火袋に再会した事で復讐を果たすことこそ自分の生き残った意味だと確信する。結局、その侍は返り討ちにするがそこから始まる乱戦によって火袋は命を落としてしまう
火袋が掲げた理想が回り回って火袋を殺してしまう
生き残ったお自夜も誇りと信念を忘れずに生き続けようとしたことが伝わってくる。時間が経つごとに痩けていくお自夜と変わらないどろろ。それでも彼女は以前どろろが言ったように身体を売るようなことはせずどろろを守り続けた。
彼女がどれだけの誇りと信念でどろろを守ったかそれだけでも伝わってくるが、最も凄まじいのは掌で雑炊を受け取るシーンか。単純に雑炊を分けて貰うだけなら、地面に落とすなど他の方法が有った筈。けれど、母親として農民として誇りと信念を捨てず、どろろを守ろうとしたお自夜はそんな方法は選ばない。
結局、彼女もその信念によって命を落としてしまう
けれど、それらの信念がどろろを強い人間として生かしたのも確かな事で。
戦なんかに負けねぇと性別を隠し、信念を抱えながら一人生き抜いたどろろは立派なもの。女であると知った事に口をつぐみ続けた百鬼丸の姿勢はどろろのそんな生き様への称賛の念が感じられるようだった
一方、疑念の果てに百鬼丸の足跡を掴んだ景光。彼の信念は自分の領地の為に百鬼丸を犠牲にした時から変わっていないように感じられる演出だった
緊急事態だろうと赤信号で止まる無免ライダーは褒めるべきか批判するべきか迷う…
前回の隕石の時点で兆候があったけど、この辺りから本格的にサイタマはラストアタッカーとなっていくようだね。だから今回の敵である深海の王が登場してもサイタマはまだ現場に到着することはなく、代わりに種々様々なヒーロー達が怪物に立ち向かう様子が描かれる
これを「どうせ最後にはサイタマがワンパンしちまうから他の奴が戦う意味なんて無いんだろ」と呆れてしまったら、それまでなんだけど、これはこれで大切な描写な気がする
サイタマはギャグ漫画の如く強すぎる存在でどんな敵だろうとワンパンで倒せてしまう。だからサイタマが主役のままでは、私達が本来ヒーローに対して抱く「どんな強い敵だろうと誰かを助けるためなら逃げずに立ち向かう」姿が本作で描かれる事はない
サイタマよりも深海の王よりも圧倒的に弱くても、誰かを助けるために現場に向かう無免ライダーや避難所に居たヒーロー達などはそういった本来のヒーロー像に近い気がする。そういった意味ではヒーローモノを扱う本作に置いて彼らの活躍はとても大切なもの
ただ、それはソニックが言うようにどこか正義ごっこの様相を呈しているのも確かな訳で。
本物の強者である深海の王には勝てない、それでも正義のヒーローとして立ち向かう彼らが稼いだ時間によって本物の強者であるサイタマが登場するまでの物語がこれから展開されるということなのだろうね
ただでさえヒーロー大集合状態だったのに、ここから更に数多のキャラクターが関わってくるのか。フィアンマによって空中に巨大な舞台が作られたことも相まって、本当にクライマックスと見紛うばかりの展開だね
登場早々から軽々しい態度をとるアレックスがこの作品に馴染めるのか、まだあまり見えてこない。それでも「相手の気持は聞かなきゃ判んない。自分の気持は言わなきゃ判んない」という彼の台詞はこんがらがってしまった夏生達の関係性を解決するには良いヒントになったようだね
相手が何を考えているか知るには推測するだけでなく、言葉を通じたやり取りは絶対的に必要になる
瑠衣が自分の気持ちに気付き始めたのはそれをマスターに相談したからだし、今回の自覚に至ったのは夏生がアレックスを紹介しようとする言葉に腹を立て、その後謝罪の言葉を聞いた上であれやこれやをしたから
それによって瑠衣は、夏生と同居を始める際に「出会った日にしてしまった事を忘れる」という約束を無意味にしてしまう。母親の再婚を応援するために忘れたはずなのに、今は自分の想いに真っ直ぐになりすぎて家族への配慮を忘れてしまう。だから陽菜にも見られてしまう
……だから反省してもうしないのかと思いきや、「暫く控えた方が」程度に収めようとする瑠衣は本当に自分の想いに真っ直ぐですね……。口に出して自分の想いを明確にしてしまった瑠衣はもう夏生と「家族」で居る気が無い事がありありと伝わってくる
陽菜は前回、夏生の告白を聞いた上で明確に振ったわけだけど、それによって夏生との距離感が曖昧になってしまう。瑠衣と夏生の行為を見たことでその傾向は更に強まる。瑠衣とは逆に、語らぬことで自分の気持ちを存在しないものとして扱おうとする
けれど、それはどこか子供っぽい遣り方。夏生に問い詰められて手を噛んで逃げ出したり、マスターに痛い所を突かれて言い訳してみたり。
でも陽菜はどうしたって大人だから子供に戻ることは出来ない。それが子供の葉大が差し出した飴を舐めることで擬似的に子供に戻ることが出来た。夏生に向かって子供が駄々をするように包み隠さぬ本音を曝け出すことが出来る。瑠衣への羨望、嫉妬心。でもそれを抑えなくてはという理性。
こういった本音は「家族」でも「教師と生徒」でも聞くことは出来なかっただろう本音。この瞬間に二人は境界線を跨いでしまったのだろうね
互いの想いを晒け合い、密かに手を繋いだ夏生と陽菜。瑠衣との事がまだまだ継続しそうなこと、ももや美雨の件も併せて考えると夏生の女性関係がとんでもない事になりそうな予感が……
ボスが使うキング・クリムゾンは理解するのが難しい能力だなぁ…。周囲は時間が飛んでしまい行動している間を認識できないが、使用者は相手が認識しない時間を体験できるという理解で良いのだろうか?
ボスは未来に潜む落とし穴を恐れる。その能力を使い、危険な落とし穴を避ければ己の人生が沈むことはないという信念を持つ。だから自分の能力を打ち破るかも知れないトリッシュの存在を葬り去ろうとする。全ては人生の絶頂を保つために
ただ、ボスでなくても多かれ少なかれ人々は自分の人生が沈むことは望まない。ボスのように未来を知った上で選択出来るのなら不幸になる道を敢えて選ぶことはないだろうね
けれど、今回ブチャラティ達は絶望的な未来を知った上で困難な道を選ぶ
ブチャラティがトリッシュを守る理由なんてそれ程多くない。父親が娘を殺そうとする、ボスの身勝手な行動を許せないという一点だけ。そのためにブチャラティはボスの下にトリッシュを届けるという任務を変更し、自分自身の命令としてトリッシュをボスから護衛する困難な道を選ぶ
ブチャラティは協力を求めるため困難な道であることを教えた上でボートに自分の意志で乗れと仲間に言う。この時、ボートは水面に浮かんでいるために浮き沈みを繰り返す。堅く沈むことのない岸辺から自分の意志で浮き沈みする不安定なボートに乗らなければならない
けれど、不安定だからって選ばない訳じゃない。アバッキオはブチャラティの傍こそが自分の落ち着ける所だと言って乗る。ミスタはブチャラティならボスを倒せる、そうすれば次の幹部は俺かなと言ってボートに乗る。それぞれが乗った時、ボートは一瞬沈むがそれを気にすることはない
ナランチャはすぐに決断できない。けれど、トリッシュと自分が似てると気付く。彼は泳ぎ、何度も水中に身を沈めつつもボートに乗る道を選ぶ
結局正しくても馬鹿な道を選べなかったフーゴだけはボートに乗れなかった。堅い岸から動けなかった
けど、それは間違っているわけでもない。ある意味では彼の選択は正しいのだろうね
それぞれがボートに乗った瞬間、ボートは沈んだ。けれど、次の瞬間には少し浮いた。この先、ブチャラティ達が進む困難に続く道に沈むことが有っても、ボートのようにいずれは浮く事があると暗示しているように思えた
五つ子の中では四葉が好きな自分としてはかなり満足できた回
反発したり、問題行動を起こしたりする五つ子の中で唯一最初から風太郎に協力的だった四葉。その理由の一端が示される
明るく元気で他の姉妹を巻き込み、多くの人からつい頼られるような力を持っているけれど、自分には才能がない、最初の頃と変わっていないと思っている四葉。だけれど風太郎は四葉がテストで赤点回避できるように家庭教師として応援し続けてくれている
なら、それに応えたくなる。風太郎がもっと自分達を指導できるように協力したくなるということなのかな
メアドの交換によって新たな繋がりが出来た五つ子と風太郎だけど、5年前の写真によって古い繋がりがあるのではないかと示唆された。この辺りの事情が明かされた時、五つ子と風太郎の関係はどのように変化するのかな?
それにしても昔は同じ髪色だったのに、五つ子達はいつの時点から髪色がバラバラになったのだろうとメタ的な事が気になってしまった
病気で苦しむ村であろうと高額の治療費を要求する尚文。何だかブラックジャックみたいになってきたね
ゾンビドラゴンに喰われたフィーロが逆にゾンビドラゴンの核を喰ったように、喰われたら喰い返せと言わんばかりの内容が展開される
度々他の勇者の尻ぬぐいをする羽目になる尚文。今回は剣の勇者のやらかしですか
最近の尚文は神鳥の聖人として噂になっているが、勇者としてはまだまだ。尚文は勇者として認められたいわけではないが、人から受け入れられ迫害されないためには勇者としての名を挙げる必要がある。だからこそ、ここで錬の活躍を喰う必要がある
尚文はゾンビドラゴンとの戦いの中でカースシリーズに呑まれてしまう。これは突然の出来事ではなく、これまでに尚文が感じた絶望の蓄積に因るもの。彼が数多の経験から人を信じることができなくなり、自分は奪われるばかりの人間だと考えてしまったからその考えに呑まれ、呪いの盾に心を喰われてしまう
しかし、そのままで居たら尚文を信じてくれたラフタリアやフィーロまで盾の餌食になってしまう。尚文は彼女らを守るために逆に盾を支配下に置く必要に迫られる
戦いが終わり、ラフタリアに掛かった呪詛の深刻さ、フィーロに訪れた危機、そして何よりも自分が発現した力の危うさを改めて認識した尚文
それらの問題を解決するには今までよりも強くなる必要がある。昨日の自分よりも、今の自分よりも、明日には更に強くなる必要がある。それにはこれまでの積み重ねを自分の中で消化して、次に危機が訪れた際に力とする必要がある
災厄の波を乗り切り、生き抜くことを考えていた尚文に新たな目標が出来た回であったように思えた
自分が弱り、尚文が笑った事をこれ幸いと一緒に寝てくれないかと誘ったラフタリア。彼女のそんな恋心は尚文の鈍感さに喰われてしまう。
尚文に想いを届けるにはその鈍感さも食い破るような強烈なパンチが必要なようだね(笑)
眼の前の光景から得られる情報がどうにも擦り合わない回
どろろ達は花嫁行列を目撃する。通常ならば目出度いはずの行列は誰も嬉しそうではない。実際は花嫁を送るための行列ではなく生贄を届けるための行列だから
その生贄だって間違いが潜む。村人は残され雲を天災のように捉え、生贄をやれば大人しくなると考える。実際は天災ではなく生物なのだから腹が減って一定期間ごとに暴れているだけ
お梅は手を縛られ悲しげな表情。だから無理やり花嫁にされている、助けるべきだと考えてしまうが実際は本人が望んだこと。助けにいったさるが逆に鬼神から庇われてしまう事態に
さるという少年も見た目と実情が擦り合わない。彼はどう見ても人間だけど、その育ち方によって村人から人間扱いされない、仲間に入れて貰えない。本人もその状態を受け入れ動物のように生きるしか無かった
お梅はそんなさるの名前を聞いて笑ってしまう。見た目とさるという名前のイメージが擦り合わないからだね
一方のさるもお梅に対し見た目から母親のようなイメージを得る。けれど、さるには別に両親が居るし、年も親子ほど離れているわけではない。だからさるは自分に優しくしてくれるお梅を別の呼び方、「姉ちゃん」と呼ぶ
これまで百鬼丸は妖怪の魂を見ることで、敵の居場所を探り倒してきた。それがこの回は役に立たないどころか、逆作用してしまう。目が見えないなりに見えていた物が見えなくなってしまう。百鬼丸は敵が何処にいるのか、どのような敵か理解できない
それへの対策として百鬼丸は音を利用する。矢を当てた際の音を聞くことで見えない敵の光景をイメージと擦り合わせようとする。それを理解したどろろも大百足に飛びつき声を発して百鬼丸の見えない光景を一致させようとする
その後、百鬼丸が声を発したのも気絶して周囲が見えなくなっているどろろの目を覚まし、自身が持つ光景とどろろからの光景をリンクさせるためか。どろろが声を発し、百鬼丸がそれ目掛けて斬りつける。立派な連携
そういえば、百鬼丸とどろろが協力して鬼神を倒したのはこれが初めてだっけ
大百足を倒して鼻を取り戻した百鬼丸。ここに来てようやくどろろが何を臭がっていたか彼は理解する。二人が共有できる物が少しずつ増えてきたようで
そして、ラストにはどろろの名前を初めて呼ぶ。これからの二人の旅が楽しみになるような終わり方だったね
今回のように隕石が降ってくるような危機敵事態だろうとサイタマが居れば何の心配もないと思えてしまう安心感
…裏を返せばサイタマ登場前に四苦八苦する人々がかませっぽく見えてしまうのは残念な点ではあるんだけど
強敵を倒す際と同じようにワンパンで隕石を破壊したサイタマ。けれど街に飛び散った隕石の破片までは防ぐことは出来ず、一時は町民の恨みをぶつけられる事態に
サイタマってギャグみたいな強さによってどんな敵だろうと倒せるのだけど、逆に言えば力が強すぎるがために誰かを守るには不向きなキャラクターなんだよね
そういった意味では彼が当初目指した筈のヒーロー像から、かなり離れたただの強者になってしまったのは悲しい所
度々恋愛相談に来るあのカップルは準レギュラーになりそうな勢いだね
何と言うか、石上は登場二話目にして既にキャラが固まりきっているような。彼が話し始めるだけで落ちが読めてしまう(笑)
部活をして彼女が居る者への僻みが噴出してしまったからといって、かぐやと藤原書紀を弄りの対象にしなくてもいいだろうに(笑)
そして問題のCパート。これまではちょっといい話が配置されることが多いパートだったのだけど……
女性二人にあの単語を連呼させるってどういう内容なんですかね……。ちょっとした伝説回ですよ、あの内容!
二人のはっちゃけ具合が凄すぎて逆に白銀のドン引きが意外な姿に映ってしまうのは笑えた部分
本作は基本的に夏生の視点で描かれるから、陽菜が何を考えているかは完全には読めない。けど、どろどろしたこと考えてそうな気が……
陽菜とドライブで江ノ島まで来た夏生。他に知り合いは居ないから二人は姉弟というより、以前の先生と教え子のような距離感で接しているように見える
だからか、陽菜が語った柊との過去も夏生が想像しやすい学生時代の逸話が中心に。想像しやすいから夏生は瑠衣やももとの絡みを思い出し、自分に陽菜を責める資格があるのかと悩んでしまう
ここで夏生が陽菜をモデルにした小説を渡しつつ「好きだった」と過去形で想いを告げたのは踏ん切りをつけようとしたからか。でも、それ以上の攻勢で陽菜が踏ん切りをつけてきたのは驚き
夏生が散々自分への想いを引きずっていることを知っている彼女からしたら、強烈なパンチを叩き込み現実を教える必要があると考えたのかな
ただ、それでも想いを振り切れないのが夏生のまだまだな部分か。陽菜の言葉を否定したいからって瑠衣の明らかにおかしな行動を受け入れてしまうのは宜しくないだろうに
夏生は陽菜への想いを振り切れず、その状態で瑠衣を受け入れてしまった。同時に瑠衣も夏生への無自覚な想いが暴走しかけていることを考えると、この家庭は近い将来崩壊しそうな気がするけれど……
そんな泥沼化しそうな夏生と瑠衣よりもどろどろしているのが陽菜
陽菜は第四話で家族を優先すると言って柊との浮気を辞めたと言ったけど、その言葉はどこか怪しい
陽菜は夏生に改めて想いを告げられた場面で、夏生の想いを完全に砕くために心中する振りをした。自分達が付き合うとは家族も社会的立場も捨てることであり、心中するようなものだと。これって陽菜の不倫行為にも少し当てはまるような気がしてしまう。そしてこんな言葉をすっと出してくる陽菜は柊に対してそこまでの覚悟を抱いていたのではないかと。ならそんな彼女が家族を理由に柊を諦めるとは考えにくいような
これが最後と言って夏生は陽菜を抱きしめる場面、瑠衣と夏生が恋バナをする場面で陽菜は瞳を揺らし曇らせる。又、自身をモデルにした小説を読みつつ涙を流す。この描写は柊を思い出していたように見える。だから終盤のあの行為に繋がってしまうのかな
誰も彼も自分の中にあるどうしようもない想いに振り回され藻掻いている様子が伝わってくるような内容だった
浜面だけヘビーオブジェクトの世界に居るという意見を見て、なんか納得してしまった…
一方通行はミサカワーストを助けられたものの、前回のミサカワーストによる追い詰めや救助のために無理をした事で暴走状態になったのかな?
雪原で黒い竜巻を撒き散らす一方通行の姿は恐ろしいとしか言いようがない。けれど、そんな一方通行に対して余計な事を何も言わず殴りに行き説教をかます当麻が格好良すぎる
一方通行は以前当麻に負けたこと、そして自分がラストオーダーを守ると決めたときから当麻が持つヒーロー性に対して劣等感を覚えていたのかな?
だからこそミサカワーストによって自身の罪が突きつけられ、更に暴走している状態で当麻に会ってしまい、当麻に自分の中にあるぐちゃぐちゃした想いをぶつけるしかなくなる。自分はヒーローではなくただの悪党でしか無いと感じている一方通行にとってかつて狂気の実験からシスターズを救った当麻は誰が相手でも救えるように見えてしまうのかも知れない
でも、当麻自身は自分がヒーローだからとか、善人だから救えるなんて考えない。誰かを助けるために特別な理由も立ち位置も必要としない当麻は駄々っ子のような一方通行の論理は間違ったものだと判るからぶん殴って修正する
状況も一方通行の背景も判らなくても、一方通行が助けてほしくて喚いているならそれを殴った上で助けようとする
そんな当麻の言葉だから、ラストオーダーを守るためには悪党を極めなければと考えていた一方通行は考えを改められる。ミサカワーストによって追い詰められた心も平静を取り戻せる
同時に当麻も一方通行に告げた言葉が自分に返ってくるものだと気付き、力強い眼を取り戻す
やっぱり当麻は細かいことなんて何も考えず、誰かを助けてこそという感じがする
次回は美琴までロシア入り?オールスターの様相を呈してきたね
ブチャラティの行動原理がかなり見えた回だったように思う
ブチャラティが両親のどちらかを選ぶ場面で父親を選んだの印象的
ここでブチャラティが父親を弱い存在、誰かが支えなくてはならない人間だと見たのは確かなのだけど、かといって母親が弱い人間かといえばそうではない。母親はブチャラティが選びなさいと言いながら、盛んにブチャラティが自分を選びたくなるような言葉を投げかける。つまり、母親は弱さを持ちつつも同時に他人に縋れる人間なのだろうね。だから離婚の2年後には再婚できる
対して父親は選ばれる場面で何も言わず、ブチャラティに視線も向けない。弱さを持ち、それを訴えられない人間。
父親が麻薬取引犯に撃たれた後、ブチャラティはナイフを持ってベッド下に潜んでいた。これはベッドで眠る父親が見る中で、これまで支える対象だった父親が守るべき対象へと変わり、それによって麻薬取引犯が再びやってくると予想し待機するに至ったのだろうね
そして父親を守り続けるためにギャングとなった。凄い覚悟だ
ブチャラティにとってギャングを続けるのは誰かを守るため。だから彼のチームに誘われた者も誰かが守り導いてやる必要があった者ばかり
彼らは父親を慕うが如くブチャラティに恩義を感じている。フーゴ達はブチャラティが受け持つ護衛任務の最後が失敗するなんて疑わない。このまま組織の上を目指せると思っている
しかし、ジョルノと志しを同じくしボスの打倒を考えているブチャラティはフーゴ達の眼を見返すことが出来ない
ブチャラティは不安がるトリッシュに優しい言葉をかける。これまでは任務の最中である為に余計な言葉は使わなかったのに。父親との関係に悩むかに見えるトリッシュは、ブチャラティからすれば無用な心配をしているように見えてしまう部分もあるのだろね
かつて父親を守ったブチャラティにとって、親子関係は絶対であるのだから、父親が子供を守らないなどある訳無いと考えてしまう
だからこそ、直後のボスの裏切りを理解できない。激しい怒りを覚える
組織の父親とも言えるボスのこの裏切りに対してブチャラティチームはどのような行動を起こすのだろうか?
人を襲う絡新婦、人攫いが出ているからと守りを固める村、絡新婦を村に招き入れた男。こういった要素が揃えば、そこから始まる展開なんて惨劇以外を想像出来ないと言うのに、ラストは心温まるような締め方をするとは…!本当に本作は恐ろしいね
終盤でどろろは今回の話を総括して「世の中判んないよな」と言う。判ったつもりになって物事を判断してしまうと、後から全く違った側面が見えてきて驚かされることがある。
人攫いから守るため防柵が備えられ検問所まで存在する村。それならば豊かかと思いきや、実際は採石でぎりぎり保っている村であり囲いも村人を逃さないためのものだった
立て看板で人攫いを捕らえた者には褒美を出すとあった。となれば村は人攫いに困っているだろうと考えるのが普通。しかし、実際は困る理由は全く別のもので、褒美も存在しなかった
絡新婦は見た目からして恐ろしい妖怪。百鬼丸達と初めて会った際も男を喰っているように見えた。だから、どろろも人攫いは絡新婦によるもので退治すべき対象だと考える。しかし、絡新婦は精気は喰っても命までは取らない。人と妖怪が共に生きるのが長生きの秘訣だと知っているむしろ良い妖怪
眼の見えない百鬼丸はこれまで魂の色で倒すべき妖怪か判断してきた。第二話で見た目ではなく魂の色で倒すべき敵を判別したように、今回も魂の色を見て絡新婦を倒そうとする。しかし、二人の遣り取りを聞き、更には魂の色が変わったことで倒すべき相手ではないと判断できる。百鬼丸にとっては初めての経験
一方でそういった描写とは関係なしに弥二郎とお萩の触れ合いはとても麗しいものに見えた
弥二郎は茶碗に這っていたゴキブリを逃した上で「人も虫も同じだ。生きてることに変わりはねぇ」と言う。人によっては怒りかねない言動だが、蜘蛛である絡新婦にとって心揺らす言葉となる
自らの空腹を満たすために里に降りた絡新婦にとっては米だけでは足りない。しかし、弥二郎は自分の空腹を隠し、お萩に食事させた。ならお萩は弥二郎の精気を喰う訳にはいかない。お萩にとって傍に居るのが心地よい相手となった弥二郎が我慢するのなら、お萩も空腹はお互い様だと我慢できる
弥二郎は人と無視を区別せず、お萩は人と共生する分別が有った。お萩は「あんたみたいな人間には今後二度と出会えないだろうよ」と言う。それは弥二郎にとっても同じなのだろうなと思えるような内容だった
今回はコードギアス新作を待ち望んだ多くの人の声に応えると共に同時にアニメ本編でルルーシュが土台となった平和な世界に疑義を呈す内容になっていたように思う
そもそもルルーシュはブリタニアが作り上げた世界への反逆として活動を始め、より多くの人が望む別の平和を作り上げた。けど、ありとあらゆる人が納得した平和ではない。今回対立したジルクスタンはそういった国であり、シャムナはかつてのルルーシュと同じように強者が作り上げた平和によって排他された弱者を彼女なりの方法で救済しようとした。相手の思惑や状況を飛び越えて世界や人々を操るシャムナは正にルルーシュと似たような存在だったわけだ。
それにしてもシャムナのギアスはメタ的にも面白いものだったね。死ぬことで過去に戻り采配を振り直す。これって視聴者的には昨年から続くコードギアス企画をまるでなぞっているかのよう。TVアニメでルルーシュは死んで終わった。それが総集編の形で再び描かれ、その中で話の取捨選択が有ったが最大の違いはシャーリー生存。これが分岐点になり映画ではシャーリーの存在がルルーシュ復活のキーとなる。
TVアニメからは決して成立しないルートだけに正にやり直した印象が強い
そして映画上ではTVアニメではやれなかった事が様々な形でやり直されている。
スザクはTVアニメでルルーシュの共犯者となってしまったがために、ルルーシュ死後の世界を全て押し付けられた不条理をぶつけることが出来なかった。それがルルーシュ復活によりその不条理をぶつけることが出来た。
ルルーシュは平和な世界の土台となったが、どのような平和が作られたかは知らない。それが神楽耶のアシストによってその一端を知ることが出来た。又、敵味方を問わず大勢の命を犠牲にした人間でもある彼は本来なら謝罪した上で断罪されなければならなかった人間。それがコーネリアとの対話の中でゼロの仮面を外し謝った上で、命令の形ではなく願う形で協力依頼する姿は良かったな
TVアニメでは視聴者のヘイトを集めた扇。一時は日本のトップになった筈の彼が一兵士の形で作戦に参加し、更にはルルーシュに謝ったのは意外だったなぁ。何と言うかあのシーンで扇は許されたような気がする
ナナリーはTVアニメラストの瞬間までルルーシュの真意を知らないままに過ごしていた。それが復活により、全てを知った上で再びルルーシュと会話できたのは良かったね。そして今度は互いが納得した上での別れ。この描写によりTVアニメラストで唯一悲しい想いをしたナナリーが救済されたかに思えた
そして彼女の為にこの映画は制作されたのではないだろうかと思えるのがC.C.。TVアニメではルルーシュとの「笑って死なせてやる」という約束は果たされないまま。それが形を変えて映画で果たされたのは感慨深い。
ルルーシュはC.C.と同じ不死となり、名前もL.L.と変え、二人で歩んでいくことになった。不死である為に孤独を強制されていたC.C.の生き方は変わった。もし終わりが訪れるとしても最後の瞬間にルルーシュが居るならば、きっとC.C.も笑顔になれるだろう。それが垣間見えるようなC.C.の喜びの表情はこの作品の最後を締めくくるものとして相応しく思えた
やり遺したことがやり直されたこの映画を見れたことは、TVアニメ放送当時、本作に熱中していた自分としてはとても喜ばしいことであり、改めてスタッフの皆さんに感謝の言葉を送りたくなった